台湾の徴兵制度 その3

今は過渡期なので、このブログで書いているとおりになるかわからないけど、
前回」に続き、徴兵制度と志願について書いてみようかと思う。

今後の目指すべき大きな流れとしては、台湾では、徴兵制度がなくなって、
自衛隊のように、志願し、職業とするプロがその任に当たるということに変わっていくということだよ。
やはり、徴兵で集めた人たちにどんなに厳しい特訓を課したとしても、実力としてプロ集団には勝てないよね。

集団の中での統率や協調などの問題もあるのかなと思う。
もともと台湾人男性は、兵役があるということがわかっていて兵役に行ったとしても、
そこでの集団生活がそこまで人生に実り多い経験になるかというと、微妙みたいだね。
実際の集団の中では、いかに楽をするか、いかにずるをするか、要領よくやるか的なところも問われたりとかもあるし。

あるいは、兵役中の事案について、家族の声を無視できなくなってきたこともあるかもしれない。
2013年には兵役中の男性の虐待死が問題になった。
こういうのは、台湾で学生向けに行われる軍事訓練みたいなのにも言えることで、
熱中症で亡くなる人がいると、そのことに配慮せざるを得なくなったりとかして、
結果的に練度が落ちたりとかしている。

ということで、徴兵ではなく、志願者で埋めることを目指しているんだけど、
いざふたをあけてみると、志願者は人数も少ないし、人材の質もよくないということで、順調に進んでいない。
志願者は高卒が条件なんだけど、志願する人が少ないので、ドロップアウトした中卒の人が入っていく場になってしまったりしている。

実際には、2003年から志願制度も試行されていて、
それまでは、志願できたのは下士官レベルの管理者層若干数だったのが、
兵士も志願できるようになったわけで、志願でなれる人数規模が違うようになっている。
もちろん、衣食住は保障されているという意味での処遇はよさそうだけど、
志願するであろう若者の親族や年長者には兵役経験があるわけで、その経験から、余り賛成されるわけではないみたい。

逆に、女性の方は人気があって、応募は定員以上、満杯になっている。
潜在的に徴兵制度に関心を持つ女性もいるということかもしれないけど、
女性の職種は事務とか経理とかで、実力部隊に配属とかはなさそうだからかな。

ということで、2014年末をもって兵役をやめ、職業軍人に移行するなどという話もあった気がするけど、
それどころか、目下、志願兵が足りないため、志願で何とかしようという動向は流動的になっている。
今後、徴兵制度を復活させていくということになるのなら、
徴兵制度がなくなると思って人生計画を立てていた台湾人男性は、かなり憂うつな未来を予想せざるを得ないのかな。

日本人與麵包(1)

麵包是1543年由葡萄牙人從種子島傳入日本。當時葡萄牙人的麵包是黑麥的硬麵包,日本人只是覺得外國人吃的東西很特別,並沒有學會怎麼做麵包。

葡萄牙人把麵包叫作「pão」,這個詞後來就變成日文外來語的「パン」。

麵包的製作方法是由荷蘭商人從長崎傳入日本。荷蘭吃的麵包並不是烘焙的麵包,而是蒸的麵包。蒸的麵包其實就是蒸糕。由於蒸的麵包的做法和饅頭相似,所以日本人只以為荷蘭在吃口味比較特別的饅頭。由於當時的麵包有牛油和酵母的味道,而且是用手抓著吃,一般吃慣米食的日本人其實對麵包不太感興趣。不過還是有日本人有挑戰製作製包,並且把麵包製法記錄在文獻中。

到了1639年,江戶幕府發表鎖國令,禁止基督教信仰。由於當時吃麵包的人多半是基督教徒,所以當時的幕府也禁止製造麵包。

後來1840年代鴉片戰爭發生後,日本看到英國把清國打得落花流水,於是就開始緊張,各個藩開始加強自己領地的海防。本來日本的傳統兵糧是飯糰,不過飯糰無法長期保存,所以打仗的時候還要花時間煮飯。米飯煮起來很麻煩,而且煮飯會有煙,這樣會影響到作戰安全。另外,飯糰由於容易散,所以不適合邊走邊吃。由於飯糰有這些缺點,於是就有人想到把西洋人的麵包改良成兵糧。

麵包攜帶方便,可以長期保存,所以不用在戰場上花時間烹調。而且麵包不會像飯糰一樣散掉,所以可以邊走邊吃。麵包也比米飯容易消化。當時日本各個藩就開始各自開發自己的兵糧麵包。例如長州藩的【備急餅】、薩摩藩的【蒸餅】、水戶藩的【兵糧錢】、幕府的【兵糧パン】。

到了1860年,內海兵吉在橫濱開了第一家日本人經營的麵包店。之後,也有外國人到日本開麵包店。結果麵包就漸漸變成一般的食物。

到了明治時代,日本發生內戰時,明治天皇曾經帶麵包去大阪慰問政府軍的傷兵。之後的日本海軍和陸軍也各自發展出了軍用口糧「乾パン」。就現代人的感覺來看,「乾パン」不是麵包,而是餅乾。不過以前保久的乾麵包和餅乾的分界線其實非常模糊。

