見立てができない翻訳の質のわな

――ある日本語教師との思い出から

私は来日してすぐ、日本語学校で1年半日本語を勉強した。この1年半の間、私の記憶がたしかならば、少なくとも8人の日本語教師に出会った。

■日本語教師は必ずしも外国語力は必要ではないが

日本語学校の日本語教師の仕事は外国人に日本語を教えることである。だから、日本語教師はさまざまの国から来た留学生と出会うことになる。
外国人に日本語を教えるには外国人と意思疎通を図る必要があるから、日本語教師をするには外国語が必要だと思う人もいるかもしれない。実は、日本語の教授法はたくさんあり、教授法の中には、外国語を一切使うことなく、全く日本語がわからない外国人に日本語をマスターさせることができるものもある。だから、日本語教師は外国語に精通しているとは限らない。
しかし、日本語教師に外国語の知識があれば、教える際にとれる手段は多くなる。私がいた学校には、日本語表現を説明する際、簡単な英語の例文を出して言語の違いを説明する教師もいた。だから、当時の私が持っていた日本語教師のイメージは、若干の外国語や言語理論方面の知識を持つ職業だということだった。

■ある日本語教師が配付したアンケート

私が出会った日本語教師の中には、日本のある有名大学院の博士課程で言語教育を専門に勉強中の人がいた。

日本で生活を始めて半年もたっていないあるとき、その教師は授業中にアンケートを配付し、それを家で書いて、次回の授業のときに提出するように呼びかけた。アンケートは、外国人が日本語を勉強する際のさまざまな状況を調べるもので、この教師の博士課程の研究テーマと関係することなのかもしれなかった。

当時の私のクラスの学生は20人、内訳は、中国人11人、台湾人6人、香港人1人、ベトナム人1人、インドネシア人1人だった。中国語が母語の学生は20人中18人もいたので、その教師はさらに中国語に翻訳したバージョンを特別に用意していた。
私はこの2カ国語のアンケート内容に興味を持ち、日本語版と中国語版のアンケートを1部ずつ受け取った。クラスでは、私と同じように、2カ国語のアンケートを受け取る同級生もいた。

中国語版のアンケートとは、当然のことながら簡体字中国語版ということである。
私は来日当初から、日本人は漢字圏に対する文化知識が極度に貧困で、台湾と中国の文字が違うことを知らない人すら少なくないことに何となく気づいていた。そして、日本語学校の教師さえもその例外ではなかったことを再び思い知らされていた。
日本人が自国以外の漢字に関心を持っていない、自国の周辺のことにも関心を持っていないことは、日本に来た後に大分驚いたことである。
日本語学校の教師の中には、台湾と中国の文字が違うことを知っている教師もいたにはいたが、もろもろの様子を見てみると、言語教育の博士課程のこの教師はそういう文化知識を持っていないようであった。だから、台湾の留学生が簡体字版のアンケートを見てどう感じるかなど何とも思っていなかったのだろうと思う。

■留学生&日本語教師に存在した課題点

この日、授業が終わり、寮に帰ってから、まず簡体字翻訳版のアンケートを見てみたのだが、設問の多くが余りに曖昧過ぎて、具体的に何を聞きたいか何を確認したいか、幾ら読んでもわからなかった。
一方、日本語版のアンケートでは設問は非常に明瞭で、曖昧な部分は一切なかった。だから、私は日本語版のアンケートに回答することにした。
そして、翌日の授業でアンケートを提出するとき、私はこの教師に、翻訳版に大きな問題があると伝えた。アンケートの回答者が翻訳版を見て回答した場合、調査者は正確な結果を得られないかもしれないと。別の中国人のクラスメートもこのことを指摘していた。教師は、中国語版のアンケートは大学で見つけた留学生が翻訳したものだと答えた。

このようなことから、私は幾つかのことがわかったのだった。
1.日本語教師は、大学にいる留学生にアンケートの翻訳能力があると思っていた。
2.日本の有名大学で学ぶ留学生であっても、彼らが持っている言語知識で翻訳を担えるとは限らない。
3.このアンケートを翻訳した留学生は、アンケートデザインに関する知識を一切持ち合わせていないのかもしれない。

アンケートをデザインする際には、設問内容を明瞭にさせなければ調査精度が上がらない。回答者が設問内容を理解できないようなアンケートなら、そのアンケートは失敗だろう。
日本語教師が準備した日本語で書かれたオリジナルのアンケート内容は非常に明瞭で、当時の私でも完全に理解できるものだった。しかし、中国語版のアンケート内容は大分ひどく、日本語オリジナルが伝えたい意図が全く伝わらなくなっていた。
このアンケートを翻訳した留学生はオリジナルの内容を確実に理解していないから、自分が中国語に翻訳したものが日本語のオリジナルが伝えたい事柄を忠実に再現したかどうかがわからないということかもしれない。

日本語版のアンケートの設問内容は非常に明瞭であり、博士課程のこの日本語教師は明らかにアンケートのデザインに関するリテラシーや知識を持っていた。しかし、日本語教師として持っている言語理論知識やリテラシーなどは、適切な翻訳者を見つけさせるものではなかった。
この日本語教師は、自分の大学にいる留学生の言語能力を明らかに過大評価しており、しかも、留学生が翻訳する際に留意すべき事項を伝えていなかったから、中国語版のアンケートの品質は大変ひどくなってしまった。さらに、ひどいことに、大学にすら行けていない日本語学校の生徒がこの問題点に気づいたのだった。

