台湾の中国語と兒化

日本で中国語を勉強していると、いろいろなところで「儿化」(er2hua4)という現象に遭遇するけど、
台湾人にはそもそも「兒化」という言葉の自体が、それほど身近ではない。
「兒化」という概念だけを出されて説明を求めても、当の台湾人は何のことを言いたいのかわからないかもしれない。

一般の台湾人の使う中国語は、普通は「兒化」しない。
だから、例えば「上面兒」「下面兒」「前面兒」「後面兒」とかにはならないんだよ。

例えば、「一會兒」(yi2huir3)とかは、後ろに「兒」がつくけど、これって、「兒」がないと意味が通じないか。
こういうの以外は、語尾に必要以上に「兒」は要らないということだ。

台湾人に対して「兒化」された言葉を話されても通じるらしいけど、でもそれを使う人はほとんどいない。
外省人の中には、この手の「兒化」した方言を話す人はいるかもしれないけど、それは台湾で中心的な発音の仕方ということではないようだ。
台湾でテレビとかを見ていても、ニュースを読むアナウンサーやタレントさんもそういう話し方をしないと思う。教育的にも推し進められている用法でもないようだ。
そもそも台湾人自身が舌を巻いて発音する音がそれほど得意ではないことも影響しているかもね。

ただ、例えば、こそあど言葉に当たるような「這兒」「那兒」「哪兒」とかを、それと同じ言い方をする「這裡」「那裡」「哪裡」に読みかえをしたりするわけではないし、話し言葉では前者を選んで話す人の方が多いと思うよ。これはこれで「兒」を使う。もっとも、台湾人自体の発音のイメージとしては「兒」は外されて、「這」「那」「哪」だけを言っているのかもしれないけどね。

台湾の中国語と台湾語については、「台湾語と国語をめぐる勘違い」「台湾語と国語の距離」とかも読んでみてね。

日本的大學課本

對早期台灣的大學生而言,一提到大學課本,恐怕有不少人會聯想到一本一本厚得像磚頭一樣的原文書。原文書不但厚重,而且非常貴。對不少台灣的大學新鮮人而言,光是要去習慣這些原文書中一個一個長得像蟲一樣的文字就是地獄般的考驗。

在日本,一般大學新鮮人沒有購買以及閱讀原文書的煩惱,這是因為日本的大學並沒有所謂的「原文書文化」。日本的大學課本大部分都是採用日本學者自己寫的書,再不然就是翻譯書。對日本的學生而言,大學課本其實就是日本坊間書店的專業領域架區擺放的圖書。也就是因為日本的學生只要讀日本學者寫的書就足以得到最新的知識,因此日本學生無法想像台灣的學生進入大學之後,要特別去買外國出版社出版、由外國的文字所寫成的課本。(事實上,台灣的學生在上大學之前,也無法想像這種情形)

台灣的大學生在買課本時往往要向校外的專業書店或是代理商訂書,不過日本大學生只要到大學的福利社就可以買到課本。這是因為日本的大學的福利社本身有提供訂教科書的服務。有些教授會先估計修課學生人數後,向福利社下單,然後福利社就會批入教授指定的參考書。日本人在一般書店買書時,完全沒有折扣。不過日本的大學生在學校福利社買課本時,多少可以享有折扣。另外,如果福利社沒有進學生想要的參考書的話,學生自己也可以自行向福利社訂書。如果不想等的話,可以自己去外面的書店購買,這時候就沒有折扣了。


日本的大學課本。在日本,不論是文組科系或是理組科系,幾乎都是使用日文的教科書。有些課程甚至會指定「新書判」「文庫判」(即口袋書) 的書當作教科書。所以一般日本的大學不用抱著「磚頭」去學校上課。


在日本,當然也有指定原文書為教科書的教授,但是這種情形非常少。如果遇到這種教授的話,多數日本學生的反應其實和多數台灣學生的反應差不多:想辦法找翻譯書,再不然就是想辦法躲開這名教授所開的課。事實上,一般日本的教授不傾向讓大學部的學生讀原文書,因為這會影響到學習效率。不過如果到了研究所層級的話,指定原文書為教科書的機會就會增加。


