前回「孫文と蒋介石の神格表現 その1」でも紹介したように、
孫文や蒋介石の名前に対して結構神経を使っていた時期があったことを紹介したけど、
その当時は、書く文字にももちろん気を使わないといけなかったんだよ。
孫文や蒋介石を呼ぶ呼び方「國父孫中山先生」「先総統蒋公」には書き方があって、
孫文のことは、「 國父」とか「國父 孫中山先生」とか
蒋介石のことは、「先総統 蒋公」とか書くようにしていた。
スペースの位置を注目してほしいんだ。
その尊称の前には文字を書いてはいけないんだね。
実は、こういう事例は日本にもあって、
例えば、戦前の帝国議会の会議録を見ていると、「天皇」の文字が出てきたら――
スペースあけたり、改行したり、改行しても1行スペースあけずに書いたり、それでもだめで1文字分上から書いたりなどとやっていたりしていた。
もちろん、今の日本人の常識から考えると引くかもしれないけどね。
そのスペースのあけることを「抬頭」というんだって。
昔は書物を見ればこういう書き方ががんがんされていたのでその表現は自然と覚えていったりしたんだけど、
それも今となればすたれ、見かけることが少なくなりつつあって、
こういうスペースのあけ方の不思議さに、
「先総統空一格蒋公」とか「先総統抬頭蒋公」というジョークを飛ばす台湾人もいる。
昔は「先総統 蒋公」と書かないとね。それに教科書にもいろいろ褒め言葉がある。歌とかもある。今歴史の真実を分かってから 前の文章の言うとおり 本当な偉人かどうか 考えさせるね。
確かに、今の日本人の常識だけではなく、台湾人にとって、そのスペースのあけることを抬頭という表現が強調し過で、不思議だと思っているけれど、昔の人がそうしたら、いいと思ってあるかもしれないかな?当時の人の気分も原因の一つだと注意しなければならないでしょうか?
Dear SuYu san:
我住的地方附近,有一座私人開設祭拜蔣介石的寺廟,您有沒有興趣想知道一下?如果您有興趣,找個我有空的時間我去拍一些照片給您看看
コメントありがとうございます
(rie りえさんへ)
こんにちは、szyuです。コメントありがとうございます。
偉人なのかどうかということですが、日本の教科書的には台湾の戦後を支配したのは蒋介石であるというのは、常識です。したがって、外国人としての私の目には偉人だとしか思わないので、今回、私個人として納得がいかない書き方をしました。
ただ、台湾国内ではもっと複雑な議論があるということですよね。それはもう一人の書き手が強く要求してきたことと、コメントでの攻撃的な反響を恐れて萎縮してこうやって書かざるを得なくなりました。ブログづくりも意外に神経を使っているんですよね……
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(Joolzさんへ)
こんにちは、szyuです。コメントありがとうございます。
御指摘のとおりで、今の感覚でとらえてしまうとその表現はギャグのネタみたいなものでしょうが、その時代背景ではさもありなんということだったんだと私も思います。
同時に、台湾では時の指導者の政策に対する歴史の再評価とか、そのときによって歴史の解釈が異なるとか、そういう現象が起こっているのでしょうか?。
時代背景と評価の相違によって歴史的事実の意義づけも随分変わってしまいます。
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(Defiantさんへ)
こんにちは、szyuです。コメントありがとうございます。
たしか以前、蒋介石の像をテーマに取り上げたことがあります。
こういうものですか?
「学校と蒋介石の銅像」
http://umesakura.jp/20051230213424.html
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Dear 思妤:
不是這個,我所說的”中正廟”位置在台灣的新竹市清華大學附近,外表看起來不是一座台灣傳統的廟宇,是一棟大樓,這大樓的一樓供奉著蔣介石與孫中山(當然有他們的”神像”),而且是有燒香的
這座廟聽說是一位經營起重機吊車工程的業者開設的,在那個地區以前住著許多從大陸來台的”外省人”,當時的政治環境將蔣介石如此神格化並不是一件稀奇的事情
這樣的聚落我們通常有一個俗稱叫做”眷村”,住在裡面的居民多半是民國38年前後隨內戰敗仗的國民黨政府來台的軍人與眷屬,不過並不是所有的”眷村”都會有這樣的東西存在,將蔣介石當神般如此祭祀的真的是相當少數的特例(據說全台灣有十來座如此的廟宇)…
可惜目前我剛找到新工作,比較忙碌,沒時間去拍攝新竹市的這座廟,所以先在網路上找到其他縣市的:
這是台北縣新店市的一座:
http://udn.com/SPECIAL_ISSUE/LOCAL/B8911101.htm
這是高雄縣旗津鎮的一座:
http://library.taiwanschoolnet.org/cyberfair2002/C0215800035/jkc.htm
其實現在的人無論作為多大都已經沒有神格化的條件了,神格化最基本的條件還是來自於資訊的不方便,以口耳相傳的方式傳遞失真的事實(傳說),配合著人們自己的解釋,經由祭祀的方式才會有神話的結果,現在的資訊這麼發達,這麼容易保留下來,也非常容易查詢,因此想要把近代人物神格化,已經不太可能了。