日本的首都圈(3)

日本政府在1950年制定的「首都建設法」,是單純針對東京這個地方的特別法律。由於當初是由東京都的議員和民眾提出,所以並沒有設想到東京都以外的區域。其實很多支持東京工商業的人是住在東京周邊的都市。如果要讓東京健全發展,就不能把建設侷限在東京都。所以「首都建設法」實施兩年後,就有官員在日本國會提出「首都圈」的構想。

當時日本的官員在國會中提出的「首都圈」構想,和現在日本實施的「首都圈整備法」的「首都圈」不太一樣。

當時的「首都圈」指的是以東京的都心部為中心,半徑45公里的範圍。東京的都心地帶一般是指千代田區、中央區及港區。而這個範圍包括東京都,以及神奈川、埼玉、千葉的一部分,以及茨城縣的邊緣的一小部分。

也就是說,當時日本官員們眼中的首都圈是「一都四縣」,而且「四縣」只是四個縣裡面比較接近東京的城市,並不包含整個縣。
(※現行的首都圈範圍是「一都七縣」,而且「七縣」是完完整整的縣)

由於當時有議員覺得半徑45公里的範圍太小,所以官員就把「首都圈」的範圍擴大,從半徑45公里擴大到50公里。之後又從50公里擴大到70、80公里,甚至100公里左右。由於關東地區的各個縣都希望能得到國家補助,所以各自開始向中央爭取把自己納入首都圈。就連中部地方的山梨縣也開始向中央提出納入首都圈的要求。

關東六個縣因為都在平原上,地理上並沒有明顯的境界,所以加入首都圈並沒什麼問題。不過中部地方的山梨縣在立場上就比較特別。「關東」「中部」「甲信越」雖然是概念性的區域分類,不過從地理上來看,離東京頗遠的群馬、栃木都是屬於關東平原的部分,交通方便。至於山梨縣則屬於日本中部的山區,地理上和關東平原沒有什麼直接關係。不過山梨縣直接和東京相鄰,不像群馬、栃木、茨城等縣和東京之間還夾了其它的縣,所以山梨也非完全沒有納入首都圈的條件。

而從「首都圈整備法」的結果來看,山梨縣確實被納入首都圈,而這個結果也可以想像當時山梨為了爭取加入首都圈時,付出了相當多的努力。不過即使是現在,還是有不少日本人無法理解:為什麼首都圈的範圍除了關東地方外,還要再加上山梨縣。

註:
1956年「首都圈整備法」取代了原先的「首都建設法」,成為日本首都建設的法源依據。

彼氏、彼女を表現する その2

彼氏、彼女を表現する その1」で、彼氏とか彼女のことをどういうのかを書いてみたけど、
今回は、実際につき合う時の言い方を書いてみるね。

カレ、カノジョとつき合うの場合は、「交」(jiao1)を使って、
「交男朋友」(jiao1 nan2peng2you3)「交女朋友」(jiao1 nv3peng2you3)という。

彼氏、彼女ができたというのは、「交了」(jiao1le)を使って、
「交了男朋友」(jiao1le nan2peng2you3)「交了女朋友」(jiao1le nv3peng2you3)という。
「有了」(you3le)という言い方もあるけど、どちらかというと「交了」を使うようだ。

彼氏、彼女がいる、つまり、恋人がいるというのは、「死会」(si3hui4)という。
私は彼氏がいますだったら、「我已経死会了」(wo3 yi3jing si3hui4 le)となる。
何か物すごく、カップルとか恋人とかいう雰囲気の漢字じゃないんだけど、
その心は、彼氏彼女がいるから、もう周りの人には恋愛のチャンスがないということを示唆しているのだ。
もちろん、「我有男朋友了」(wo3 you3 nan2peng2you3 le)という言い方もあるよ。

彼氏、彼女がいないというときは、「没有」(mei2you3)を使って言うから、
私は彼がいないということだったら、「我没有男朋友」(wo3 mei2you3 nan2peng2you3)と言えばいい。

ただ、実際には、台湾人自身がみずから彼氏、彼女がいるorいないという言葉を使う機会は、多分日本のそれよりも少ないようだよ。
それはなぜなんだろう――ということは、次回書くことにするよ。

日本的首都圈(2)

在談首都圈之前,先要談什麼是「首都」。

很多人可能以為「首都」是理所當然的制度,其實「首都」一點也不理所當然。從字面上來看,「首都」的意思是國家當中的第一都市,或是最重要的都市。

然而「第一」是什麼呢?「最重要」又是什麼呢?

