台湾コンタクト事情

台湾では、コンタクトレンズは普通に眼鏡屋さんの店頭に並んで売っているよ。
台湾では検査なしでコンタクトレンズが買えるので、あらかじめコンタクトのレンズの強さなどがわかっていれば、その数字を見ながら購入できるということだ。

台湾ではコンタクトレンズを装用する際に眼科に行く必要はないよ。
日本であれば、眼科に行って検査を受けてからも、1日後来てください、10日後来てください、1カ月後来てくださいなどと通院を求められるけど、
台湾では、直接眼鏡屋さんに行ってコンタクトが欲しい旨言えば、そこでつくってもらえて、つけ方も教えてもらえる。
コンタクトレンズ購入に事実上保険証が必要な日本では余り想像ができないと思うけど、台湾では小さい子でもお金があればコンタクトを親に隠れて購入することも可能だよ。

ちなみに気になるお値段は、通常の販売店で購入している人にとっては台湾のコンタクトレンズは安い買い物と思うかもしれないけど、日本の格安コンタクトレンズ通販サイトなどにあるものとさほど変わらないと思う。
例えば、きょう現在、ワンデーアキュビューが650元だった。日本では、格安サイトで大体2000円を切るぐらいだよ。

日本的和菓子:南蠻菓子類(2)

講到糖果,有些人可能會聯想到西洋的「CANDY」。

在日本,也有類似西洋的糖果(CANDY)的和菓子:金平糖、有平糖。

其實金平糖和有平糖就是由歐洲傳入日本,所以在口味或外觀上都留有西洋糖果的影子。


金平糖。金平糖的語源是confeito。是室町末期(16世紀)由葡萄牙人引進日本。金平糖是表面上有很多突起(有點像是RX-78的流星鎚)的五顏六色的糖果。製法是把砂糖顆粒倒入鍋中邊加熱邊滾動,再加入糖漿後,才漸漸變成流星鎚的形狀。在十六世紀當時,金平糖是西洋傳來的珍貴點心,1569年4月,葡萄牙人傳教士曾經把金平糖當成禮物獻給織田信長。不過在現代,金平糖已經變成非常廉價的糖果了。照片中的金平糖雖然有各種顏色,不過吃起來其實都是一樣 (像是吃冰糖一樣)。這是因為這些金平糖在製作時只加了色素而沒有加香料。

註:
在日本動畫電影「千と千尋の神隠し」(神隱少女)中,油屋的リン就曾經在釜爺的工作室裡用金平糖餵食搬煤的小精靈(ススワタリ)。


有平糖。有平糖的語源是alfeloa。也是室町末期(16世紀)由葡萄牙人引進日本。有平糖是把砂糖、糖漿加水煮化之後,趁還沒硬化之前做形狀加工製成的糖果。「有平糖」和「金平糖」這兩種糖果的名稱雖然相似,不過「有平糖」的能見度不如「金平糖」。一般日本的超市或雜貨量販店都可以買得到「金平糖」,而且非常便宜。不過如果想要買「有平糖」,則往往要到專業的和菓子店。在價位上,「有平糖」也比「金平糖」貴。從上面兩張照片可以知道「金平糖」是可以用機器大量生產的糖果,而「有平糖」則多半是由手工製成的藝術品級的糖果(當然也存在著一些製程比較簡單的廉價有平糖,不過能見度還是沒有金平糖高)。

註:
金平糖、有平糖,以及之前提到過的ボーロ、カルメ糖等南蠻菓子的名稱均是自來於葡萄牙語,不過由於四百多年前的葡萄牙語和現代葡萄牙語已經非常不同了,再加上當時是資訊不發達的時代,所以上述的語源只是可能的語源而已。

同窓会の言い方

台湾でクラスごとに行われる同窓会は「同學會」という。
「同學」というのは同級生という意味だけど、狭義には同じクラスのクラスメイトという意味が強いみたいだ。
同じ学年であれば「同學」なのかというと、そこまで意味を広いというわけではないようだ。

それから、学校などが運営する卒業生から成る同窓会組織は大きくは「校友會」と言われる。
「同學會」はクラス会の会合のことだけど、「校友會」というのは、組織のことを指している。
また、大学の同じ専攻を卒業した同士は「系友」といって、規模がある大学であれば「系友會」も活発だと思う。