◆◆◆

現在日本的麵包可以分成:【食パン】【菓子パン】【惣菜パン】

「食パン」是日本人用來當主食的麵包。「菓子パン」則是包了豆沙、奶油、果醬的麵包。「惣菜パン」則是夾了菜的麵包。

「菓子パン」和「惣菜パン」的差異是「菓子パン」是把添加的食材埋在麵團後,放進烤箱烘焙。「惣菜パン」則是麵包成品加上另外做的菜。漢堡、熱狗、三明治可以算是廣義的「惣菜パン」。

「食パン」是源自明治時代初期用模型烘培的英國白麵包。這種麵包其實就是吐司。後來美國的吐司也傳入日本,就變成美式的「食パン」。英式「食パン」的特徵是烘焙時模型不加蓋,所以吐司的頂部會膨起。這種吐司又叫「山形食パン」。美式的「食パン」烘焙時會在模型頂部加蓋,所以吐司的形狀非常四方。這種吐司又叫「角食パン」。

在日本,吐司麵包的單位叫「斤」。一般日本的麵包店或是超市賣的吐司都是以1斤為單位。同樣是1斤,有分3片、4片、6片、8片裝。3片裝的吐司很厚,8片裝的吐司就是一般的薄吐司。

本來日本的「斤」指的是600g,是日本商家賣東西的基本重量單位。不過以前日本的麵包業者是用英國或是美國製的模型來做麵包,規格完全和日本不同,所以業者就把吐司麵包的「斤」規定成340g以上,所以現在日本市面上賣的1斤的吐司麵包大多是340g。

在台灣,坊間的麵包店的吐司多半是12片裝。這和日本的8片裝吐司有什麼不同呢?

台灣坊間的12片裝吐司是半條,也就是一整條吐司切成一半的長度。其實日本的一整條吐司和台灣的一整條吐司的長度幾乎一樣。只是日本是把一整條吐司切成三等分後,再薄切包裝。所以日本的1斤吐司其實就是1/3條。日本的8片裝吐司的單片厚度和台灣的12片裝吐司的單位厚度其實幾乎一樣。

由於日本的一整條吐司是3斤,看起來就像一根棒子一樣,所以有人把一整條吐司叫「3斤棒」。

台湾の徴兵制度 その2

以前、「台湾の徴兵制度」ということで書いたことではあるけど、
とりあえず、このブログはあと数カ月で終わりにすることにしているので、
前回と余りかぶらないように、今のところの動向を書いてみたい。

兵役年齢は18歳になった後、一番最初に来る1月1日から、
36歳になった年の一番最後に来る12月31日までとなっている。
学生である間は行政は通知しないので、実質的には大学や大学院まで進学すれば、その卒業後ということになるのだろうか。

兵役に行っていないと就職できないというか、兵役に行っていることが採用の条件になる。
就職してから、兵役がありますといって抜けてしまうのも、雇用主としてどうかって感じだよね。

以前は、兵役に行っていない男性は、実質的に海外旅行に行けなかった。
それは、出国するに当たって当局から課される各種書類が余りにも多くて、
――ということがあったけれども、今はそうでもないみたい。

ただ、台湾のパスポートには「註記」というページがあって、
兵役に行っていないと、そこにまだ兵役義務を履行していない旨のスタンプが押される。
そして、出国するたびに許可を求められ、「註記」に出国許可のスタンプを押される。
入国審査官はそれを見て、出国がOKになるという感じ。

兵役の期間だけど、本当に変遷があって、これを調べるのは大変。
徴兵制度開始当初は、陸軍は2年、海軍、空軍、海兵隊は3年、
1971年――陸軍の一部の技術関連の兵科は3年に変更、
1988年――陸軍、海軍、空軍、海兵隊は一律2年に変更
1999年――1年10カ月に変更
2004年――1年8カ月に変更
2005年――1年6カ月に変更
2006年――1年4カ月に変更。
2007年――1年2カ月に変更。
2008年――1年に変更。
2013年――1994年以降生まれは4カ月に変更。

兵役の期間変更は基本的に短縮の方向に向かっていて、
短縮とされると、兵役をやっている人の期間が前倒しされる。
ただ、前倒しされるラッキーな人もいれば、恩恵に浴せない人もいるわけで、
こういうところでの扱いはかなり慎重になされるみたい。

兵役をどこでやるかというのは、やっぱりくじ引きで決める。
台湾人の徴兵の配属先決め」を見てね。

2000年から、兵役を忌避する人のための制度ができている。
具体的には、警察、消防、医療、介護、研究、教育とかだよ。
その人の専門性を行かすような分野になるのかな。
期間は、その内容や条件によって違うみたい。

