日本的資訊倫理教育(1)

日本電腦產業於1980年代達到頂峰,而在同一時期,日本的學校也開始導入電腦教育,而日本的電視遊樂器也在這個時期漸漸普及。而在1987年,日本的文部省也開始思考關資訊倫理教育方面的問題。然而由於當時文部省並沒有把資訊倫理教育編入學習指導要領中,而且當時日本的學校的電腦課主要是訓練學生電腦操作為主,因此日本的情報倫理教育並沒有普及開來。直到近幾年,資訊倫理教育的重要性才漸漸被正視,而資訊倫理正式被列入日本的中學及高校的學習指導要領的條文中,而一些小學的電腦課中也導入了關於資訊倫理方面的題材。

根據日本總務省的統計,2005年年底全日本使用網路的人口約為8529萬人,也就是說,日本的網際網路的普及率達到總人口的66.8%。而同一時期,日本的手機上網人數 (約6923萬人) 也首度超過了電腦上網人數 (約6061萬人)。也就是說,將近7000萬人不需要電腦也能上網。又,在同一時期,每三個日本家庭中就有兩個家庭裡有電視遊樂器。由於資訊相關產品的普及化,一些網路犯罪也開始增加,而一些人也開始思考關於網路犯罪對學生的影響。

例如許多「出会い系」(通常為性交易) 網站的垃圾廣告會直接送到學生的手機中,而一些未成年者的援助交際行為很多也都是經由手機網路所媒介,另外,一些集團自殺網站也造成了日本的一些社會問題。而最近一年日本教育界比較常議論的資訊倫理話題則是網路上的一些言語傷害行為,這些言語傷害行為可能是由手機傳播,也有可能是發生在網路上的電子布告欄上,由於言辭攻擊及侮辱行為在日本造成一些學生不敢上學,甚至被迫轉學或是精神崩潰,由於這一類的犯罪問題有升高的傾向,日本的警視廳還成立專線電話提供諮詢,如果判定有人確實在網路上受到攻,則會協助受害者聯絡高科技犯罪對策總合中心來抓出加害人。而日本的教育界對於學童之間的排擠或是欺負行為極為敏感,因此日本的資訊倫理教育也就在這個背景下逐漸受到重視。

註:
在2005年之前,日本最普遍的上網工具是電腦而非手機。而手機在年輕人的圈子中普及之後,多少會減低這些人對於電腦使用上的需求。

日文的送假名(1)

初學日文的人在背「和語」的漢字和假名的書寫方式時多少會覺得吃力。例如「白い」、「多い」、「赤い」、「飲む」、「行く」、「見る」、「来る」的詞尾的假名只有一個,「難しい」、「明るい」「冷たい」、「起きる」、「食べる」的詞尾卻要寫兩個假名。

這種漢字之後掛著假名的書寫方式叫「送假名」(送り仮名)。

以「食べる」這個詞為例,有些初學者在背「食べる」=「たべる」時,可能會誤以為日文的「食」的讀音是「た」。其實在日本人看到「食」這個字時,腦子裡浮現的聲音不是「た」,而是「たべる」。對日本人而言,「食」就是「たべる」,只是在書寫時要把「べ」和「る」這兩個音寫出漢字之外。把讀音寫出漢字之外,是為了避免閱讀時的混淆。

(※日本人看到「食」這個字時,除了聯想到「たべる」外,也可能聯想到「くう」、「くい」、「しょく」。不過這是別的問題,本文不予討論)

再以「行く」和「行う」為例,學過日文的人一看到「行く」就知道這個詞是「いく」,一看到「行う」就知道這個詞是「おこなう」。這是因為「行く」和「行う」的詞尾不一樣。「行く」的詞尾是「く」,「行う」的詞尾是「う」,這些詞尾假名就是判定詞彙的線索。日本人在讀文章時,也是用這些假名詞尾來判斷漢字背後的詞彙。

又例如「後」這個詞,懂日文的人看到「後」時,可能會聯想到「あと」、「のち」、「ご」。但是如果看到的是「後ろ」這樣的詞時,則會想到「うしろ」。詞尾不帶假名的「後」是時間的後,詞尾帶了「ろ」的「後ろ」則是位置的後。

如果日文沒有「送假名」的書寫方式的話,日本人就無法分辨「行」到底指的是「いく」或「おこなう」,也無法分辨「後」到底指的是時間或位置。

講到這裡,有人可能會有疑問:當看到「後ろ」這個詞時,可以很有把握地斷定這個詞的是「うしろ」,但是如果看到的是「後」的話,要怎麼分辨這個「後」是「あと」、「のち」還是「ご」呢?