比較教科書的厚度,原文書顯然略勝日文書一籌。照片中課本全部都是平裝版,而且原文書是屬於比較不厚的那一種,而日文書則又比原文書更薄。日文書之所以會比較薄,是因為日本的出版社想壓低售價。一般而言,日本的書籍定價如果超過2000日元的話,就會影響到學生買書的意願,因此日本的出版商會儘量把書的定價壓到2000日元左右,而這樣的結果就是書本頁數減少。所以有些理工科系的課本常常會拆成理論和練習問題兩冊。

有些台灣學生讀到這裡,可能會下一種假設:日本學生英文能力不佳,可能是因為日本的大學沒有原文書文化。

事實上,這是無稽之談。

首先,日本學生的英文能力其實和台灣學生差不多,因為日本和台灣的外語教育方式都差不多。當外國人走在東京或是台北街頭時,用英文問路或是問其他問題時,日本人和台灣人的反應能力恐怕都差不多。只是過去的台灣教育常常有意無意灌輸學生日本的負面印象,於是日本人的英文能力就變成許多台灣人的刻板印象。結果許多台灣人只憑著刻板印象檢視他人,卻沒有檢視自己環境中的貶損、蔑視他者的扭曲的教育倫理問題。

其實,讀原文書頂多就只是增加專業領域的詞彙而已,對語言能力的影響非常有限。一般台灣的大學所使用的原文課本中並沒有複雜的文法和句型,真正的難處是在專業詞彙。因此台灣的大學生在看原文書時,主要的問題是詞彙問題,而不是文法和句型問題。要克服這方面的問題,只要熟記專業詞彙即可。記一大堆只有論文上才會出現的專業詞彙對語言能力並沒有什麼幫助。當然,也不是所有的原文書都用簡單句構成,例如人文科領域的原文書可能會用到非常複雜的句型,不過一般台灣的大學生的英文程度恐怕也吃不下這種高難度的人文類的書籍,能吃得下的人大概也都不是「一般」學生。

再換一個角度來看的話,台灣的大學生當中,有多少人真正去讀原文書的呢?某些大學可能有很多這種學生,但是這些「某些大學的學生」的外語能力恐怕不能代表一般台灣的大學生的知識水準。雖然台灣有所謂的「原文書文化」,但是「原文書文化」並非指「所有的學生都肯乖乖地讀原文書」的文化,許多台灣的大學生遇到原文課本時,選擇回避原文書,想盡辦法弄到中文資料。甚至可能還有不少學生寧可相信翻譯軟體翻出來的咒文,也不肯花一點時間踏實地讀原文書,恐怕這才是台灣的大學「原文書文化」的普遍的真實。

大學是否採用原文書其實對大學生英文能力的影響有限,反而是學生本來的英文能力,會影響讀原文書的意願。

註:
日本的專業領域的翻譯書的品質遠比台灣的翻譯書的品質高,這是因為日本的專業領域的翻譯書通常是由翻譯專家或是學者來翻譯,而且重點是,這些人多半都是秉著良心、基於專業的熱情而翻譯的。相較之下,台灣許多專業領域的翻譯書則往往是那些連基礎理論都還處於一知半解狀態的學生翻譯的,翻譯時如果遇到看不懂的原文,就用敷衍的方式草草帶過。因此日本學生在讀翻譯書時,可以吸收到作者或是譯者所傳達的知識。而台灣學生在讀翻譯書時,則只會讀到一些令人吐血的詞彙和句子,甚至讀完整本書後,還是不知道譯者在寫什麼。這是因為許多台灣的翻譯者自己都沒看懂原作,而出版社也沒有負起監督責任,就把不三不四的草稿拿來印成書賣錢了。

コンテンツ記事数が900

このブログ「梅と桜 ―日本台湾年軽人的事情―」は2005年3月26日から始めたんだけど、
2007年11月2日の「日本的食品樣本模型 (2)」で、コンテンツ記事数が900になったんだって。