何か長くなったので、次に続く。
この手のトピックはこれまでいろいろ書いてきているので、左側の検索窓に「徴兵」という文字を入れて、探してみてね。

日本的旅遊旺季與淡季

恐怕有不少喜歡旅遊的人對日本的旅遊旺季和淡季的時期感興趣。

一個國家的旅遊旺季和這個國家長假期間有關。有了長假,大家才有機會出遊。如果長假期間增加或是減少的話,旅遊旺季的期間也會發生變化。

台灣的旅遊旺季是在學生放寒暑假的長假期間。由於是寒假本身也包含了新年假期,所以大人也可以放長假。

日本的旅遊旺季當然也是在長假期間。

日本的旅遊旺季主要有四個期間:
春假期間:3月下旬~4月上旬前半
黃金週間:4月28日~5月6日
暑假期間:7月下旬~8月底
寒假期間:12月25日~翌年1月上旬

日本的春假是學生旅行的旺季。小中高校的學生有兩個星期的假,大學生可以放一個月的假。不過這個期間正好是各個單位年度末決算期,大人的工作非常忙,不容易請假,所以全家出遊的機會比較少。
黃金週間是大人小孩都可以放假的期間,如果大人的工作排程調整得當,最多可以得到九連休。
暑假雖然是學生的假期,不過很多企業在8月中旬的【お盆】會給員工一個星期左右的假。
寒假雖然是學生的假期,不過很多企業會在12月29日至1月1日會讓員工放年假。大人至少可以休到四天。

所以黃金週間、暑假、寒假期間,很多日本家庭有機會出遠門旅遊。

今後日本的九月後半可能會出現「銀週間」(シルバーウィーク)的大型連休,所以九月後半也可能變成旅遊旺季。
(※關於日本的「銀週間」可以參考本站的「日本的シルバーウィーク」這篇文章)

日本的旅遊淡季也有四個期間:
1月中旬~2月末
6月
9月
11月初~12月中旬
這四個期間的星期一~星期四是旅遊淡季。

為什麼是星期一到星期四呢?

因為有些想在週末旅遊的人可能從星期五傍晚就出發,所以星期五出遊的人會變多。所以星期五~星期天不是淡季。

那麼旅遊淡季期間是怎麼一回事呢?

1月中旬~2月末是日本最冷的時期,很多地方會下雪。天冷會影響民眾出遊的意願。而且很多日本民眾已經在新年期間玩過,而且會花不少錢,所以1月中旬~2月末大部分的民眾已經沒有預算。另外,1月中旬~2月末也接近年度末,很多企業都很忙,所以一般上班族也沒有時間出遊。

6月是大人和小孩都沒有假日的月。而且大部分的民眾已經在黃金週間玩過,大家在6月已經收心了,所以6月就變成旅遊淡季。

9月是新學期開始的時期,學生已經放完暑假。大人也在8月中旬的連休期間玩過,所以9月就變成旅遊淡季。另一方面,很多民間企業在9月會做中間決算,非常忙,所以員工也沒有時間出遊。

11月本身有很多體育及文化方面的慶祝活動,由於日常的特別活動很多,所以沒有必要特別出遊。到了12月,由於大家準備過聖誕節和過年,所以沒有必要在12月的上旬或中旬出遊。

在旺季和淡季之外,就是一般的時期。現在日本有一部分假日會設在星期一,所以三連休的機會變多了。雖然有些民眾會在三連休期間出遊,不過出遊人數沒有長假期間那麼多,所以三連休不能算旅遊旺季。

◆◆◆

日本的北海道和本州、四國、九州的氣候風土完全不同。所以旅遊旺季和淡季也和其他地區不同。

北海道的旅遊旺季包括有兩個時期:
暑假期間:7月下旬~8月中旬
冬季:聖誕節前夕~翌2月底

有些日本民眾會在夏天到北海道避暑或是開車兜風,所以7月下旬~8月中旬是北海道的旅遊旺季。另外,日本民眾在冬天會到北海道賞雪、玩雪,所以整個冬季是北海道的旅遊旺季。

北海道的旅遊淡季期間:
4月~6月(黃金週間除外)
10月~11月
這兩個期間的星期一~星期五是北海道的旅遊淡季。

其他不屬於旺季和淡季期間(例如週末或是三連休)是一般的時期。

雖然很多日本民眾會在黃金週間出遊,而且也民眾也可能到北海道旅遊,不過北海道不是唯一的選項。對北海道而言,黃金週間雖然有遊客,但是並不是遊客最多的時期。

◆◆◆

在旅遊旺季,日本的機票、長距離電車票、旅館費用都會比平時高。在旅遊淡季,日本的機票、長距離電車票、旅館費用都會比平時低。所以想到日本自助旅行,又想省錢,又不想和其他遊客擠來擠去的人,可以設法回避台灣的出國旺季,然後把行程設定在上述的日本旅遊淡季期間。