在閱讀日文文章時,如果只是看到「後」這個字時,不論是讀成「あと」、「のち」、「ご」,都不影響文章的意思。甚至文章作者可能也不太在乎這種事。這一類例子在日文很常見。如果寫文章的人對某種讀音特別執著的話,就會特別幫漢字標注上假名,或直接採用表音文字的假名。

台湾のドレミの歌

台湾にもドレミの歌というのはあって、それは「ㄉㄛㄖㄨㄝㄇㄧ」(ドレミ)というみたい。

ただ、その歌詞が本場のサウンドオブミュージックとは全く違うことは言うまでもない。

日本語でもそうだけど、ドレミの音に韻を踏む翻訳になる。
メスのdeerや光線のrayでもなく、ドーナツのドやレモンのレではないけど、
さすがに漢詩の国名なのか、台湾の場合は文章の最後の漢字で韻を踏んでいる。

ㄉㄛ唱歌兒快樂多(ド 歌えば楽しい)
ㄖㄨ就忘記眼淚(レ 泣くのは忘れて)
ㄇㄧ你真是太甜蜜(ミ あなたはかわいいんだ)
ㄈㄚ我有個辦法(ファ 私は思いついたよ)
ㄙㄛ快聽我對你說(ソ 私の話を聞いて)
ㄌㄚ把煩惱拋開來啦(ラ 悩みは要らないよ)
ㄒㄧ從今後笑嘻嘻(シ 笑顔いっぱいにして)
唱起歌來快樂多(ド 歌えば楽しくなる)

「( )」の中の翻訳は、参考までにつくってみたものだよ。
ネット上にはいろいろな変形のドレミの歌が存在するけど、これがオリジナルに近い歌詞なんだと思う。
台湾人もみんな「ドレミ」の歌をよく知っているはずだけど、実はうろ覚えの人も結構いるのかもしれないね。

ちなみに、台湾のドレミの歌には二番はなく、これで歌は終わるらしい。

台湾人の音階の読み方」も見てね。

用日語讀漢文的方法(2)

以王維的「鹿柴」為例:

圖中紅色部分為「返り点」,漢字右側 (有些偏右下) 所標注的藍色的平假名和黑色的片假名則可以讓日本人知道這些漢字、詞彙或是句子該怎麼讀。

第一句「空山不見人」中有兩個「レ点」,由於遇到「レ点」時要先讀下面的字再讀上面的字,因此「人」優先於「見」,而「見」又優先於「不」。

第二句「但聞人語響」中出現的是「一二三点」,由於「聞」之下標注為「二」,而「人語響」之下標注為「一」,因此「人語響」優先於「聞」。

第三句「返景入深林」中也出現了「一二三点」,由於「入」之下標注為「二」,而「深林」之下為「一」,因此「深林」優先於「入」。

第四句「復照青苔上」由於沒有「返り点」,因此直接照著原有的順序讀即可。

將這些句子整理之後,日本人眼中的「鹿柴」的文字閱讀順序為:

空山人見不
但人語響聞
返景深林入
復照青苔上

第一次看到這樣的文字排列方式的台灣人可能會一頭霧水,如果把假名 (圖中的黑色片假名部分) 加上去的話,對於學過日文的台灣人而言,可能就會比較熟悉了。

為了便於閱讀,我們把黑色片假名部分直接寫成平假名套入中:
第一句的「人」的右下有個「を」,所以第一句為:空山人を見不
同理,第二句的「但人語響聞」加上假名後則變為:但だ人語響きを聞くのみ
第三句的「返景深林入」加上假名後則變為:返景深林に入り
第四句的「復照青苔上」加上假名後則變為:復た照らす青苔の上

而圖中藍色部分的平假名是日本人看到漢字時可能會一時無法意會的地方,例如「不」這個字旁邊有個「ず」,意思就是「見不」=「見ず」。而第二句的「但だ」則讀為「ただ」,第四句的「復た」則讀為「また」,「苔」則讀為「たい」。

整理之後,日本人朗讀「鹿柴」的方法如下:

空山 人を見ず
ただ 人語の響きを 聞くのみ
返景 深林に 入り
また照らす 青苔の上

くうざん ひとをみず
ただ じんごのひびきを きくのみ
へんけい しんりんに いり
またてらす せいたいのうえ

對日本人而言,由於這樣的句子是屬於他們比較熟悉的文法結構,因此日本人除了讀起來比較順以外,也比較容易理解詩的內容。

ブログ「梅と桜」のポリシー――品位ある場所を守るために御協力いただきたいこと

このブログにコメントをいただくことは大変ありがたいことだと思っていますが、最近、コメントの内容を見ていると、品位のないコメントがちらほらあらわれ始めています。
そこで、以前からこのブログではネチケットについて多少なりとも紹介してきたのですが、今回は、品位のないコメントは要らないということを書きたいと思います。

