日本の「中国語」の排他性から脱却し、あえて台湾華語と呼んでみる

日本で十数年生活をしている中で、日本人から、たまに「台湾で使われる言語は何か」と聞かれることがある。
台湾に行ったことがある、あるいは日本の周辺国の事情をある程度わかっている日本人の頭の中にある答えは「中国語」であると思う。
私が日本に来たばかりの頃、このような質問を受けたときには、迷うことなく「中国語です」と答えていた。
しかし、日本に長く住むようになって、この質問の答えは難しいと思うようになった。それは、同一語彙でも、人によって言葉を捉えるニュアンスがばらばらだからである。「中国語」という語彙はまさにその典型例である。

なお、フランスで使われる言語はフランス語、ドイツで使われる言語はドイツ語という感覚でいえば、台湾で使われる言語は中国語ではなく台湾語だろうと考える人もいるかもしれないが、この文章はそういうことを言いたいわけではないことを冒頭断っておきたい。

■日本人の考える「中国語」は、私が考えるものと違っていた

私が日本語を勉強し始めた頃に使っていた日本語教材では、台湾で使う言語は「中国語」となっていた。そのときは、それはそうだろうなと思ったし、これまでこの語彙の持つニュアンスをいぶかしむことはなかった。そして、来日後、日本人から「台湾で使われる言語は何か」と聞かれれば、私は勉強したことがある日本語の語彙である「中国語」を答えていたのである。
しかし、日本に住み始めてしばらくしてから、多くの日本人が考える「中国語」と、私が考える「中国語」とは違うことに気づいた。

私が「中国語」と捉えているのは、
・世界の華人の最大多数の共通言語(地域的に言い回しの習慣や発音が違っていても、コミュニケーションはとれる)
・使用する文字は繁体字と簡体字の両方

日本人の「中国語」に対する印象は、
・中国人が使う言語
・ちまたの「中国語教室」で教える言語
・大学の第二外国語の「中国語」で教える言語
・一般的な書店にある「中国語」教材で教える言語
・NHKの「中国語」講座が教える言語

つまり、日本人と私では、「中国語」という言葉のニュアンスの捉え方に大きな違いがあったのである。

日本で生活し始めて、中国語を勉強中という日本人に会ったことがあった。その日本人は、私と会う以前には、中国語に「繁体字」があることを全く知らなかったし、「簡体字」が20世紀後半になってからつくられた文字であることも知らなかったという。
初めのうちは、こういう人はごく少数派だと思っていたが、日本に住んで長くなり、これは少数ではなく多数を占めていることがわかった。中国語の文字に繁体字と簡体字があることを知る日本人はむしろ少数派である。日本人が中国語を勉強するときには、教わるべき中国語の知識の多くが周到に抹殺されているからである。

日本人と私の「中国語」のニュアンスの捉え方の違いがあることによって、私が日本人に、台湾で使われる言語は「中国語」だと言ってしまうと、日本人は、台湾で使われる言語は、ちまたの中国語教室、大学の第二外国語、書店の中国語教材、NHKの中国語講座のものと全く同じだと思われてしまいかねないのである。

日本人が上記のようなルートで「中国語」を勉強しても、台湾人と確かにコミュニケーションできるが、上記のルートが教える「中国語」は、台湾で使われる「中国語」の発音や言い回しとは同じではないし、文字の違いは非常に大きい。そして、うっかり使ってしまうと、相当失礼になることもある。
しかし、これらの「中国語」を教えるルートでは、日本人にこういう事実をほとんど教えないのである。私は、中国語学習経験のある日本人が中国以外での「中国語」の発音や言い回しを知らないでいることに数多く遭遇している。

日本人の多くは、英語にはアメリカ英語とイギリス英語があることを知っている。一方で、「中国語」においては、意外にも中国以外の「中国語」を知らない。この現象はとても奇妙である。日本人が捉える「中国語」とは、周到に操作された、非常に狭くて排他的な「中国語」なのではないだろうか。

■「中国語」と呼ばない呼び方――北京語とかマンダリンとか

台湾の言葉について、日本人から質問されて戸惑ったことは幾つかある。それは、日本人の「中国語」に限らず、日本人自身がその語彙についてどのように捉えているかわからないから答えにくい。

例えば、台湾の言語は「北京語」なのではないかという質問である。台湾の言語を知らない人は元々中国語に対する固定概念はないのだから、聞いたことがある言語の呼び方を言っているだけかもしれないのだが、自分の歴史認識や中国人との交流経験から、日本人の考える「北京語」のニュアンスを想像するしかない。
自分なりの答えとしては、台湾の言語と「北京語」とは似ている、台湾人は北京語話者とコミュニケーションできなくはないが、互いに文字の違いは大きいし、発音や言い回しも違う。それから、台湾の言語と北京の言語は、互いに起源は同じでも、従属関係ではない。台湾人は当然、台湾の言語が現代北京語から端を発したものとは思っていない。

