日本的電車票(1)

在台灣,常搭台鐵或是高鐵的人可能會買「回數票」。開車的人可能會買高速公路收費站或加油站的「回數票」。以前都會鐵路交通不發達的時代,常搭乘台汽客運也可能會買「回數票」。「回數票」是許多台灣民眾交通生活中常用的票券。
(※追記:台灣從2014年開始,廢止高速公路的回數票系統)

在日本,也有類似台灣的「回數票」的票券系統。這種票券叫【回數券】。日本的回數券種類很多,電車的票券系統中當然也有【回數券】。

由於日本的鐵路公司很多,所以車票種類也很多。而且每家公司的回數券系統設計也都不太一樣。大多數的鐵路公司是把回數券區分成:
回數券
時差券
土休券

以東京地下鐵為例,東京地下鐵在2010年現在最便宜的單程票是160日元。10張票就是160×10=1600日元。東京地下鐵的最便宜的回數券是以1600日元為一個單位來販賣。

在東京地下鐵,1600日元可以買到下列任何一種車票:
10張最短距離單程車票
11張回數券
12張時差券
14張土休券

最短距離的單程車票最貴,而且只限當天使用。回數券、時差券、土休券則有三個月的使用期限。這樣看來,普通的單程車票似乎沒什麼優點,不過購買回數券時一次要付十張單程票的錢,對於一個月只搭一兩次電車的人而言,單程票會比較划算。

回數券、時差券、土休券的差異在於:
土休券只能在假日使用 (「土」是星期六,「休」是假日)
時差券只能在平日的10:00~16:00,或是假日使用
回數券可以在任何時間使用


東京地下鐵的回數券。照片中的三種車票分別是土休券、時差券、回數券。雖然土休券和時差券名稱不是「回數券」,但是票券性質和回數券相同,算是變則的回數券。一般在車站買普通的單程票時,車票上會印車站名稱。至於回數券型的車票則沒有印車站名稱,這些車票可以在東京地下鐵的任何一個車站使用,搭乘距離比照160日元的單程票。如果超出160日元的搭乘距離的話,則要補上距離差價。


東京地下鐵的回數券。當持回數券通過驗票閘門之後,驗票閘門會在車票上打洞、印上日期及站名,並在車票內留下磁性記錄。


JR東日本的回數券的正面及背面(車票背面的黑色部分是磁性記錄的保護膜)。在東京,大部分的鐵路公司都有提供回數券、時差券、土休券等優待票,有些鐵路公司完全不限定使用區間,有些鐵路公司則只發行固定區間的回數券。JR東日本就只有提供11張式的的回數券,而且必須指定好搭乘區間,自由度比較低。不過由於東京地區的JR基本票價比地下鐵便宜,因此其實也還好。

◆◆◆

回數票為什麼叫「回數」票呢?

其實台灣的「回數票」這個名稱就是源自日本的【回數券】。「回數」的意思就是「次數」。就現代華語的語感來看,「回數」這個詞似乎沒有什麼不自然的地方。其實日常會話中用「回」來表示「次數」的機會並不多,大部分的華人恐怕比較喜歡講「次數」。也就是說,華文的「回數」就只是「看起來、聽起來」沒有什麼問題而已,實際上口語並不常用。不過在日語的世界中,「回數」是非常平易的口語。

日本的鐵路公司在100多年前已經有提供「回數券」,當時的名稱叫作「回數乘車券」。當時的鐵路公司除了「回數乘車券」以外,還有「定期乘車券」(定期券/月票)。

定期券是讓持票者可以在一定期間內搭車,而回數券則是讓持票者在一定回數內搭車。100多年前日本的電車回數券有二十張或是六十張的回數券,這些車票都是一本一本的,每個車票本上都寫有張數,這些張數就是可以搭車的回數。買二十張回數券的人的搭車回數就是二十回,買六十張回數券的人的搭車回數就是六十回,回數券的「回數」的意思就是這樣。而100年前的華人社會雖然也有鐵路,但是管理鐵路的多不是華人,當然沒有機會發展出「回數票」這種詞。

「回數券」和「定期券」都是在100年前就已經有的詞彙,而台灣的台鐵和高鐵的「回數票」和「定期票」則是借用了這兩個和製漢語的概念。

コンテンツ記事数が1300

このブログ「梅と桜 ―日本台湾年軽人的事情―」は2005年3月26日から始めたんだけど、
2010年6月18日の「台湾のイスラム食堂に行ってみた」で、コンテンツ記事数が1300になったんだって。