不過要注意的是,在旅遊淡季期間,日本的一些觀光地的店家或設施有可能會暫時歇業。

日本的公立動物園或博物館多半在星期一休息,不過私人的博物館或是設施的休館期間並沒有集中在同一天,所以想要自助旅行的人其實可以看情況來調整行程。

台湾の秘境を行く:司馬庫斯 その4

前回まで、台北から近いにもかかわらず、山上の少数民族集落や神木を見られる秘境めいた司馬庫斯を紹介を続けてきたんだよね。
今回は、厳密には司馬庫斯ではないけれども、スマクスと読む、司馬庫斯の山向こう、川を挟んだ向かい側の山にある新光集落、鎮西堡集落を紹介するね。

司馬庫斯の位置については、その1に紹介しているから、それを見てもらうとして、
司馬庫斯と新光、鎮西堡の位置関係のグーグルの地図を張っておくね。

左上にある道は新竹からの道で、同じく左上にある両集落への分岐点となる「泰岡集落前の交差点」を経て、
右側の細い道をたどれば、右下の司馬庫斯に至るし、
左側の太い道をたどれば、左下の新光、鎮西堡に至る。

司馬庫斯と新光、鎮西堡は直線距離的には近く、向こう側の集落が見えているんだけれども、
それを道路で行こうとすると、かなり大回りすることになる。
昔は直線距離で突っ切って行き来していたみたいだから、その脚力たるやすごいと思う。

ちなみに、グーグルの地図を見ればわかるけど、昔の村落、集落のことを台湾では部落といっている。
台湾で部落というと少数民族の村のことをイメージしやすいけど、そこには日本のような差別的な意図は全くない。
司馬庫斯、新光、鎮西堡は部落(集落)の名前なんだけど、住所は斯馬庫斯になっている。
スマクスといえば司馬庫斯集落のことを指すんだろうけど、司馬庫斯と斯馬庫斯は同じ発音なので、音声だけで両者を識別できない。

さて、新光、鎮西堡の行き方だけど、司馬庫斯と同様、秀巒の入山ゲートで入山届を書いて入ってからは、
「泰岡集落前の交差点」のところでは、ゲートをくぐる右側の方を行くよ。
「泰岡集落前の交差点」についてはその1でも書いたけど、別の写真を載せておくね。

司馬庫斯までの道というのは、悪路を行くことになるんだけれども、
新光、鎮西堡への道は県道なので、細くともある程度安心感を持って行くことができるのも魅力かな。
恐らく集落までは、「交差点」から30分もあれば着くはず。
 

「泰岡集落前の交差点」からの道だけど、司馬庫斯と違って、真っすぐ行けば集落に着くというわけではなく、一つだけ注意すべき丁字路があるよ。
その丁字路は集落内にあるので、標識を見逃しちゃうかもしれないし、直進の道もそれなりの道幅なのでスルーしそうになるけど、左に行く上りの道を曲がるのを間違えないようにね。
左折して上ると、ほどなく右側に中華電信の塔と派出所が見えるから、それで道が正しいかどうかが確認できる。
 

念のため、上部の地図の左上部分を拡大したもので説明しておくね。
矢印は新竹からの往路の進行方向、ピンクの丸が「泰岡集落前の交差点」、緑の丸が要要要注意の左折しなきゃいけない丁字路だよ。

道に迷うと集落までたどりつけないということもあるけど、
特に、入山ゲートから給油所がないことは司馬庫斯と同じだから、往復で無駄な燃料は使わないように気をつけないといけない。

もし、司馬庫斯での民族紹介的なアトラクションが期待できず、神木を見に行くということが旅の目的であれば、私は新光、鎮西堡集落方面に行くことを人に勧めると思う。私がまた行きたいと思うのも、こちら。
ただし、こちらは司馬庫斯と違って、集落から神木を見に行くための登山口までの距離自体が5、6キロ近くある(しかも悪路)ので、そのことを考えた往復の足が確保できることも必要だと思う。
もちろん、恐らく日帰りは難しいだろうと思うので宿泊の確保、標高的には司馬庫斯と同様なので、冬場ならそれなりの防寒対策も必要になるよ。
司馬庫斯集落が次第に有名になってくると、こちらの方が何となく秘境感がある気もするけど、
ただ、集落の様子的にはやっぱり司馬庫斯集落の方が秘境めいていると個人的には思う。

このトピックはつくるのが結構大変なので、やっぱり次回に続く。

日本的成人式

日本每年第一個國定假日是1月1日的【元日】,也就是新年。新年假期過後,不到兩個星期又會遇到一次國定假日。這個假日是【成人の日】。

日本法律中的【成人の日】的主旨原文是【おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます】,意思是「祝福、鼓勵有大人的自覺、能自己謀生的青年」。

那麼誰來祝福、誰來鼓勵呢?

