「春節のこと」も見てね。
大みそかの年越しと新年とを比べると、
日本では、大みそか<新年で、新年の方が大事なような気がするけど、
台湾では、大みそか>新年なのだ。
これを無理やり納得できる(?)ように解釈すると、
クリスマスイブはクリスマスよりも重要というのに似た考え方だ。
だから、新年よりも、大みそかの方がごちそうが並ぶのは、当然のことだ。
台湾でも核家族化は進んでいるし、日常の食事も簡易なもので済ませちゃうから、
こういうときでなければ、多分食卓にごちそうを並べない。
これらの料理は、家族というか親戚というか、みんなが集って一緒に食べることになるので、
自然と量や種類も多くなって、すごいこちそうになるということだよ。
ちなみに、大みそかの食事というのは、大みそかの朝食や昼食ではないよ。
大みそかの昼間はまだ恐らく仕事をしている台湾人もいるわけで、
朝昼に食事をセットしても人数がそろわない。大みそかの夕食が大事なのだ。
大みそかの夕食のことは「年夜飯」(nian2 ye4 fan4)というよ。
中国では大みそかに餃子を食べるとか紹介されることがあるけど、
それは餃子が宝船に似ているからという縁起物らしい。
つくるときには餃子のあんの中にお金を仕込んでおいて、
それを食べた人は、新年は金運がいいというふうにいうみたい。
ただ、台湾人はそれほどまでに餃子にはこだわらないみたい。
特にこれといって決まっているわけじゃないけど、魚を縁起物として食べたりもする。
知っているかもしれないけど、「年年有魚」という言葉で説明されるけど、
つまり、「魚」は「余」と同じ読み方で、年々あり余ると願う。
この余ってほしいのは、お金――年々お金が残るようにというメッセージなのだ。
お金といえば――お年玉も、日本と違って年明け前にさっさともらえる。
「台湾人のお年玉」も見てね。
新しい年になったときには、既にお金も手に入り、ごちそうも食べ終わっているというのが、台湾人の解釈――
年が明ければ、すぐに新しい一日がスタートできるということかな。
そいえば…
昨日の知音商店では、冷凍餃子を買っている
華僑の人を見かけたね。
チャイナ圏では正月に餃子を(って水餃子だが)食らうって
言ってたね。
一度は現地で春節を味わいたいね。
ニュース見てて・・・
夜のニュースで中国のお正月の様子見ました。そのアナウンスを聞いていると、今年の干支は豚だとか。「豚=猪」ってことなのかなぁ?
台湾も豚なんですか?
台湾にもお年玉があるなんて驚きです。よく似ていますね。
春節
新年快楽!
旧正月が日本に根付かなかったのは
今では不思議に思いますね。
こんなに中国と韓国、台湾が近いのに。。。と
思ってしまいます。
文中で大みそかが重要ってこと、目からうろこでした!
本年もブログ楽しみにしてます☆
コメントありがとうございます
(綾織さんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
確かに、冷凍ギョウザを売っているのが見えましたね。物の本には年末には餃子をつくって、それを食べるなんというふうに書いてあるけれども、現実にはそんな面倒なことをする人はそれほどいないのかな?
冷凍食品といえば、湯圓もおいしいですよ。綾織さんにも参考になる食材だと思う。
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(ひろさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
私は日本のニュースは見ていないんですが、全く中華圏と無縁の私の周りの人々も私に気を使って(?)旧正月のことを話していたので、多分そういう報道があったということですね。
豚=猪というのはそのとおりのようです。
えとと全く関係ないのですが、「豚」「猪」について過去に書いたブログもあるので、見てください。
「台湾人の見る日本人の興味深い苗字 その1」
http://umesakura.jp/20061024233446.html
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(ruriraさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
旧正月は私たちの日常の中で全く無縁ですね。私も初めて中華圏に行ったときには「しゅんせつ」とは何か?、なぜ1月1日が普通の休日みたいな感覚なのか、まるでわかりませんでした。そもそも「春」の発音が難しいんですよね。「春」の発音が難し過ぎて、「春巻」が好物なのに中国語で説明できません。
農耕民族である日本人、恐らくアジアのどこの国よりも農耕民族である日本人(と書くとオーバーかもしれません)が、旧正月という概念を持ち合わせていないというのは不思議というか、おかしいですよね。ruriraさんの言うとおり、日本では旧正月は廃れてしまったようですね。
このブログでも幾つか春節のことについて紹介しているんですが、日本には旧正月はないという話はどこにも書きませんでした。というのは、地域によっては旧正月はあったようなんですよ。それは今の中華圏と同じ感覚、1月1日よりも重要な位置づけとしてあったそうです。その習慣は大体東京オリンピックが開催されるあたりから大きく変わってきたとのことです。
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