前回、1200回のときは、実質的な記事数が1000回(「1000回書きました」「實質的1000篇文章」)というのがあって、1200回は書かなかったし、
あれから、週1回ずつ書くスタイルになったから、こういう文章を書くのも久しぶりだ。

今よく思っていることは、やっぱり最初にトピックをつくり出すことって、難しいということ。
ただ、我々がつくり出した後に、何かミスを探したり、必要以上の補足をすることが、多過ぎるなと感じてます。
こちらが求めたいことって、多分そういうことじゃないんだよね。

実は、ここのブログで書き手同士が台湾や日本のことを紹介しあっている中に読者が入り込めば、本当にいい空間ができると思っているんだけど、
今は、どうすればよりよくコミュニケーションができるんだろうかというところを悩んでいたりしている。

我々がつくった文章を見て、あれこれコメントしたり評論したりしたりする人はいることは、
ある意味、我々のつくった文章に関心に値する価値があったということかなと思う。
もし、我々の書く文章が多少なりとも興味を持ってもらえるなら、
少なくとも、書き手が近くにいる場所ではもうちょっと気を使ってほしいなと思っているよ。

今後も「梅と桜 ―日本台湾年軽人的事情―」は作者のオリジナリティーを生かした文章をつくっていくと思いますので、
気に入ってくれたら、引き続きおつき合いくださいね。

台湾のイスラム食堂に行ってみた

前回が「台湾の素食レストランに行ってみた その1」なので似たような話で申しわけないんだけど――
写真の賞味期限が切れないうちに、載せておくことにするよ。

行った場所は、清真黄牛肉麺館(台北市延平南路23號)だよ。
ガイドブックとかにも載っている店らしいし、何やらブログでの紹介も多いので、日本人にもそこそこ知名度があるのかな。
観光客にとって行きやすい立地にあるから、チャンスがあったら行ってみてね。

  
――ということで、このブログとしては、余りほかの人が書いていないことを触れないといけないのかなと思うんだよね……

店名にあるとおりなんだけど、
清真(qing1zhen1)とは、イスラムのことだよ。
イスラム教徒は回教徒(hui2jiao4tu2)と言うよ。
イスラム教のことは、日本でもおなじみの回教(hui2jiao4)という言い方のほか、清真教(qing1zhen1jiao4)という言い方もある。

黄牛というのは、台湾の牛の品種だと思ってね。
「黄牛」(huang2niu2)とはダフ屋とか詐欺師とか、悪質な仲介者という意味もあるけど、
もちろん、ここではそれが言いたいわけじゃないよ。

このお店は、つまり、ハラールフードが食べられるということだね。
イスラム教徒と一緒に台湾旅行をするときには、途方に暮れず、ここに行くといいかもね。
このイスラム食堂のメニューは、店名のとおり牛肉麺とギョウザのたぐいだけど、
その手の中華料理を安心してイスラム教徒に紹介できるという意味では、大変貴重なお店でもあると思う。

  
料理自体は、こんな感じで、讃岐うどんやきしめんのような麺に味のついた牛肉が載っている感じ。
清燉(qing1dun4)というあっさり味のものを注文すると、かなり薄味のものが出てくる。
店内の調味料で味を濃くして食べてね。


店内に、こんなふうなアラビア語もあって、中華世界の中にイスラムを見つけるのは何とも不思議な気持ちになるのは、偏見か?

ハラルフードという意味では、もしかしたら、素食レストランもハラールと言えるか?――とも思うんだよね。
素食レストランは仏教の教えに基づいていて、
仏教徒の中でもアルコールを飲まないという教えもあるわけで、
肉なし、アルコールなし、海産物もないので貝もなしということだよね。
詳しくはお店の人に聞いてみてね。

イスラム食堂自体はそれほどメジャーなものではないけれども、このお店以外にも存在する。
ちなみに、この清真黄牛肉麺館(台北市延平南路23號)のお店の隣には、
張家清真黄牛肉麺(台北市延平南路21號)というお店があるんだけど、
実は、この2つのお店はもともとは一つのお店だったんだって。