答案是整個日本社會。

法律原文沒有寫明主詞,是因為當初日本國會在立法時,考量到寫明主詞會讓法律意義變狹隘,所以沒有設定明確的主詞。這樣整個日本社會都可以祝福、鼓勵新成人。

在日本的國定假日中,還有【こどもの日】(兒童節)。【こどもの日】的祝福對象是所有的兒童,不過【成人の日】的祝福對象並不是所有的成人,而是該年度成年的人。

古時候的日本有【元服】儀式。元服儀式是仿自漢文化的成年禮。【元】是帽子,【服】是穿戴。【元服】的意思就是戴帽子。古代的元服儀式的意義就是大家認同某個年輕人正式成為可以獨當一面的大人。

由於日本各地的風土不同,所以舉行元服儀式的年齡也不一樣。一般而言是在15歲左右舉行元服儀式。有些地方可能是11歲,有些地方在17歲舉行。

到了明治時代,因為實施斷髪令,所以傳統的元服儀式也一同消滅。元服儀式消滅的結果,就是民眾失去了從小孩子轉大人的明確的通過點。小孩和大人之間的界線變得非常模糊。新一代的年輕人不知道自己什麼時候才算是獨當一面的大人。後來日本開始實施徵兵制,結果當兵就變成新的成人儀式。不過戰後日本廢止了軍隊,所以民眾又失去了從小孩轉大人的明確通過點。

日本國會立法制定【成人の日】,就是為戰後日本社會造一個現代型的小孩轉大人的通過點。

日本國會在做【成人の日】的立法時,只設定了節日主旨,沒有規定成人的年齡。因為當時日本的《兒童福祉法》規定的兒童年齡是18歲以下,所以有些人會把18歲當作成人的年齡。另一方面,日本國民是20歲以上才有選舉權,所以有些人會把20歲當作成人的年齡。當時的國會議員也考量到日本各地的風土習慣不同,每個地方對成人的解釋可能都不一樣,所以【成人の日】的法條內容只設定了節日主旨,沒有規定成人的年齡。這樣法律才能彈性運用。

現在日本各地的自治體會在每年的【成人の日】舉辦成人式的慶祝活動。成人式的邀請對象是該年度滿20歲的人。

日本的年度期間是每年4月1日至翌年3月31日。這個年度內的成人式的邀請對象就是這個年度內滿20歲的人。

每個年度內,最先滿20歲的人的生日不是4月1日,而是4月2日。因為日本的法理上的年齡計算是生日的前一天晚上深夜12點年齡增加一歲。生日是4月2日的人,是4月1日晚上增加一歲。同年4月1日出生的人,則是3月31日的晚上(年度末的晚上)增加一歲。由於成人式是在年度後半舉行,所以成人式的邀請對象的生日範圍是前一年4月2日~該年4月1日。其中,生日在成人式的翌日~該年4月1日的人在儀式當天上只有19歲。不過這些人全部會在這個年度內達到20歲。

日本各地的自治體在舉辦成人式時,沒有國籍限制。滿20歲的外國人,只要在自治體有設籍,就會收到自治體的邀請函。也就是說,日本的行政並沒有獨善日本人,自治體也一樣照顧住在同一地區的外國人。

本來日本在1948年公布國定假日的法律時,【成人の日】是設定在1月15日。因為以前【元服】儀式是在舊曆的1月15日舉行。不過從2000年開始,【成人の日】改設在1月的第二個星期一。

為什麼要改時間呢?

因為不改時間的話,很多年輕人就無法體驗成人式。

日本人在小學、中學、高校階段,大多都是住在自己家裡。不過上了大學後,由於很多大學離家很遠,所以學生必須離開家鄉。雖然【成人の日】是假日,但是只為了這一天特地趕回家鄉參加自治體的成人式,不但浪費時間,也會浪費金錢和體力。

如果把假期設在星期一的話,民眾就可以得到三連休,住在遠方的學生也可以回家參加成人式了。

日本各地的自治體通常是在當地的公民館、行政機構的禮堂,或是當地的大型體育館舉行成人式。有些行政區內有遊樂園的自治體,則會在遊樂園內舉辦成人式。例如千葉的浦安市會在迪士尼樂園辦成人式,東京練馬區則會在豐島園舉行成人式。這樣子年輕人也比較有意願出席成人式。

成人式的內容包括自治體首長、來賓、新成人代表致詞。對新成人而言,成人式也是小中高校的同學會。因為大部分的人的小中高校都在同一地區就讀。大家是上了大學之後才各走各的路。

由於成人式有慶祝會的性質,所以自治體也會準備食物和飲料。其中飲料主要是啤酒。喝啤酒算是成人的象徵。不過參加成人式的人當中,還是有少數人還沒有滿20歲。由於日本執法相當嚴,所以成人式也會明確規定,儀式當天未滿20歲的人不能喝含酒精的飲料。

日本的男性在參加成人式時,通常是穿西裝,少數則是穿和服。

女性參加成人式則大多是穿振袖。振袖是花色非常鮮豔漂亮、衣袖(袂)的部分非常長的和服。在和服禮儀中,振袖是年輕的單身女性專用的和服。日本女性到了二十後半,基本上就會回避振袖,因為成熟的女性穿振袖會顯得很不得體。這種不得體的感覺有點類似大人穿學生服。

