日本的英語教育(1)

2006年現狀篇

台灣在2001年已經正式實施國小英語教育,並於2005年將國小英語教育的實施學年從國小五年級向前推至國小三年級。在其它亞洲國家方面,泰國和韓國的小學英語教育是從1990年後半就已經全面實施,中國大陸則是2001年於各大都市開始實施 (少數菁英學校在90年代就已經實施),2005年則原則必修化。而目前 (2006年現在) 的日本,仍然沒有實施小學英語必修化。也就是說,日本的學校正式英語教育,仍然是從中學才開始。

所謂的日本的小學並沒有實施英語必修化,並不是指日本的小學沒有英語課。事實上,就2005年的統計資料來看,日本96.3%的小學是有「英語活動」的,而所謂的「英語活動」即相當於小學的英文課。而在日本每四間小學中,就有三間小學是從一年級就開始實施「英語活動」。儘管日本96.3%的小學都有「英語活動」,但是由於這並非日本的國家教育政策,而是小學自己的內部政策,因此如果是在剩下的6.4%的小學就學的日本學童,是無法在學校中學到英文的。而所謂的6.4%,表面上看起來似乎不大,但是實際上,這代表著日本有一千四百多間的小學是完全沒有實施英語教育的 (參考:台灣的小學總數為兩千六百多間)。而這些「英語活動」的內容,主要是唱歌、遊戲、會話以及簡單的發音練習。

儘管2006年現在的日本,尚未實施小學英語必修化,但是這個政策已經在討論之中。而在政策研究時所做的一些調查中,在學生家長方面,贊成小學英語必修化的人是佔半數以上,在小學老師方面,則是反對小學英語必修化的人佔半數以上。

學生家長贊成小學英語必修化的理由當然是基於英語教育越早越好、而自己的孩子學得越多越好的立場。當然,也有一些家長擔心小學老師英語專業能力不足,或是擔心小學老師教壞孩子發音,因而反對這種政策。

至於小學老師反對小學英語必修化的理由則是因為其它的科目的教學時間已經不夠,如果再加上英語課的話,必然還會再擠壓到其它科目的上課時數。另一個比較重大的理由則是這些日本的小學老師認為日本學童學習自己母語 (日語) 的時間已經不夠,在學英語之前起碼要先把自己的母語學好才對。

コメント

  1. Unknown

    作者好想没弄清楚中国大陆的英语教育情况。实际上大陆早在80年代已经开始在小学进行英语教育,并非90年代才在精英学校进行。

  2. 次回は名前を書いて投稿下さい
    (Unknownさんへ)
    こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
    こちらが根拠にした各国の英語教育の資料は日本語による、それなりに間違いのないものからとってきています。しかし、あなたはいとも簡単に結論を下されていまして、ちょっと驚いています。
    あなたに質問したいことは、では、「事実上」「一部」ではなく、中華人民共和国で全国あまねくそれなりの制度として小学校での英語教育を開始されたのは、それはいつか、ということです。
    例外的なものを教えていただく必要はありません。中にはこういうのもあった、ああいうのもあったということを書いていくと、全体の主題がぼやけてしまい、このトピックを書いた意味合いもなくなってしまうからです。

    最後に、あなたは名前もお書きにならないし、タイトルも書かない、そして書き捨てるような内容のコメントをしているように見えます。

    多分ここにはもう来られないかもしれませんが、このブログで何度も書かせていただいていること――、このブログのコメントは自由に書いてもらっていいけれども、それは何でも書いていい、好き勝手なことを書いてもいいということではないということを確認させてください。
    (参考)
    「ブログ「梅と桜」のネチケット2」
    http://umesakura.jp/20050711024557.html
    「ブログ「梅と桜」のポリシー――「楽しく書く」ために御協力いただきたいこと」
    http://umesakura.jp/20051123015138.html
    「ブログ「梅と桜」のポリシー――品位ある場所を守るために御協力いただきたいこと」
    http://umesakura.jp/20070605230449.html

    次回返事の際には、名前を書いて投稿下さい。また、このブログの感想もお待ちしています。
    ☆☆☆

  3. Gordon

    我是顶楼的Unknown读者,回来看到博主的一篇回复,不知是否在回应我的说法?抱歉,因为不懂日文,所以…….