日本的味噌

味噌是日本料理非常有代表性的食材。一講到味噌,很多人會直接聯想到日本。

很多台灣人在日本料理店或是日系餐廳喝過味噌湯,也有不少台灣人吃日式拉麵時會點味噌拉麵。甚至有不少台灣的超市或是量販店都可以直接買到從日本進口的味噌醬。

味噌是用發酵過的大豆製成的「醬」。

這種發酵手法的製醬技術是源自朝鮮半島和中原地區。中原和朝鮮半島的發酵製醬技術傳到日本之後,「醬」就變成日本食文化中的重要調味料。在七世紀、八世紀左右,日本宮内省大膳職之下設有「醬院」。醬院的工作是製作各種「醬」。現在的日本味噌可能就是源自醬院製作的「味醬」。

現代日本的味噌大致上可以分為豆味噌、米味噌、麥味噌等。其實米味噌和麥味噌的原料中也有大豆,所以大豆是味噌的主要原料。

豆味噌的製法是先把大豆蒸過,再加入麴菌和打碎的麥子來製成麴,然後加入鹽和水,發酵熟成後就是味噌。

米味噌和麥味噌的製法是先把蒸過的米和麥製成麴,然後再加入鹽、水、發酵用的菌種,以及蒸過的大豆,然後發酵熟成。

在農業社會時代,很多日本家庭都會自己製作味噌。每個家庭用的材料配方比例可能都不一樣,每個家庭在種麴、發酵熟成的掌控也不一樣,所以各家各戶的味噌口味都不一樣。日本有些地方把味噌當成象徵家族命脈的食物。有些日本人認為,如果某個家族製作的味噌腐敗的話,這個家族可能會發生不幸。

由於時代變化的關係,現代的日本家庭不用自製味噌。日本坊間的超市、便利商店、食品雜貨店都可以輕易買到各種口味的味噌。

日本家庭買味噌的目的是為了做味噌湯。在日本人的感覺中,傳統的日本早餐當一定有一碗味噌湯。

在台灣人的感覺裡,傳統的早餐可能是燒餅、油條和豆漿,再不然就是稀飯和一些小菜,午餐和晚餐才會有白飯。不過在日本人的感覺中,傳統的日本早餐是白飯、納豆、味噌湯,以及一些小菜。稀飯是給病人吃的東西,至於燒餅、油條和豆漿則是華人世界才有的食文化。

有些曾經到日本旅遊過的台灣人可能會覺得奇怪:味噌湯應該不只是早餐而已呀,很多飲食店在中午或是晚上都有味噌湯,不是嗎?

的確,許多日本飲食店在中午或是晚上都會供應味噌湯,不過這只代表日本人在早餐之外也喝得到味噌湯,並不代表日本人餐餐都喝味噌湯。

一般日本人對味噌湯的印象就是傳統日本早餐之一。

◆◆◆

在日本,還有一種和味噌非常相似的「もろみ」。「もろみ」如果寫成漢字的話,可以寫成「諸味」。

日本的「諸味」就相當於華人世界的「醬油醪」。其實日文的「もろみ」也可以寫作「醪」,只是「醪」這個字太難,所以日本人多半用「諸味」這個詞。

「諸味」是醬油製作過程的中間形態。簡單地說,醬油就是壓榨諸味分離出來的液體。

由於一般醬油的製造方式和豆味噌差不多,所以諸味的成分和豆味噌非常類似。

兩者最明顯的差異就是味噌的水分較少,諸味的水分較多。用一種簡單的譬喻來解釋的話,味噌就像是花生醬,諸味比較像果醬。雖然諸味的水分可能可果醬相當,但是並沒有果那種粘度。由於兩者的含水量不同,所以也會影響到兩者內部的微生物相。


「諸味」的自動販賣機。這張照片攝於日本兵庫縣龍野市的路邊。販賣機中的黑色瓶裝物是醬油,而四方盒狀的則是「諸味」。


諸味。前一張照片中自動販賣機賣的「諸味」的包裝盒打開後,就是這個樣子。


諸味。諸味的水分比味噌多,味道和醬油差不多,有點類似華人世界的豆豉醬或是豆瓣醬。有些業者會在諸味當中加糖,加了糖的諸味的口感有點像是甜麵醬。


味噌。味噌的水分比諸味少,呈膏狀。一般日本家庭的味噌湯多半是在水中加入柴魚或是昆布熬煮,然後加入裙帶菜、豆腐等食材,再加入適量的味噌。由於味噌是高鹽分的食物,所以可以保存得相當久。但是近年來大眾的健康意識抬頭,開始流行減鹽的食生活,所以日本市販味噌的鹽分也減少,開封後要放在冰箱冷藏才不容易腐敗。

