悲しいと言うときには、辞書を引くと「傷心」(shang1 xin1)と出てくるので、「我很傷心」と言うのだが、一向に通じない。
文字で書いてやっとわかってもらうころにはもっと悲しくなったりして、相手に胸のうちを伝えたこと自体を後悔したくなる。
こういうケースを私は複数回見ているんだけど、実は、「傷心」というのは、余り語彙として選ばれないみたいで、その語彙が使われているというふうになかなか思いが至らないみたいだよ。
「傷心」は、第三者の悲しみを示したり、書き言葉的な表現であって、話し言葉としてはちょっとかたいようだよ。
悲しいという場合、「難過」(nan2 guo4)と言えばいいよ。私は悲しいだったら、「我很難過」と言えばいい。
「難過」というのは意味が広い言葉で、つらいとか、寂しいとか、苦しいとかいった、
体であっても心であっても困難な状況にあるときを表現する言葉にも使えるので、かなり便利だ。
もちろんいろいろな悲しみの表現があるんだろうけど、これ一つを覚えておけば、ほとんどの悲しい状況を表現できる。
それから、だれかを悲しませるときは、「難過」のほかにも「傷心」を使ったりもする。
彼女を悲しませると言いたいときは、「讓」を使うだけじゃなくて、幾つかのバリエーションがなくはない。
「難過」のときには、「她會難過」「讓她難過」
「傷心」のときには、「傷她的心」「讓她傷心」
とか言えばいいらしいよ。
こうやって「悲しい」ということは表現できるんだけど、実際には、日本人ほど台湾人ネーティブは悲しいという言葉を連発しないと思うので、
気の知れた間柄の他愛もないやりとりでちょっと傷ついた場合とかは、「難過」を連発しないで、
別の表現方法、例えば「討厭」(tao3 yan4)、「哀怨」(ai1 yuan4)と言ったりした方がいいかもしれないよ。