「マンダリン」というのは何かと質問されたこともある。英語のMandarinの意味は知っているが、日本人の考える「マンダリン」は普通に会話で使われていて、厳密性を持った学術用語ではない気がする。
私の捉え方だが、現在のMandarinはChineseとほぼ同じ意味である。台湾や中国では、自分の言語の英語での呼び方はChineseだが、東南アジア諸国の華人の間では、華人の共通言語の英語での呼び方はMandarinとなっているのかもしれない。
私は日本で、シンガポールやマレーシアの華人の観光客に英語で道を尋ねられるとMandarinが話せるかどうかを確認している。彼らは確かにMandarinという言葉を知っている。そして、基本的に「中国語」でコミュニケーションできる。もちろん、私と彼らが話す「中国語」と、中国人が話す「中国語」とは、発音、言い回しは同じではない。彼らが使う「中国語」は「華語」と呼ばれている。
なお、台湾での英語教育では、台湾の公用語の英語での呼び方はずっとChineseなっていて、だから、台湾人はMandarinという言葉に不慣れな人が多い。台湾人が普通、外国人に英語で台湾の公用語について説明するときは、Chineseという言葉をほぼ使う。

ほかにも、中国語学習経験のある日本人であれば「普通話」という言葉を知っているかもしれない。
台湾人も「普通話」という言葉を知っているが、台湾ではこの言葉は使わない。
台湾人のイメージする「〇〇話」は幼児語をイメージさせる表現であり、完成度や上品さに欠ける。幼児の語彙は少なく、「語」という言葉のニュアンスで理解しようがないから、「語」に代わってやや簡単な「話」を使うと考える。中国の「普通話」という言葉が台湾人に与える印象というのは、中国語の伝達能力のこなれていない人が、無理やりかき集めた幼稚な語彙だということである。
ほかにも、「〇〇話」というのは、台湾人に一種の「系統立っていない原始的な言語」という印象をも与えている。例えば、「日「語」」は一種の体系化されて完成した言語という感覚だが、「日本「話」」になると粗野で原始的な印象を与えることになる。

■台湾では、台湾で使われる言語をどう呼んでいるか

台湾の言語を知るには、まず、台湾国内では自身の言語をどのように呼んでいるかを知っておくべきであろう。
台湾国内には多くの言語がある。最もよく使われているのが「国語」と「閩南語」(びんなんご)である。ほかにも、客家語、原住民族の言葉、閩東語、手話などがある。
この「国語」をより日本人がわかる言い方にすると、「台湾の中国語」である。台湾の公用語は「国語」で、台湾の小学生の科目名でもある。「国語」は、台湾人の国内向けの公式の言語の呼び方である。台湾の国内での他の言語とを分ける言い方として使われる。

一方で、「国語」と外国語とを区別する言い方として、台湾人の多くは「中文」という言葉を使う。そして、少数だが「華語」という言葉を使う人もいる。
「中文」は、「国語」の対外的な一般的な呼び方である。「中文」という語彙のニュアンスは曖昧で、「国語」という言葉を指したり、文字や文章を指すこともある。そして、「華語」は通常、外国人が台湾で「中国語」を勉強するクラスあるいは教科書の呼び方である。台湾人の間でこの呼び方を使う人は少ない。
ただし、台湾人の中でも、「国語」という言葉は台湾国内の言語を階級づけていると考えたり、「中文」という表現は中国に独占されがちだから、別の表現で台湾の「国語」と中国大陸の言語との差異を強調したいと考えたりする人は、「華語」という言葉を使う傾向にある。
2018年、台湾では台湾国内の言語はひとしく平等とうたう「国家言語発展法」が成立した。したがって、今後「華語」は「国語」に代わる存在として、呼ばれるシーンが変化してくるかもしれない。

話を台湾国内に戻すが、閩南語は福建南部の言語で、台湾では台湾語と呼ばれる。現在の台湾では、約7割の人が閩南語を話せる。ただ、言語の使用人口は時間とともに変化している。以前、私がまだ日本に来る前には、閩南語は台湾中部や南部では日常的な言語だった。しかし、現在は台湾の若者の多くは小さい頃のみ閩南語を話し、学齢以降は徐々に国語を話すように変化してきている。その結果、台湾人の若者世代の多くは、閩南語能力が児童あるいは青少年期の家庭会話のレベルにとどまっている。

日本人から見た台湾の国語や閩南語というのは、標準語と方言を連想するかもしれない。しかし、台湾人の感覚からすると、日本語の標準語と方言の違いというのは単に発音、言い回し、あるいは語尾といった表現のバリエーションであり、本質的にはやっぱり同一の言語である。台湾の国語と閩南語の発音は全く違うし、言い回し表現の違いも大きい、全く違う言語なのである。