日語中的「味噌」,除了代表上面談到的日本調味料外,也可以用來指一些膏狀物,或是醬類食品。例如日本人把螃蟹的蟹黃叫作「カニ味噌」,把華人世界的辣椒醬叫作「辛味噌」。由於諸味也是醬類食品,從廣義的觀點來看,諸味也可以算是一種味噌。

台湾の素食レストランに行ってみた その1

素食については「台湾人とベジタリアン」でも書いたんだけど――
しばらく書き忘れていたんだよね。
写真の期限が切れないうちに、素食レストランに行ってみた写真を載せてみるよ。

行った場所は、三來素食館(台北市中正區武昌街一段23號)だよ。
素食店にも、日本の自然派素材を使ったビュッフェのお店と似たような感じの店もあるんだけど、
このお店は素食を取り扱う伝統的な店構えのお店の一つだよ。
恐らく観光客にとって相当行きやすい立地にある素食店だから、チャンスがあったら行ってみてね。

この店は、台湾ではよくありがちなはかり売りのお店で、
紙の容器に食べたいものを盛って、レジのところのあるはかりに載せて、
重さに応じてお金を払うことになる。

 
夜8時の閉店前に行ったので、料理はぽんぽん袋に入れられ、外に売りに出され始めていた……

恐らくウィキペディアのあると思われる写真も、この店で撮ったものだろうと思う。
このブログで載せているものよりも美しく写っているので、詳しくはそちらを見てね。
店舗が狭いのに、これでもかって感じで大量の素食が並んでいるのが印象的だよ。

盛っていくと多分気づくことなんだけど、何かずっしり重みを感じて、これらの食べ物に妙に密度があるものが多いことに気づく。
口にしてわかるけど、米をベースでつくられているものが多かったり、ナッツがふんだんに使われているものがあったりするので、
見た目に比べて物すごく腹にたまるし、カロリーが高そうなものもある。
特に、我々が別腹だと思っているデザート類は、見た目はふんわりに見えても実はモチのような感じのもあるから要注意だよ。
初めて食べるときは、満腹の度合い&どれがカロリーが高そうかわからないため、あれもこれもとせず控え目にとりたい。

菜食というと、サラダとか野菜をゆでたりすることしか思いつかなければ、
こういうところに行くと、その幅の広さに相当驚くと思うよ。

中国語だけど「日本與素食文化」「素食的日文」も見られたら見てね。

日本的飲酒文化與交通問題

有些台灣人對日本人的印象之一就是「喜歡喝酒」。在日本人的觀念裡,喝酒是吃飯的一部分。這種感覺就像是武俠小說或古裝劇的人物到了客棧時,除了點菜以外,也會叫酒。日本人對自己國家的上班族的印象也是下班之後和同事到居酒屋喝酒用餐。

由於酒是日本人的飲食文化的一部分,所以在日本的電車裡看到酒醉的人是也見怪不怪。由於日本的酒醉上班族多半不會鬧事,所以在大眾運輸公具中也不會出什麼問題。

不過並不是所有的日本人都搭電車。日本的東京和大阪以外的地方大多是汽車社會。由於日本人常常喝酒,所以難免會發生酒後駕車問題。

以1990年代為例:
日本每年有兩萬件以上酒後駕車造成的事故
每年有一千名以上的駕駛人死於酒後開車
平均每天約有59件酒後駕車造成的事故
平均每天約有3.7名駕駛因為酒後駕車而死亡

在這個年代,翻開日本報紙,經常可以看到酒後駕車肇事的相關新聞。

有些台灣人可能認為日本的駕駛人素質佳,但是為什麼還是會有那麼多人酒後駕車呢?