國家的本質是政治集團,所以「第一」或「最重要」可以指政治上的第一,或是政治上最重要的都市。所以有些人會把國家政治中心的都市當成首都。

但是事情並沒有這麼單純。

日本在江戶時代,國家的行政中心在江戶。江戶就是現在的東京。雖然行政中心在江戶,不過日本天皇住在京都。江戶時代的最高權力者是幕府將軍。不過幕府將軍是由朝廷的天皇指名。由於朝廷在京都,所以實質上京都才是日本的首都。

一直到了江戶幕府結束,江戶府改名成東京府,然後明治天皇搬到東京,才化解了這個矛盾。「府」是以前幕府的重要直轄都市的行政區名稱。其他比較不重要的都市則叫「縣」。「府」「縣」以外,就是地方大名的「藩」。東京府成立時,其實行政上和一般的縣沒什麼兩樣,所以東京並沒有受到特別的待遇。

到了1943年,日本政府為了強化首都機能,而將東京改為「都」制。不過改了沒多久,日本就戰敗了。終戰當時,東京已被聯軍炸得滿目瘡痍。日本在重建國家時,東京的複興狀況和其他地方都市一樣,並沒有受到特別照顧。

到了1949年,有東京都議員和東京出身的國會議員覺得東京是國家政治中心,非常重要。但是單憑當時東京的力量,無法完全複興,所以必須借重國家的力量來建設東京。於是在日本國會中提出「首都建設」的構想。結果1950年制定了「首都建設法」。由於這個法律本來是由東京的都議員和東京出身的國會議員提出,所以這個法律的本質是以專案處理的方式來建設東京。

在1950年當時,日本並沒有「首都圈」的概念,「首都建設法」只適用於「東京都」內而已。

「首都建設法」實施後沒幾年,日本政府就發現「首都建設法」有問題。因為這個法律只適用於「東京都」,然而在東京工作、支持東京的產業的人未必都住在東京。如果只建設東京的話,非常奇怪。如果要讓東京順利發展,東京的聯外交通也非常重要。如果東京的周邊都市也包含在首都的建設計畫,對首都的發展會更有利。於是就開始出現「首都圈」的構想,而首都的建設也延伸到東京的周邊都市,不再限於「東京都」的行政區內。

台湾の代替滑走路になる道路

台湾では、代替滑走路に転用できる道路がある。
それはつまり、有事にはその道路から航空機が離着陸できるということを意味しているのだと思う。
台湾に果たして幾つあるのかとかそういうのはよくわからないんだけど、
一般に知られているところとしては、「国道1号」「省道台1線」とかがあるみたい。

「国道1号」というのは高速道路で、基隆港から高雄港までという全長約373キロの長い道路で、
そのうちの幾つかが滑走路に転用できるようになっているみたい。
幾つかと書いたのは、それがどこでどういうふうになっているのかというのはよくわからないという意味だよ。
全部が全部そうなっているわけじゃなくて、転用できる箇所とかでは、
中央分離帯が稼働可能のコンクリートブロックになっている部分があるんだって。
以前、もっと貧弱な棒で区切っていたときは、自動車事故が多発していたみたいだよ。

「省道台1線」というのは一般道で、台北市から屏東県までこれまた長い道路、
全長約465キロのうちの2キロほどが軍事転用できるようになっているらしい。

この写真は屏東県周辺を走っているときのもの。
地域が地域ということもあるけど、道路が広いだけじゃなくて周りに何もないような感じの道だよ。

有事の際の代替滑走路というものは、現実的にはこういうのは軍事機密の分野だし、
このブログでもこの興味を突き詰めるつもりはないから、
一応、そんなものがあるということを紹介するにとどめておくよ。

日本的三大都市圈

在台灣,如果提到三大都會區的話,一般指的是台北、高雄和台中這三個地方,而台北市、高雄市及台中市也分別是台灣人口最多的三個城市。而在日本,所謂的三大都市圈則指的是以東京、大阪以及名古屋三個城市為中心的都會區。