同窓会と一口に言っても、中学、高校、大学などいろいろあると思うけど、台湾でも重立って行われるのは高校とか大学なんだろうと思う。旧交を温めるという趣旨については、日本とそれほど差がないと思うよ。
ちなみに、「同窗会」という言葉は、組織名に使われることがあっても、同窓会に当たる語彙では使わないみたい。

関連して、台湾にはOB、OGという言い方はないよ。そういうときは、「學長」「學姊」と呼ばれる。
これには卒業した学生という意味はなく、単に先輩ということを意味しているわけで、在校生間でも言える言葉だよ。
OB、OG同士での場合も、お互いの卒業年次を確認して、先輩と後輩を言い分ける。
男性であれば「學長」「學弟」、女性であれば「學姊」「學妹」というふうになる。
学校側としてはOB、OGのことは「校友」と言うよ。

各種会合については、「飲み会にならない台湾の同楽会」「セックスの誘い言葉?」も見てね。

日本的和菓子:南蠻菓子類(1)

日本的「南蠻菓子」指的是由「南蠻人」傳入日本的點心。「南蠻人」則指的是葡萄牙人和西班牙人。

由於南蠻菓子是由西洋傳入日本,所以把南蠻菓子歸類為日本的和菓子似乎有點奇怪。不過南蠻菓子大多是16世紀傳入日本,在這幾百年間,「南蠻菓子」在日本發展出了自己的風格,已經和當初西洋點心完全不同,所以這些「南蠻菓子」也可以算是「和菓子」。

日本的南蠻菓子類和菓子中,比較有代表性的就是カステラ(長崎蛋糕)。除了カステラ,還有很多常見點心都算是南蠻菓子類的和菓子:


カルメ糖,又稱作カルメラ、浮石糖、泡糖。語源是caramelo。這種點心是室町末期(16世紀)由葡萄牙人傳入日本。「カルメ糖」是將砂糖煮到發泡再凝固製成。由照片中的顏色看來「カルメ糖」似乎有點像是由花生粉壓成的點心。由於「カルメ糖」成分只有砂糖而已,所以吃「カルメ糖」的感覺有點像是在吃冰糖,只是冰糖比較硬,カルメ糖比較疏鬆(因為裡面有很多小氣泡)。所以對已經習慣各種零食甜點的現代人而言,「カルメ糖」的口味其實略顯單調。而日語的キャラメル(牛奶糖)的語源也是來自於葡萄牙語的caramelo。也就是說,葡萄牙語的caramelo衍生出了兩個不同的日語。


カルメ糖的剖面。由照片中可以看到カルメ糖內部的小氣泡。


ボーロ。語源是bolo。這種點心也是室町末期由葡萄牙人傳入日本。有些台灣人看到照片,會聯想到80年代的「旺仔小饅頭」。其實在80年代之前,台灣很多雜貨店都可以買到這種點心。只是「旺仔小饅頭」的食品公司比別人早一步利用電視廣告宣傳,所以商品才會成名。照片中的ボーロ是日本佐賀的「丸ボーロ」,一般日本人說的「ボーロ」指的就是佐賀的「丸ボーロ」。


另一種「ボーロ」――京都的「蕎麥ボーロ」。「蕎麥ボーロ」是由蕎麥粉製成。算是ボーロ的一種變形版。不論是佐賀的「丸ボーロ」還是京都的「蕎麥ボーロ」,對日本人而言都是常見的點心。

台湾の中国語検定を東京で受験してみた その1

今さら遅い気がするけど――せっかくの得がたい機会があったので、報告をしておくね。
台湾の中国語検定」も見てね。

台湾の中国語検定が日本でも受験できるということに気がついたのは、台湾の大使館機能がある「台北駐日経済文化代表処文化部」のホームページで見つけたからなんだ。
とはいっても、アップデートされたのが2月4日で、締め切りは2月18日。
本当に受験する気があって申込期日を見詰めていなければ、気づかずに見逃しそうだね。
私がこの案内に偶然気がついたのは2月4日段階ではなく、残り1週間を切るころ。とりあえず申し込んでおこうと思って、申し込みをし始めた。
中国語能力は高くないので「初等」を受けることにした。

申し込みは、「申請表をダウンロードして記入し、受験料送金証明のコピーを添えてお送り下さい。」
そして、受験料は「(郵便局にて現金封筒を使用し、現金書留で「台北駐日経済文化代表処文化部」宛にお送り下さい。)」とのことだった。