コンテンツがぴったりの時のブログは書き手の雑感を書いているので、今回はそういう話にしようと思う。

私はこういうブログをつくっても早晩ネタ切れになると思っていたんだけど、よく続いているものだと思っているよ。どうやってコンテンツが出せているのか?、我ながら不思議なぐらいだよ。

900回も続いてしまった今、台湾について日本人が直観的に思いつけるようなテーマはおおむね網羅してしまったわけで、簡単にブログのコンテンツをひねり出せないのが正直なところだ。
もう一人の書き手の台湾人も親切にいろいろ教えてくれるけど、往々にして、この台湾人が日本人に教えたい台湾のことと、私が知りたい台湾のこととは違うことに気がついている。だから、ブログのコンテンツのベースは私が考えているし、考えるしかないし、それが相当しんどい作業になっている。
今は、ただただ私が日本で日常にやっている事象や作業から台湾と違うかもしれない材料を探してコンテンツの足しにしている。難しい作業だけど、現実に遭遇した直観的な発想から出てきているものが多いから、つくってきたコンテンツはどこかの受け売りではなくて、結果的にオリジナリティーがあるものにはなっているかもしれないと思っている。

ほかの人から、台湾の知識をどうやって収集しているのかと聞かれるけど、私には台湾についての知識的、経験的なストックがあるわけではない。かえって、コンテンツをつくる際に強く想起させる要因になるもの、台湾に関するエッセーとか、台湾知識本みたいなものはあえて避け、その手のウエブサイトやブログも極力見ないようにしているぐらいだ。読むのは旅行ガイドくらい。――そうしないと、私のようにネタがない人間は容易に人様の話に影響され、あたかも自分のもののようにしてしまうからね。

だから、このコンテンツに書いた台湾のことについての理解は進んだけど、コンテンツに書いていない台湾についてはやっぱりよくわからないでいる。というわけで、また書いていくことで、詳しくなっていくこともあるかなと思う。いずれにせよ、しばらくはまた皆さんにおつき合いいただければなと思っているよ。

日本的食品樣本模型(2)

日本的食品樣本模型的特色就是外觀上非常接近真正的食物。不過由於食品樣本模型主要是放在店家的玻璃櫥窗中展示,因此這些模型的外表通常還會加上一些光澤處理,讓模型變得比較顯眼,因此當顧客近看這些食物的樣本模型時,多少可能會發現不自然的地方 (例如米飯或是炸蝦的麵衣的反光)。如果略去表面的光澤處理的話,完成品是有可能作得和真的一樣的。

由於食品樣本模型是應顧客要求特別訂製的東西,因此這種東西全部是手工製作。如果飲食店要訂製食品樣本模型的話,模型師通常會要求店家提供實物以供參考。如果只提供照片而不提供實物的話,製作效果會打折扣。除了提供實物以外,店家還要提供模型師一份相同的餐具來裝製作出來的樣本。也就是說,一般日本街上飲食店櫥窗中的食品樣本模型的容器其實是真的餐具。

由於食品樣本模型是一種展示用的東西,因此在製作上除了逼真以外還要顧慮到美感。例如有些顧客可能對於食物位置以及餐具擺放的角度進行特別要求,有些顧客可能希望模型師能做出筷子夾起麵的那一瞬間的食品樣本模型,而有些顧客則可能指定模型製作出一些特別效果 (例如紅茶中尚未溶解的砂糖)。當然,由於模型師非常專業,只要顧客能詳細明確地指定條件,模型師就有本事作得出來。又由於本身也是藝術家,因此也會提供顧客一些美觀上的建議。


蕃薯以及紫蕃薯的樣本模型。照片中的模型並沒有經過光澤處理 (事實上也不需要),因此這兩個蕃薯模型其實相當逼真,完全表現出了蕃薯不規則的外表以及色澤。


將兩個蕃薯樣本模型翻過來的話,可以發現這兩個樣本模型是空心的。事實上,這種例子其實相當多,特別是體積或是面積較大的食物樣本模型往往都是中空的,而且沒有底。


軍艦壽司的樣本模型。最近由於有不少外國觀光客對於日本的食品樣本模型感興趣,因此食品樣本模型業界也設計了一些可以作為禮物用的商品。照片中的軍艦壽司的樣本模型其實是手機吊飾,而模型的長寬高均只有實物的一半,但是仍然非常逼真。


