いつも「梅と桜 ―日本台湾年軽人的事情―」を見てくださって、ありがとう。
旅行&休養のため、2週間ほどブログをお休みします。
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台湾人に限らず、中華圏全般について言えることかもしれないんだけど、
台湾人が食事をするのを見ていると、どうも日本人よりも猫背で食べているように見える。
猫背になってしまうのは、お皿に近い距離に口を近寄せて食べているために、体を前傾させざるを得ないからだと思う。
例えば、骨つきの鶏肉の塊とか、そんなのの食べ方を見ていると、
箸を食べ物を持って、お皿から余り食べ物を離さずに、肉を口に持っていっているんだよね。
皿に顔を近づけているから前傾姿勢になる。
こうやって食べるのには、それなりの理由があって、
たれや汁や油が飛び散ったり服につかないようにするために、
肉を皿から持ち上げたら即座に口を近づけてクイックで食べているわけで、
経験上一番いいからこうやって食べているんだと思うんだよ。
日本人の場合は、どちらかというと、自分の口に食べ物を近づけて食事をしているように思う。
例えば、骨つきの鶏肉の塊とか、そんなのを食べるときは、
皿の中で何とか小型になるように箸で努力したりして、口に運ぶ。
あるいは、御飯の上に置いて、お茶わんを口の位置まで持っていって食べるかもしれない。
皿から食べ物を高く持ち上げれば、たれや汁や油がポタポタ落ちて来るんだけど、
そういうときは、箸を持っていない側の手を受け皿のようにして軽く添えて食べ物を運んだりするんだよね。
厳密に言うとこれはマナー違反で、本当はたれや汁や油がポタポタ落ちても構わずに食べるらしいよ。
こういう両者の食べ方の違いについては、普段は余り意識しないんだけど、
洋食でスプーンですくって食べるようなピラフとかスープとかを食べるときにそのくせに気づいたりする。
台湾人は、スプーンですくってから口まで運ぶ距離はやっぱり短いので少し前かがみになって見えるし、
日本人は、スプーンですくってからポタポタするものを手を添えて食べたりして、ちょっと不自然に見えたりする。
台湾の食事の仕方については、「箸とれんげの二刀流」も見てね。
在2006年現在的台灣,腳踏車並不算主流交通工具。台灣並沒有規劃腳踏車的車輛登記及管理制度,再加上台灣的交通執法並不徹底,所以在台灣騎腳踏車時,就算違規,警察也不太有意願把騎士攔下取締。
在日本,腳踏車是非常主流的交通工具。日本的各個都道府縣的警察為了管理腳踏車以及防止竊盜問題,有規劃「防犯登錄」制度。由於日本的交通執法相當嚴,所以日本警察在路上攔下騎腳踏車的人盤問,一點也不奇怪。
一般而言,日本人在買腳踏車時,店家(車行、超市或是量販店)都會詢問是否要加入「防犯登錄」,如果要的話,就要付500日元左右的登錄費用。登記之後,這輛腳踏車的資料就會送到警察機關保管。車主和店家也會留有一份登記資料。由於每個自治體的規定不同,所以登記資料的年限也不同,以東京為例的話,腳踏車的防犯資料的期限是10年。如果哪一天車子被偷,而且有報警的話,警察就會利用這些登記資料來找車子。
防犯登錄的貼紙。只要有做防犯登錄的腳踏車,就會貼有登錄貼紙。照片中的腳踏車是在東京登錄,所以是由警視廳所管轄。
事實上,在日本遺失腳踏車的感覺就像是在台灣遺失機車的感覺一樣。報警只是一個例行公事,車子到底能不能找得回來是別的問題。只是不報警的話,車子是100%找不回來。對於那些失去腳踏車會影響到生活作息的人而言,直接買一台新的腳踏車會比較實在。
由於防犯登錄沒有強制性,所以日本的路上還是看得到一些沒有貼登錄貼紙的腳踏車。沒有貼貼紙也意味著無法直接證明腳踏車的所有人是誰。如果騎著沒貼登錄貼紙時,遇到警察臨檢的話,會比較麻煩。
日本的腳踏車防犯登錄制度其實有很多問題。例如日本曾經發生過一人在買二手車時,由於車行或警察沒有把之前車主的登錄資料抹消,所以就有買二手車的人在遇到臨檢時,被警察誤認為騎贓車,結果帶到警察局拘留。又有些人因為朋友或是鄰局搬家時,接收了對方的腳踏車,而且沒有留意防犯登錄的問題,結果遇到臨檢時也可能會被當成贓車。這一類的問題都是腳踏車沒有任何失竊資料,但是警察卻因為使用者和登記者姓名不符而做了一些多餘的懷疑,而造成民眾困擾的例子。
相關文章連結:
日本的機車
日本的腳踏車 (1)