■オリジナルを再現する力量がない翻訳

留学生に日本語と自国の母語の知識があったとしても、その留学生がこの2カ国語を使いこなせることを意味しないし、有名大学の留学生もその例外ではない、このことはちっともおかしくないことである。
言語の理解や表現力はある程度の時間をかけないとなじんでこない。10代やハタチそこそこの留学生の、母語の能力がまだ完全ではない時期に日本に来て日本語を勉強することになれば、母語と日本語のいずれもそれほどうまくない人もいる。母語と日本語のいずれもうまくできていないのなら、もちろん高度に厳密な翻訳をすることはできない。

翻訳は専門的な技術で、ある言語に包含する意図を別の言語を置きかえなければならない。オリジナルの文章の趣旨を理解する能力や、もう一つの言語でオリジナルの趣旨を再現する能力などが翻訳に求められる技能である。

学生が翻訳をする際にありがちな過ちは、辞書上の解釈をもとにオリジナルの語彙を別の言語の語彙に置きかえ、その文を寄せ集めて構成してしまうことである。そして、翻訳を文レベルだけで完結させてしまい、文章レベルの文脈を全く顧みることがないから、文章のバランスや文脈の再現にまで視野が届かないということもある。

辞書の解釈そのままを訳語として使う大きな問題は、辞書の解釈はあくまで解釈であり一般論的なものということである。一方で、現実の文章は、言葉の使い方や選び方がよく考えられている。文章の全体配置を考慮しないで一般論を寄せ集めてしまうと、オリジナルの作者がなぜこの言葉を使ったのか、このように書いたのかを考えていないので、もちろんオリジナルの作者の意図を全く正確に反映しないことになる。

前段のアンケートの翻訳の事例では、この留学生はアンケートの趣旨を理解していなければならず、アンケートをデザインした人がどのような文章でアンケートの内容を明瞭化させているか、回答者に誤解を生じさせないようにしているかを理解していなければならない。まずこのような前提を理解しなければ、オリジナルの文章を別の言語に翻訳することなどできない。さらに、翻訳する別の言語でそのオリジナルの趣旨を再現し、オリジナルの明確性を再現し、オリジナルがその文中に潜ませている誤読を防止するデザインを再現しなければならない。

しかし、この留学生はオリジナルのアンケートをちゃんと読めてはいたが、文字の意味がわかったにすぎず、オリジナル文章の趣旨がわからないし、アンケートをデザインする人がなぜこのように書いたのかがわからなかった。自分の文章をチェックする能力を持っていないし、自己が翻訳した文章はオリジナルが伝えたかった事柄と合致しているかどうかを判別できなかった。だから、翻訳版のアンケートはオリジナルの趣旨を再現されることはなかったのである。

■翻訳させるに適当な相手ではない場合もある

私は、自分が翻訳したものに不用意に横やりを入れられたことが何回もある。
日本人から翻訳を頼まれるのだが、翻訳提出後、日本人は私の翻訳を翻訳の知識がないネーティブに見せているようで、その結果、私の翻訳文がめちゃくちゃに添削されてしまうのだ。翻訳の知識がないネーティブの典型例というのは、中国語を母語にする留学生や、中国語を母語にする自治体の臨時職員などだ。(「中華圏の多様性を破壊する日本の自治体職員の無知――その中国語母語職員は繁体字情報を破壊していませんか」参照)
翻訳文がめちゃくちゃにされると、日本人は動揺し、私の翻訳を疑い始める。こういう感覚は、最悪だ。

翻訳に関心を持たない日本人から私の翻訳を疑う質問をされたり、私の翻訳が彼らの知り合いのネーティブがつくった翻訳との違いが大きいことを指摘されるとき、私は本当にどのようにしてはっきりと経緯を説明すればいいのかわからないことも多い。
ここでの最大の問題は、日本人は頼んだ相手の専門性を見なくなることである。まさか、自分にとって親しい人間がつくった翻訳の方がオリジナルの文をよく再現しているとは思ってはいないだろうが。

とはいえ、振り返れば、私の日本語学校時代、有名大学の博士課程で言語教育を専門にしていたあの日本語教師ですら、翻訳には多くの言語の理解と表現を再現する知識が関係していることがわかっていなかったし、そこら辺の留学生にアンケートの翻訳をさせてしまうとひどいことになることがわからなかったのだ。

日本人は適当な外国人では翻訳は満足にできないことになかなか気づかないし、日本語を使える外国人は翻訳ができるという思い込みがあって、明らかに相手を過大評価している。
一方で、翻訳が正確になされても、セカンドオピニオンのネーティブの人選によりめちゃくちゃにもされる。リアルのネーティブの意見より、グーグルなどの翻訳ツールやウィキペディアなどの情報を過大評価する日本人もいる。
結果的には、単に翻訳を提出するだけではなく、翻訳事情や言語事情に興味がない日本人、日本語以外わからない日本人を相手に、母語の文章の正確さを彼らにわかるように日本語で説得しなければいけない手間が加わる。しかも、相手にはその言葉は言い訳や弁解にしか響いていない可能性さえある。

今はこんな低レベルでむなしい話で悪戦苦闘をしているので、もっと大きくて深刻な話ができないでいる。それは、日本の繁体字事情である。日本では、中華人民共和国以外の漢字の露出が結果的に抹殺されていることは以前紹介したとおりである。
これが私が見る翻訳の世界の現実である。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)

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