そこで、受験料は、郵便局に行って現金書留封筒(20円)を買って、お金を入れて封緘捺印、現金書留費用500円を払って郵送。
そして、申請表をダウンロードして、各種事項を記入。それに先ほど郵送した現金書留の受領証のオリジナルを添付して郵送する。
現金書留封筒に申請表まで入れて送った方が楽なわけだけど、二度手間でも言われるとおりにやった。

なお、受験の申請表で、特殊だなと思ったのは、
勉強した中国語が繁体字か簡体字かを聞く欄があること(これを聞く意図が何なのかは、実は当日になるまでわからなかった)、
中国語をいつどこで勉強したのか、どういう中国語の検定試験をいつ受けたか、どういうスコアだったかなどなどまで結構細かく書く欄があること、
写真を貼付するのではなく、身分証明書のコピーを添付する形であることだよ。

そして、受験票は試験前1週間を余裕で切った2月27日水曜日に来た。
しかも、会社員には優しくない配達証明郵便で来たため、受け取れない日が続き、結局、受け取れたのは、試験当日3月1日の前日の金曜日。この日も郵便局との連絡がうまくいかず、結局夜中に直接郵便窓口に行く羽目になった。
ちなみに、HSKの受験票は試験当日の2週間以上前に普通郵便で送られてきた。こちらはストレスがなく受け取れたように思う。

左が台湾の中国語検定「TOP」の受験票が入った封筒。右がHSKの受験票が入った封筒。

さらに、試験間近の2月28日には「中国語能力試験の通知」なるタイトルのメールが届く。
中の文章は、「こんにちは
中国語能力試験の通知です.
       文化部」とあって、タイトル、中の文面とも文字化けになっていた。
(以上、「&#」「;」は半角でしたが、表示されるイメージを示すために、ここではわざと全角にしてあります。)
「エオェ.doc」なる添付ファイルを開くと、「日本地區華語文能力測驗考試通知」とあって、ここまで来てやっと試験についての親切な案内なんだということがわかった。

長くなったので、次回に続く。

日語類義語區別:寝る/眠る

在中文裡,「睡覺」就是睡覺,對中文母語的人而且很理所當然。

在日文裡,相當於中文的「睡覺」的動詞有【寝る】(ねる)和【眠る】(ねむる)兩種。

有些學日文的人會分不清楚這兩個詞的差異。

由於【寝る】和【眠る】的意思相近,而且這兩個詞用的漢字【寢】【眠】,在中文的意思也非常相似,所以有些初學者看到這兩個詞會非常頭痛。

【寝る】和【眠る】到底有什麼不同呢?

簡單地說,【寝る】是廣義的睡覺,【眠る】是狹義的睡覺。

【寝る】可能是真的睡覺,也可能是躺下不動而己,未必在睡覺。
【眠る】指的是意識和反應低下的生理狀態(睡眠狀態)。

舉例來說,有個壞人用迷藥把人迷昏時,被害者倒下時的狀態叫作【寝る】,被害者失去意識的狀態則叫作【眠る】。

這裡舉幾個簡單的例句,看了這些例句後,大概就可以區分【寝る】和【眠る】。

例1
A: 眠ったの?
 (你在睡覺嗎)
B: 眠っていないよ、ちょっと寝ていただけだよ。
 (沒睡啦,只是躺一下而已)

例2
寝たけど眠れなかった。
 (雖然睡了但是睡不著)

上面的例句可以發現【寝る】和【眠る】的意思真的不一樣。因為意思不一樣,所以才會有【寝る】和【眠る】這兩個詞。反而是中文的「睡」的表達方式很不精確。

不過在一般日常的會話中,日語的【寝る】和【眠る】之間還是有模糊地帶。

例如:
彼は寝ている。
彼は眠っている。

這兩個例句的意思其實完全一樣,都是「他在睡覺」。不過如果硬是要抬槓的話,第一句話有可能是指躺著,未必在睡覺,第二句才是真的在睡覺。不過一般日本人用到這些例句時,目的不是為了傳達「躺下」和「睡覺」的細微差異,而是在傳達「這個人既不是在走路、也不是在工作,而是在睡覺」。

換個角度來看,如果我們看到有個人躺在床上不動,我們也可能會用中文說「他在睡覺」。

但是仔細想想,那個人真的是在睡覺嗎?