日本的腳踏車 (2)
☆
においというのは「味道」(wei4 dao4)「氣味」(qi4 wei4)というよ。
ただ、においがいいとか悪いと言うときには「味道好」「味道不好」とは言わず、
「香」(xiang1)や「臭」(chou4)を使うよ。
いいにおいを示す言葉は、「香」(xiang1 形容詞)か「香味」(xiang1wei4 名詞)を使う。
その品詞に応じて言えばいいんだけど、「いいにおいだ」と言うときには「好香」(hao3 xiang1)と言えばいいよ。
名詞「香味」を使うときは、量詞「股」(gu3)をつけたりする。
「何かにおいがする」と言うときには、「有一股香味」(you3 yi4 gu3 xiang1wei4)と言ったりするよ。
例えば「レモンのにおいがいい」という場合には、「檸檬很香」(ning2meng2 hao3 xiang1)という。
「レモンのにおいがする」という場合には、「有一股檸檬香」(you3 yi4 gu3 ning2meng2 xiang1)という。
「ほのかに」とかをつけたい場合は名詞の前に「微微的」(wei2wei2 de)をつける。声調に注意してね。
あとは、「甘いにおいがする」だったら、「甜甜的香味」(tian2tien2 de xiang1wei4)
「フルーティーなにおいがする」だったら、「水果的香味」(shui3guo3 de xiang1wei4)とかも言える。
それから、臭いにおいを示す言葉は、「臭」(chou4 形容詞)か「臭味」(chou4wei4 名詞)を使う。
あとは、さっきと同じように応用して使っていけばいいよ。
臭いものは「臭」ですべて表現できなくはないけど、
特に、腐ったものとか、汗臭いとかには「酸」(suan1 形容詞)か「酸味」(suan1wei4 名詞)「酸臭味」(suan1 chou4wei4 名詞) という言葉もある。
酸っぱいにおいを示すものは、酢のにおいとかも「酸」と言えるわけだけど、
「酸」というのは、どうしても臭いにおいを象徴する単語なので、
例えば、酢の香りが高いという意味のときには「酸」という言葉を選ばず「香」を使うみたい。
在1960年代,由於日本的電視機漸漸普及,日本的電影人口漸減。當時日本著名的電影公司「日活」(にっかつ) 也因為電影人口減少而發生營運困難。後來「日活」為了維持生計,在1971年結束一般電影的制作,改走成本較小的成人電影的路線。
儘管成人電影的是屬於低成本的電影,但是由於「日活」在當時算是大公司,旗下的導演及演員都都有一定的水準,而且電影的製作經費也比其它小公司為高,因此「日活」所拍的成電影是屬於高品質的成人電影。而這些高品質的成人電影也被賦予了專門的名號「日活ロマンポルノ」。
在「日活」專向成人電影界發展不到半年,所發行的錄影帶和電影就被舉發 (1972年1月)。由於錄影帶遭到舉發,日活於1972年2月和另外兩家錄影帶業者共同成立了類似電影界的「映倫」的審查機構「成人ビデオ自主規制倫理懇談会」。
在錄影帶的部分,只有一位「日活」的錄影帶部門的主館被起訴,最後被判有罪,罰了20萬日元。
在電影的部分,被起訴的人包括「日活」的董事和電影製作人共六人,外加三名「映倫」的審查委員。由於這是在「映倫」成立以來第一次發生審查委員被當成猥褻犯罪的共犯起訴事件,因此格外受到注目。
1978年,「東京地方裁判所」在一審時指出,由於這些電影通過了「映倫」的審查,而且「映倫」是協助日本社會導正性道德的機構,因此尊重「映倫」的審查結果,判全員無罪。後來到了二審 (1980年),「東京高等裁判所」認為「映倫」讓這些電影通過審查,就表示日本的社會觀念已經認為這些電影算不上是猥褻物品,因此仍然判全員無罪。
由於「日活ロマンポルノ裁判」的判決對「映倫」在日本社會上所扮演的角色給予了極大的肯定,這也意味著「映倫」的自主性已經得到法界的認同,因此之後只要是通過「映倫」審查的電影,幾乎等於是有了一種不會被警察依猥褻物品取締的保障。
相關文章連結:
日本的性表現尺度與法律規定 (1)
日本的性表現尺度與法律規定 (2)
日本的性表現尺度與法律規定 (3)
日本的性表現尺度與法律規定 (4)
日本的性表現尺度與法律規定 (5)
後記:
本篇文章曾經遭人盜用,詳情請參見:再度發現本網站文章遭人盜用!!!(第九回)
日本でいうところの小指と小指が赤い糸で結ばれているというのは、
