日本的手機文化(4)

在2006年現在的台灣,手機除了直接通話以外,另一個常用的功能就是傳簡訊。簡訊對手機族而言是非常方便的聯絡方式。在台灣人的常識中,手機簡訊是一種理所當然的通訊手段,適用於任何手機。

在2006年現在的日本,手機當然也有傳簡訊的功能。不過日本的手機通訊業者不只一家,對業者而言,簡訊是給自家客人專用的服務,所以各家業者的簡訊彼此封閉,不同系統業者的手機之間無法傳簡訊。簡訊只能在同一系統業者的手機之間傳輸而已。

日本是在1997年開始提供手機簡訊服務。這種服務的名稱叫【ショートメッセージサービス】(Short Message Service, SMS)。SMS是日本的系統業者對於自己系統下的使用者提供服務。一般日本民眾把這種簡訊叫作【ショートメール】(Short-mail)。

由於日本的各手機系統業者簡訊服務彼此封閉,所以各家業者的「Short-mail」的名稱也有所不同。

在2006年現在這個時間點上,日本的各家業者的簡訊服務名稱如下:
NTT:ショートメール(Short-mail)
Vodafone:Sky-mail
au、TU-KA:C-mail。

其中,【ショートメール】是NTT提供的簡訊服務名稱。Vodafone、au、TU-KA的簡訊服務不叫【ショートメール】,但是由於當年NTT的【ショートメール】已經深植日本人心,所以一般日本民眾都習慣把手機簡訊叫作【ショートメール】。

由於日本的手機簡訊只能在同一系統業者的服務的手機之間使用,而且傳簡訊的最基本的條件是讓對方知道自己的手機號碼,所以有些比較重視個人隱私的人不太喜歡用這種簡訊系統。為了改善這些問題,之後的日本的手機業者又推出了手機的e-mail服務。有了e-mail服務,各家業者的手機間就可以互傳訊息,而且也不用告訴別人自己的電話,而且也可以和使用電腦的人通信。

相關文章連結:
日本的手機文化 (1)
日本的手機文化 (2)
日本的手機文化 (3)

追記:
Vodafone已於2006年10月將業務轉給Softbank,簡訊服務的名稱也從「Sky-mail」改成「SMS」。

台湾と梅雨

台湾にも梅雨が来る。
台湾でも梅雨のことを「梅雨」(mei2 yu3)という。
梅雨は例年5月、6月ごろにくるもので、日本と同じように毎日のように雨が降る。

台湾でも梅雨の季節は毎日雨が降っているという感覚だよ。
ただ、日本と違うのは、この季節は室内は日本以上にじめじめしているんだろうね、
家が木造じゃないし、床も石でつくられていることもあって、
床もなかなか乾かないし、家にいても余りしのぎやすくない気がする。
もちろんカビも発生するので、湿気対策は必須だよね。

しかも、日本と違って台湾では温度も上がっているので蒸し暑いし、
――夏のような暑さで梅雨が来ているようなイメージなわけで、
汗もだらだら流れてくるので、じめじめした状況は倍加している感じだ。

台湾の梅雨の期間については、
日本のように政府が梅雨入りとか梅雨明けを宣言するということはしないから、
とてもあいまいなものでしかない。しとしとと降らなくなれば梅雨は終わる。

梅雨が終わっても、日本のように大平洋高気圧が張り出さないので、
すぐに台風シーズンに突入するんだよ。

日本的手機文化(3)

1993年,日本的電信業者開始提供第二代行動電話(2G)服務。

第二代行動電話,簡單地說,就是2006年現在台灣最常見、最普及的行動電話。日本和台灣的手機都是從「2G」時代開始普及。

台灣的2G行動電話是GSM系統。2006年現在世界上大部分的國家的2G手機都是用GSM系統。所以台灣的手機拿到外國一樣可以使用。

雖然世界上大多數的國家都是用GSM系統,但是日本是少數例外。日本是採自己獨自的PDC系統。目前全世界只有日本和韓國兩個國家是用PDC系統。

由於PDCGSM的系統不同,所以台灣的2G手機拿到日本當然不能用,日本的2G手機拿到台灣當然也無法使用。

為什麼日本不採用GSM系統呢?