日本的駕駛素質確實不差,大部分的駕駛都懂得彼此禮讓、遵守交通秩序。不過平時懂得彼此禮讓、遵守交通秩序的駕駛人,恐怕不會相信自己喝了一點酒之後,禮讓或是守秩序的精神就會消失。所以有不少駕駛人並不以為意。結果2001年,日本的酒後駕車事故件數攀升到24500件。

由於酒後駕車的事故嚴重影響社會安全,所以日本政府就開始想辦法來減少酒後駕駛。

日本的酒後駕車事故件數及駕駛人死亡件數統計:

統計表中,2001年~2002年,日本酒後駕車肇事量突然減少,是因為日本政府於2001年在刑法中新立了【危險運轉致死傷罪】。這樣子,司法程序中如果把酒後駕車認定成故意而非過失,就可以重懲酒後駕車的人。大約在同一時期,日本的地方自治體也開始各自訂立公務員酒後駕車的罰則,嚴重時可能直接開除公務員。也有些自治體用連坐方式懲處和酒醉駕駛共乘的公務員。由於嚴懲公務員酒駕變成社會風潮,所以日本民間也開始注意酒駕問題。

到了2002年,日本的道路交通法改正:
酒後駕車(未醉)的罰則上限從「三個月有期徒刑或五萬日元罰金」提升到「一年有期徒刑或三十萬日元罰金」
酒醉駕車的罰則上限從「兩年有期徒刑或十萬日元罰金」提升到「三年有期徒刑或五十萬日元罰金」

另外,日本警察也開始以刑法的「幫助犯」的觀點,逮捕供應酒類的人、提供車輛的人,以及同車乘客,結果日本酒後駕車的情形就大量減少。

◆◆◆

在台灣,酒後駕車時,如果呼吸中的酒精濃度未達0.25mg/l,基本上是沒事。如果呼吸中的酒精濃度超過0.25mg/l,只要未肇事,也只有行政罰而已,完全不會留下前科。

在日本,只要酒後開車(呼吸中的酒精濃度超過0.15mg/l),就算沒有酒醉,沒有肇事,還是有可能受到刑事罰(坐牢)。
原則上,日本執法機關的處理原則是用高額罰金重罰初犯,如果再犯的話,才處有期徒刑。就算沒有酒醉,沒有肇事,只要是再犯,就可能被處有期徒刑。如果被處有期徒刑,就會成為各地方自治體列管的前科犯。代價非常大。

到了2009年,日本再度修改道路交通法,酒後駕車 (呼吸中的酒精濃度>0.15mg/l) 以及酒醉駕車的罰則變得更嚴,另外還明定車輛提供者、酒類供應者、同車乘客的罰則:

<酒後開車的刑事罰則>
酒後開車的人:三年有期徒刑或五十萬日元
提供車輛的人:三年有期徒刑或五十萬日元
提供酒類的人:二年有期徒刑或三十萬日元
同車乘客:二年有期徒刑或三十萬日元

<酒醉開車的刑事罰則>
酒醉開車的人:五年有期徒刑或一百萬日元
提供車輛的人:五年有期徒刑或一百萬日元
提供酒類的人:三年有期徒刑或五十萬日元
同車乘客:三年有期徒刑或五十萬日元

拒絕酒精檢測的人:刑事罰提升到三年有期徒刑或五十萬日元

除了刑事罰以外,還有行政罰(吊扣或是吊銷駕照)。

有些台灣人可能會認為,如果吊銷駕照的話,可能會增加無照駕駛的問題。這是因為台灣無照駕駛的罰則僅止於行政罰。在日本,無照駕駛的行為也可能受到刑事罰,留下前科。所以一般不想留前科的日本人是不會冒險做這種事。

在上面列出的罰則當中,提供車輛的人,除了車主以外,也包含要求喝了酒的人去開車的人。提供酒類的人不只是賣酒的商店或是飲食店,勸酒的人也一樣算是酒類供應者。簡單地說,如果讓喝酒的人開車,或是讓開車的人喝酒,就算開車的人沒有肇事,縱容酒後開車的人都可能要坐牢,留下前科。就算不用坐牢,科處的罰金也相當重。以百萬日元為例的話,剛出社會的日本的大學畢業生的一年的薪水中,扣除稅金、房租後,大概要整年不吃不喝才付得出這筆錢。

有人可能會問:如果在不知情的狀況下搭了喝了酒的人開的車,不是很冤枉嗎?