台湾人にもわかる話だと思う。
赤い糸の話というのは、唐の時代の説話の中にあって、それに由来するみたい。
今は昔、ある晩、若者が月の下で本を読む老人に出会った。
その老人に読んでいる本のことを聞くと、縁結びに関する本だと答え、老人の横に置かれた袋のことを聞くと、その袋の中には赤い糸が入っていると答える。
若者が赤い糸について聞くと、老人によれば、一度その糸で結ばれた男女は、敵同士であろうと身分が異なろうと結ばれることになるというではないか。
若者は自分の将来の妻はだれなのかと聞きたくなった。すると、老人はとある村の今は3歳になる女の子であると答えた。
その答えに若者はけなされた思いさえして、人をしてその女の子を殺しに行かせたのだった。しかし、若者の命令に反し、結局その女の子の頭に傷を残すだけで殺されはしなかった。
かくして、若者が長じて高名な身分になったころ、若者の目の前に結婚相手があらわれたのだが、何と女性の頭には例の傷跡があったのだ。
若者はあの老人のことを思い出し、あの老人は月下老人(縁結びの神様)であることに気がつくのだった……
赤い糸は自分がつなげるのではなくて、
月下老人が気がつかないうちに両者を仲介し、赤い糸をつなげているものらしいね。
ただ、どういう種類の糸がどこでくくられているかというのが、このストーリーで厳密に描写されているわけではないよ。
これから以後は、後世でのイメージのつくり込み方によって個々のイメージは異なってくることだと思う。
中国とかの話では、赤いひもが足にくくられていたりするけど、
日本のアニメとかでは、赤い糸が小指にくくられていたりするよね。
台湾では、両方を見ている場合もあるので、どういう赤い糸を強くイメージしているかはまさに個人の主観によって異なってくると思う。
将来の結婚相手とは赤い糸で結ばれているというような運のめぐり合わせのことを「千里姻縁一線牽」(縁は異なもの味なもの)といったりする。
赤い糸というのは「紅線」というよ。
戰後日本的種族歧視問題,主要包括對在日韓國人、台灣人以及其它外國人問題、沖縄問題,以及其它少數民族問題等。其中在日韓國人及在日台灣人問題,是在1952年日本主權回復之後,立刻發生的問題。原因是在於1952年之前,在日韓國人及在日台灣人本來是屬於日本國籍,但是當日本主權回復之後,日本的法務省把這些人的日本國籍全部廢止。這些在日韓國人及台灣人瞬間喪失所有本來在日本的國民權利, 而且要向日本政府進行外國人登錄,連選擇國籍的機會都沒有。
當時日本政府之所以完全不給這些人選擇國籍的機會,有一部分的原因是因為把這些在日韓國人及台灣人納入日本國民的話,可能會在日本國內產生少數民族問題,因此直接將這些人定位為外國人。由此可知,種族間的不平等未必是因為民族間彼此鄙視而產生,也有可能是基於一些國家政策所造成。由於當時受害者中以在日韓國人最多,因此關於日本的種族歧視與人權問題的研究上是以在日韓國人方面的研究最多。
而現在 (2006年) 的日本之的種族歧視問題和過去相比,其實已經改善不少。有一部分是因為在日韓國人不斷努力爭取自己在日本的權利,因此其它外國人間接受惠。另一方面是因為日本在1995年在聯合國簽署了「人種差別撤廃条約」(ICERD),又加上全球化以及國際化趨勢,日本社會比過去要注意外國人在日本的人權問題。此外,這幾年日本國內的一些種族歧視的訴訟得到勝訴,多少讓住在日本的外國人得到比以前多的保障。
1998年,有位巴西人到珠寶店去,結果店主發現對方是巴西人,認為對方可能有犯罪意圖而拒絕對方入店,而這位巴西人就告上法院,最後法院判珠寶店賠償巴西人150萬日元。
1999年,一個歸化日籍的人和一位美國人及一位德國人去洗溫泉,結果店家因為對方是外國人而拒絕對方入店,而這三個人就告上法院,最後法院判這家店主種族歧視,並下令店家賠償每人100萬日元。
在2000年之後,日本還發生過一位印度人在打電話和不動產業者詢問租屋問題時,被不動產業者問到「你的膚色是不是正常的顔色」,這位印度人就告上法院,最後法院判不動產業者要賠償印度人50萬日元。
這於這幾個例子都是一些對於異民族的不平等待遇的具體社會行為,因此這些例子都算是典型的種族歧視。日本國內確實是有種族歧視問題,但是由於這幾年的人權問題越來越受到大家注意,而且這幾年因為全球化的原因,日本社會情勢也改變得相當快,因此要遇到這種不平等待遇的具體社會行為其實並不容易。至於那些在日本的職場或是日本校園生活中無法融入日本人圈子的外國人,其實多半是因為在社交上的努力不足,而非遭到歧視或排擠。但是這些人如果沒有理解到日本人的社交方式,很有可能就把這種經驗解釋成種族歧視。