一般日本女性有四次穿正式和服的機會:七五三(三歲一次,七歲一次)、成人式、婚禮。

七五三的時候,還是什麼都不懂的小女孩。現在很多日本人沒有財力舉行婚禮,所以對日本女性而言,成人式可能是長大後唯一在公眾場合穿最漂亮最華麗的和服的機會。意義非常重大。不過振袖的全套服裝非常貴,貴到一般日本民眾下不了手。所以有不少女性是向業者租和服。由於一般日本民眾不知道怎麼穿和服,所以穿和服時,要找懂和服的人幫忙才行。一般日本坊間的美容院多半有懂和服的人,日本女性只要到自己家附近的美容院,就可以搞定和服。

另外,穿和服時的髪型也非常重要。有些短髪的女孩子為了在成人式中穿和服,會在幾年之前就開始把頭髪留長。成人式的幾個月前就要先向美容院預訂時間,同時搞定髪型和服裝。

以前日本女性相親用的照片,就是在成人式當天,穿著最漂亮的和服,到照相館拍的照片。不過現在日本已經晚婚化,所以相親時比較不會用成人式的照片。

近幾年,日本的媒體常常會報導地方的成人式當中,有參加者穿著奇裝異服到場鬧事的新聞。

這是怎麼一回事呢?

這些穿著奇裝異服的新成人,多半是中學或高校畢業後就直接踏入社會的人。對於上大學的年輕人而言,成人式只是青春的一部分,成人式結束後,還有一段青春之路可以走。不過對於中學或高校畢業後就直接就業的人而言,青春實質上早已結束,成人式是他們青春的最後的完全告別式,也是他們出社會之後僅有的最後一次狂野的機會。所以難免會做出一些脫序的行動。

2015/6/17追記:
日本國會於2015年6月17日通過了《公職選舉法》修正案,選舉權年齡降為滿18歲。選舉權年齡降到18歲後,今後日本的成人年齡也可能調整。

映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」

今週はブログはお休みにします。
またまたお休みにしますが、お休みのお知らせだけだと味気ないので、
11月末に聖蹟桜ヶ丘でやった、「KANO 1931海の向こうの甲子園」という映画の試写会&トークショーのことを思い出したので、この映画のことをブログでも書いておくね。
この試写会はもう一人の書き手と一緒に行ったので、今回のブログは日台共作ということで読んでくださいね。

KANOというのは嘉義農林学校の略で、
戦前に嘉義農林学校が甲子園で活躍したという内容の野球映画だよ。

日本での公開は、2015年1月24日から。
百聞は一見にしかずというので、ユーチューブを張るね。

(一定の期間が過ぎたら、この部分は削除します。)
これは日本の予告編や特報ではなく、台湾の長編予告編。
これを見ればわかるけど、この映画はかなりの部分が日本語で展開される。

台湾で既に昨年2月27日に上演開始してから久しいから、
台湾旅行をした日本人の中には、往復の飛行機の中でオリジナル音声で見たかもしれないけど――
中国語がわからない人なら、恐らく、曹佑寧さんの自転車の後ろに乗っていた女の子が、どうして突然別の男と結婚して、子供が生まれたのかというところが理解できていないはずだし、
中国語がわかる人でも、機内の画面では、最後の部分、登場人物がその後、どこでどうしたというのを説明している小さい中国語の字幕が読めていないはずなんだよね。
映画の上演時間は3時間5分だから、日本―台湾間で連続してその時間を見ることは苦しいよね。

こういう切り口で日本を取り上げる映画は、戦後70年を迎えようとしている日本では到底撮れるわけもなく、
だからこそ、日本人が注目できる台湾映画だろうと思う。
野球映画としてのリアリティーも追求しただけあって、野球好きが見ていても違和感はない。
さらに、この映画は、主演の永瀬正敏さんの芸能生活30周年の作品として永瀬さん自身が選んだ映画でもあるわけで、
永瀬さんを初めとする有名無名の日本人俳優の活躍にも注目したいところでもある。

ストーリーとしてすごくわかりやすい映画ということもあるから、子供から大人までみんなで見てみてね。

それから、試写会後のトークショーで写真も撮ったから、載せておくね。
当日の様子は、アジアンパラダイスさんのサイトに詳しく載っていたので、こちらも見てみてね。

この写真のことだけど――
トークショーでは、馬志翔監督と魏徳聖プロデューサーは、ネットで、口コミで宣伝してねと言っていたから、
観客としては、ネットでみんなに宣伝するんだったら、監督とプロデューサーの写真は欲しいと思っていた、
だけど、主催者側は、監督とプロデューサーの写真は報道関係者のみ、観客は御遠慮くださいと繰り返し言っていたんだよね。

観客が主催者側に日本語で言っても、主催者側にはゲストに遠慮してノーの答えしか持っていなさそう、
ならば、直接監督とプロデューサーに直接写真を撮っていいかと中国語で言うしかない、
そういう中で、もう一人の書き手が声を上げて、監督とプロデューサーに写真を撮ってもいいと言ったから、撮れた一枚。

