有些人學英文時,可能聽過類似這樣的說法:
「如果想把英文學好,最快的方法就是到美國或英國當地生活。完全不懂英文的人,只要到當地住三個月,自然就會講英文了。」
在完全是英語的環境中生活,對學英語的效率當然會變好。完全不懂英文的人如果到英語圈國家住上三個月,的確可能變得會講英文。不過,講出來的英文品質如何,完全是另一回事。
在台灣,一部分大學新鮮人踏進大學校園後面對的第一個挑戰就是原文課本。對這些大學生而言,理想的語言能力就是能輕鬆看懂原文書。看原文書非常吃力的學生,會很羨慕那些原文書看得快的人。當然也可能會羨慕教授的外語能力。
不過,如果實地到教授的研究室一看究竟的話,應該不難發現教授的書架或桌上有英文字典。如果對照上面的三個月就能講英文的說法,有些人可能會疑惑:
「到美國知名的大學留學,而且花了五年取得博士學位,而且還當上教授,這樣的人的學習能力一定有相當的水準。那麼為什麼連教授看原文書或英文論文時還要查字典呢?」
其實這一點都不奇怪。非英語母語的人如果要把英語能力提升到和英語母語的人一樣的話,五年完全不夠。不過如果只想把語言能力是提升到能看懂原文書的話,就算不用出國也一樣可以辦得到。有留學經驗的教授會準備外語字典,是因為沒有人可以保證自完全知道一本書中的所有詞彙。就像中文母語者在讀一本有深度的中文學術書籍時,恐怕也沒有人能保證完全能100%理解書中的所有詞彙的意思。
正在學日文的人,可能多少會有「日文要學多久才能學得好呢?」這樣的疑問。
其實這要看情況而定。因為每個人的「學得好」的標準都不一樣。
如果「學得好」是指能看懂日文漫畫或日文雜誌,這個目標並不難。只要理解基本文法,再勤背詞彙,就算不用到日本當地生活,也一樣可以達成目標。
不過如果把「學得好」的標準定位在「日語能力和日本人相當」的話,就算到日本生活10年以上,恐怕也很難辦得到。因為在非日語母語的人的語言知識中,永遠有一塊無法填補的區域。這個區域就是從嬰兒時期到高中或大學畢業時累積的語言知識。對日本人而言,這些語言知識是父母、親戚、老師、同學協助之下累積起來的。對於日語母語人士而言,這些知識就是他們的日語的基礎。
然而學日語的外國人不太可能有日本人的父母或是親戚,大多數的人是從日本的大學、研究所,或是社會開始起跑。大學、研究所、社會的人際關係,會比小學、中學,高校稀薄。所以老師、同學,或職場同事能提供的協助也相對較少。再加上外國人必須花很多力氣去適應不熟悉的生活環境,所以也不太可能有時間去填補過去的空白。而這些空白,就是造成日語無法運用自如的缺口。所以非日語母語的人要把日語能力提升到和日本人相當,是非常困難的事。
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從這個角度來看的話,所有的外國語都是一樣的吧
>>sakiba
沒有人說不是阿…
相較於只有日本的普通朋友,如果男朋友或女朋友是日本人的話,會不會對於這個缺口較有幫助?因為男、女朋友之間可以談比較私人性質或者更貼近生活性質的話題,
コメントありがとうございます
(sakibaさんへ)
突っ込みが入ったので、突っ込みに関係するものについてはコメントしませんが……
過去のコメントを見ていると、sakibaさんは日本語で書かれたものに対してはそれなりに丁寧親切にコメントされますが、中国語で書かれているものはちょっと意地悪な書き方が多いですよね?。どうしてなのでしょう、私は相当気になってます。
何か考えがあるからそうしているのかもしれませんが、両方の書き手に対してコメントの温度差は少なくしてもらいたいです。平和な生活&楽しくブログを続けるために、特に御協力をよろしくお願いします。
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(Angelさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
日本人の普通の友達ではなくて、彼氏彼女の関係を持てば、日本人のような日本語を話す助けになるのではないか、ということでしょうか?
私の考えですが、外国人が日本語を日本人と変わらず違和感なく話すというのは、相当難しいように思います。
例えば、日本語は、実はアクセントとイントネーションとプロミネンスがとても難しい言語だと思います。これらに対し、声調が固定している中国語を話している話者がこれに挑戦&攻略するのは相当困難だと私は思います。たとえ短い文章では日本人とさほど変わらないように話せても、長文を話すときにやはりずれてしまいます。
このような外国語としての日本語をより日本人と同じような日本語に近づける作業を行う際、周囲の人間関係というのは余り関係ないように思います。親しい人間関係であれば、相手の日本語の質に文句をつけるより、多少発音やアクセント等に違和感があっても通じることでよしとするのではないでしょうか。
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