日本的三大都市圈的稱呼方式有很多種,例如有些人把以東京為中心的都會區叫作「東京圈」,而也有人稱之為「首都圈」。而大阪的都會區則可能被稱為「大阪圈」、「關西圈」或是「近畿圈」,而名古屋的都會區則被稱為「名古屋圈」、「中京圈」或是「中部圈」等。而一般日本人口中的「○○圈」通常只是一種概念性的東西,若真要詳細地詢問他們「○○圈」的定義、或是範圍時,恐怕每個人說出來的答案都不同。

事實上,日本的三大都市圈的概念其實可以由日本的地域整備的相關法律中看到。日本政府於1956年所制定的「首都圈整備法」中,將「首都圈」定義為以東京都為中心的一都七縣。

而在1963年,日本政府又制定了「近畿圈整備法」,這個法律的目的是要把「近畿圈」建設成和「首都圈」一樣的大都會,並指定了二府六縣為「近畿圈」的範圍。

之後,日本政府又於1966年制定了「中部圈開發整備法」,而這個法律的目的是為了強化「首都圈」及「近畿圈」之間中部地方的經濟及產業等地域機能,並指定了九個縣為「中部圈」的範圍。

儘管「首都圈整備法」、「近畿圈整備法」、「中部圈開發整備法」分別定義了「首都圈」、「近畿圈」以及「中部圈」的範圍,但是那些定義只適用於那些法律以及相關政策而已,所謂的三大都市圈仍然是一種概念性的東西,而事實上,「近畿圈整備法」、「中部圈開發整備法」中所定義的「近畿圈」及「中部圈」其實還有重複的區域。而日本政府每年向國會提出的首都圈整備相關報告中,除了「首都圈」以外,還定義了所謂的「東京圈」、「關西圈」以及「名古屋圈」,而這三個地域的範圍也和「首都圈」、「近畿圈」以及「中部圈」的範圍不同。而那些定義也只適用於那個報告書而已。


(作成ソフト:白地図KenMap)
首都圈。圖中塗上顏色的區域即「首都圈」的範圍,而在日本政府向日本國會提出的首都圈整備相關報告中還定義了「近鄰三縣」(埼玉、千葉、神奈川),以及「周邊四縣」(茨城、栃木、群馬、山梨),而「東京圈」則被定義為「東京都」+「近鄰三縣」。


(作成ソフト:白地図KenMap)
近畿圈。圖中塗上顏色的區域即「近畿圈整備法」中定義的「近畿圈」的範圍。而日本政府每年向國會提出的首都圈整備相關報告中所提到的「關西圈」則指的是「近畿圈」範圍中的淡紫色部分。


(作成ソフト:白地図KenMap)
中部圈。圖中塗上顏色的區域即「中部圈開發整備法」中定義的「中部圈」的範圍。而日本政府每年向國會提出的首都圈整備相關報告中所提到的「名古屋圈」則指的是「中部圈」範圍中的淡紫色部分。

由以上的圖也可發現,福井縣、滋賀縣以及三重縣既屬於「近畿圈整備法」中的「近畿圈」,也屬於「中部圈開發整備法」中的「中部圈」,而這個重複的意義就只是「近畿圈整備法」考慮到了這三個縣和近畿圈的連結規劃,而「中部圈開發整備法」則考慮到了這三個縣和中部圈的連結規劃,如此而已。

台湾の火山

台湾は、地震もあるし、温泉もあるので、火山国だよ。
地図帳を見ても、台湾の位置自体が環太平洋造山帯の付近にあるとも言えなくはない。

台湾で有名な火山といえば、やっぱり陽明山とかかな。
そこは、大屯火山群と言われていて、確かに火山由来の地形が見えたり、硫黄の蒸気が噴き出ていたりとか、温泉とかがあるんだけど、
陽明山は長らく死火山という説が専らの山だったんだよ。
そして、陽明山がこんな感じだったわけで、長らく台湾に活火山があるという感覚も本当に薄かった。

ただ最近、にわかに台湾の火山情勢も少し認識が変化してきた。
例えば、宜蘭の亀山島に海底火山として活火山があるということが2005年に判明したりした。
陽明山についても、2006年5月に活火山という説も出てきた。

