中華圏の多様性を破壊する日本の自治体職員の無知

――その中国語母語職員は繁体字情報を破壊していませんか

多文化共生の時代、日本の公共施設の多くが外国人サービスのために外国語情報を増やしている。地方自治体が外国語母語職員を採用し外国籍住民向けサービスを行うことは少なくない。

自治体が外国語母語職員を採用するのは、外国籍住民の中には日本語がわからない人がいるし、自治体職員の中にも外国語がわからない人が多数いるからだ。東京23区では、外国人が人口全体の1割を超える区も珍しくなくなっている。双方向コミュニケーションがスムーズにできなければ自治体の住民サービスの質に影響しかねないことから、外国語母語職員は自治体と外国籍住民の意思疎通のパイプ役を担う。

■仲介はできても母語力があるわけではない

パイプ役といっても、外国語母語職員の語学スキルを過大評価してはいけない。通常の外国語母語職員ができるのは、相互の意思疎通を助けるのみである。
にもかかわらず、一部自治体では、外国語母語職員の知識能力を超えること、しかも日本人職員が内容をチェック、監督できない業務をさせている。例えば、自治体文書の外国語版制作、自治体から委託された翻訳業者が翻訳した翻訳資料のチェック等である。
私は日本語から外国語版の制作を専門性に欠ける外国語母語職員に当たり前のようにさせ、その後何の監督、ダブルチェックの枠組みも持たないことを不思議に思っている。日本の公的機関であれば、外国語から日本語の翻訳文の作成やチェックには専門的な知識を持つ人を充てるのであって、適当に済ませることはあり得ないだろう。

私は台湾人なので、外国語母語職員の中でも中国語母語職員との接点がある。私は中国語母語職員のつくった中国語の文を見て、そのいまいちさをダイレクトに受けとめている。そもそも読解能力がよくないから、勘違いや思い込みからミスが出ているし、母語での複雑で正確な文章づくりの経験もなく、翻訳や校正編集の業務知識もないと思われる内容のこともある。
日本人職員は外国語母語職員の文書作成能力を過大評価し過ぎている。専門知識のない人に文書をつくらせることで、自治体文書の信頼性や、自治体のイメージに影響を与える可能性があると考えないのだろうか。

非常に残念なことだが、課題を持つ人ほど、自分の母語能力に異常に自信を持っている。たとえ自信がなくても、日本人のような謙遜さなど出すはずもない。日本人職員の手前もあるのだろうか、問題点を指摘されても自分のミスを認めようとはしない。しかも、日本人職員はそんな外国語母語職員を信頼してか、ダブルチェックをしようとしない。その結果の成果物が自治体の外国人向けサービスとして提供されるのである。

■ああ中国人は簡体字中国語しか知らないんだ!

私が自治体向けの仕事で台湾人向けの繁体字版情報の翻訳をするとき、自治体は私の翻訳文を中国語母語職員に「校正」させる。その後、戻ってこないこともあるが、戻ってくれば、その校正原稿に従って再度の修正作業を行うことになる。

このフィードバックでわかることは、翻訳のチェックにかかわっている人ほぼ全て中国出身者だと想像できることである。なぜなら、台湾人向けに工夫してつくった語彙や文が、台湾人が通常使わない語彙や文に変えられてしまっているからである。

このようなフィードバックが繰り返されて、中国出身の中国語母語職員は、多くは中国以外の中華圏で使われる華語(中国語)の言い回しを知らないのではないかと確信するようになった。つまり、中国出身の中国語母語職員には、「中国語の文字には簡体字と繁体字がある」という程度は何となくわかっていても、「簡体字圏と繁体字圏の言葉の言い回しの違いは大きい」という概念がないということである。

だから、自治体の日本人職員に伝えたいのは、「あなたの自治体の中国語母語職員は中国以外の華語(中国語)の言い回しの習慣を知らないですよ」「繁体字の語彙や文章の専門知識がなさそうですよ」ということである。

日本人の中では、簡体字と繁体字の違いは漢字の字体の差程度にしか考えていないかもしれないが、少なくとも母語話者にとっては全く違うものであるので、この文章を機に認識を改めていただきたいと思う。台湾で使用する繁体字の字体や漢字数は中国の簡体字よりも複雑多様であり、言い回しの習慣もかなり違う。たかが数文字の間違いでも致命的であることは、日本人が「てにをは」がおかしいだけでざわつくのと同じである。

中国語母語話者が中国語の文章をチェックすることは、日本人職員にとっては一見合理的に見えるのだろうが、簡体字圏の人が繁体字圏の人の文章を直してしまうと、繁体字圏の人に恥ずかしくて見せられないひどいものになる。まして、今取り上げているのは、外国人向けの自治体サービスについてのことである。

(注釈)
・簡体字は、主に中華人民共和国で使われている中国語の字遣い。日本の漢字よりも簡略化されている漢字もある。
・繁体字は、主に台湾、香港で使われている中国語の字遣い。日本の漢字よりも複雑で、旧字体に近い。
・華語は、中華人民共和国「以外」で使われている中国語の意味で、最近使われるようになった。詳細は「日本の「中国語」の排他性から脱却し、あえて台湾華語と呼んでみる」参照。

■中国人が繁体字知識をつけられない残念な理由

中国出身の中国語母語職員が簡体字しか知らないのは、中国の情報統制がかなり厳しく、中国人が中国で中国以外の情報に接することが難しくなっていることの影響か、あるいは、中国は人口や面積が大きな国だから、周縁の小さいエリアも自分たちと同じだろうと思い込み、中華圏を包摂的に考えてしまうからなのだろう。
そして、中国出身者は、来日後も使いなれたウェブアプリやツールで情報をとる。つまり、日常生活において簡体字の情報を見ているのであって、繁体字の情報に接する必要はない。だから、本当に繁体字を使う人が作成した繁体字情報を見分ける能力などないと私は結論づけている。

一方で、努力さえすれば、中国人でもネット上で繁体字や繁体字圏の言い回しや伝え方を学ぶことも可能だと思う人もいるかもしれない。確かに、2010年代の初頭は、このような考え方が何とか通用していた。しかし、今はもうほぼ不可能だと感じる。それは、フェイク情報の氾濫による。
2010年代以降、「偽繁体字」サイトがどんどん増え始め、2010年代後半には、とうとう本当の繁体字圏の人がつくったネット情報を探すことが非常に困難になるほどまでに深刻化し、現在も悪化の一途をたどっている。

これらフェイク情報の大半は、繁体字を使用する台湾人が作成したものではなく、日ごろ繁体字を使わない中国人が作成したものである。日本人はもちろん、大部分の中国人ももちろんこのような現実を知らないだろう。被害を受けている繁体字圏の台湾人と香港人だけが繁体字資料を調べる不便さを感じているのである。
ちなみに、日本人が好きなグーグルだが、グーグル上で繁体字圏の人が作成した情報を探すことは既に困難になっている。ウィキペディアも同様だが、このことは別の機会に言及したい。

なお、台湾では、高齢者以外のネットを使いこなす多くの人は、これら「偽繁体字」の情報を簡単に見分けられる。これらの情報の中には台湾人が使わない伝え方があり、台湾人が文章を書くときには起こり得ない誤字があるからである。
フェイク情報が蔓延する2010年代半ば以降、台湾人がネット情報を調べていて、過って中国人が作成する「偽繁体字」サイトに入ってしまうということが増え、図らずも台湾人が中国人の言い回しの習慣を知る羽目になってしまった。

中国がつくった大量の粗悪なフェイク情報により台湾人のネット情報生活が脅かされ、深刻化したため、現在、台湾人の多くが簡体字や中国の言い回しを非常に毛嫌いしている。

■繁体字翻訳を破壊する無自覚な「改悪」例

簡体字のみに精通し繁体字圏の言語文化知識を持たない中国出身の中国語母語職員が翻訳をチェックすれば、その質は「偽繁体字」のサイトと同様になるとも言える。それはどういうことか。

私が遭遇したことのある主な「改悪」例を紹介したい。
・一部だけを中途半端に直すなど、訳語の一貫性が欠如する直し方をする。
・正しい繁体字を誤字とみなして、簡体字に直す。
・本当の繁体字の誤字を見落とす。
・上品な言い回しを、粗野な言い回しに直す。
・厳密性のある語彙表現を、曖昧な語彙表現に直す。
・安定して穏やかな文章表現を、不安定で荒い話し言葉に直す。
・台湾人がよく使う語彙や文を、中国人だけが使う語彙や文に直す。
・読み手(台湾人)の知識や情報調査能力を過小評価する。(台湾に根差した日本についての常識を知らない)
・台湾人にとって不必要な説明を勝手に追加して自分の知識をひけらかし、翻訳文中で丁寧につくり上げた読み手の好奇心を誘発する仕掛けを破壊する。

もちろん、冒頭で触れたように、経験や知識が足りないために、読み手の不利益となる「改悪」もある。
・固有名詞やシンボルマーク(例えば商標中の文字)を言葉として翻訳する。
・よくよく工夫して考えた中国語翻訳文の語彙順序を、日本語原文の語彙順序に直す。(流ちょうな翻訳を粗悪な直訳に直す)
・よくよく工夫して考えた中国語翻訳文の文の順序を、日本語原文の文の順序に直す。(流ちょうな翻訳を粗悪な直訳に直す)
・直しのための直しをする。日本人職員に自分が仕事をしていることを見せたいがために、本来は直しが必要ではない部分で無意味な加筆をする。

■日本人職員よ、露骨なことを言わせる前に気づいてくれよ

「改悪」の結果、努力してつくった本当の繁体字の翻訳文が、中国出身の中国語母語職員に踏みにじられてしまう。このような問題を私自身は幾度となく経験している。台湾人向けの翻訳をしているのに、そのフィードバックには繁体字圏の人間なら通常使わない語彙が使われ、中国人だけが持つ言い回しの習慣、つまり読み手となる台湾人が毛嫌いする表現が充満する。

「校正」のつもりで「改悪」している中国出身の中国語母語職員に、あなたの指摘は当たらない、これは合っていると一々言わなければならないストレスは大きい。彼らはこのことに無知なのだから、単なる自分へのやっかみや攻撃と捉えることもあり、素直に受けとめてはくれないこともある。しかし、このままでは、せっかくつくったものが偽繁体字のフェイク情報だとみなされてしまう、それは、読み手である台湾人が不愉快に感じるだけでなく、情報の信頼性を失墜させることだから、こちらとしても安易に妥協などできない。