網路上有流言指出:日本人的自尊心太重,覺得自己的技術比別人優秀,所以拒用GSM系統,硬是要自己開發PDC系統。

其實這是無稽之談。散播這種流言的人,可能是生長在制度非常不成熟,國民素質容許政府用「自尊」「情緒」主導政策的國家。

技術開發是經濟課題,而不是情緒課題。在制度成熟的國家,國民不會容許政府用「自尊」「情緒」來主導政策。

在電信技術不發達的國家,接受先進國的GSM系統非常理所當然。因為自己沒有能力開發,所以只有接受別人的技術商品。這一點都不奇怪。不過日本是最早讓行動電話實用化的國家,本身有能力開發行動通訊系統,所以狀況就會比較複雜。

當年日本的郵政省撥出預算給NTT,讓NTT開發2G手機系統時,沒有人知道GSM系統什麼時候會完成,也沒有人知道將來大部分的國家會採用GSM系統。結果日本花時間花大錢開發PDC系統時,GSM系統在不知不覺成為世界主流。如果這時候日本採用GSM系統的話,就等於是把過去投資的大筆開發費用全部丟掉。而這些開發費其實是日本國民繳的稅。

試想,如果各位是繳稅的國民,各位會容忍政府把自己辛苦繳的血稅就這樣浪費掉了嗎?
再換個立場來看,如果各位是主導通訊技術開發的郵政省官員,各位要怎麼辦呢?

答案就只有一個:讓大家覺得錢沒有白白浪費,讓大家覺得投資得到了成果。

在同樣的條件下,如果其他先進國遇到類似的問題的話,其實也只能這麼做而已。

所以日本政府只能硬著頭皮把PDC開發完成,然後讓日本國民使用PDC系統的2G手機。由於日本開發的PDC系統並沒有比GSM差,所以官員可以鬆一口氣,民眾也可以接受。

在沒有能力開發通訊系統的國家,完全不會有這種問題。

有些人可能會問:日本既然有能力開發2G系統,為什麼不把系統貢獻給世界呢?

因為來不及了。

如果日本有能力把PDC賣給全世界,日本人當然很高興。不過郵政省的公務員是行政制度的專家,而非貿易或行銷專家,而且公務員的職務受到很多法令限制。至於郵政省指導下的NTT的事業體質也非常特別,同樣也受到許多法令限制,所以技術賣不出去。結果日本在2G手機時代就處於鎖國狀態。

那麼日本的官員會不會覺得日本的技術很優秀呢?

當設問前題設定在「官員」時,答案就只有一種:會。

這是因為公務員在職務性質上不能否定自己的國家,也不能否定自己國家的國民,公務員當然也不能否定自己國家的技術。日本的官員主張日本的技術優秀,並不是因為自尊自大,而是這些人在職務上不能否定自己國家的技術。如果否定了自己國家的技術,就是公務員失職。這不是日本公務員特有的現象,公務體系制度健全的國家的公務員都是這樣。

至於那些只用「民族自尊」去看科技或是經濟問題的人,就只是「民族自尊」信仰太重,所以不論遇到什麼,都會搬出「民族自尊」的教義,完全不從現實科技和經濟的原理來看事情。

回到正題。

到了1995年,日本又推出了「PHS」的手機服務。

在台灣人的觀念中,GSM和PHS都叫行動電話,一般人多半覺得行動電話都是一樣的東西。不過在日本,「携帯電話」和「PHS」的名稱分得非常清楚。

在日本人的觀念中,「携帯電話」和「PHS」是兩種完全不同的東西。日本的「携帯電話」指的是1G、2G、3G的手機,並不包括「PHS」手機。日本人不會把「PHS」手機稱作「携帯電話」。