どういうものが品位がないものかということを紹介します。

ためにする議論
書き手の文章の揚げ足をとったり、言葉じりをとらえ、都合のいいフレーズを勝手に拾い上げて意地悪に批判するといった行為は、そのコメントを読む私たちにとっては不快にしか感じません。
どういうコメントを書くかというのは、詰まるところコメントを書く方の品位の問題です。しかし、特にためにする議論をされる方の文章は品位のないコメントに陥りがちです。

政治的にデリケートな内容
このブログのトピックを多くお読みの方はよくおわかりだと思いますが、このブログでは神経質なほどにデリケートな政治的な要素は排除して書いてきています。その意図をくみ取ってくだされば、政治的にデリケートな内容のコメントというのは出てこないはずです。
このブログのコメントとして政治的な書き込みをするなと書いているわけではありません。しかし、特に政治的にデリケートな話についてコメントを書くと、センセーショナルで独善的な内容になり品位のないコメントに陥りがちです。

日本人や台湾人の個人的な批判
このブログは日本人と台湾人の書き手がそれぞれにお互いの興味のある相手の国のことを誠実に紹介しているブログです。その意図をくみ取ってくだされば、日本と台湾のお互いのひどい悪口を言うコメントというのはないはずです。
日本人が迷惑な台湾人について批判する、台湾人が迷惑な日本人について批判する、どちらでもいいのですが、個人的な私怨が伴う批判の場合、よほど注意をしない限りは批判する側の品位のなさがそこに見えてしまいます。

ネット上には、多くの議論があふれ、政治的にデリケートな話で論争が起こり、日台の過激な批判が展開されている場所もあることでしょう。それを否定するつもりはありません。
しかし、私たちはネット上の醜い声を集める掃きだめにするためにこのブログをつくってきたわけではありません。コメント欄は自由に投稿できるようにしていますが、それは何でもかんでも書いてもいいから開放しているというわけではありません。

私たちはこのブログのURLを固定して、もう2年以上責任を持ってブログ運営をしています。
このブログの書き手である我々が本当に神経質に気を使ってきたこのブログに対する品位を汚す内容を目にして、正直に言えば落胆することがふえてきていることに懸念し、品位のないコメントは要らない、このような御注意を書くことにします。

なお、以下、以前にも書いたブログのネチケットについての書き込みを紹介します。こちらもあわせてみてみてください。
ブログ「梅と桜」のネチケット1――いただきたいコメントといただきたくないコメントの紹介
ブログ「梅と桜」のネチケット2――疑問・訂正を提起する際のコメントの方法の紹介
ブログ「梅と桜」のネチケット3――引用&トラックバックについての要望
ブログ「梅と桜」の「おもてなし」――いただいたコメントに対する返信姿勢
ブログ「梅と桜」のポリシー――「楽しく書く」ために御協力いただきたいこと

用日語讀漢文的方法(1)

由於日本人在學校所學的漢文中,有很多是屬於中國古代的名言或是著名的詩,因此日本的國語科的老師在教漢文時,會教學生讀漢文的方法,並讓學生朗讀這些中國古代的文學作品。

由於漢文的文法結構和日本人的母語 (日語) 的文法結構不同,因此一般日本人其也無法直接閱讀,而是要靠一些特別的符號來引導閱讀,而那些符號可以在一些經過日本人謄寫或是注釋過的漢文文章中看得到。

其中一種符號 (文字) 就是假名,目的是用來標注漢字的讀音,假名是標注在漢字的右方,標注的方法有點像是台灣小學生在寫直式作業簿時在國字旁邊寫上注音符號的樣子。

而另一種符號 (文字) 則是用來標注閱讀順序用的符號。這一類符號通常是標注在漢字的左下方 (漢字右下則是標注標點符號的地方)。這一類的符號叫作「返り点」。


「返り点」的「レ点」。在「我読書」這句話中「読」的左下方有一個像是勾勾的符號,其實這個符號是日文片假名中的「レ」字。標注「レ点」的部分的閱讀順序是先讀「レ」下面的漢字,再讀「レ」上面的漢字。因此這句話對日本人而言的閱讀順序是「我書読」。


「返り点」的「レ点」。在「朽木不可雕」這句話中,出現了兩個「レ点」。一個是在「不」和「可」之間,另一個則是在「可」和「雕」之間。由於「不」和「可」之間有「レ点」,因此閱讀順序是「可」優先於「不」,而因為「可」和「雕」之間也有「レ点」,因此「雕」又優先於「可」,因此對日本人而言,這句話的閱讀順序是「朽木雕可不」。