心中とてもつらいものがあるが、もっとつらいのは日本人職員が、「繁体字圏の言語知識が乏しい中国出身の中国語母語職員が、台湾人が翻訳した本当の繁体字資料を校正する」ことが不合理で異常な作業方法だと気づかず、やっぱり身近な人の方を信じることである。

大変ややこしいことになっていることに日本人職員は気づいているのだろうか。私も、中国出身の中国語母語職員にメンツがあることは承知しているから、仮に指摘すると反発を受けることになる。だから、結局、日本人職員に言わなければならなくなる。ただし、私はここに書いているような中華圏の見苦しい話は日本人にしないし、忙しい自治体職員に対してこんな話をするのは時間的に難しい。字句の話にとどめると、前述のように、無知な日本人職員は中国出身の外国語母語職員を信じるので、繁体字版資料は台なしになる。

かといって、たとえ日本人職員が私の指摘を受け入れてくれたとして、私の懸案は解決しその繁体字版資料はいいものになるだろうが、中国出身の中国語母語職員のメンツがなくなってしまう。今後の彼らとのつき合いに大いに影響が出てくる。何しろ、彼らは「職員」なんだから、自分のメンツを汚した存在とつき合いたいと誰が思うだろうか。日本人職員が気づかないうちに、結果的に、今後の繁体字版資料づくりに影響を与える事態となる。

■中国母語職員が中国出身者であることの不気味

中国出身の中国語母語職員は簡体字圏の中国語のみを知る人材であって、繁体字については自治体に適切に助言しないし、事実できない。
したがって、中国出身の中国語母語職員に中国語情報の全体プランを任せるということは、彼らの繁体字への無関心がそのまま自治体の方針と直結し、繁体字の公共表示や資料など作成されようもなくなるか、優先度を落とされかねないということである。結果的に、繁体字の存在は非常に巧妙に抹殺されてしまう。

このことは、繁体字圏の人の立場に立てば、中国出身の中国語母語職員は職業上有利な立場を利用して不作為を行っているということであり、更に日本人職員の不勉強が加わり、まさに自治体業務の公正性、多文化共生時代に逆行した対応を取っているということである。

自治体としての外国語人材募集の結果とはいえ、外国人サービスの場にいるのが繁体字圏のことを知らない中国出身の中国語母語職員であって、彼らが自治体側の地位を占めていることはすごく不気味である。繁体字圏の人は簡体字圏の人が自分たちに利益があるように情報操作をするのではないかと警戒感を持たざるを得ない。なぜなら、とばっちりを受けるのは、真に繁体字情報を利用する台湾人と香港人だからである。
例えば、旅行していても、簡体字の表示や資料しかなく、繁体字のものがない自治体も少なくない。つまり、この自治体が台湾人や香港人を歓迎しておらず、中国人だけを歓迎していることを結果的に示している。そして、自治体がつくった繁体字情報があったとしても、簡体字混じりの「偽繁体字」情報を渡される。その翻訳のチェックに繁体字圏の人が入っていない証拠である。

日本人は台湾のことを親日と言うこともあって、日本人としても台湾人の気持ちに応えたいと思っているのだと思う。しかし、現実の日本の自治体の台湾向けのおもてなしとして、繁体字情報への努力は明らかに足りないどころか、やってはいけないことをやっている。これらの結果が、残念ながら中国出身の中国語母語職員では対応が難しいことを証明している。

■繁体字情報は繁体字圏の人材に任せてほしい

外国人向けに自治体が中国語情報資料をつくる際、まず、日本人職員自身が、簡体字と繁体字では専門家が違うことは理解するべきであり、中国出身の中国語母語職員がいたとしても、彼らにはできる限界があって、繁体字には対応は厳しいことを知らなければならない。そして、繁体字案件については餅は餅屋であって、簡体字圏の人をかませてややこしくすることを避け、繁体字圏の人にチェックを仰ぎ、その意見を聞く体制をつくることを希望したい。

自治体の日本人職員は数年後には異動する。新しく異動してきた日本人職員はこれまでの仕事を知る中国語母語職員を頼る。中国語母語職員は自治体にとって大変重宝な存在である。しかし、日本人職員は、中国語母語職員に仕事を丸投げできたとしても、みずからに現代漢字文化圏の教養や常識がなく、漢字文化圏の言語タブーを知らないことをなおざりにしてはいけない。特に簡体字と繁体字の溝は感情的なものも含めてかなり深く、日本人職員の無知がややこしさを生んでしまうこともあることに留意が必要である。
そして、中国語の知識があると考える日本人職員も、自分の中国語の偏りを検証する必要があることも指摘したい。以前、「台湾人に「早上好」と挨拶してはいけない理由」という文章で取り上げたが、日本で学んだ中国語ならば、それは簡体字圏の中国語にすぎず、繁体字については実は全然知らないんだという謙虚な気持ちを持ってもらいたい。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)

言葉遊びをオヤジギャクと否定する日本文化

台湾で『ドラゴンボール』の翻訳版を読んでいたころ、悟空が界王のもとで修行するシーンに入って、登場人物が何を言いたいのかわからないところがあった。

その内容はというと、界王が悟空の目の前で「誰も電話に出ない」と独り言を言い、自分のジョークのできを自慢し、悟空には自分を笑わせられる冗談を言わないと修行をさせないというものだった。悟空は「布団が飛んだ」と言い、界王を笑わせたのである。【注1】

当時の私は、このやりとりの意味が全くわからなかった。

翻訳作品を読んでいて、理解できない翻訳の内容を見たら、普通は自分の妄想で補うしかない。当時、私が思ったのは、界王のユーモアのセンスは変で、悟空のユーモアのセンスも変だから、両者は変なユーモアでも通じ合えたのだということだった。

日本語を勉強して数年たってから、やっとこの冗談の意味がわかった。
すなわち、「誰も電話に出ない」とは、「(誰も)電話にでんわ」であり、「デンワ」の音遊びをしているのである。「布団が飛んだ」とは、「フトンがふっとんだ」であり、「フト(ッ)ン」の音遊びをしているのである。あの翻訳は、こういう日本語表現を再現していなかったのだ。
「電話にでんわ」や「フトンがふっとんだ」のような日本語表現は、もともと偶発的な結果が冗談になったものである。他の言語に翻訳すると、このような偶発性はなくなってしまう。
私が読んでいた翻訳は、字面を文字どおり翻訳したにすぎなかった。そして、翻訳された内容は、もちろん日本語オリジナルの発音の特徴を持ち合わせていない。だから、翻訳版の漫画を読んでも、このやりとりは理解できないのである。

私が初めて翻訳版の漫画を読んでから原作中のやりとりを理解するまでには、10年以上の時間があいた。さらに、私がこのやりとりの意味が理解できるようになってからまた何年もたち、ようやく、この種の、同じ音や似通った音の語彙を文章中に使っておもしろみのある言葉遊びをすることを日本人は「おやじギャグ」とか「ダジャレ」と言うことがわかった。

■言葉遊びの大衆化 実は歴史は意外に浅い

中国語では、言語表現の中に出てくる同音又は類似音の現象は「諧音」と呼ばれる。中国語におけるこの諧音による言葉遊びには、日本語でいうところの「おやじギャグ」とか「ダジャレ」のような決まった呼び方はない。「諧音遊戲」とか「諧音笑話」などの造語で、この種の行為や状態を説明するしかない。

中国語にこの種の固定的な呼び方はないのは、この種の言葉遊びの「大衆化」の歴史が長くないからかもしれない。
言葉遊びの基本は言葉に対する感性だから、華人世界での教育がそれほど普及していなかったころは、言葉遊びはごくわずかな知識層の娯楽にすぎなかった。
私が小さかったころには既に台湾で教育が普及していたが、時あたかも独裁政権下である、大衆は為政者が決めた「道徳儀礼」を守らなければならなかった。言語表現について注意深さが足りなければ、殺されかねないことも起こり得た。
大人が言葉遊びをするのを聞くことは少なかったが、全くなかったわけでもなかった。例えば、何かを確認するときに「真的?」(「蒸的?」と同じ発音)と尋ねると、相手が「煮的」と答えていたのを聞いたことがある。【注2】

当時は、実はこういうやりとりに余りいいイメージを持たなかった。確認を求めている相手は内心不安に思っているのでは、真面目に答えなければ、相手は余計に不安になるだろうと思っていた。

小さいころ見た諧音による言葉遊びのやり方は、コミュニケーションとして意地悪過ぎるとは思ったが、一方で、学校で習う新しい言葉の中にある、読み方が同じか似通っている語彙に興味を持つようになったのは確かだ。
長じて大学に行ってからは、台湾社会が言論や表現について開放的になっていたこともあり、クラスには、日常的な会話の中に言葉遊びを入れるのが好きな同級生が何人もいた。もちろん、これは諧音を使った言葉遊びである。私の専攻は理系だったのに、これらの言葉遊びが好きな同級生は芸術や文学の感性も持ち合わせ、独創的なキャラクターだった。これらの同級生が私に少なからぬ刺激を与え、私も、言葉を斬新で巧妙に表現することに興味を持った。

現在の台湾では、諧音による言葉遊びはかなり大衆化している。商店、飲食店、商品の名前にも諧音が使われている。これらの諧音を使った名前には、上品でないもの、低俗なものもあるが、多くは大変斬新で巧妙でおもしろい。どれも、店名や商品名を見て記憶にとどめてもらえるようにすることが目的だ。表現がそれほど極端なものでなければ、人々は寛容な態度でそれを見ている。

■日本の「ダジャレ」に向けられる差別的な扱い

私は、来日したばかりのころ、日本語学校に1年半通った。
最初の半年は初級日本語で、テキストを進めていくと短文をつくる練習が入ってくる。私は習ったことがある日本語の語彙を使って、独創的な文づくりに励んだ。
あるとき、授業で短文をつくるときに、日本語の類似音の語彙を使った。クラスの同級生は笑った。日本語教師も笑ったが、その後すぐに、大きな声で「おじさん」と私に言った。

当時の私でも、日本語の「おじさん」の意味は知っていたが、その日本語教師がなぜ私に「おじさん」と言ったのかはわからなかった。恐らくそのとき、クラスの外国人留学生のみんなも、その日本語教師がなぜ「おじさん」と言ったかはわからなかったと思う。とはいえ、日本語教師が笑っている様子からは、悪意はないが、決して私を褒めたのでもないことはわかったのではないか。