ともあれ、台湾の火山は、噴火して都市圏に被害を及ぼすというのとはほど遠いような火山で、
火山活動も、一般的な台湾人が実感するのはやっぱり地震とか温泉がわき出るとかが専らなのかなと思う。
やっぱり台湾人の感覚としても、台湾に火山があっても、それらが噴火して火山灰や溶岩が噴出するというのは、
まるで映画の中での出来事のような非現実的な感覚のものだと考えると思うんだよね。

ちなみに、台湾で一番高い山は玉山だけど、玉山は火山ではないよ。

日本的首都圈(1)

在NHK的電視新聞或是氣象中,經常可以看到「首都圈」這個詞。所謂「首都圈」,指的是以東京為中心的都會區。「首都圈」的定義是來自於日本的「首都圈整備法」的第二條,內容大致上是說:本法 (指首都圈整備法) 中的「首都圈」指的是由東京都這個區域以及政令所規定的周邊區域所構成的一個廣大區域。而在日本的「首都圈整備法施行令」中的第一條則明文規定了東京的周邊區域:埼玉縣、千葉縣、神奈川縣、茨城縣、栃木縣、群馬縣、山梨縣這七個縣。也就是說,所謂的「首都圈」指的就是東京都加上這七個縣的區域。

日本的首都圈的土地總面積約為35121平方公里,由於這樣的面積和台灣的大小差不多 (比台灣略小一點點),因此如果台灣人光看這個數據的話,可能會覺得日本的首都圈非常大,不過由於首都圈的區域形狀並不像台灣那麼狹長,因此對於住在東京的日本人而言,首都圈之內是可以進行當天來回的旅行的 (而且還不需要動用新幹線)。而根據2005年的統計資料,日本的首都圈人口為4237萬人,也就是說,這個和台灣面積相近的區域中的人口密度約為台灣人口密度的兩倍!


這個地圖是來自於日本中學生社會科的輔助教材。圖中由深紅色線條所圍成的區域是日本的「關東地方」,而整個「關東地方」的一都六縣加上「中部地方」的山梨縣即為「首都圈」的範圍。所謂的「關東地方」以及「中部地方」僅為該教科書中所用的一種地域的分類方式,實際上日本對於「地方」的分類方式並沒有一套統一的標準,例如在日本的某些氣象預報中,山梨縣並不是被歸類為「中部地方」,而是被歸在「甲信越」的區域或是直接被歸類在「關東地方」。
引用先:帝国書院編集部編『中学校社会科地図』帝国書院(初訂版), 1996年, p.141(一部加筆)

日本の中国語表示(繁体字と簡体字) その4

中国語の文字には大きく繁体字中国語と簡体字中国語があることはずっと書いてきているんだけど――
その上で、中国が簡体字を使っていて、台湾と香港が繁体字を使っていると考えると、人口ベースで考えれば、簡体字使用人口は圧倒的に多いわけで、
だったら、じゃあ日本の国内で中国語でインフォメーションをつくるんだったら、簡体字でいいかなと考えてしまいそうなんだよね。

もちろん、日本に生活している人たちで考えれば、多分、簡体字のニーズは多いと思う。それは否定しない。
でもね、少なくとも、外国から日本へ来た旅行者向けということを考える場合、状況は逆転する。
観光インフォメーションを簡体字中国語だけで用意するのはどうかなと思うんだよ。

ちょっとグラフをつくってみたので、見てみてね。
一つは法務省の新規入国者の統計、もう一つはツーリズムマーケティング研究所というところから統計を引っ張ってきてみたものだよ。

わかりやすいように、上位5国・地域の観光客の繁体字使用と簡体字使用の別を色分けしてみている。
グラフの赤い線が中国、青い線が台湾と香港だよ。台湾だけを見たい人はピンクの線を見てね。
ちなみに、シンガポールは簡体字、マレーシアは繁体字とか、華僑はどうしたという数値はもちろん入ってていない。しかしながら、言葉を純粋に漢字に強く依存し、かつ完全なリテラシーがあると思われるのは中国、台湾、香港だと思うので、それ以外はこの際は入れなくてもいいと思う。

繁体字と簡体字、どちらの利用人口も、かなり多くの人が日本にやってきているのだ。
しかし、このグラフを作成している2006年度末現在では、簡体字中国語使用者より、むしろ繁体字中国語使用者の方が日本によく来ているとも言えるわけで、特に外国からの来日した観光客となると、その数は決してインフォメーションづくりが簡体字中国語だけでいいというふうに済ませられない数になっていると思うんだよね。