馬志翔監督と魏徳聖プロデューサーが口コミを期待したいんだったら、
主催者は観客がゲストの写真撮影をすることを許さないかもしれないし、観客は主催者に遠慮してゲストの写真を撮らないが、本音としては写真がないと宣伝しにくいと思っているという心理があるから、
日本のイベントのときには、「みんな、僕たちの写真を撮っていいから、どんどんネットに載せて宣伝してね!」と言った方がいいかもしれないと思ったけど、どうだろうね。

以上、何か複雑な書き方の日本語の文章になってしまったので、これが訳出できる台湾人は日本語力が高いと思うけど――
もし、このブログを読んだ人の中に監督やプロデューサーと知り合いの人がいたら、ぜひこのことを彼らに伝えてみてね。

台湾の新暦年越しイベント その2

既に「台湾の新暦年越しイベント」については書いてきているけれども、具体的なことを幾つか追加するね。

こういう年越しイベントのことを「跨年晚會」(kua4nian2wan3hui4)とか言っている。
1990年代ぐらいから始まった動きで、カウントダウンパーティーとか翻訳されている。

台湾の年越しといえば、日本では台北101の花火が有名だけれども、
台北101で花火が始まったのは、2004年12月31日からだよ。
建物の形状が銭箱を8つ積んだ形だから、その形状を利用して花火が仕掛けられるみたい。

年越しイベント自体は台湾全国の各都市で行われているよ。
年越しイベントは屋外ステージで行われ、主な内容は、芸能人のコンサート、政治家の挨拶、花火かな。
夕方か夜から始まって、新年を迎える夜中の12時の花火で大体イベント終了になる。
花火自体は夜中の12時に一斉にというわけではなくて、12時前から始まっている。
都市によっては複数の会場でイベント行われ、それぞれが花火を打ち上げるので、
見渡しのいい場所、ビルの屋上とかからは、広がりのある花火を見られることになる。

この年越しイベントは会場まで見に行く人が恐ろしく多いので、さまざまな交通規制が敷かれる。
我々観光客でも、地下鉄駅に張られている情報は見るよね。
古いんだけど、使い道がないので、画像を紹介するね。
  
貼り紙の内容は、人の流れの提案、臨時バスの運行情報。
バスが出ているといっても、日本のような秩序を整える何かがあるのかは謎で、乗れるかどうかはわからないので、
実際には、激混みの場所から相当離れた駅、宿まで自力で歩いて帰ることになるだろうと思う。

もちろん、会場の様子はテレビやネットで中継されるから、わざわざ現地に行かずともチェックできるよ。
テレビやネットのいいところは、アーティストの楽曲をちゃんと聞けることと、
12時を迎えるそのときには、リレー中継や画面分割などで、各地の花火がまとめて見られることかな。
ちなみに、テレビ中継されている会場は大体地名が入っているから場所は見当がつくけど、
地名が入らない会場の所在地、例えば、義大世界は高雄、中興大學は台中だよ。

日本人的新年活動

日本人過年,是過陽曆新年。現在日本只有一部分離島有過陰曆新年的習慣,其他大部分的日本民眾幾乎對陰曆完全沒有概念。

由於日本人是過陽曆新年,所以日本的除夕是12月31日。日本人把這一天叫「大晦日」。新年的1月1日則叫「元旦」。

大晦日和元旦的時間分界點是晚上12點。晚上12點之前是大晦日,12點(零時)整點開始是元旦。

由於大部分的日本人只過陽曆新年,所以這一天晚上意義重大,很多地方都有舉行特別的慶祝活動。其實現在台灣每年12月31日跨年倒數晚會就是1990年代後半模倣日本的迎新年的晚會活動。

◆◆◆

對日本民眾而言,新年是一切重新開始的象徵,所以新年之後的行動或經驗的都特別有意義。

舉例來說,日本人把新年的第一場夢叫作「初夢」。古時候的日本人認為「初夢」會影響今後一整年的運勢,所以會想辦法營造出做好夢的環境。例如在枕頭下墊一張「貘」的畫。如果做好夢的話,夢就會保留下來,如果做惡夢的話,貘會把夢吃掉。

到了室町時代,有些人在枕頭下墊一張【寶船】的畫,這樣可以做富貴夢。結果後人就把寶船和七福神聯想在一起,就變成新年拜七福神的習俗。

江戶時代日本有句諺語叫「一富士二鷹三茄子」。這句諺語就是新年時期第一場好夢的排行。夢到富士山最吉利,其次則是老鷹,再來則是茄子。富士山又高又大,非常雄偉。老鷹抓東西又快又準。日語「茄子」(なす)的音和「成す」(なす,功成名就)的音相同。所以古代的日本人認為過年時夢到這些東西會帶來好運。

日本民眾在新年期間還會到神社或佛寺「初詣」。「初詣」是新年時期第一次到神社或佛寺拜拜許願的活動。新年新希望,帶著新的感覺到神社或佛寺許願,祈求新的一年能平安健康、事事順利,當然非常有意義。