日本在剛推出PHS時,「PHS」和「携帯電話」之間不能互相通話。當時的「PHS」可以打給「PHS」及一般室內電話,「携帯電話」可以打給「携帯電話」及一般室內電話,但是用「PHS」的人無法打電話給「携帯電話」,用「携帯電話」的人無法聯絡使用「PHS」的人。

由於PHS的費率較便宜,而且就算是在地下街、地下鐵車站也能通話,所以有不少日本民眾選購「PHS」。至於「携帯電話」大約是在2003年才漸漸可以在地下鐵車站通話。

「PHS」的全盛時期全日本大約有700萬人使用「PHS」。同期使用「携帯電話」的日本人約為2700萬人。幾年之後,由於「携帯電話」成長速度加快,日本的「PHS」使用人口漸漸減少。到2006年4月為止,在日本使用「PHS」手機的人約有473萬人,而使用「携帯電話」的人則約有9227萬人。

註:
2G手機和1G手機的差異是在:「1G」是類比式行動電話,「2G」是數位式行動電話。類比式行動電話是直接把音波轉成電波後傳出去,再由接收者再將電波轉成音波。這種通信方式會隨著距離增加、電波品質變差而嚴重失真,而且通話內容很容易被無線電玩家竊聽,同時非常浪費頻寬。數位式行動電話是把音波轉換成數字信號後,再轉成電波發射出去,在音波轉換成數字信號的過程中,除了可以去除不必要的雜音、壓低通信的資料量外,這些數字信號會經過特別的數學運算轉換成第三者無法解讀的密碼,而且在通信過程中還可以自動修正錯誤,因此數位式行動電話的通話品質高,而且電波的使用效率好,也不容易被竊聽。此外,由於數位式行動電話的構造是以IC板為主,比較輕也比較省電。

相關文章連結:
日本的手機文化(1)
日本的手機文化(2)

台湾の学校の昼寝の時間

台湾の学校には、昼寝の時間にというものがある。
台湾では「午休時間」というよ。
小学校から、なんと高校生までこういう時間がある。

お昼を食べた後の昼休みが昼寝の時間としてあてがわれる。
台湾には食後にすぐ寝ると牛になるという観念はないんだね。

台湾の小学生の時間割によれば、12:40-13:20とあるので、そのあたりの時間帯に行われる。
まあ5分や10分で終わるものではないものの、40分足らずで果たして睡眠はできるんだろうかと思うけど、
必ずどこの学校でも用意されているものなんじゃないかな。
中学校以降になれば、昼寝の時間はもっと短くなる。

肝心の昼寝のやり方だけど、昼寝のために「昼寝室」が用意されているわけではなく、
要は、自分の机のところに突っ伏して昼寝をするということのようだ。
昼寝は自発的に行われるというよりも、小中学校の間は先生の指導も入る徹底ぶりだ。
つまり、昼寝は必ず「しなければいけない」もので、昼寝をしないと注意が飛ぶ。
昼寝をしたくない人にはかなり迷惑な時間かもしれない。

小学生であれば、家でも十分寝ているんだろうからそれほど眠くないかもしれないけど、
現実的には、中学、高校となるに従っておのずと睡眠時間は短くなっているわけで、
昼寝の時間はまあまあ貴重な時間になっていく。
昼寝の時間が終わっても、そのまま寝続ける生徒も続出して、
午後の授業の先生が寝ている生徒を起こしてから授業を始めるなんてことも発生したりする。

日本的手機文化(2)

日本最早的行動電話是1979年由「日本電信電話公社」推出的【自動車電話】。

日本電信電話公社是日本的國營通訊事業特殊法人,角色有點類似以前台灣的「電信局」。

從名稱上來看,自動車電話就是裝在汽車裡面的行動電話。當時的自動車電話主要是針對大公司的重要人物開發的商品。有了「自動車電話」,搭車移動時也可以做緊急聯絡。汽車裝了自動車電話後,還要在車外加裝電話天線,這樣才能通話。

自動車電話剛出來的第一年,因為通訊網還不發達,所以只能在東京都23區通話。1980年,電電公社開始在大阪地區推出自動車電話服務,1982年,名古屋地區也可以開始使用自動車電話。1984年後,日本的許多中小地方都市也可以使用自動車電話。