こういうふうな書き方をしたのは、今、日本でもやはりアジアでの観光客を呼び込もうと一生懸命になっている。そして、インフォメーションとして中国語のパンフレットを用意しているところが多くなってきているんだけど、実は簡体字しか用意されていないところも多いからだよ。
それは、日本人の担当者の側が中国語に簡体字と繁体字があることをよく認識していないというのが圧倒的に大きな理由だと思うけど、それだけじゃないよ。
この両者を後から認識できたたからといって、お役所的な仕事の場合、最初の企画の中で繁体字というオプションを入れておかないと、途中から新規に繁体字中国語を追加する可能性はほとんどない(予算がないOR取れなさそう)というのも事実だと思うから、特に観光インフォメーションについては最初から繁体字も忘れずにお願いしたいと、今この時期でアピールしておきたいと思うのだ。

次回は、最後に、エモーショナルなことに触れて、この連載を終わりにしたい。

興味があったら、過去のものも見てね。
日本の中国語表示(繁体字と簡体字) その1 その2 その3

日本的墳墓(3)

在台灣,墳墓大多是個人墓。個人墓的墓碑正面會寫下葬者的名字,甚至還會貼照片。

日本的墳墓通常是家族墓。整個家族共用一個墓碑,所有下葬者的名字都會刻在墓碑的側面。由於墓是由整個家族共用,所以不會像台灣的墓那樣貼有個人照片。

由於日本的墓的外觀比台灣的墓樸素,所以台灣人經過日本的墓園時,可能比較不會覺得恐怖。不過墓地畢竟是墓地,儘管墓碑上的文字沒有加上醒目的顏色,而且也沒有個人照片,對日本人而言,墓地仍然是不吉利的地方。日本漫畫《ゲゲゲの鬼太郎》的主角鬼太郎就是在墳墓中誕生並爬出墳墓。因此在日本小孩的印象中的墳墓,是那晚上會出現妖怪的陰森森的地方。


典型的日本墳墓。在一些墳墓的入口,會設有供人放名片的地方。這樣的設計可以讓家屬知道有誰(通常是死者的朋友或一些相關人士)曾經來過。

大部分的日本墳墓的後方,會插有一根一根的「卒塔婆」。「卒塔婆」本來指的是佛教供奉舍利的佛塔。日本的墳墓後方的「卒塔婆」則是用木板製成的「象徵佛塔」。日本人在掃墓時,會請和尚舉行法事。法事結束後,和尚會送給家屬一根「卒塔婆」。而家屬就會把「卒塔婆」插在墓碑後方的架子中。由於「卒塔婆」是由木板製成,所以有風的時候會搖動碰撞。在日本人的感覺中,卒塔婆彼此碰撞的聲響對非常毛骨悚然。


卒塔婆。木板上半部的文字是由梵文寫成,木板上端的椎狀部分以及兩側的刻痕則是象徵佛塔的外形。以前這些文字都是用手寫,電腦技術進步後,卒塔婆上的梵文多半是由專用印表機印製。

アクセスランキング16位に登場

どうして、なぜこういうふうになってしまったのかという感じだけど――

5月21日、このブログが、gooブログのアクセスランキングの16位にランクインされたんだって。
ちなみに、gooブログの5月21日現在のユーザー数は781804。
1日で3719IPの人に見てもらえた。

今回のアクセス増は、「ラニューの銀座にある日本1号店」へのアクセスがほとんどだと思う。
だから、しばらくしたら、いつもと同じような状態に戻ると思うんだ。
――こういう言い方は、ちょっと寂しいけどね。

多分、アクセスランキングは、これがマックスだろうね。
最初は、アクセス増というのに興味があって、ランキングに掲載されることに励みを感じたから、こんなブログの履歴も残そうということにしていたんだけど、
最近は、自分がいかによく書けるか、書いていくかということに主眼が行くようになった。
これで最終回になるとは言えないけど、限りなくその可能性は高いと思っている。

次回からは、機会があれば、蓄積という意味でのアクセス状態を紹介していくことにするよ。
流行やセンセーショナルなことはうまく書けないから、突出はしないけど、
やっぱり日々続けているからこそ、蓄積しているものを目指せるのかなと思う。

前回の書き込みを見たい人は、「アクセスランキング196位に登場」(2007-01-30)を見てね。