其實我們沒辦法精確證明那個人真的是在睡覺。

那個人可能只是閉目養神而已,也有可能是已經死在床上。

結果「他在睡覺」這句話的目的不是為了區別睡覺、閉目養神、死亡的細微差異,而是在傳達「這個人並非在跳舞,並非在游泳,而是躺在床上」的訊息。

事實上,要嚴密判定人是裝睡、真睡或是腦死,真的非常不容易。我們用中文的「睡覺」這個詞時,其實只是【我覺得】【我認為】【根據我的經驗】下的恣意判斷而已。並沒有經過精確的實證。

我們的人生當中可能講過很多次類似【他在睡覺】這樣的話。但是大部分的人在講這種話時,並沒有用精密儀器檢測對方的腦波或是其他生理狀態。我們口中所說的「睡覺」其實非常不精確。這就是日常會話的事實。

如果從別的角度來看【寝る】和【眠る】的差異的話,還可以由下面幾個句子來分析:

病気で三日間寝ていたよ。(○)

病気で三日間眠っていたよ。(?)

上面這兩個句子的中文的意思都是「生病在家睡了三天」,但是兩句話的意思完全不同,第一句的「睡了三天」是比較正常的睡法,也就是說這三天除了睡覺以外還看了電視、吃了飯、上了廁所。而第二句的「睡了三天」意義則是連續睡了72小時。雖然這並不是完全不可能,但是連續睡72小時多少有違一般人的常識。

雖然【寝る】比【眠る】廣義,但是也有一些場合是只能用【眠る】而不能用【寝る】,例如:

山の中には宝が眠っている。
 (寶藏沉睡在山裡)

体の中に潜在的な能力が眠っている。
 (潛在的力量沉睡在體內)

廣島的「原爆死沒者慰靈碑」上的文字:

「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」
 (不再重蹈覆轍,請安祥地去吧)

這句話中的「眠って」指的是死亡,無法用「寝て」取代。

有些人在學外語時,會擔心如果有什麼地方搞不清楚,可能會影響以後的學習狀況。所以初學者看到一堆日語的類義語時,多少會不安。因為無法「100%理解」。其實這種不安的背後,是我們從小到大所經歷的太多不正常的考題,所以很多人在讀書或學東西時,會把注意力放到小地方。事實上,一般日語教材不會刻意告訴學習者怎麼分辨這些意思相近的詞,因就算不知道這些類義語的差別,對語言學習的影響其實不大。

一般市面上的日語教材的目標就只是希望學習者能掌握句型、文法結構的大差異,而不是詞彙的小差異。教材中提到【寝る】和【眠る】的目的,是希望讓學習者知道「這些詞和吃飯、看書、唱歌的差異」,希望學習者能區分「睡覺」和「非睡覺」的不同,他們並不指望學習者去區別【寝る】和【眠る】之間的細微差異,因為那是不可能的事。

那麼如果遇到意思非常相近,而且又無法精確區分兩者差異的詞時該怎麼辨呢?

其實這就是很重要觀念的學習機會:這個現象印證了詞彙和語意未必是一對一的關係,可能是一對多,或是多對一,甚至更複雜的關係。這個現象也印證了不同的語言中,詞彙也不是一對一的關係。因為不是一對一的關係,所以在中文裡無法找出和日文的「寝る」和「眠る」100%對等的詞彙來解釋。而這種語言內與語言外的差異,就是文化差異的起源之一。

「寝る」を表現する

寝るというのは、「睡覺」(shui4jiao4)というよ。
どちらかというと中国語でも基本的な言葉なので、覚えている人は多いと思う。

逆に、眠れないときは「睡不著」(shui4bu4zhao2)というよ。
「睡著」(shui4zhao2)というのは、寝入っているという意味がある。
ちょっとニュアンスが違ってくるので、発音とアクセントを間違えないようにね。

眠いは「想睡覺」(xiang3shui4jiao4)という言い方もできるけど、
「睏」(kun4)という漢字を使って、「很睏」「好睏」「有點睏」という言い方もできるよ。

ちなみに、台湾人はベッドで寝るよ。ベッドが足りないときは、床に寝るという感覚だよ。
ベッドのことを「床」(chuang3)という。
床のことは床が石でも「地板」(di4ban3)という。

それから、おやすみのあいさつに該当する言葉は「晚安」(wan3an1)。
こんばんはのあいさつも「晚上好」ではなくて「晚安」(wan3an1)。
両方ともあいさつが同じだったら混同するんじゃないかという気がするんだけど、シチュエーションが違うようだし、そこまで頻繁には言わないので、問題はなさそうだよ。

再度發現本網站文章遭人盜用!!!(第五回)

再度發現有人盜用我們「梅與櫻–日本台灣年輕人的事情–」網站中的文章!!!