其實這完全不是問題。如果同車乘客不知情的話,完全不會受罰。同車乘客只有在【知情】而且【主動要求喝酒的人開車載送】時,才會受罰。警察可以用偵訊技巧來確定同車乘客是否【知情】、是否【主動要求喝酒的人開車載送】,所以完全不是問題。

日本立法嚴辦的結果,2009年日本的酒醉駕車造成的駕駛死亡件數減到了292件。
(參考:2009年台灣的酒駕致死的事件數為543件,不過由於台灣及日本的統計方法不同,這543件的死者未必是駕駛人本人)

以前日本人酒後駕車的原因,大多職場的應酬。不過有些日本人是因為要買酒當禮品,所以會在店裡品嘗酒的風味。當然,這不見得是買主想品嘗,也可能是店家希望買主能確認一下酒的品質。在這種清況下,就可能發生酒後駕車。日本開始嚴罰駕後駕車後,這種情形就不太可能發生了。

另外,以前日本人在旅遊時,如果到了郊區的酒廠參觀,也難免會品嘗一下酒廠出產的酒。這種感覺就像是到醬油工廠參觀時有機會品嘗醬油、到牧場參觀時可能有機會喝到牛乳,到養樂多工廠參觀時會喝養樂多。不過日本開始嚴罰駕後駕車後,郊區的酒廠也不能讓開車來訪的遊客品嘗酒類了。結果酒廠就開始供應果汁或其他無酒精飲料來招待開車來的參觀者。當然,駕駛人的同伴不開車的話,同伴還是可以品嘗酒廠的酒。只是對駕駛人而言,到酒廠玩卻無法體驗酒廠的產品,多少會有失落感。所以日本人如果要參觀郊區酒廠,又不想犯法的話,就只能搭大眾運輸工具或參加旅行團。

相關文章連結:
日本人與酒

台湾のサツマイモ

あくまでも台湾の数都市で芋を見た印象なんだけど、
ジャガイモみたいに見えるサツマイモが多いように思う。

こういう芋を「番薯」(fan1shu3)というよ。

台湾のサツマイモは、実際のところは品種や産地によって、皮の形や中身の色や形状が違ったりしているよ。
芋の皮がいわゆるサツマイモのような紫のようなものは少なく、
日本のサツマイモに相当する食味があるものは、このジャガイモみたいな感じのものだよ。

これが焼き芋になると、「地瓜」(di4gua1)とも言われたりもする。

この屋台では「地瓜」「花生」「菱角」の3品を販売している。
日本人は、台湾の焼き芋を試したくても、これらの屋台には日本語で芋に相当する単語がないので見つけにくいかもね。

日本のアニメでは、女の子が焼き芋を食べると恥ずかしいという展開があるけど、台湾では別にそういうことはないみたいね。
芋を食べておならが出て恥ずかしいとか、そういう考え方は、どちらかというと日本の漫画の影響で広がった考え方で、台湾ではそういう考えがもともとあったわけではないみたいだ。

ちなみに、屋台の写真にある文字「花生」(hua1sheng1)はピーナッツのことだよ。
中国大陸の中国語ではジャガイモを意味する「土豆」(tu3dou4)は、台湾語ではピーナッツになるよ。
台湾で、ジャガイモは馬鈴薯(ma3ling2shu3)とか洋芋(yang2yu4)というよ。

中国で有名な「土豆網」も、台湾ではピーナッツネットということになるのかな。……

中国語なんだけど、「日本的焼き芋」も見てね。

日本的大學生生活(3)

以前,有台灣人把學業、社團、戀愛譬喻成大學的「三大必修學分」。這三大必修學分反映了以前台灣大學生的主要生活。

台灣人會用「三大必修學分」形容學業 、社團、戀愛,是因為這三件事對以前台灣的大學生意義重大,而且很多學生在上大學之前沒有體驗過這些事情。過去台灣的學生在上大學之前,參加社團的機會不多,認識異性的管道也不多,而且在大學之外沒有其他學習高度知識的途徑。所以這三件事對大學生而言是重要的新體驗。如果沒有好好體驗這三件事,大學生活就會少了很多精彩的部分。「三大必修學分」就是在這個背景下產生。

在日本人眼中,日本大學生的日常不外乎是學業、社團、打工。一般日本的大學生的聊天話題多半也圍繞著這三件事。不過日本人並沒有把這三件事譬喻成「三大必修學分」。

日本人沒有把學業、社團、打工當成「必修學分」,是因為這三件事當中只有「學業」是大學的特色而已。社團活動不是新體驗,打工則是為了謀生,而且多半是在大學外進行。

日本人覺得大學社團活動不是新體驗,是因為日本的中學和高校都有社團,而且大部分的學生都參加過社團,而且很多人是被學校強迫參加社團。

相較之下,以前台灣有不少老師和父母有學業至上的觀念,覺得參加社團會減弱小孩的學業競爭力、影響到小孩的前途,所以會想辦法不讓小孩參加社團。結果台灣很多學生是上了大學後才得到參加社團的自由。對這些學生而言,大學社團是非常特別的新體驗。意義當然重大。