後々になって、私は、あの日本語教師が「おじさん」と言って冷やかした意味がわかった。当時、日本語初級の学生には「おやじギャグ」という言葉は通じないだろうから、「おじさん」と言ったのである。この真実にたどり着いたとき、とてもショックだった。
あの日本語教師には悪意がなかったと信じてはいる、彼女は「おやじギャグ」が好きではなく、私のように、日本に来てから半年もたっていない、日本語が初級レベルの外国人に対して、反射的にうっかり言っただけかもしれない。

多くの日本人は諧音による言葉遊びを嫌っているようで、「おやじギャグ」とか「ダジャレ」とこの言葉遊びのことを呼んでいる。この種の呼び名からは、日本人が心の奥底では「おやじ」を疎ましく、差別さえしていることも垣間見られる。

日本に住む外国人の立場としていえば、努力して日本語を勉強することは、その国や社会や文化を尊重する行為だと考えているし、努力して日本語をマスターしたいとも思う。しかし、この種の抑圧的な言語表現の文化に適応することは容易ではない。
日本語に興味を持つ人は日本語のいろいろな表現の可能性を探すのは当然だと思うが、同時に、この言語表現を試すことは、冷ややかなあざけりに遭遇するリスクがある行為でもあるのだ。このことに大きな矛盾はないだろうか。

私は日本に住んでから10年以上たった今でも、日本人が「おやじギャグ」という言葉を使うのを聞くと悲しくなってくる。日本語学校でのあの経験は、本当によくない経験だった。
このような心のもやもやを克服するには、デーブ・スペクターのツイートを見るといいのかもしれない。彼のツイートには独創的な日本語の言葉遊びがたくさんある。しかも、彼は「おじさん」と言われることを恐れない。彼のような存在こそ、ただただ日本語をマスターしたいと思う外国人にはとてもいい刺激になっている。

【注1】当時読んだ漫画は繁体字中国語のもので、純粋に「誰も電話に出ない」と「布団が飛んだ」などの「意味」としか認識できなかった。
【注2】「真的?」は「本当?」という意味。「蒸的?」は「蒸したもの?」という意味。「煮的」は「茹でたもの」という意味で、「本当?」という確認を無視して料理のことに話題をそらした意地悪な答え方をしている。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)

日本の「中国語」の排他性から脱却し、あえて台湾華語と呼んでみる

日本で十数年生活をしている中で、日本人から、たまに「台湾で使われる言語は何か」と聞かれることがある。
台湾に行ったことがある、あるいは日本の周辺国の事情をある程度わかっている日本人の頭の中にある答えは「中国語」であると思う。
私が日本に来たばかりの頃、このような質問を受けたときには、迷うことなく「中国語です」と答えていた。
しかし、日本に長く住むようになって、この質問の答えは難しいと思うようになった。それは、同一語彙でも、人によって言葉を捉えるニュアンスがばらばらだからである。「中国語」という語彙はまさにその典型例である。

なお、フランスで使われる言語はフランス語、ドイツで使われる言語はドイツ語という感覚でいえば、台湾で使われる言語は中国語ではなく台湾語だろうと考える人もいるかもしれないが、この文章はそういうことを言いたいわけではないことを冒頭断っておきたい。

■日本人の考える「中国語」は、私が考えるものと違っていた

私が日本語を勉強し始めた頃に使っていた日本語教材では、台湾で使う言語は「中国語」となっていた。そのときは、それはそうだろうなと思ったし、これまでこの語彙の持つニュアンスをいぶかしむことはなかった。そして、来日後、日本人から「台湾で使われる言語は何か」と聞かれれば、私は勉強したことがある日本語の語彙である「中国語」を答えていたのである。
しかし、日本に住み始めてしばらくしてから、多くの日本人が考える「中国語」と、私が考える「中国語」とは違うことに気づいた。

私が「中国語」と捉えているのは、
・世界の華人の最大多数の共通言語(地域的に言い回しの習慣や発音が違っていても、コミュニケーションはとれる)
・使用する文字は繁体字と簡体字の両方

日本人の「中国語」に対する印象は、
・中国人が使う言語
・ちまたの「中国語教室」で教える言語
・大学の第二外国語の「中国語」で教える言語
・一般的な書店にある「中国語」教材で教える言語
・NHKの「中国語」講座が教える言語

つまり、日本人と私では、「中国語」という言葉のニュアンスの捉え方に大きな違いがあったのである。

日本で生活し始めて、中国語を勉強中という日本人に会ったことがあった。その日本人は、私と会う以前には、中国語に「繁体字」があることを全く知らなかったし、「簡体字」が20世紀後半になってからつくられた文字であることも知らなかったという。
初めのうちは、こういう人はごく少数派だと思っていたが、日本に住んで長くなり、これは少数ではなく多数を占めていることがわかった。中国語の文字に繁体字と簡体字があることを知る日本人はむしろ少数派である。日本人が中国語を勉強するときには、教わるべき中国語の知識の多くが周到に抹殺されているからである。

日本人と私の「中国語」のニュアンスの捉え方の違いがあることによって、私が日本人に、台湾で使われる言語は「中国語」だと言ってしまうと、日本人は、台湾で使われる言語は、ちまたの中国語教室、大学の第二外国語、書店の中国語教材、NHKの中国語講座のものと全く同じだと思われてしまいかねないのである。

日本人が上記のようなルートで「中国語」を勉強しても、台湾人と確かにコミュニケーションできるが、上記のルートが教える「中国語」は、台湾で使われる「中国語」の発音や言い回しとは同じではないし、文字の違いは非常に大きい。そして、うっかり使ってしまうと、相当失礼になることもある。
しかし、これらの「中国語」を教えるルートでは、日本人にこういう事実をほとんど教えないのである。私は、中国語学習経験のある日本人が中国以外での「中国語」の発音や言い回しを知らないでいることに数多く遭遇している。

日本人の多くは、英語にはアメリカ英語とイギリス英語があることを知っている。一方で、「中国語」においては、意外にも中国以外の「中国語」を知らない。この現象はとても奇妙である。日本人が捉える「中国語」とは、周到に操作された、非常に狭くて排他的な「中国語」なのではないだろうか。

■「中国語」と呼ばない呼び方――北京語とかマンダリンとか

台湾の言葉について、日本人から質問されて戸惑ったことは幾つかある。それは、日本人の「中国語」に限らず、日本人自身がその語彙についてどのように捉えているかわからないから答えにくい。

例えば、台湾の言語は「北京語」なのではないかという質問である。台湾の言語を知らない人は元々中国語に対する固定概念はないのだから、聞いたことがある言語の呼び方を言っているだけかもしれないのだが、自分の歴史認識や中国人との交流経験から、日本人の考える「北京語」のニュアンスを想像するしかない。
自分なりの答えとしては、台湾の言語と「北京語」とは似ている、台湾人は北京語話者とコミュニケーションできなくはないが、互いに文字の違いは大きいし、発音や言い回しも違う。それから、台湾の言語と北京の言語は、互いに起源は同じでも、従属関係ではない。台湾人は当然、台湾の言語が現代北京語から端を発したものとは思っていない。

「マンダリン」というのは何かと質問されたこともある。英語のMandarinの意味は知っているが、日本人の考える「マンダリン」は普通に会話で使われていて、厳密性を持った学術用語ではない気がする。
私の捉え方だが、現在のMandarinはChineseとほぼ同じ意味である。台湾や中国では、自分の言語の英語での呼び方はChineseだが、東南アジア諸国の華人の間では、華人の共通言語の英語での呼び方はMandarinとなっているのかもしれない。
私は日本で、シンガポールやマレーシアの華人の観光客に英語で道を尋ねられるとMandarinが話せるかどうかを確認している。彼らは確かにMandarinという言葉を知っている。そして、基本的に「中国語」でコミュニケーションできる。もちろん、私と彼らが話す「中国語」と、中国人が話す「中国語」とは、発音、言い回しは同じではない。彼らが使う「中国語」は「華語」と呼ばれている。
なお、台湾での英語教育では、台湾の公用語の英語での呼び方はずっとChineseなっていて、だから、台湾人はMandarinという言葉に不慣れな人が多い。台湾人が普通、外国人に英語で台湾の公用語について説明するときは、Chineseという言葉をほぼ使う。

ほかにも、中国語学習経験のある日本人であれば「普通話」という言葉を知っているかもしれない。
台湾人も「普通話」という言葉を知っているが、台湾ではこの言葉は使わない。
台湾人のイメージする「〇〇話」は幼児語をイメージさせる表現であり、完成度や上品さに欠ける。幼児の語彙は少なく、「語」という言葉のニュアンスで理解しようがないから、「語」に代わってやや簡単な「話」を使うと考える。中国の「普通話」という言葉が台湾人に与える印象というのは、中国語の伝達能力のこなれていない人が、無理やりかき集めた幼稚な語彙だということである。
ほかにも、「〇〇話」というのは、台湾人に一種の「系統立っていない原始的な言語」という印象をも与えている。例えば、「日「語」」は一種の体系化されて完成した言語という感覚だが、「日本「話」」になると粗野で原始的な印象を与えることになる。

■台湾では、台湾で使われる言語をどう呼んでいるか

台湾の言語を知るには、まず、台湾国内では自身の言語をどのように呼んでいるかを知っておくべきであろう。
台湾国内には多くの言語がある。最もよく使われているのが「国語」と「閩南語」(びんなんご)である。ほかにも、客家語、原住民族の言葉、閩東語、手話などがある。
この「国語」をより日本人がわかる言い方にすると、「台湾の中国語」である。台湾の公用語は「国語」で、台湾の小学生の科目名でもある。「国語」は、台湾人の国内向けの公式の言語の呼び方である。台湾の国内での他の言語とを分ける言い方として使われる。

一方で、「国語」と外国語とを区別する言い方として、台湾人の多くは「中文」という言葉を使う。そして、少数だが「華語」という言葉を使う人もいる。
「中文」は、「国語」の対外的な一般的な呼び方である。「中文」という語彙のニュアンスは曖昧で、「国語」という言葉を指したり、文字や文章を指すこともある。そして、「華語」は通常、外国人が台湾で「中国語」を勉強するクラスあるいは教科書の呼び方である。台湾人の間でこの呼び方を使う人は少ない。
ただし、台湾人の中でも、「国語」という言葉は台湾国内の言語を階級づけていると考えたり、「中文」という表現は中国に独占されがちだから、別の表現で台湾の「国語」と中国大陸の言語との差異を強調したいと考えたりする人は、「華語」という言葉を使う傾向にある。
2018年、台湾では台湾国内の言語はひとしく平等とうたう「国家言語発展法」が成立した。したがって、今後「華語」は「国語」に代わる存在として、呼ばれるシーンが変化してくるかもしれない。