遭到盜用的文章一共有三篇,分別是
日本的學生社團活動 (1)
日本的學生社團活動 (2)
日本的學生社團活動 (3)

這次我們所發現的的盜用行為分別發生中國大陸的網站,三篇文章張貼在一個叫作「楽楽日語村」的網站底下的某個私人部落格中 (文章順序和我們的原作品略有不同):

文章位址:http://www.hahajp.com/index.php/uid-18971-action-viewspace-itemid-568
盜用時間:2007-04-19 18:22:19

文章位址:http://www.hahajp.com/index.php/uid-18971-action-viewspace-itemid-569
盜用時間:2007-04-19 18:27:14

文章位址:http://www.hahajp.com/index.php/uid-18971-action-viewspace-itemid-570
盜用時間:2007-04-19 18:28:50

盜用行為一目了然的位址:

http://www.hahajp.com/index.php/uid-18971-action-spacelist-type-blog-itemtypeid-58

證據:

我們不是那種喜歡在網路上調查誰在偷我們文章的那種人,事實上,由於我們有我們自己的本業,生活非常忙,因此也沒有那種閒時間一一檢查哪篇文章被盜用。基本上,我們所發現的這些盜用行為,多半是在我們查資料時偶然看到的。

當我們發現我們每天一字一句、從零開始、完全用我們自己的話寫出來的文章被一些用剪貼的手法,將偷來的文章弄得像是他/她們自己寫的作品,並公開在網路上時,那種衝擊是非常大的。因為這樣行為就等同向全世界的人宣告:文章不是梅與櫻的作者寫的,文章是他/她寫的。

以這個盜用事件為例,我們試著將我們文章中的句子於Google進行完整字串搜尋,Google的搜尋結果中只出現了盜用者的網址,而文章的真正的出處――我們「梅與櫻–日本台灣年輕人的事情–」網站――則被Google的檢索結果省略了。這樣的結果對我們而言是一個非常大的打擊。

在盜用者的網址中,當然看不到關於原作者 (=我們) 的任何資訊,因為盜用者將原作者 (=我們) 的資訊完全抹消了。這名盜用者明明可以不用這麼做,但是這名盜用者顯然選擇了將我們的資訊抹消,讓這三篇文章看起來像是他/她自己寫的。而我們也可以確定今後如果這個盜用文章的網站沒有發生重大變故的話,以後用Google檢索關於日本學生社團活動方面的資料時,「梅與櫻」恐怕是不會出現在搜尋結果中。今後任何人看到這個盜用網站中的這三篇文章,會直覺認為這三篇文章是那名盜用者的作品,不會有人知道這三篇文章其實是我們一字一句寫出來,在「梅與櫻」發表的東西。

為了這個盜用事件,我們花了時間寫了這篇文章,而這些時間本來是用來準備新的題材用的。因為這個盜用事件,我們知道搜尋引擎已經開始排除我們,對我們而言是非常大的傷害。當我們受到傷害時,最終的結果就是影響到我們寫作的心情與步調,甚至讓使我們停止提供資訊。

在此,我們要說:如果我這裡提供的資訊還算有用的話,請不要這樣子傷害我們、請不要毀掉我們寫作的熱忱!

日本的輕犯罪法(2)

日本的輕犯罪法是在1948年制定,當時日本還是處於GHQ統治的時代。

從輕犯罪法的內容多少可以理解日本公民道德的基準。

在台灣,常常會聽到【日本人有在路邊小便的文化】或是【路邊小便在日本不違法】這樣的傳說。如果去檢視日本的輕犯罪法條文的話,就會知道這真的只是傳說而已。

有些人可能會有疑慮:「路邊小便」有沒有可能是指戰前的日本社會現象呢?