美國雖然也有開發移動式的通訊技術,而且開發得比日本早。不過日本的自動車電話實質上是世界最早的民用行動電話服務,所以日本可以算是現代行動電話之祖。

到了1987年,日本的NTT推出了可以拿在手上通話的行動電話,名稱叫作【攜帶電話1號機】(携帯電話1号機)。於是日本人就開始把行動電話叫作【攜帶電話】。

NTT其實就是日本電信電話公社在1985年轉民營化後的企業。性質上有點類似台灣的「中華電信」。

而當時的行動電話的體積是500cc,重量是0.9Kg。和2006年現在的手機相比,攜帶電話1號機的重量非常重。

大家可以想像一下:一台手機大小和500cc木瓜牛奶差不多,而且重量接近木瓜牛奶的兩倍的話,會是什麼樣的情形。

1987年攜帶電話1號機推出後,當時光是加入這種電話服務,就要先付七萬多日元的加入費用,還要再付十萬日元的保證金,外加兩萬多日元的基本費用,全部加起來快要二十萬日元。當時的日本大學畢業的社會新鮮人的月薪大約十五萬日元左右,如果不考慮加入費和保證金的話,其實一般人還是用得起行動電話。只是實用性不高而已。因為當時的行動電話通話時間只有一小時,待機時間也只能維持六個小時,和現在的手機相比,又貴又不方便。對當時很多日本人而言,「ポケットベル」(BBCall/傳呼機)遠比攜帶電話方便。

※自動車電話和攜帶電話1號機的通訊原理都屬於第一代行動電話。日本人把第一代行動電話稱作【第一世代攜帶電話】(1G)。

相關文章連結:
日本的手機文化 (1)

台湾の書道の実用性

いろいろ書道の話を書いてきてみたんだけどさ、
客観的に考えると、台湾人は書道が「できる」と断言できそうだし、
さらに、字がうまくなる条件がそろっていると言えそうだよね。

そんなことはないという台湾人はいるかもしれないけど、
少なくとも、そのカリキュラム、教材、学習時間を考えると、
日本人よりかは書道の機会が多いことは事実だ。

ただ、台湾で書道の授業はしっかりやっているけど、
それは将来毛筆ですべてをこなせるために訓練させているというよりも、
文化保存活動の一環という意味合いが強いんじゃないかと思う。

学校で習っている書道はあくまでも書道の入口での学習だよね。
学校で習っているレベルというのは、楷書で書ければいい授業であるわけで、
行書とか草書というようなハイレベルなテクニックまでは必要ないらしい。

学校で習った書道スキルが実用的に日常生活で使えるかどうかといえば、
こんなに書道の勉強をしていれば、おのずと台湾人みんなの書道作品の字を見る目が厳しくなるわけで、
自分のしたためた書が実用にたえられるかどうかは、少し考えないといけない問題だ。

結局のところ、何か看板とか表示とかのための文字をしたためる必要があるときには
やっぱりパソコンで楷書とかのフォントを選んでそれを印字した方が賢明だし、便利だと思うんじゃないかな。

台湾の書道シリーズはいろいろ書いてきたので、興味があったらこっちものぞいてみてね。
台湾の書道の授業」「台湾の学生の書道用品台湾の書道半紙」「台湾の書道の授業の様子」「日本と台湾の書道の授業の違い」「台湾の書道のお手本

日本的手機文化(1)

在2006年現在的台灣,行動電話的主要功能還是和傳統電話一樣,就只是和家人或朋友聯絡聊天的工具而已。如果沒有手機,頂多只是家人朋友找人時比較不方便而已。儘管目前台灣的手機功能非常多,不過一般人就只是把手機當成通話工具而已。

在2006年現在的日本,行動電話除了通話之外,還有鬧鐘、收發e-mail、查詢電車路線及時刻、看天氣預報、用GPS功能查地圖等功能。而且大部分的手機都有這些功能,大部分的民眾也理所當然在用這些功能。