    不过如果你要问我说法的支持理据,我还可以列举一些。本身我就是大陆人,自幼居住在广州。早在建国以后,国内就有开始在学校中教授外语。不过因当时的亲苏氛围,很多学校教的都是俄语,而不是英语。但后来中苏交恶,于是又大量改教英语。

    在我的父亲一辈人中,他们学的是俄语;而到了我们这一代(70年代出生的),大多学的是英语。大陆的英语教学早在80年代就在小学推广,从三年级开始学起(8岁左右),一直学到高中三年级(18岁左右),甚至大学(一般毕业时21-23岁不等)。而且也是必修化的科目,甚至牵连职称的考取,学业的晋级,甚至工作的录用等。

    所谓物极必反,英语的作用在中国融入国际社会的进程中被无限夸大,英语考试已经无孔不入,令大陆几千万学生苦不堪言。最近甚至出现名牌大学的绘画系考生,因英文不过关,而失去进修机会,导致讲师(同时也是知名画家)愤而辞职的事。引起社会对英语的地位及作用新一轮的反思。

    目前大陆的英语教育也面临很多问题,例如过于注重语法解构、阅读水平的提高,而忽视口语、听力的运用,导致大量“哑巴”学生的产生,会写不会说。不过这些问题都在不断改善中。

    另,我经常会来看这个Blog,觉得很不错,能了解日本的各种风情。不知道是不是博主一个人写的呢?能否更新快一点,内容再多一点呢?(贪心)

    祝Blog越办越好!

    Gordon

  4. 現状は日本ととても似ていますね
    (Gordonさんへ)
    こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。

    ここでは、Gordonさんのコメントに対する感想を書きます。
    次のコメントで、このブログのトピックとGordonさんのコメントの関連性や私たちのブログのスタンスを書くことにしますね。

    ――自分の言っていることが合っていると言える理由を幾つか列挙できる。もともと大陸中国に生まれ、小さいころは広州にいた。新中国が建国され、早い段階で中国国内では学校で外国語を教えていた。しかし、その当時の時代背景から、多くの学校では英語ではなく、ロシア語が教えられていた。その後、日ソの関係が悪化すると、英語へと変化していった。

    私の父親もその時代背景にいた一人で、父が勉強したのはロシア語だった。そして、私たちの年代(1970年代生まれ)になってくると、多くが英語を勉強するようになった。それは、小学校3年(8歳前後)から高校3年生(18歳)までで、さらに大学(一般的には21―23歳ぐらいに卒業)でもあった。さらにまた、これは必修科目でもあり、職業の合否、学業の進級、さらに仕事の雇用条件等にも影響を与えるものであった。

    いわゆる「物極必反」満ちれば欠けるとは言ったもので、英語の役割も中国が国際社会に進出する過程において無限大に誇張され、英語の試験は既に「無孔不入」あらゆるシチュエーションにも入り込んで、大陸中国の数千万の学生を苦しみに追いやっている。最近では、有名大学の芸術学部の受験生に至っても、英語ができないと、進学するチャンスもなくなってしまい、講師(有名な画家でもある)が憤慨し辞職したという事態にもなっている。このことは社会において英語の地位、役割の再考を促している。

    目下、大陸中国の英語教育は多くの問題に直面している。例えば、文法を重視して、リーディングのレベルは高くなっても、スピーキング、ヒアリングを軽視して、会話ができない学生、書けるが読めない学生を大量に生み出すことになっているのがその例である。