軍艦壽司的樣本模型的底面,由於一般的樣本模型只讓人看上半部,所以通常是中空而且沒有底的,不過由於該模型為手機吊飾,在美觀上加上了底。


黃瓜海苔卷壽司的樣本模型。照片中的樣本模型也是一種可當作禮物送人的模型商品。黃瓜海苔卷卷壽司的日文叫作「カッパ巻き」(河童巻き),照片中的「カッパ巻き」的黃瓜被模型師幽默地改為真的河童。

註:
由於傳說中河童喜歡吃黃瓜,因此包了黃瓜的海苔卷壽司被稱作「カッパ巻き」。

インターネットのアドレスを言う

自分の保有する電子メールアドレスやウエブサイトを紹介するときにどう言うか?
実際には手で書けば事足れりだと思うけど、こんな言い方をするみたいだ。

電子メールは「e-mail」というよ。
日本人ならばこれは「イーメイル」と読むんだろうけど、台湾人はこれの「ル」発音を流暢過ぎというか違う音で言ってくるので、日本人には若干聞きにくいかもしれない。
また、書き言葉では「電子郵件」(dian4zi you2jian4)といったりする。

ちなみに、台湾の携帯電話は電子メールと連動しているものもあるけど、携帯電話から電子メールを送るというのは少数派、日本のように広がっているわけではないので、通常教えてくれる電子メールアドレスというのは、パソコンのアドレスだと思う。

ホームページは「網站」(wang3han4)といって、URLを聞くときもこの語彙を使うと思うけど、アドレスという言葉にこだわりたい場合は別の言い方をする。
ホームページアドレスは、「網址」(wang3zhi3)、
ブログアドレスは、「部落格的網址」(bu4luo4ge2de wang3zhi3) 、「部落格位址」(bu4luo4ge2 wei4zhi3)という。

電子メールやウエブサイトを紹介する際に必要な記号のたぐいは、こんな感じかな。
「@」は、「小老鼠」(xiao3lao3shu3)
「.」は、「點」(dian3)
「:」は、「冒號」(mao4hao4)
「/」は、「斜線」(xie2xian4)。「//」となる場合は「兩個斜線」「兩條斜線」「斜線斜線」という言い方もある。

これらのほか、細かく言えば、こんなのもあるか。
「_」は、「底線」(di3xian4)
「-」は、「橫線」(heng2xian4)
「~」は、「波浪符號」(bo1lang4 fu2hao4)

――以上のことを踏まえて、これらのアドレスを読むときは、こんなふうに言うよ。
「http://blog.goo.ne.jp/szyu」は、「http冒號兩個斜線blog點goo點ne點jp斜線szyu 」
「abc@defghi.jp」は、「abc小老鼠defghi點jp 」

日本的食品樣本模型(1)

在日本,許多餐廳外的櫥窗中,都放有該餐廳所販賣的食物的樣本模型。這些食品模型的內容包羅萬象,例如一般日本的傳統米飯類食物、拉麵、生魚片壽司類,到西餐的義大利麵、牛排,甚至一些水果、以及食材等。

日本的這些食品樣本模型早期是源於一般學校的蠟製食品模型教材,之後有人將這種工藝技術應用在一般餐廳店頭櫥窗,讓到餐廳吃飯的消費者能確定自己想吃的食物是什麼樣的東西。

在台灣,許多人到中式餐館吃飯時,偶爾會發生看不懂菜單的問題,這是因為許多中式料理都是用和食材毫不相關的詞彙甚至成語來命名,就算知道這些名稱是什麼,或是在別的地方吃過同樣的名稱的菜,這些經驗恐怕也未必能印證在下一盼餐館中。