「返り点」的「一二三点」。上面的「レ点」是用在兩個相鄰的字之間的符號,如果是如果間隔為兩個字或是兩個字以上的話就要用「一二三点」。而閱讀順序是從數字最小的詞開始。例如「富貴非吾願」這句話中,「吾願」下方為「一」,而「非」的下方為「二」,因此日本人閱讀順序是「富貴吾願非」。而由於這句話比較簡單,所以只有「一」和「二」而已,在一些結構比較複雜的句子中,還會出現「三」,而閱讀順序則是「一」→「二」→「三」。

台湾人の音階の読み方

台湾人はやっぱり音階はドレミファソラシドと読むらしい。

ただ、もちろん片仮名で読むわけに行かないから、台湾現地での字を使って読ませるんだけど、
その際、特に固定した漢字の充て方があるわけではなく、
その字が書かれるときは、アルファベットか注音記号を使ってあらわすのが普通みたい。
do re mi fa sol la si do
ㄉㄛ ㄖㄨㄝ ㄇㄧ ㄈㄚ ㄙㄛ ㄌㄚ ㄒㄧ ㄉㄛ
ただ、五線譜とかを学習しているときにその下に音階をルビのように振るということはないのは日本と同じだと思うから、音楽を演奏する上でこういう書き方を常に見ているわけではないと思うよ。

これとは別に、楽譜としてはドレミを数字であらわすものもあったりする。
それのことを「簡譜」(jian3pu3)というよ。多分日本では数字譜というのかなと思う。

ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド
1 2 3 4  5 6 7 1
厳密に言うと、一音階上がると、「1」の上に点がついたりする。

簡譜というのは台湾ではよく見られるもので、
つまり、台湾人は、数字を見ればそれがどの音階を示しているかわかるということだね。
日本だと、一部に愛好者はいるんだろうけど、体系的には大正琴とか限定的なものでしか使わないんじゃないかと思う。

日本的漢文(2)

日本之所以會把漢文納入國語教育,是因為漢文對於日本的語言、文字以及文化有相當大的影響,例如日本早期 (五世紀左右) 的一些史料就是用漢文所寫成的。不過這並不代表古時候的日本人擅長中文,事實上,在西元七世紀的時候,日本的宮廷的史官以及文書官幾乎都是一些從朝鮮半島或是大陸來的移民者或是移民者的後代。


古記事。古記事是由漢文所寫成的日本神話,如果不仔細看的話恐怕有人以為這是來自中國的古書。
引用先:太安万侶『古事記・上』東京, 柏悦堂, 1870, P.25-26


日本書記。日本最早的編年體史書。如果漢字旁邊沒有加注假名的話,恐怕也會有人誤以為是來自中國的古書。
引用先:舍人親王『日本書記・卷第一』東京, 上原左之吉, 1884, P.37-38

後來,隨著愈來愈多的日本人開始理解漢文的意義及用法,日本的「漢文學」也漸漸發展起來。相對於平安時代的一些受過教育的日本女性以平假名寫成的日記、散文等平假名文學,漢文學主要是屬於男性以漢字及中文文法所創作的文學,內容多半是以漢詩文為主。當然,對日本人而言,漢文畢竟是外國的東西,在結構上和日語非常不同,因此日本人若要自由自在地創作漢文作品,是要付出相當多的努力的。
而在日本的高中的古文的漢文部分,除了介紹漢詩以外,也會介紹日本人創作的漢詩文:

九月十日 菅原道真

去年今夜侍清涼
秋思詩篇獨斷腸
恩賜御衣今在此
捧持每日拜余香

題自畫 夏目漱石

碧落孤雲盡
虛明鳥道通
遲遲驢背客
獨入石門中

菅原道真是西元九世紀時代的人,而夏目漱石則是現代人。在日本的某些版本的高中教科書中可以找到這兩個人的作品。如果光是看詩的內容的話,其實很難想像這兩首詩是日本人的作品,特別是詩中的動詞和受詞的位置是屬於中文而非日文的文法結構。

台湾のろうそく

台湾でろうそくというと、赤い軸を想像するものだと思う。
実際には白いろうそくもあるけど、それは葬式とかに使うのかなと思う。
何か白い色は縁起が悪いと感じるみたいだよ。
ただ、墓参とかに行くときは赤いろうそくが選ばれることの方が多いようで、
そういう感覚はよくわからない。

祖廟とかに行くと、赤いろうそくが見られるよ。
台湾のろうそく 台湾のろうそく
どうして燃え続けていられるんだろうというような超巨大ろうそくとか、
風よけがついているものもあって、それは物珍しく映る。

ただ、写真のものは随分特殊なものだと思う。
実際に普通の台湾人が墓参とかに使うのは、クレヨンぐらいの太さのものだと思うから、
色以外は日本のものとさほどかわりばえはしないんじゃないかな。