    ――ということですね。
    似たようなことは日本でもあります。全然関係ない専攻なのに、英語ができないと試験で合格できる可能性が少なくなるというのは、日本でも同じですね。一般入試でよくある傾向ですが、配点割合が英語に多いので、別の科目がよくできても、英語ができないと合格ラインに到達できないということがあります。
    また、文法重視云々については、まるで日本の実情を語ってくださっているようですよ。
    そのほか、英語に挫折して中国語を勉強し、幸いにして中国留学後に中国語がぺらぺらになったけれども、就職した会社の規定でTOEICのスコアがよくないと中国を含む海外出張ができないために、結局、勉強した中国語が使えないという人もいますね。

    さて、このコメントの趣旨は、つまり、中国の外国語学習は中華人民共和国になってから存在し、ソ連との関係が深かったときはロシア語、その後は英語へとシフトしてきていて、現在は英語ができないと進学すらままならないということですね。
    だから、英語は古くから勉強されているものなんだ、というのがGordonさんの私たちに対する返答なのかなと思います。この点については、もう一つのコメントを見てくださいね。
    ☆☆☆

  5. 一般化できないということ(続)
    前のコメントの続きです。
    前のコメントで、大陸中国における外国語学習について教えていただいて興味深かったのですが、ただし、私たちがこのトピックで追求しているものというのは、残念ながらこういうものではないこと、したがって、私たちが中国の英語教育状況を把握していないという指摘は当たらないものだと考えているということを書きます。

    簡単に言えば、Gordonさんの話題にしているものは「実情」であって、私たちが求めているものは「制度方針」なのです。
    Gordonさんには私の指摘がすごく意地悪に見えるかもしれませんが、逆に、私たちはいかに厳しい条件を自分たちに課して、このブログを書いているかということをわかってもらうために、このコメントをつくりました。

    例えば、Gordonさんが教育を受けた同じ内容の教育を同年代の中国人が受けているかどうか。かつまた、中国の中央政府の例えば教育部などで方針として決定されて、中国全土(農村を除いた城鎮部だけでもいいです)で制度として行われたことかどうか。――実はそうではないですよね。これらの言語の学習は一部の先進的な地域または学校で行われたものだと思っています。

    実情の紹介としては、Gordonさんの話はとても興味深いもので、参考になります。しかし、この紹介は「実情」であって、私たちがこのブログのこのトピックで紹介したいこととは異なる指摘です。私たちは「制度方針」を話題にしているのであって、これをもって中国の英語教育状況の「根拠」としています。

    「根拠」についてですが、私たちがこのブログで情報を提供していく上では、確固たる「根拠」が必要だと考えています。あいまいな表現をしているときを除き、これはブログを書く上での必須条件だと思っています。そして、根拠に基づいて私たちは書いています。
    今回は、残念ながら、私たちが本文に書いてある時期と内容がより「根拠」に近いということになります。

    また、誤解を防ぐために書いておきますが、これは双方の切り口が違うということであって、どちらが知識をより持っているかを争うゲームではありません。議論をする気もありません。

    それから、Gordonさん御自身、周囲、御家族が外国語(ロシア語や英語)教育を受けたということを否定しているのではありません。Gordonさんの知っている範囲内では、本文にある1990年代よりも前に大陸中国では多くの人が英語を学んできたのだと思います。それを否定するものでもありません。中国人がいかに中国語ができるか、それは一朝一夕ではない、私自身も身を持って経験してきました。
    しかし、これは一般化できないのです。その英語を学校で学習してきている一部の人を取り上げてこのブログの「根拠」としていいのかどうか、今回は実情について紹介しているトピックではありませんので、「No」なのです。

    以上、この文章が長文になったのは、Gordonさんに誤解をしてもらいたくないからです。今後も、自分の経験と異なる部分、実際にはこういうこともあるんだというエピソードについては、どちらが正しいとか、どちらが知っているという話はなく、また紹介をいただきたいと思っています。

    また、Gordonさんのコメントをかりて、このブログのスタンスを整理できて、よかったと思います。今回整理したことは、今後紹介したいテーマになりました。
    ☆☆☆

  6. Gordon

    感謝(思妤)為我做的翻譯(勉強看出….-_-!!),但抱歉,因不懂日文,未能看明白你的留言。