其實,戰前日本的法律就明確規定禁止隨地大小便。

日本的輕犯罪法並不是戰後突然無中生有的法律。輕犯罪法的起源是1872年東京府實施的「違式詿違條例」。當時東京府的違式詿違條例就把隨地大小便視為違法行為。也就是說,日本早在19世紀就已經將隨地大小便列為違法行為了。2008年現在的地球上所有活著的人類在還沒出生、這個世界上很多國家都還沒建國時,日本就已經把隨地大小便列為違法行為了。

到了1880年,日本把「違式詿違條例」中的規定編入「違警罪」中。1900年,日本又制定了「警察犯處罰令」來取代「違警罪」。

日本現行的輕犯罪法是日本政府在戰後把「警察犯處罰令」當中過度侵害人權或不符時宜的規定刪除後,重新制定的新法。

由於戰前的日本是極權統治,當時敢挑戰法令的人,不論輕重,下場都不會好到哪去。

違式詿違條例雖然不是重罪,但是明治時代違式詿違條例的執法相當嚴,當時日本民眾如果發現自己違反違式詿違條例的話,會向警察下跪求情。經過六十多年的嚴厲極權統治,日本人在常識上都知道隨地小便是會受罰。

以前台灣也曾經受過日本統治。體驗過那個時代的人可能會覺得日本警察非常嚴,以為日本在刁難台灣人。從日本戰前的庶民生活史來看,其實日本警察對日本本土民眾也一樣嚴。戰前一般日本民眾在路上看到警察也會提心吊膽。也就是說,當時的日本警察的態度並沒有因為民眾的出身而變。

在現在的日本,如果有人在公共場所隨地小便,而且被人發現的話,除了有違反輕犯罪法的問題以外,還可能觸犯日本刑法中的「器物損壞等」或是「公然猥褻」等罪。而且這些罪的罰則比輕犯罪還要重,而且會留下刑事前科。如果再看看日本的刑事犯罪率的話,【日本人有在路邊小便的文化】這個謠言就完全解體了。

如果去反思這種謠言的由來,說穿了,就只是台灣人不覺得製造這種謠言有罪惡感。其實到現在為止,還是有不少台灣人覺得開外國玩笑、譏諷外國,或是鄙視外國很自然。從學校教育到電視媒體都這樣,大家只覺得好玩,完全沒有罪惡感。

相較之下,開外國玩笑、鄙視外國在日本的常識人眼中是禁忌。基本上,學校老師不會做這種事,主流媒體也不做這種事。如果有台灣人在日本,和日本人聊天時,開其他國家的玩笑,或是譏諷其他國家的話。一般日本的常識人反而會覺得開別的國家玩笑的人很不道德。

回到正題。

由於日本現行的輕犯罪法是1948年所制定的法律,當然有些條文也難免不符時宜。例如關於「露出大腿或身體其他部分」的條文規定,從現代的觀點看來已經是距離現實相當遠了。不過由於輕犯罪法的條文規定不能濫用該法律對國民權利進行不當侵害,因此日本警察原則上是以口頭告誡為主。

若真的要用輕犯罪法逮捕人,理由不外乎是觸法者的態度惡劣,或是警察業務績效不足,再不然就是為了調查某個嫌疑人的犯罪,但一時找不到理由抓人,所以只能先用輕犯罪法逮捕這個人後,再進行調查。

相關文章連結:
日本的輕犯罪法 (1)

しっぺに相当する台湾の体罰

日本では罰として、しっぺ(しっぺい)というのがあるけど、台湾ではしっぺというのはやらないみたいだね。
そういうときは、台湾では定規のようなものを使って手をひっぱたくみたいだ。
これを「打手心」(da3shou3xin1)というよ。
台湾での「手心」には日本語のように手加減という意味ではなく、手の中央という意味。
つまり、「打手心」とは手の中心をたたくということだよ。

「打手心」には幾つかやり方はあるけど、
定規のような長細いものを用意して、平らな面で手のひらを出させてたたくのが標準的かな。
手の甲を出させて、定規のようなものを垂直にして手の甲の指の部分をたたくという変形型もある。指にかかる部分の方が痛いので指の部分をたたくんだって。
しっぺと違って、1回に限らず、何回でもたたくこともあるみたい。

こういう罰ゲームは学生同士でやることもあるし、教師が生徒にやることもあるらしい。
先生がやる場合には、使用する道具は、籐とか竹とか木の枝のようなもののほか、
学校にある教具としての定規とか、授業で使う指示棒とか、学校の破損した倚子に使われている板などが使われることもある。
ただ、体罰に関係することが好まれない趨勢にあるのは別に日本に限らないわけで、これが今でも台湾の教育現場でやられているのかどうかは、わからない。

台湾の学校の教室」も見てね。