話を台湾国内に戻すが、閩南語は福建南部の言語で、台湾では台湾語と呼ばれる。現在の台湾では、約7割の人が閩南語を話せる。ただ、言語の使用人口は時間とともに変化している。以前、私がまだ日本に来る前には、閩南語は台湾中部や南部では日常的な言語だった。しかし、現在は台湾の若者の多くは小さい頃のみ閩南語を話し、学齢以降は徐々に国語を話すように変化してきている。その結果、台湾人の若者世代の多くは、閩南語能力が児童あるいは青少年期の家庭会話のレベルにとどまっている。

日本人から見た台湾の国語や閩南語というのは、標準語と方言を連想するかもしれない。しかし、台湾人の感覚からすると、日本語の標準語と方言の違いというのは単に発音、言い回し、あるいは語尾といった表現のバリエーションであり、本質的にはやっぱり同一の言語である。台湾の国語と閩南語の発音は全く違うし、言い回し表現の違いも大きい、全く違う言語なのである。

■「台湾国語」や「台湾語」のややこしさ

台湾の公用語は「国語」である。国語は日本語にもある言葉だからと、日本人が台湾の国語を便宜的に「台湾国語」と呼んでしまうとややこしくなる。台湾では、「国語」とは異なる概念で「台湾国語」がある。
「台湾国語」とは、閩南語の発音や言い回しを特徴とする国語のことである。母語が閩南語の人は、学校などの国語教育環境がよくなければ、国語を話す際に閩南語的な発音の癖が出たり、言い回しも閩南語の語彙を国語に直接変換したりしてしまう。これが「台湾国語」である。日本にいる外国人の話す日本語の中に、母語の発音や言い回しの習慣が出るような感覚である。

台湾の言語だからと、日本人が台湾の言語を台湾語と呼んでしまうこともややこしくなる。
以前、私は、東北にある自治体の台湾人向けの観光資料をつくったことがあった。そのとき、自治体職員は連絡の際に「台湾語」という言葉を使っていた。この職員は、台湾と中国を区別したくて、「台湾語」という呼び方を使ったのだろうか。
日本語学習経験のある台湾人の感覚では、「台湾語」が示すのは、「台湾の中国語」ではなく、閩南語のことである。それは、閩南語の台湾での伝来が「台湾の中国語」よりも早かったからである。実際、日本における「台湾語」に関する書籍で紹介されている言語は「台湾の中国語」ではなく「閩南語」である。
「台湾語」という言葉は誤解されやすいので、私はそのとき、自治体の職員に「台湾語」という言葉のニュアンスを教えたのだった。

ちなみに、このようなややこしさは台湾人自身にも起きているようだ。
2年ほど前、NPBの試合終了後、台湾人のプロ野球選手がヒーローインタビューで、「台湾語でしゃべるのがいいですか」と話していたのを見た。この言葉を聞いて、私は、この選手が閩南語でインタビューに答えるのだと思っていた。しかし、選手がしゃべった言葉は「台湾の中国語」だった。このことはすごく印象に残った。
もちろん、私は、この選手が「台湾語」という呼び方を使おうとする感覚は何となく理解できた。彼は台湾出身の選手で、日本人には台湾に関心を持ってもらいたい、それでいて中国人と違う存在であることも望んでいたのかもしれない、だから、「中国語」という言葉を使わず「台湾語」を使ったのだろう。これは即興でのちょっと変則的な伝え方だったのだが。

■「台湾の中国語」から「台湾華語」へのトレンドの背景にあるもの

実は、2000年代において、台湾人は「中国語」という言葉にそれほど特段の抵抗感はなかった。「中国語」というのは単なる日本語教材の中にある一つの単語だった。台湾人が日本人に自分の言語を紹介する際には、この言葉を言えば日本人は理解できた。私がブログをつくり始めたときも、台湾の言語についての文章のために「台湾の中国語」というカテゴリーをつくっていた。

しかし、2010年代以降、台湾では、中国からの嫌がらせが多くの面において目立ってきた。台湾の選挙やメディア報道は深刻な妨害を受け、ネット情報は中国から故意につくり出された大量の「偽繁体字」情報で汚染させられている。中国人は普通、海外のネット資料を自由に閲覧できないが、奇妙なことに、台湾のネット掲示板やSNSでは中国ユーザーの攻撃や嫌がらせ、脅迫さえも受けている。日常的な情報生活で深刻な影響を受けているから、台湾のネット世代は中国に対してかなりの嫌悪感を持っている。その「中国語」と自分たちの言語を一緒にされたくないのである。
また、別のところでは、台湾人が日本を旅行していて、日本の「中国語」が、中国人の簡体字「中国語」だけを歓迎し、繁体字圏の台湾人や香港人を無視していることにも気づいてきている。そして、日本に住む台湾人は、挨拶から始まり、いつまでたっても台湾人が使う中国語が一顧だにされていないことに遭遇し、日本人が勉強する「中国語」は多くの現実的な言語知識を隠した意図的に操作された言語であると懸念している。
日本におけるこれらの状況が、結果的に台湾人が日本語の「中国語」という語彙に嫌悪感を持たせることになっていくかもしれない。

ここ最近、「台湾華語」という言葉が昔より多く使われるようになったと私自身、よく感じている。それは、台湾人が「台湾の中国語」に嫌悪感を持ち、日本人向けに自分の言語を説明するときに「台湾華語」を使うように変えてきているということである。
「華語」という言葉は台湾人の間ではあまり使わないが、外国人が台湾で言語を勉強するときに、そのクラスや教科書の呼び方は通常「華語」を使う。ほかにも、シンガポールやマレーシアの華人が、華人の共通語について「華語」という呼び方を使っている。「華語」というのは国際的な色合いを持つ語彙である。実は、日本の主要な国語辞典にも「華語」という言葉が載っている。
「台湾華語」と言えば、深刻な排他性がある日本の「中国語」と区別でき、台湾人が日本人に自分の言語を紹介する際に、日本人自身に内在する「中国語」あるいは「北京語」という先入観の枠にはめられずに済むのである。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)

台湾人に「早上好」と挨拶してはいけない理由

――意図的に抹殺された台湾の基本挨拶表現

台湾人である私が日本で生活してもう十数年がたつ。この十数年間、私には中国語学習経験のある日本人と交流する機会が少なからずあった。その日本人の何人かは、中国語をかじったことがあって簡単な自己紹介ができたし、結構長く中国語を勉強した人、中国語の通訳案内士の資格(日本の国家資格)を持っている人もいた。しかし、私が出会ってきた中国語がわかる日本人の誰一人として、台湾の一般的な挨拶表現を知る人はいなかった。

十数年間、一度も出会ったことはない。それは確率的に見て、極めて異常である。
実は、日本で生活し始めたばかりのころから、中国語学習経験のある日本人の多くが台湾と中国との言葉の違いを知らないことに気づいていた。
だから、ブログを開設したときには、そこで台湾の一般的な挨拶表現を紹介したこともあった。
参考:台灣的一般問候語(あいさつ)
あれから十数年がたち、ネット情報も充実した。にもかかわらず、この状況は依然として変わっていない。やっぱり、日本で台湾の基本的な挨拶表現を知る日本人に出会ったことはない。

私が出会ってきた中国語学習経験のある日本人は、「早上好」(おはよう)、「晚上好」(こんばんは)という挨拶表現を知るのみだ。実は、「早上好」「晚上好」は、中国でしか使われていない挨拶のやり方である。台湾では使っていないし、香港でも使っていない。つまり、繁体字圏の人はこの種の挨拶のやり方はとらないのである。

■「早上好」と言われる気まずさ

日本が2005年に台湾向け短期ビザ免除の優遇政策を開始し、その後、多くの台湾人が日本旅行をしてきた。中国語学習経験のある日本人の中には、台湾人観光客に遭遇したら、自分が学んだ中国語の挨拶を使って好意を伝えたいと思う人もいるかもしれない。そして、「早上好」「晚上好」を、礼儀正しい歓迎表現として、台湾人がこれらの挨拶を聞くと喜んでもらえるだろうと思って言うのかもしれない。

実は、台湾人がこの種の挨拶を聞くと、戸惑い驚く。なぜなら、日本人は中国人のみを歓迎しているのであって、台湾人を歓迎していない、だから「中国でしか使われていない挨拶のやり方」を使っているのだと考えられなくもないからだ。きつい言い方をすれば、日本人は台湾を否定しているも同然の挨拶をしており、とても深刻な言語文化のタブーを侵しているのである。
日本人が韓国や北朝鮮の扱いの違いで不用意な言動をすれば、韓国人は猛烈に抗議をするかもしれない、だから、日本では韓国関係のタブーを非常に注意深く扱うはずである。その一方で、日本人が中華圏の事情について扱うときには、そのやり方は非常にいいかげんで、台湾人は往々にしてさげずまれる側だ。
台湾人がこの種の失礼に遭遇しても、恐らくその場面を気まずいものにさせたくないから、日本人に「台湾人に対してはこの挨拶はとても失礼だよ」とは言わないのである。泣き寝入りしかできない、だから、日本人は自分が深刻な言語のタブーを侵したとは全くわかっていないし、きっと死ぬまでわからないかもしれない。
結局、中国語学習経験がある日本人が台湾人に好意を伝えるため「早上好」「晩上好」を使うことによって、実際にはかえって台湾人を傷つけかねないのである。

類似の状況は文字資料においても起きている。日本にある観光サービスカウンターで台湾人観光客が観光パンフレットを求めるときにも、極めて無神経なことに、簡体字版の資料を渡されかねないのである。日本人は、あろうことか、台湾人が簡体字中国語の資料を見て喜ぶと思っているのである。
実際には、台湾人はそのとき、ああ、日本人は、簡体字圏の中国人だけを歓迎しているのであって、繁体字圏の台湾人を歓迎していないのだ、だから、簡体字版の資料を出してくるのだと思うのである。台湾人だけでなく、実は「純粋な」香港人が簡体字パンフレットを受け取るときにも似たような感覚を持つはずである。
台湾人と香港人がこの種の状況に遭遇するとき、その場面を気まずいものにさせたくないから、ずっと黙って我慢するのである。ここでできる抗議行動とは、簡体字のパンフレットを断り、日本語か英語のパンフレットを受け取ることもある。日本語や英語のパンフレットを持つのは、外国語で見なれなくてもその方がましだということであり、それほど簡体字を見たくないということである。
ここまで述べてきた中でも、台湾人が日本の「簡体字サービス」に反感を抱いていることが少しはわかってもらえるだろうか。このような話題は、台湾のネット掲示板で何回も議論されているものだ。