當然,在日本也有類似的問題,日本料理中名稱和食物材料完全無關的例子其實也不少,例如壽司店可能用「開花」、「月光」等非常抽象的意境來命名壽司組合,就算知道「開花」以及「月光」這兩個詞的意思是什麼,恐怕也無法想像「開花」和「月光」到底是由哪些種類的壽司組成的。而就算不用「開花」、「月光」這種詞彙來命名,而直接拿食材來命名的話,壽司所用的魚的種類繁多,一般日本人就算看到魚的名稱,恐怕也不見得知道那是什麼。而除了日本料理以外,以西洋料理為例,日本的西餐的菜名多半都是使用外來語。也就是說,這些食物的名稱完全無法用日語的固有的知識來理解,因此儘管菜單上印的是每個日本人都會唸的片假名,但是對日本人而言,那些由片假名排列而成的字串無異於天書。

如果店家在門口擺有食物樣本模型的話,看不懂菜單的問題就可以解決了,因為這些模型可以直接傳達給消費者:「這道菜的名稱是○○○○、如果想吃這樣菜的話,告訴店員就可以了」。也就是說,顧客點菜的依據並不是由文字,而是由比文字更接近實體的樣本模型。而對外國觀光客而言,食物的樣本模型直接避開語言文字溝通上的障壁,想吃什麼,只要直接指給店員看,就算客人不懂日文、店員不懂外文,也一樣可以順利用餐。

 
典型的日本餐廳的食品樣本模型。在早期,日本的食品樣本模型主要是蠟製的,隨著材料以及工藝技術的進步,現在這些食品的樣本模型大部分是由樹脂製成。

台湾のポインセチア事情

クリスマスイブまであと1カ月――

日本では、ポインセチアというと、クリスマスシーズンに鉢植えになって売られているよね。
台湾では、ポインセチアは「聖誕紅」(sheng4dan4hong2)というよ。
やっぱりクリスマスの風物詩として売られていて、それは鉢植えの中では一番売れているものらしいけど、
花壇の草花みたいな感じで植わっていたり、自生している雰囲気のものもあるよ。

 
左が228和平公園、右が金門国家公園だよ。

ただ、日本人の想像するポインセチアは上部の葉が赤いものだし、丈が小さいものだろうけど、
鉢植えの場合は、黄色だったりピンクだったりする、品種改良されたものあるし、
自生しているのも、上部の部分が白だったり、赤であっても相当成長しているものだったりするのもあるから、ちょっとそれと気づかないこともあるかもね。

日本的七五三

在日本,每年11月15日的前後,可以看到日本家長帶著穿著和服的小孩到神社或是寺廟參拜,這樣的活動在日本稱作「七五三」。

「七五三」是日本的「年中行事」之一。所謂的「年中行事」,指的是每年固定於某個時段舉行的一些特殊的儀式活動 (以華人世界而言,過年時吃年夜飯,或是新年時的拜年均算是「年中行事」的例子)。「七五三」的目的主要是父母慶祝自己的小孩成長到一個階段,並帶著小孩到神社或是寺廟祈求平安的活動。而「七五三」之所以於每年11月15日舉行,是因為這一天是日本的舊曆法中的「鬼宿日」(鬼留在家中不出門的日子),屬於大吉之日,因此選在這一天慶祝子女的成長。

所謂的「七五三」,指的是七歲、五歲,以及三歲。古時候的日本的小孩於三歲時開始蓄髪,男孩子於五歲時開始穿著「袴」(所謂的「袴」,具體而言就是練劍道的人所穿的道裙,或是日本時代劇中武士所穿的有點像裙子的褲子),而女孩子則於七歲時則開始穿著正式的和服。由於古時候的醫學不發達,因此小孩子能從嬰兒安然成長到三歲、再從三歲成長到五歲、七歲,對於父母而言當然是值得慶賀的事情,因此「七五三」的文化便漸漸形成。而隨著時代演進,現在日本的「七五三」主要是於女兒於三歲、七歲,以及兒子於五歲時的11月15日舉行活動。然而,由於「七五三」是年中行事而非國定假日,除非11月15日正好遇到週末,否則一般日本父母也沒有時間在11月15日這一天帶小孩到神社或寺廟參拜或是到照相館留下紀念照。因此實際上現在日本的「七五三」活動通常是在11月的放假的日子進行。