目前 (2006年現在) 日本並沒有專門的防止種族歧視的法律,但是因為上述幾個判例存在,所以也給日本社會一種「種族歧視是犯罪」的印象。而日本的媒體的一些在外國人犯罪報導及警察的宣傳資料仍然會造成一些日本人對於外國人偏見,不過由於日本社會已經有注意到有這種問題,將來會變得如何,還有待觀察。
2006年7月5日現在の504番目までのコンテンツをフォロー済み。
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在談日本與種族歧視問題之前,先要談一下「歧視」的定義。
在台灣教育部國語辭典中對於「歧視」的解釋為:「輕視,以不公平的態度相待。」如果再看一下教育部國語辭典中對於「性別歧視」和「種族歧視」這兩個詞的解釋的話,前者為「在觀念、行為或制度上對於各種性別種種不平等的對待方式。」而後者則是「一種族因種族優越感作祟,以致對其他種族產生敵視、迫害等不平等待遇,稱為種族歧視。如納粹德國歧視猶太人、白人歧視有色人種等。」比較一下這三個詞的解釋,它們共通之處在於「不平等 (不公平) 待遇」。除了「不平等待遇」這個意思以外,單單「歧視」這個詞還帶有輕視的意思,而「種族歧視」一詞則是用了「敵視」、「迫害」等較強烈的動詞來說明「歧視」的意義。一般而言,在漢英字典中對於「歧視」(名詞) 的翻譯通常是discrimination或是bias。
但是如果人權研究領域中來看這個詞的話,「歧視」指的是英文中的discrimination主要是被定義為「對於特定族群的不平等待遇」,而bias則指的是「偏見」(不過人權問題中的偏見多半指是是prejudice)。而所謂的「不平等待遇」,指的則是政治上或是社會上的一些禁止、排除、阻止、侮辱等具體事件。由此可知,「歧視」這個詞在一般人的對話中,和人權問題研究領域中的意義是不同的。
因此,當思考某個社會中的「歧視」問題時,納入人權問題的「歧視」概念,和不納入的結果會有相當大的不同。
之前的文章中提到關於「日本人是否會看不起台灣 (或東南亞) 人?」這個問題時,最大的問題並不是統計上的問題,而是在於基本定義的問題。如果命題中的基本定義不明確的話,如果連上游工作都沒做好的話,統計這種下游工作本身是沒有意義的。而「日本人是否會看不起台灣 (或東南亞) 人?」這個問題中最大的問題就是在於「看不起」這個詞。因為這個詞在一般人眼中叫作「歧視」,但是在人權研究領域中,「看不起」只能算是一種「偏見」而已,完全不足以稱為「歧視」。
在人權研究領域中,「歧視」和「偏見」的不同,是在於前者為一種社會行為,而後者則屬於一種心理狀態。而「歧視」和「偏見」這兩者是可以完全獨立的,也就是說,有「歧視」不一定就會有「偏見」,而有「偏見」也不一定就會有「歧視」。前者的例子就是一些種族隔離制度法制化的國家,這些國家的國民未必對於特定種族有「偏見」,但是社會制度上卻存在著對一些特定種族有不平等的待遇。而後者的例子,則是現在的日本,目前的日本的政治及社會走向是排除各族群的不平等待遇,但是在一些日本的國民意識中仍然存在一些偏見。
※想理解日本大眾思維,或是想知道日本人怎麼看台灣的話,可以參考本站的日本人眼中的台灣(1)、
日本人眼中的台灣(2)、日本人眼中的台灣(3)這三篇文章。
日本では、めったにないことだけど、
台湾では、台風が来れば状況次第で学校が休みになることがある。
会社も、状況次第で休みになることもあるよ。
休みにするということ自体は各自治体が決めて、
テレビやラジオで知らせる。
バラエティー番組とかを見ていても字幕が流れるからわかるらしいけど、
ニュース報道とかでチェックするのが一般的らしいよ。
大体前日の夜にチェックしていれば判明する。
休みになるのは行政単位で行われるので、
台北市で休みとなっていても台北県で休みの放送がなければ、
台北県は休みにならない。
休みになるのも、それぞれ段階があって、
全部が全部休みになる場合もあるし、
中学生以下とか、そういう区切りになっている場合もある。
その辺の状況の差で台湾人はテレビの前で一喜一憂するんだろうね。
「台湾と梅雨」も見てね。