(2021年9月追記)
日本にありがちな台湾の言語タブーについては「中華圏の多様性を破壊する日本の自治体職員の無知」も見てください。

■今からでも台湾の基本挨拶を知ろう

外国語を学ぶ際には、その最初の段階で基本的な挨拶を学ぶ。ほとんどの外国語教材では、基本的な挨拶はその教材の最初にある。挨拶は非常に基本的な好意を伝える手段である。しかし、この十数年間、私が日本で遭遇する中国語学習経験のある日本人の中で、台湾の挨拶表現を知る人に会ったことは本当にない。
日本人のために、以下、台湾の基本的な挨拶のやり方を改めてまとめた。

〈台湾の挨拶方法〉
・朝の挨拶:早安。
・お昼、午後の挨拶:午安。
・夜の挨拶:晚安。
・時間を問わず使える挨拶:您好。

これらのうち、「早安」という挨拶は、割と深く台湾に根を張っている表現である。1979年、当時まだ台北市長であった李登輝が、「早安晨跑」という健康のために早朝にジョギングをするキャンペーンを推進している。また、台湾の「早安您好台視新聞」(おはよう台視ニュース)は1988年から続くニュース番組である。番組名の「早安您好」は、その後の台湾のサービス業における挨拶に影響を与えている。
これら「早安」、「午安」、「晚安」、「您好」は、台湾の挨拶の基本形である。カジュアル表現としては、朝は「早」、「早啊」、ほかの時間帯では「你好」という言い方もある。

以前、私が日本の東北地方のある自治体で台湾人観光客の受け入れの手伝いをしていたところ、日本人のバスガイドが朝の集合時間前に「早上好」を言う練習をしていた。バスガイドは自分の知っている中国語で台湾人観光客に歓迎を伝えたかったのかもしれない。
私はすぐに、そのバスガイドに、「早上好」は中国人にのみ使うのであって、くれぐれも台湾人に向かっては「早上好」と言わないでほしい、これはとても失礼になりかねないからと話した。
その際に私が提案した挨拶は「早」である。「早」は発音が短く、相手に愉快な気分を伝えられる。台湾では、早の散歩やハイキングで人とすれ違うときには互いに「早」という挨拶を交わす。「早」はとてもよく使われる挨拶表現である。
バスガイドは、お客さんを気楽にそして愉快な気分にさせる、かた苦しさは不要なのだから、「早」という挨拶が使える。
なお、ホテルのフロントや比較的厳かな場での接客であれば、挨拶のやり方も違ったものになる。

〈台湾の正式な場での挨拶方法〉
・朝の挨拶:早安您好。
・お昼、午後の挨拶:午安您好。
・夜の挨拶:晚安您好。

■挨拶言葉の歴史文脈

「早安」、「午安」、「晚安」は台湾独自の挨拶ではない。18世紀、清の時代の名作小説『紅楼夢』にはこれらの言葉が全部出ている。その後、19世紀から20世紀初頭にかけてのいろいろな口語小説の中にも使われている。まさに挨拶の定番表現だ。これらの小説の言語表現は現代中国語とほとんど共通しているため、台湾の中学生であれば簡単に読める。
1923年に華人教育学者の夏丏尊が翻訳したイタリア小説『クオーレ』にも「早安」という言葉を使われている。この中国語翻訳版は、当時の華人世界のベストセラーである。つまり、「早安」、「午安」、「晩安」は、本来的には現代中国語の基本挨拶だったのだろう。
ただ、中国では何らかの原因があってからこの言葉が使われなくなり(文化大革命によって言語知識が断絶されたからなのか)、結局、この挨拶は中国にはないが、台湾にはある表現となっている。

一方、「早上好」という表現は18、19世紀の口語小説に使われていない。魯迅が翻訳した森鷗外の小説『あそび』(『現代日本小説集』に収録され1923年に出版)には「早上好」という言葉が使われている。しかし、魯迅が翻訳した『あそび』の翻訳の質はよくなく、訳文の多くは直訳でぎこちない。夏丏尊が翻訳する『クオーレ』にも直訳は多いが、全体的には魯迅の翻訳よりも滑らかで読みやすい。このようなことから推測できることは、魯迅が『あそび』を翻訳した当時は、母語の文章能力がそれほどではなかったから、翻訳された文も中国語らしさがなくなっているのではないかということである。
実際、1980、1990年代の台湾と中国との交流において、台湾人が中国人から「早上好」という言葉を聞いてまず感じたのは、ぎこちなく、しっくりこない、言葉の伝達になれていない人が自分の知っている語彙の中から無理に寄せ集めてできたのではないかということである。

中国が「早上好」を使うのは、恐らく魯迅の影響を受けたものではなく、可能性としては、文化大革命がもたらした文化の断絶で、正常な人とのつき合い方がわからなくなり、挨拶のやり方がわからなくなったから、政府が社会を再構築するため、人々の基本文章能力が足りない中で、無理やり「早上好」という、ぎこちなくてしっくりこないが通じる挨拶語をつくったのではないか。

■日本人の中国語教育から抜かれた知識

私が台湾の中学校で英語を勉強したとき、英語の先生は、アメリカとイギリスの英語は同じではないと教えていた。例えば、秋は、アメリカでは「fall」と言い、イギリスでは「autumn」と言う。サッカーは、アメリカでは「soccer」で、イギリスでは「football」である。私が高校、大学と進学し、その時々の私の周りにいる同級生には皆これらの英語の常識が身についていた。それは、台湾の英語教師が学生にこれらの基本的な言語知識を伝えるからである。
台湾と中国で使われる文字の違いはアメリカとイギリスの文字の違いよりもはるかに大きいし、文字によっては読み方やアクセントが異なるものもある。台湾人は通常、台湾と中国の言葉遣い、発音、アクセントの違いを区別できる。これは最も基本的な言語知識である。

一方で、これまで再三紹介したように、私が日本で遭遇した中国語学習経験のある日本人は、台湾での基本的な挨拶を知らないことから推測するに、日本人が中国語を勉強するときに、中国語教師のほとんどは恐らく「中国語の文字には簡体字と繁体字がある」、「簡体字は20世紀後半になってできた文字」、「早上好は中国でのみ使われ、台湾や香港では早上好は言わない」と日本人に教えていないのではないか。
日本で中国語を教える中国人が日本人にこれらの事実を伝えないのは、基本的な言語知識が足りないということかもしれないし、他の原因として、日本人に中国語世界の真実を知ってほしくないから、わざと隠しているということかもしれない。まさか基本的な言語知識が足りない人が中国語を教えることはないだろうし、言語知識があるのに日本人に事実を隠蔽しているということでもないだろう。
あるいは、台湾人として、いかなる善意な気持ちをもってこれらの現象を見たとしても説明がつかないのだから、結局、日本人に対して悪意のある言語文化の情報操作がなされていると断ぜざるを得ない。私が遭遇した中国語学習経験のある日本人の状況を見れば、この種の言語文化の情報操作は日本では相当深刻である。

■使わない言葉がまざるネット情報汚染

ネットが発達した時代にあって、多くの人がネット翻訳サービスを使っている。しかし、あいにく、天下のグーグル翻訳でさえ「おはようございます」を繁体字中国語に翻訳すると、翻訳結果には「早上好」が出てくる。もっと言えば、これはほんの氷山の一角である。
グーグルの繁体字中国語翻訳の多くの翻訳結果には、繁体字中国語圏では決して使わない語彙がまざる。しかも、日本語からの翻訳に限らず、英語から繁体字中国語に翻訳する際にも類似の問題がある。これらの現象の最大の被害者は、繁体字圏の言語文化である。
何者かがグーグルの繁体字翻訳結果を「簡体字圏で使用される語彙のみ」にさせたいがため、グーグルの翻訳AIを汚染したいのだろうが、これには相当大規模な動員が必要だろう。それにしても、中国国内に住む中国人はグーグルを使わないし、海外の中国人もわざわざグーグルの繁体字翻訳機能を使うことはないのだから、この現象の背後にあるものは単純なものではない。


グーグル翻訳の繁体字中国語の翻訳結果
(2021/2/28確認)

ネット上の中国語情報は、ネット翻訳のほか日常生活情報も大量に汚染されているというのが多くの台湾人の実感だ。しかも、これらの繁体字中国語情報の中には繁体字圏では使わない語彙が氾濫しているのだから、繁体字圏ではない人がつくった情報が、繁体字圏発の情報を駆逐しようとしていることは明確である。情報汚染の問題は相当深刻で、これらの話題は台湾のネット掲示板で何度も提起されている。ネット情報に関心を持たない高齢者にはその感覚はないかもしれないが、生活の中でネット情報に触れる台湾社会の中堅層や若年層は深刻な被害を受けており、簡体字を使う人へ反感を抱く結果となっている。

なお、日本政府が主導して開発しているスマホ翻訳アプリの「Voicetra」でも、日本語の「おはようございます」は、繁体字中国語圏で決して使わない「早上好」が出てくる。日本の観光庁は観光業界に「Voicetra」で外国人とのコミュニケーションをとることを推奨しているが、「Voicetra」の繁体字中国語の翻訳結果から見ると、逆に台湾人や香港人の観光客の心を傷つけるのではないだろうか。


Voicetraの繁体字中国語の翻訳結果
(2021/2/28確認)

日本政府は、観光立国を推進するに際し、外国人の宗教、飲食、生活習慣等のタブーに留意するとしている。しかし、言語文化のタブーについてはおろそかにしていないか。しかも、日本に隣接する国家から発生している問題である。
私が知る中国語の通訳案内士資格を持つ日本人でさえこの種のことがわかっていない。もちろん、全然おかしくもない、なぜなら、日本人には「中国語資料が汚染されている」という問題を感じ取れないのだから。
ほとんどの中国語学習経験のある日本人は多分、世界に「繁体字」があることを知らないところから始まり、「早上好」が中国人のみの挨拶であることも知らない、この種の情報はよくわからない理由で抹殺されている。台湾人から見れば、これは中国語世界の文化的な悲劇である。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)