對日本學生而言,社團是見慣了的學生生活樣式。日本學生上了大學後得到的反而是不參加社團的自由。雖然他們可以不參加社團,不過很多學生並不討厭社團,所以還是會繼續參加社團。只是對學生而言,在參加社團不是新體驗,也不是大學生的特權。

很多日本學生會在課外時間打工,是因為一般日本家庭的收入負擔不起子女的大學的費用。日本的教育預算的GDP比重排在世界先進國的末端,而且這個國家不打算用稅金支援國民接受高等教育,所以高等教育的費用負擔就落在民眾自己身上。在日本,公教人員或大企業的上班族在支付子女的大學費用時還是會相當痛。如果有兩三個小孩要上大學,家庭的負擔會更重。如果小孩讀私立大學的話,對醫生或律師的家庭而言也是一大重擔。所以現實中很多日本學生必須打工來減輕家裡的經濟負擔。

在台灣,也有不少學生為了減輕家裡的經濟負擔而打工。不過台灣社會往往只關心「錢」的問題,並沒有注意到打工得到的社會知識。甚至有些人可能覺得打工沒有出息。

在日本,學生打工除了可以籌學費,也可以得到學校學不到的社會技能。例如在營運比較成熟的連鎖店或餐飲店打工的話,可以學到敬語、待客技巧等。

很多到日本旅遊過的台灣人對日本的深刻印象之一就是各個店家服務親切,就連便利商店的店員也不例外。日本人的服務能力當然不是天生的,而是拼命努力練習的成果。現實中,很多日本人從小接受嚴格的管理型教育,所以行為舉止比較拘謹內向。因為拘謹內向,所以比較不敢自我表達,也不太懂怎麼和別人相處。我自己就曾經看過有日本大學生上台報告時,緊張得講不出話,然後在講台上哭了出來。日本學生課外打工,就是練習表達、練習和陌生的他人對應的好機會。制度健全的連鎖店或餐飲店會用系統化的教材來教學生待客方式。至於自主性較強的小規模企業,也會準備一些簡單的資料教打工學生基本待客應對技巧。這些技巧,不只是打工時可以派上用場,將來學生畢業後,做其他工作時,也一樣可以用得到。所以有打工經驗的學生,將來在找正式工作時會比較有利。

由於社團活動不是新體驗,打工則是為了謀生,所以日本的大學生生活中只有學校的課業算是特別的新體驗。由於大學課業本來就是大學生的分內工作,所以用「必修學分」來單獨形容課業,會變得非常奇怪。所以日本人並沒有大學的「△大必修學分」這樣的觀念。

那麼戀愛對日本大學生有沒有什麼特別的意義呢?

在日本,戀愛和大學沒什麼特別的關聯。

以前台灣人把戀愛列為大學必修學分之一,是因為以前台灣的教育對兩性關係的態度非常保守,把學生戀愛當成禁忌。男女學生從小學畢業後就被隔離。大部分的學生是上了大學之後才脫離了男女隔離的世界。由於這些學生在大學之前沒有太多機會認識異性,所以大學中的戀愛對學生而言意義當然比較特別。

日本的中等教育雖然也有純男校和純女校,大學也有女子大學,不過這些學校不是日本學生的唯一選擇。大部分的日本人在學生階段並沒有和異性隔離,而且日本的中學和高校的老師原則上不干涉學生戀愛,所以日本學生要談戀愛未必要等到上大學,日本人當然也不覺得戀愛和大學有關。

日本的學生雖然會談戀愛,不過日本的大學比較看不到「班對」。這是因為日本學生多半把戀愛視為個人的隱私,在公眾面前舉止會比較收歛。所以比較不容易被他人發覺。另外,日本很多大學的「班」制度並不明顯。「班」的集團的意義甚至不如社團,這樣的環境也不容易出現「班對」。

在二十一世紀的現在,資訊越來越發達,娛樂樣式也比以前多,所以學校社團不再是學生課外活動的唯一的選擇。現在的台灣中等教育多半不再隔離男女學生,所以台灣的學生不用等到上大學才談戀愛。所以大學的「三大必修學分」在台灣也已經是過去式了。