■「台湾国語」や「台湾語」のややこしさ

台湾の公用語は「国語」である。国語は日本語にもある言葉だからと、日本人が台湾の国語を便宜的に「台湾国語」と呼んでしまうとややこしくなる。台湾では、「国語」とは異なる概念で「台湾国語」がある。
「台湾国語」とは、閩南語の発音や言い回しを特徴とする国語のことである。母語が閩南語の人は、学校などの国語教育環境がよくなければ、国語を話す際に閩南語的な発音の癖が出たり、言い回しも閩南語の語彙を国語に直接変換したりしてしまう。これが「台湾国語」である。日本にいる外国人の話す日本語の中に、母語の発音や言い回しの習慣が出るような感覚である。

台湾の言語だからと、日本人が台湾の言語を台湾語と呼んでしまうこともややこしくなる。
以前、私は、東北にある自治体の台湾人向けの観光資料をつくったことがあった。そのとき、自治体職員は連絡の際に「台湾語」という言葉を使っていた。この職員は、台湾と中国を区別したくて、「台湾語」という呼び方を使ったのだろうか。
日本語学習経験のある台湾人の感覚では、「台湾語」が示すのは、「台湾の中国語」ではなく、閩南語のことである。それは、閩南語の台湾での伝来が「台湾の中国語」よりも早かったからである。実際、日本における「台湾語」に関する書籍で紹介されている言語は「台湾の中国語」ではなく「閩南語」である。
「台湾語」という言葉は誤解されやすいので、私はそのとき、自治体の職員に「台湾語」という言葉のニュアンスを教えたのだった。

ちなみに、このようなややこしさは台湾人自身にも起きているようだ。
2年ほど前、NPBの試合終了後、台湾人のプロ野球選手がヒーローインタビューで、「台湾語でしゃべるのがいいですか」と話していたのを見た。この言葉を聞いて、私は、この選手が閩南語でインタビューに答えるのだと思っていた。しかし、選手がしゃべった言葉は「台湾の中国語」だった。このことはすごく印象に残った。
もちろん、私は、この選手が「台湾語」という呼び方を使おうとする感覚は何となく理解できた。彼は台湾出身の選手で、日本人には台湾に関心を持ってもらいたい、それでいて中国人と違う存在であることも望んでいたのかもしれない、だから、「中国語」という言葉を使わず「台湾語」を使ったのだろう。これは即興でのちょっと変則的な伝え方だったのだが。

■「台湾の中国語」から「台湾華語」へのトレンドの背景にあるもの

実は、2000年代において、台湾人は「中国語」という言葉にそれほど特段の抵抗感はなかった。「中国語」というのは単なる日本語教材の中にある一つの単語だった。台湾人が日本人に自分の言語を紹介する際には、この言葉を言えば日本人は理解できた。私がブログをつくり始めたときも、台湾の言語についての文章のために「台湾の中国語」というカテゴリーをつくっていた。

しかし、2010年代以降、台湾では、中国からの嫌がらせが多くの面において目立ってきた。台湾の選挙やメディア報道は深刻な妨害を受け、ネット情報は中国から故意につくり出された大量の「偽繁体字」情報で汚染させられている。中国人は普通、海外のネット資料を自由に閲覧できないが、奇妙なことに、台湾のネット掲示板やSNSでは中国ユーザーの攻撃や嫌がらせ、脅迫さえも受けている。日常的な情報生活で深刻な影響を受けているから、台湾のネット世代は中国に対してかなりの嫌悪感を持っている。その「中国語」と自分たちの言語を一緒にされたくないのである。
また、別のところでは、台湾人が日本を旅行していて、日本の「中国語」が、中国人の簡体字「中国語」だけを歓迎し、繁体字圏の台湾人や香港人を無視していることにも気づいてきている。そして、日本に住む台湾人は、挨拶から始まり、いつまでたっても台湾人が使う中国語が一顧だにされていないことに遭遇し、日本人が勉強する「中国語」は多くの現実的な言語知識を隠した意図的に操作された言語であると懸念している。
日本におけるこれらの状況が、結果的に台湾人が日本語の「中国語」という語彙に嫌悪感を持たせることになっていくかもしれない。

ここ最近、「台湾華語」という言葉が昔より多く使われるようになったと私自身、よく感じている。それは、台湾人が「台湾の中国語」に嫌悪感を持ち、日本人向けに自分の言語を説明するときに「台湾華語」を使うように変えてきているということである。
「華語」という言葉は台湾人の間ではあまり使わないが、外国人が台湾で言語を勉強するときに、そのクラスや教科書の呼び方は通常「華語」を使う。ほかにも、シンガポールやマレーシアの華人が、華人の共通語について「華語」という呼び方を使っている。「華語」というのは国際的な色合いを持つ語彙である。実は、日本の主要な国語辞典にも「華語」という言葉が載っている。
「台湾華語」と言えば、深刻な排他性がある日本の「中国語」と区別でき、台湾人が日本人に自分の言語を紹介する際に、日本人自身に内在する「中国語」あるいは「北京語」という先入観の枠にはめられずに済むのである。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)