日文的「の」

日文的「の」的用法有很多種。其中比較常見的用法,就是相當於中文的「的」。

例如「日本の経済」翻成中文時,就是「日本的經濟」。「東京の人口」翻成中文時,就是「東京的人口」。

由於這種「の」的用法太常見,所以在台灣就算沒有學過日文的人,也有不少人知道「の」相當於中文的「的」。以前日本的流行次文化剛進入台灣時,「の」這個字甚至還成為流行的象徵。只要在中文裡加個「の」字,就可以展現出跟得上流行的意識。我小時候在台灣的傳統市場就曾經看過有攤販為了趕流行,商品標示牌上就有寫「の」。雖然攤販的寫法不正確,不過當時的我一看就知道攤販想要表達「の」。

在日翻中的時候,「の」除了可以翻成「的」,也可以翻成「之」,意思都差不多。日本的《北斗の拳》進入台灣時,當時的小朋友都把「北斗の拳」叫作「北斗之拳」。就連我讀的鄉下的小學也不例外。當時我的同學都相信日本字「の」就是中文的「之」。儘管大家都不懂日文。

有人把「の」翻成「之」,是因為日文的「の」確實可以寫成「之」,而且意思和中文相通,所以翻譯的人就直接沿用「之」這個字。

日文的「の」雖然可以翻成「之」,但是並不是所有的「の」都適合翻成「之」。例如上面提到的「日本の経済」、「東京の人口」如果翻成「日本之經濟」、「東京之人口」,大家雖然都看得懂,但是卻相當彆扭。把通順自然的外文原文翻成生硬不自然的中文時,就是失敗的翻譯。因為文章的意境不等價,而且會影響到閱讀的舒適性。

以前,我在幫日本的某個地方機關檢查當地的中文版觀光導覽地圖時,就發現他們找的翻譯業者把日文原稿中大部分的「の」都翻成「之」了。具體來說,就是所有大小標題、項目名稱中的「の」全部都翻成「之」,只有少數內容說明的「の」是翻成「的」。

從翻譯文的內容來看,翻譯這個地圖的人的母語應該是中文。這位翻譯人員大概認為大小標題和項目名稱中的「の」翻成「之」,會比較穩重、雅緻、有深度。

「の」到底該翻成「之」還是「的」,要視日文原文的表達意境來判斷。如果日文原文平易柔軟,把「の」翻成「的」,會比翻成「之」自然。因為「之」是比較生硬的文言表現。我檢查的那個觀光導覽地圖原稿,日文原文的大小標題和項目名稱都是採用平易柔軟、輕鬆愉快的文體。不過翻譯業者卻把這些「の」全部翻成「之」,破壞了原文想要表達的氣氛。結果標題和項目名稱都變得相當生硬、難讀。從這裡也可以推論:那位翻譯人員只會代換字詞,不會重現意境。所以日文原文和中文翻譯的意境落差相當大。

其實那個中文版觀光導覽地圖的翻譯問題不只是「の」而已,其他很多中文表現都和日文原稿的意境落差太大,所以最後我把業者翻譯的中文稿全部重新改寫了。當初委託我檢查翻譯內容的職員,本來只是想讓我過目一下內容,只要我點頭,就可以放心完稿。不過結果卻是讓我把整篇稿件全部重新翻譯,那位職員也感到相當不好意思。不過我本身非常感激那位職員給我發揮的機會。

日文的「の」在翻成中文時,除了「之」、「的」以外,其實也可以不用任何文字。

我在日本曾經看過有個幼稚園的名稱叫「虹の森」。當地的中文地圖把這個幼稚園的名稱翻成「虹之森」。這樣的翻譯雖然文字相對應,但是完全沒有反映出原文想要表達的意境。

日本的幼稚園小朋友聽到「虹の森」的感覺,和台灣的幼稚園小朋友聽到「虹之森」的感覺的落差很大。「虹の森」這個名稱是由平易柔軟的和語構成,平易到連日本的幼稚園小朋友都可以完全理解。相較之下,台灣的幼稚園小朋友聽到「虹之森」這個詞時,可能會不知所以然。因為「虹之森」是類似詩的文言表現,超越了幼稚園小朋友的理解力。

如果要把名稱翻得平易柔軟,而且符合幼稚園的可愛氣氛,「彩虹森林」會比「虹之森」貼近日文原文的意境。台灣的幼稚園小朋友聽到「彩虹森林」時的感覺,會比較接近日本的幼稚園小朋友聽到「虹の森」的感覺。

「彩虹森林」沒有用到「的」,也沒有用到「之」,但是卻可以傳達出原文「虹の森」的意境。所以翻譯時,未必一定要「字字相對應」。如果「不刻意表現」能讓翻譯文達到和原文相當的意境的話,「不刻意表現」也是一種表現的手法。

以前我接過一個翻譯案件,日文原稿中有兩個帶了「の」字的設施名稱。一個是「牛の博物館」,一個是「鬼の館」。我在日本看過很多中文翻譯,這些翻譯的一大共同特徵就是常常把專有名詞中的「の」一律翻成「之」。那一次,我在處理「牛の博物館」、「鬼の館」的「の」翻譯時,都沒有用「之」。

「牛の博物館」這個名稱的意思很單純,就是介紹牛的主題博物館。而且是老少咸宜、貼近生活的展示設施。如果把「牛の博物館」翻成「牛之博物館」,會變得很生硬。當時我想了很多名稱,例如「牛博館」、「牛的主題館」、「牛的主題博物館」等。不過考量原文漢字和意思,最後我採用了「牛的博物館」。「牛的博物館」這個詞沒什麼魅力,我也不認為「牛的博物館」是理想的翻譯,但是至少比「牛之博物館」平易一點,而且和設施原名的差異小,意境也差不多。看了中文文宣的台灣人到日本當地也不容易發生誤會。

至於「鬼の館」,翻成「鬼之館」不會有意境落差的問題。不過那一次,我沒有把「鬼の館」翻成「鬼之館」。我直接保留了日文的「の」。由於那個翻譯案件是做給台灣人看的文宣。保留「鬼の館」的名稱,台灣人還是看得懂。保留「の」字,是為了凸顯「の」的神祕的符號特性,而且有機會讓看這篇文宣的人留下比較深的印象。如果我乖乖地把「鬼の館」翻成「鬼之館」,傳達效果可能就沒有那麼強了。

從個別詞彙的層次來看,保留原文並不是翻譯。但是從文章的層次來看,留住某一個詞彙原有的強烈符號特徵,是加強譯文傳達效果的變則表現手法。

我這麼處理,並不是基於個人好惡擅自操作資訊,而是利用文字技巧強化文宣對台灣人的傳達效果。我有製作翻譯解說的書面資料向委託我翻譯的相關單位的職員報告。一方面是尊重對方,避開黑盒子作業的問題,同時也可以防止誤會。留下文書資料,對負責業務的職員也比較有保障。

自動翻譯機的浪漫(2)

最近幾年,日本常常有關於今後10~20年間可能會消失的職業的話題。由於現在AI技術越來越進步,所以將來電腦有可能取代很多現存的職業。例如自動駕駛技術成熟後,電腦就可能取代鐵路和公路的車輛駕駛的工作。另外,電腦可以在一瞬間處理非常複雜的計算,而且幾乎不會出錯,所以銀行的業務員也可能被電腦取代。

這一類預測「可能會消失的職業」的報導非常多,每篇報導提到的職業都大同小異。這些「可能會消失的職業」的共通特徵就是「照著規則形式化作業」。

最近,有一部分報導把「翻譯」也列入「可能會消失的職業」。其實不只是媒體報導,有幾位我有在關注的日本社會評論家也認為今後「翻譯」這門工作可能會被電腦取代。他們的立論根據是AI技術越來越進步,IT企業可以透過網路蒐集龐大的文字資料,也可以透過聲控服務蒐集人類的語音資料。有了這些巨大資料,電腦在不久的將來就可以理解人類的語言,哆啦A夢的翻譯蒟蒻不再是想像中的工具。

翻譯時不找專業的翻譯人員,直接用電腦自動翻譯。其實這不能算預測,因為是現實中早就存在的事實,而且是十年前就已經是事實了。至於「電腦在不久的將來可以理解人類的語言」,則只是一部分媒體和評論家的浪漫的想像而已。

我在2008年曾經寫過《自動翻譯機的浪漫》及《翻譯軟體的能力極限》兩篇文章,提到電腦的自動翻譯有很多缺陷。不過當時已經有很多人在用電腦的自動翻譯,儘管當時電腦翻出來的內容多半不像句子。

2018年的現在,電腦自動翻譯的品質明顯比10年前進步。10年前的自動翻譯翻出來的結果不像句子,現在的自動翻譯翻出來的結果比較像句子。不過電腦翻譯的基本原理還是和10年前一樣,就只是詞彙轉換和句子重組。只是以前的電腦是用文法規則來組句子,現在的電腦是參考大量語言範例來組句子。

由於目前這個世界上還沒有人想得出讓電腦理解人類語言的方法,所以開發翻譯系統的人做的不是讓電腦理解人類語言,而是用統計學的技術讓電腦參考大量例句,把轉換後的詞彙拼湊成比較自然的句子。所以現在電腦翻出來的句子比以前自然。不過詞彙轉換過程中必然會失真,如果原文夾帶了任何模糊語氣或暗示的話,翻譯的精度會更低。所以現在的電腦翻譯出來的句子的等級還是「僅供參考」。

今後20年,這個世界上恐怕還是造不出優質的自動翻譯系統。

2011年,日本的國立情報學研究所曾經推動了一個用AI技術讓電腦挑戰日本的大學入學考試的研究計畫。計畫的主題是「機器人進得了東大嗎」。具體而言就是動用目前最新的技術讓電腦去考大學入學考試的摸擬考。考試的方法是把模擬考題的資料輸入電腦,讓電腦回答,然後和其他參加模擬考的高中生比成績,推算出電腦大概可以考上什麼學校。

這個計畫動員了上百名專業人士。一半是大學的學者和研究生,一半是民間企業的研究員。這個計畫本來是10年計畫,不過做了5年就中止了。因為大家得到結論,確定目前最先進的技術無法讓電腦考上東大。再多做5年也不會變。