典型的「七五三」活動。照片中穿和服的小孩正好分別為七歲 (黑底加上粉紅色花紋圖案)、五歲 (深藍上衣加條紋「跨」),以及三歲 (粉紅色和服)。五歲的男孩和七歲的女孩所穿的和服樣式和成人所穿的和服的基本上的一樣的,只是尺寸較小,而袖子會稍微向內摺入肩膀的部分。而三歲的女孩子的和服之外則會加一件類似和服外套的「被布」,而「被布」內的和服則沒有加上正式的和服腰帶。由於現在一般的日本人通常都不知道和服的穿法,因此要穿和服時,通常到要美容院請專業人士協助。

註:
1.女性和服的腰帶對穿著者而言是一種負擔,因此年齡太小的女孩子穿和服時是不綁腰帶的 (當然會進行一些簡單的服裝固定),因此三歲小女孩於七五三時於和服外所加上的「被布」可以保持未繫腰帶的和服的美觀。
2.「被布」在外觀上雖然有點類似和服的外套,但是兩者其實是不同的東西。例如和服的外套是有袖子的,但是「被布」是無袖的。而在禮儀上,和服的外套是不能穿進室內的,但是「被布」並沒有這種禮儀上的限制。
3.基本上,七五三的性質上是大人慶祝小孩成長的活動,因此真正高興的是小孩的父母。對小孩而言,由於穿和服並不是一件輕鬆的事情,因為新買的和服以及周邊套件由於布料較硬,因此小孩在穿著和服時其實並不會覺得舒適,在行動上也會受到限制。

台湾のしりとり

日本のしりとりと似たような言葉遊びが台湾にあるか?
しりとりのようなものはないわけじゃないみたいだよ。

ルールは日本のしりとりと同じで、単語の最後の音を抽出して、次のしりとりの最初の言葉にする。
ただ、日本語の場合は、単語の中の最後の母音(+子音)の組み合わせがそれに該当するけど、
中国語の場合は二重母音とかそういうのもあるから、厳密に言えば、単語の中の最後の文字が次のしりとりの最初の言葉になる。

例えば、こんなふうになる。
●×△◎―◎◎○○―○□◆■―■★◇▽―▽□☆▲

日本のしりとりは、フリーワードで名詞を1ついうものだけど、
台湾の場合は、1単語を言うものとは言いにくいかな。

台湾のしりとりは、一般的には四字熟語で構成される故事成語などでしりとりする。
もちろん、故事成語で四字熟語でないものもあるので、4文字でないものも登場することもあるかもしれないけれども、常識的には四字熟語で構成される。
しりとりをしているうちに言う言葉がなくなり、故事成語が言えなくなれば、適当に四字熟語をつくってしりとりが続く。

例文をつくってもらったので、載せてみたい。
一字千金 金戈鐵馬 馬到成功 功德圓滿 滿面春風 風平浪靜 靜觀其變 變本加厲 厲精圖治 治國安民 民不聊生

日本人の中には少なからず四字熟語の暗記で苦しんだ人がいるだろうから、こういうしりとりは受験時代をほうふつとさせる悪夢のようなしりとりだけど、漢字の国の4文字で構成されている熟語というのは、日本人が想像するほど高度ではないとは思う。
ただ、いずれにしても、小さい子供から気軽で簡単に遊べるゲームではないということは言えそうだ。

それから、日本語の場合は、単語の最後の言葉に「ん」がつくとゲームオーバーになるけど、
中国語には恐らく「ん」のように完全にしりとりを終わりにさせるような音はなさそうなので、
ゲームが終わるのはネタ切れになるときに限られるということかと思う。

台湾では、しりとりは「接龍」と言うよ。
そして、その四字熟語で展開されるしりとりは「成語接龍」と言う。

ただし、この「成語接龍」という言葉がしりとりの最初の言葉になるわけではないよ。
しりとりの口火を切る言葉はその場の雰囲気とか、状況によって決まるもので、固定的なものはない。

ちなみに、「接龍」というのは何か順番になっているものを並べて接いでいくような意味合いがある言葉で、
「ソリティア」みたいなゲームも「接龍」と言うんだよ。