不過日本民眾的初詣活動並不是傳統文化,而是近代的產物。本來古時候的日本人在過年期間是關在家裡不出門的。因為家本身就是神聖的地方。有些地方的習俗則是從「大晦日」的傍晚就到自己家的宗族神社來迎新年。宗族神社就是村子裡的神社,所以村子的人都會聚在神社裡迎新年。大家一直到天亮後才回家。

由於以前跨年的晚上大家都在準備迎新年,所以「初夢」是發生在1月1日和1月2日之間的晚上。

以前的日本民眾多半是在陰歷1月的第一個「寅日」或2月的第一個「午日」才到神社或佛寺拜拜。至於現在日本的「初詣」是近代交通發達之後出現的新文化,也可以解讀成鐵路公司或郊外的神社佛寺的行銷產物。

由於傳統的日本迎新年活動是從大晦日傍晚開始,所以現在日本的有名的神社及佛寺是從晚上(1月1日零時)開始接受初詣。很多民眾真的在12月31日的晚上就到有名的神社或佛寺門口排隊準備拜拜許願。日本的主要鐵路公司也會在12月31日到1月1日之間的深夜時段加開臨時列車服務民眾。


京成電鐵2014~2015跨年列車特別時刻表。對鐵路公司而言,自己的鐵路沿線如果有知名的神社或佛寺的話,新年時期就會有很多民眾來搭車。京成電鐵沿線有兩個非常有名的初詣佛寺:柴又帝釋天、成田山新勝寺。由於初詣是從深夜零時開始,所以鐵路公司會設法讓民眾在深夜時段能搭電車回家。從照片中的班表可以得知,鐵路公司每個小時至少會發一次車。

日本最有名的初詣的地點是東京的明治神宮。明治神宮從1980年代開始,就一直是初詣人數最多的神社。


2015年明治神宮的初詣民眾。

明治神宮是1920年設立,主祭神是明治天皇和昭憲皇太后夫婦,是近代才出現的神社。

江戶時代的日本天皇只是在京都御所從事文化儀式工作最高代表而已。江戶時代結束時,日本政府把十幾歲的明治天皇拱出來當成國家威權體制的象徵,來強化國家的支配力。當然,十幾歲的人不可能掌握實權,所以天皇實質上依然是象徵職位。只是【表面上看起來】很有權威而已。

明治天皇夫婦過世之後,日本政府就設立了明治神宮,讓民眾去拜明治天皇夫婦,這樣可以強化國民對國家體制的忠誠。

不過要注意的是,明治神宮成立當初並不是宗教設施。當時日本國家神道的本質是國家認同,而非宗教信仰。所以佛教徒去明治神宮參拜不會發生信仰矛盾,基督教徒去明治神宮參拜也不會發生信仰矛盾。

明治神宮是戰後日本國家神道解體後,才變成宗教法人。在1980年代之後,變成日本最多人初詣的聖地。

日本民眾在新年期間到明治神宮拜拜許願,並不是把明治天皇夫婦當神。大家拜拜許願是為了自己,而不是為了明治天皇夫婦。明治神宮賣的御守種類很多,包括心身健康、結緣、學業、交通安全、旅行安全、開運等。這些願望和明治天皇夫婦完全沒有任何關係。

那麼為什麼日本人要到明治神宮初詣呢?

因為明治神宮很有名,而且交通非常方便,而且神社的森林內給人非常神聖的氣氛。如此而已。

恐怕有不少初詣民眾根本不知道明治神宮的主祭神是明治天皇和昭憲皇太后夫婦。所以現代的日本民眾初詣,並不是為了拜神,而是想要到一個可以許願的神聖環境中祈求自己今後一年能過得順利,順便在附近逛逛街散散步。


2015年明治神宮的初詣民眾。明治神宮的初詣民眾非常多,而且有兩個入口。警視廳為了安全,特別派警察控管入場人數,所以入場非常順利。


明治神宮初詣的賽錢廣場。由於初詣民眾太多,普通的賽錢箱無法消化參拜民眾,所以明治神宮把廣場設成賽錢區域。每年1月1日~1月3日,總共大約有300多萬人會來這裡參拜。不過300多萬人初詣時拋出的錢恐怕只是明治神宮總資產的一小部分而已。

除了到神社或是佛寺初詣以外,日本的民眾也會在新年期間出門購物。日本的百貨公司、量販店,或是一些做生意比較熱心的商家會在新年期間把商品包裝成福袋來販賣。對於會選福袋的人而言,可以挖到不少寶物。因為真的可以挖到寶,所以有不少日本民眾願意花錢買福袋。

除了初詣和購物以外,有些日本民眾會在新年期間待在家裡頭看電視。每年1月1日,TBS會轉播社會人的實業團驛傳。1月2日和3日,日本電視台會轉播大學生的箱根驛傳。這兩個新年期間的長跑接力比賽在日本已經轉播了幾十年,歷史比其他的新年綜藝節目久。很多日本民眾從小就和家裡面的人一起收看驛傳轉播,所以就算平常不運動的人,在新年期間也可能習慣性地收看驛傳轉播節目。