電腦參加大學入學考試的一大難關是電腦無法理解考題內容。技術人員要做的是教電腦從考題的文字種類及排列組合特徵來推論「考題可能在問什麼」,然後讓電腦湊答案。舉例來說,負責數學科的技術人員是研究數學考題的文字特徵,分類成幾何代數型、統計型、數列型考題,然後讓電腦從題目中的數字來湊出可能的答案。負責歷史科的技術人員則是讓電腦從考題的各選項的關鍵詞分析出題目可能的形態,然後再比對題目的特徵,把相關性最高的選項當作答案。只從關鍵詞來推論考題內容非常不容易,不過技術人員還是找到了高精度的推論方法,讓電腦在數學和歷史科得了高分。不過這種技術只適用於「日本的大學入學考試中的敘述比較形式化的考題」而已。國語和英語科的閱讀型考題的文章沒有固定的形式,無法從關鍵詞推論考題內容,而且閱讀測驗無法用計算或形式化的知識解題,所以電腦得不了高分。

日本的大學入學考試的國語科閱讀測驗的形式是讓考生看一篇文章。文章裡有幾段話的旁邊有畫線。考題就是問這幾段話的意義,然後讓考生四選一或五選一。由於電腦無法理解文章的意義,而且技術人員找不到有效的解題方法,所以最後負責國語科的技術人員是用計算文字量的方式讓電腦猜答案。具體而言就是計算文章中畫線句子中的文字種類及數量,以及該句子前一個段落中的文字種類及數量,當作參考基準。然後再計算各選項中的文字種類及數量,和參考基準比較。作答時就是讓電腦選和數值最接近參考基準的選項。這種解題方法實質上和占卜差不多。不過這一招讓電腦的猜答案的正確率達到五成。這個方法是技術團隊試過的所有方法中得分最高的方法。不過因為本質上是猜答案,所以不論怎麼改良,成績永遠停留在猜答案的水準。

英語科考試中,英語科的技術人員一開始是給電腦3300萬個英文例句資料。電腦在練習考古題時,英文句子重組問題的答題正確率達到八成。不過實際考摸擬考時,由於題目加了一點變化,電腦無法應付,結果三題中只答對一題。正確率掉到三成三。之後,技術人員把英文例句資料加到19億個,這時候電腦才能答對大部分的英文句子重組問題。也就是說,19億個英文句子的範例資料可以讓電腦造出比較正常的句子。不過遇到英文會話測驗時,電腦的答題正確率就落到四成。後來技術人員又把英文例句資料提升到150億個,還讓電腦深層學習,狀況還是沒有明顯改善。研究團隊證明了巨大資料和深層學習在處理語言資料時並非萬能,無法讓電腦理解語言的意義。

這個計畫在推動當初,曾經有某個單位想贊助超級電腦。不過這個計畫的技術團隊本身有很多頂尖的電腦專家,他們知道超級電腦不是萬能的工具。技術團隊用的伺服器如果遇到解不開的考題的話,就算改用超級電腦,還是一樣解不開。所以電腦在答題時沒有動用超級電腦。

「機器人進得了東大嗎」的研究團隊在計畫的第5年就確信現在的最新AI技術無法讓電腦考上東大。這不是失敗,而是成功。因為參加這個計畫的所有工作人員從一開始就不認為現在的最新AI技術能讓電腦考上東大。這個計畫的本質只是想確認目前最新的AI技術能讓電腦在日本的大學入學考試考到什麼水準。

雖然電腦考不上東大,而且目前的技術再發展二十年可能還是無法讓電腦考上東大,不過「機器人進得了東大嗎」的計畫中止時,電腦的成績有達到日本的中堅層大學的入學水準。

在計畫中止前,日本的媒體在報導相關消息時,幾乎全部都是在談AI技術非常先進,先進到準備要挑戰東大。研究團隊發表電腦的考試結果時,媒體則輕描淡寫提到電腦還不擅長閱讀測驗。這種報導讓不少日本大眾誤解了現實的AI技術。結果一些媒體和社會評論家誤以為過幾年AI技術可能會克服問題,電腦的翻譯會越來越精確。

其實真正的事實不是「電腦還不擅長閱讀測驗」,而是目前電腦根本無法理解人類的語言。

翻譯是把某種語言表達的內容轉換成另一種語言,而且在轉換過程中要努力不讓意義失真,要儘可能讓接收意義的人能理解發話者的原意。所以從事翻譯工作最基本的條件是理解語言、理解意義,而且要能妥善表達。

由於電腦無法理解人類的語言,所以電腦在翻譯時根本不知道原文的意義,當然也不知道翻譯出來的句子的意義,而且在兩種語言的詞彙轉換過程中一定會發生失真。不過現實中,很多從事翻譯的人其實對外語一知半解,自己的母語表達也一塌糊塗。舉例來說,台灣很多翻譯書中雖然印的是中文,不過句子根本不像句子,譯者本身可能也沒讀懂原文。而且這樣的書還不少,而且遍及娛樂、文學、學術領域。拿這些翻譯書和10年前的電腦翻譯的句子相比,水準其實不會差太多。由於現在的電腦翻出來的句子比較像句子,所以那些沒看懂原文,而且連自己的母語都無法適切表達的翻譯人員就有可能被電腦取代。因為電腦造出來的句子看起來比較正常。

如果想做翻譯工作,又不想輸給電腦,方法其實很單純。就是把自己的母語及外語學好,要能確實看懂或聽懂外語的資訊,然後要能清楚適切地表達意思。

今後幾十年,在語言理解領域,人類只要努力還是可以贏過電腦。不過翻譯業界還是會被電腦侵蝕。因為很多人不知道電腦無法理解人類的語言。很多人以為電腦翻譯是電腦萬能,能理解人類語言的結果。這種大眾觀念就可能讓電腦取代人類。

以日本為例,現在日本很多店家為了吸引外國人觀光客消費,有準備各種外語標示。不過大部分的外語標示是由電腦自動翻譯。因為店家覺得這種事情交給萬能的電腦就可以了,而且不用花錢。雖然現在電腦自動翻譯的結果比較像句子,不過大前題是原文必須清楚完整。很多店家設計標示時用的原文可能是過度省略的日語口語,由於結構不完整,電腦當然翻不出像樣的內容。就算標示內容是完整的文章,如果原文寫得太爛,或是用了一堆非常偏門的專業術語,電腦還是會翻得一塌糊塗。有不少到日本觀光的台灣人可能曾經在很多地方看過一堆莫名其妙的中文標示,這就是日本人把自己平常用的母語丟給電腦翻譯的結果。這反映了很多日本人連自己的母語都無法妥善表達。

無法妥善表達自己的語言,並不是日本獨有的問題。台灣的狀況恐怕更嚴重。在日本,網路上還可以找得到很多解析日語的資訊。例如把一些比較難懂的文章或法律條文地解析成易懂、明確的日常日語。這表示還有不少日本人關心自己的語言,也關心自己國家的法律制度。台灣的網路上很難找到這一類的資訊。台灣的網路上雖然找得到古文翻譯成白話文的資訊,但是沒有人知道這些翻譯文的根據,也沒有人知道這是誰翻的。台灣的網路上雖然有人討論法律,但是幾乎所有的討論都只是轉貼條文,然後直接下結論,沒有人去分析法律條文用詞設計的邏輯考量。這反映了台灣人不太關心自己使用的語言。不關心語言的人恐怕也不會去思考怎麼妥當表達自己的語言。這形同把人類還能勝過電腦的能力放棄了。

目前日本的總務省的情報通信研究機構正在開發多語言翻譯系統,想在東京奧運時發揮功能。「機器人進得了東大嗎」的計畫主持人新井紀子曾經有一段期間擔任過這個計畫的顧問。新井紀子指出,開發新的多語言翻譯系統的關鍵不是系統的演算法,而是翻譯例句的資料量。現在的演算法不論怎麼改良,都不會有大的突破。不過如果翻譯例句的資料量夠大,翻譯品質會明顯不同。如果只給電腦100萬組例句資料,翻譯的品質會很糟。如果翻譯例句超過1000萬組,電腦就有可能造出「比較正常」的句子。

一般人學外語時,如果要造出像樣的句子,其實學不到100個外語例句就可能達成。如果能確實吸收1000個外語例句,外語能力會相當好。不過電腦要學1000萬組以上的例句才能造出比較像樣的句子。從這裡可以看出人腦和電腦的學習能力的落差。

日本政府的多語言翻譯系統計畫最大的問題是沒有人知道要從哪裡生出1000萬組的多語言翻譯例句的學習資料。如果動員大量外語班學生和正在學外語的志工來製作資料,然後用網路回收,是有可能生出1000萬組例句資料。不過管理過程要花大錢。而且如果當中有人提供的資料有誤,或是有人故意惡作劇的話,電腦的學習資料就會被汙染。電腦一但吸收了被汙染的資料,錯誤內容就永遠變成電腦的知識的一部分。

日本的通產省在1982年曾經推動第五代電腦的開發計畫,想造出能思考、能正確翻譯的電腦。不過由於人類的數學無法重現人腦活動,所以這個自動翻譯機的浪漫計畫最後失敗。而且政府內沒有人敢提這件事,就連事後的失敗研究報告資料也找不到。現在總務省推動的多語言翻譯系統也是相當浪漫的計畫,不過巨大資料和深層學習並非萬能,而且製作深層學習用的巨大資料要花很多時間和勞力,所以想搶在東京奧運前實用化的多語言自動翻譯系統恐怕也只是一種浪漫的嘗試。

日語的髒話

※每個人對髒話的定義可能都不一樣。這裡的髒話是指粗俗、不堪入耳的話。

很多人在學外語時會想知道外語的髒話怎麼講,不過大部分的外語教材不會寫這些東西,外語老師也不會教學生這方面的詞彙。結果大部分的外語髒話知識是來自各種瑣碎的管道。

我學的第一個外語髒話是來自我小時候看的電影。當時電影裡的日本兵在罵人時,字幕是寫「八格野鹿」。我小時候當然不懂日文,只是大家說「八格野鹿」是日本的髒話,所以我就相信了。「八格野鹿」這個詞在台灣非常有名。因為這是知名小說家的作品中的日本人的台詞,之後被其他作品借用。我小時候看的電影的編劇人員恐怕也有受到小說的影響。

後來,我學了日文後,才知道「八格野鹿」在日本其實是寫作「馬鹿野郎」,而且這個詞的用法也比我想像中要複雜。

「馬鹿野郎」是由「馬鹿」和「野郎」兩個詞組合成。

日語的「馬鹿」當作名詞時是指笨蛋,當形容詞時是指笨。日本人一聽到「馬鹿」這個詞時,就會直接聯想到「笨」。但是現實的日語中,「馬鹿」的意思不只一種。

「馬鹿」的使用時機非常廣,主要包括:
辱罵人時。
提醒人、糾正人時。
對某人失望時。
自謔、自謙時。
小孩惡作劇、鬥嘴時。
覺得某人很可愛時。
情侶間打情罵俏時。
狀況出乎意料時。
(※西日本的人通常不說「馬鹿」,上述的狀況多半是說「阿呆」)

除了上述狀況以外,東西壞掉(多半是機器)的狀態、沒有意義的發言或行為也可以叫「馬鹿」。

結果很多狀況下,「馬鹿」不是真的指「笨」,也未必有攻擊性。而且使用對象未必是人。例如上面的「狀況出乎意料時」的場合講「馬鹿」,意境相當於台灣人在講「奈阿捏」,真的沒有攻擊性。如果使用時機不當,詞彙的效果就會大打折扣。舉例來說,如果有人很討厭日本人,想在網路上隨機找日本人,然後用「馬鹿」罵對方。日本人遇到這樣的情形時,可能不會生氣,而是覺得莫名其妙。

日語的「野郎」本來的意思是指男人,而且多半是指有男子氣概的人。美國電視影集《The A-Team》(天龍特攻隊)在日本播出時的標題叫《特攻野郎Aチーム》,《MacGyver》(百戰天龍)則叫《冒険野郎マクガイバー》。日本觀眾一看到這樣的標題,就可以想像這些影集是在講男子漢故事。

在罵人的時候,「野郎」就會變成攻擊性的詞彙。意思相當於中文的「傢伙」「混蛋」。

日本的網友在聊天時如果發現對方是男的,也可能會用「野郎」這個詞。這種情況下的「野郎」沒有罵人的意思,就只是指「男的」。這種「野郎」也沒有男子漢的意思,就只是網路對話的粗俗用詞表現而已。

結果日語的「野郎」這個詞的意思也會隨使用場合發生變化。

日語的「馬鹿野郎」是「馬鹿」和「野郎」這兩個可以用來罵人的詞彙組合成的加強版罵人詞彙。「馬鹿野郎」是非常生氣的時候說的話。日本人如果聽到有人用這個詞罵人,就可以想像說這句話的人非常非常生氣。結果「馬鹿野郎」實質上是對人表達憤怒、表達不滿的攻擊詞彙。意思和「馬鹿」、「野郎」原來的意思無關了。這種感覺就像是台灣人非常生氣時,可能飆出一字經。這個「一字經」已經和本來字面的意思不同了。

由於「馬鹿野郎」是非常生氣時才說的話,而且非常粗俗、不堪入耳,所以現實中的日本其實不太容易聽到有人用這個詞罵人。不過日本的自衛隊、警察、消防、學徒制行業或運動社團等男性為主的上下關係嚴厲的組織中,高層的人在管教低層的人時常常會用罵的。所以在這些比較特別的圈子可能比較常用到「馬鹿野郎」。

「馬鹿野郎」除了用來罵人以外,也可能是粗人的口頭禪。例如日本電影《男はつらいよ》(男人真命苦)中的寅次郎說話時就常常飆出「馬鹿野郎」。寅次郎是個老粗,所以滿口粗話。寅次郎說「馬鹿野郎」時未必在生氣,多半只是反駁別人,要別人聽一下他的意見。寅次郎的「馬鹿野郎」相當於台灣人說的「屁啦」「媽啦」。

日本的卡通人物江戶川柯南也有類似「馬鹿野郎」的口頭禪。由於「馬鹿野郎」實在太粗俗,所以柯南會講得比較輕,來減少這個詞的殺傷力。柯南口中的「馬鹿野郎」因為講得不重,所以「鹿」和「野」的子音消失,變成「馬~郎」。柯南的目的也是要別人聽一下他的意見,表達方式雖然沒有寅次郎那麼重,但是還是相當不禮貌。

在日本,有一句話叫「青春の馬鹿野郎」。這句話中的「馬鹿野郎」也沒有罵人的意思,而是形容不吐不快、不受壓抑的吶喊。所以「青春の馬鹿野郎」的意思相當於「青春的吶喊」。

從這些例子來看,日語的「馬鹿野郎」的意思非常多,未必是攻擊別人的詞彙。

我高中時代的補習班英文老師曾經說:人到國外時,最先學的是實用的單字。因為髒字可以自衛,所以很多人最先學到的是髒字。

英文老師的這段話讓我印象深刻,不過狀況並沒有發生在我身上。我到日本留學之前,日文已經有一點基礎。我到日本時最先學到的也不是髒字,我在日本生活中幾乎也用不到髒字,因為不實用。外國人在日本社會就算不會講髒話,也不會有不利的狀況。

「馬鹿野郎」這個詞,我在日本只用過一兩次而已。使用對象是和我非常要好的韓國人留學生。我說「馬鹿野郎」時沒有帶任何敵意,就只是呼應友人誇張的搞笑行為而已。結果「馬鹿野郎」在某些情況不但沒有攻擊性,還可以增進友誼。

日語的「馬鹿野郎」雖然可以當成罵人的話,而且是不堪入耳的髒話。但是這只是「馬鹿野郎」種種用法當中的一種而已。現在日本的廣播及電視的倫理規範非常嚴,很多詞彙不能在節目中出現。如果有人在節目中不小心說了禁用的詞彙,媒體要向社會道歉。「馬鹿野郎」雖然可以當成不堪入耳的髒話,但是日本的媒體沒有禁用這個詞,就連卡通也可能出現這個詞。如果媒體禁用「馬鹿野郎」的話,很多創作表現會受到限制,電視也很難表現人物生氣的狀況了。

台湾の押す表現

以前、「台湾の火災報知器のボタンの文字」には「強押」とか書いてあるというのを紹介したんだけど、
「押」の文字があるのはそれだけではなくて、例えば、扉の間のボタンを押さないとあかない自動ドアとかにも、「押」という文字が出ている。
 

こういうのを見て、ああ、中国語でも「押す」は「押」なんだなとか思ったりするんだけど、
実際のところ、自動ドアではない扉には何と出ているかというと「推」だよね。

中国語では、「押」は物理的に押すことよりも、何か強制的に巻き上げる的な表現
日本語で言うところの押収とか押領とか、その種の意味づけで使うことが多い漢字だよ。
例えば、デポジットとかは「押金」とか言うよね。

ということで、プッシュを素直に訳せば「押」じゃなくて「推」なんじゃないかと思う。
ただ、「推」というと何か重いものを両手で押している感じもしていて、自動ドアのそれはそこまで押すのに加重があるわけでもない。
じゃあ、実際に何を使うべきなのかというと、「按」「壓」がいいのかもしれない。
確かに、火災報知器のボタンにも「壓」を使っているのもあった。
マウスをクリックするのは「按」とか「點」を使うみたい。

だったら、なぜ「押」を使うんだろうかというところが不思議なのだが、
火災報知器や自動ドアの外観形状を見る限り、日本のものを漢字もろともそのまま使っているのだけ?、それが社会的に認知されている?という気がする。

ちなみに、押すは「推」だけど、引くは「拉」だよ。

台湾の火災報知器のボタンの文字

別に火災報知器は世界共通であるわけじゃないんだろうけど、
台湾にある火災報知器は、まるで日本にあるのと同じような見かけをしているんだよね。
 

やっぱり日本と同じようなものを見つけると興味深くて近づいてみたくなるんだけど、
台湾だから、ボタンに書いてある文字情報が違っていたりする。
  
ボタンに「強押」とか「火災請強押」とか「火災請強壓」と書いてある。
「壓」は、ここでは押し潰すというニュアンスを示すみたいで、これは中国語に翻訳されているんだなと思うけど、
「強押」とかいうと、まさに日本の火災報知器のまんまじゃないかと思う。

もちろん、というか、何でなのかわからないけれども、
台湾であるにもかかわらず、たまに、ボタンに「強く押す」という、日本にあるそのまんまのものも見つけられるよ。

さすがに「強く押す」という言葉は台湾人もわからないだろうと思うけど、
漢字だけを拾えば理解できるのか。

実は、こういう強く押す的な表現は、中国語の方でも、実は余りしっくりくるような表現ではないみたいなんだけど、
まあ非常時にやることなんて決まっているわけで、その文字の言わんとしていることはわかるから、ボタンは押せるみたいね。

ちなみに、台湾の火災報知器には、日本でたまに見かけるような封緘は見当たらなかったよ。
封緘については、「台湾の封緘紙」「台湾のレッカー車への封緘」も見てね。

台湾人名のアルファベットのつづり その2

前回、台湾人名のアルファベットは、中国語を勉強する日本人が知っている名前とは違っていて、
ウェード式のつづりを使っているのかもという想像力が必要と書いたんだよね。

ちょっと写真が古過ぎるんだけど――
日本でアジアシリーズをやっていたころの台湾人の名前は、こんな感じだった。
 
HSUさんは、許さんだろうけど、XUじゃない、
KAOさんは、高さんだろうけど、GAOじゃない、
KUOさんは、郭さんだろうけど、GUOじゃない、
荘景賀さんも、どうしてそのつづりなのか、ちょっとよくわからない。

さて、ウェード式をどうやって調べるかだけど、
まず、中国語を熟知している人であれば、
台湾外交部のサイトに「護照外文姓名拼音對照表」があるので、これで逐一探していくとか、
外交部の外文姓名中譯英系統の(単漢字3文字まで)(100字以下)という
繁体字とウェード式等各種つづりとの変換ツールのようなものもある。

私のを変換すると、こんなふうになるよ。

「威妥瑪」が、ウェード式。
「漢語拼音」が、中国のと同じつづり。
ここにはあと2つあるけど、アルファベットのつづりにはそのほか幾つものバージョンがある。
いずれにしても、パスポートのアルファベットのつづりについては、台湾については、こういう参考例をもとに選んでいいようだ。

ところで、台湾人の名前は、姓の後にカンマ、名前が複数のときにはハイフンが入るのが正しいよね。
ただ、パスポートの表記どおりに航空会社のサイトに入力してもはねられたのはどういうことなんだろうなと思う。
JALもANAもなんだけどさ、多分ほかのサイトもなんだろうけど、
パスポートどおりの名前の表記ということでハイフン入れると、はねられちゃうの?

ハイフンを外して入力するというのは、常識なのかな……

台湾の野球選手の名前に関連して、「台湾人男性の名前の傾向を見る」というのもつくったことがあるので、見てね。
スペル以外での、名前の並べ方については、「台湾人の名前のピンインの並べ方」も見てね。