根據日本政府2005年的統計,日本民眾的行動電話使用率大約在71.9%。如果把範圍限定在20~49歲的民眾的話,使用行動電話的人的比率則高達90%以上。至於50~59歲的民眾的使用率也高達八成左右,60~64歲則約有七成的人在使用手機,65~69歲則約五成。因此在日本的車站經常可以看到等電車的老先生或老太太在玩手機。當然,這些手機多半都有上述的鬧鐘、e-mail,查資料的功能。

如果拿台灣和日本相比,2003年台灣民眾的手機使用率大約是57%,同年的日本則大約是63%左右。

雖然日本的手機普及率比台灣高,不過和台灣人相比,日本人其實並不常用手機打電話。或是說,日本人其實並不像台灣人那麼愛打電話。

在台灣的捷運車廂中,經常可以看到有人用手機講電話,而且有些人還講得非常忘我。

在日本的電車車廂中,幾乎看不到到民眾使用手機通話。這是因為日本大部分的公車和電車都是禁止乘客在車內通話,甚至有些公共汽車或是鐵路公司會要求乘客把手機關機。

為什麼日本的鐵公路交通系統禁止乘客用手機通話呢?

有些人可能會說:因為講電話的人很吵,看了就很煩。

其實這種問題並不是膚淺的「吵」「煩」而已。單用「吵」「煩」這種個人情緒上的理由無法說服別人。

真正的問題是用手機通話會讓車廂內的環境惡化。民眾搭乘擁擠的公車或電車上班上學已經非常辛苦了,在人擠人的車廂中,如果身旁有個人拿著手機話筒大聲講話,講到忘我,整個環境氣氛會變得更糟。因為在車廂中,大家都在自制、大家都在縮小自己的空間、大家都在努力不讓周圍的人覺得不舒服。在這種環境中,用手機通話的意義就是擴張自己的領域,而且無視周遭的感受。講電話的人把公共空間當成個人空間的行為,會讓周圍其他人承受更大的環境壓迫。周圍的人當然會非常不舒服。

從這裡可以看出,日本的公共汽車和鐵路公司禁止乘客在車內通話,是考量到乘客心理以及環境舒適性的要素。而且把這些要素理論化,然後整理成規則。

雖然在公車或是鐵路公司並沒有強制規定禁止使用手機,不過由於大部分的日本民眾有同理心,會顧慮別人的感受。所以在車內接到電話時,會非常低調地回絕。只有一些社會常識不足的人才可能在車內毫不在乎地用手機聊天。

台湾の書道のお手本

書道のお手本については、「日本と台湾の書道の授業の違い」にも紹介したんだけど、
これが市販されている書道のお手本の一例だよ。

顔真卿と柳公権というのがある。顔真卿さんと柳公権さんの字をお手本にするということだろうね。
ほかにも別のお手本もあるらしいけど、恐らく多くの人がこの2つの人のお手本を選ぶんじゃないかな。
顔真卿にするか、柳公権にするか、それはその人の好みによって自由にお手本を決めていいみたいだよ。

顔真卿と柳公権の違いは、まあ書道家に言わせればいろいろなことが言えるんだろうけど、
我々素人がぱっと見でわかることは、顔真卿の方は字が太い、柳公権の方は字が細いということだ。
 
左が顔真卿で、右が柳公権だよ。

これを見てもわかるように、半紙には大字だけを書くようなのと、小字を書くものがあるということだね。(「台湾の書道半紙」も見てね。)

どういう半紙にしても、大字には九宮格という数独みたいなマス目がついていて、
そのマス目の座標を考えながら、座標から座標へと筆を運んでいくという
発想としては、何か物すごく理系チックな書道を行える。

大字を見てもわかるんだけど、日本で書く文字の4分の1ぐらいの大きさで、
それも、こんなに難しい文字を書きこなすとは、それだけですごいというのに、
小字というものがさらにあって、そこに細かい字を敷き詰めるなんて、
まあ、これがお手本どおりにできたら、台湾人は本当にすごいんだなと思ったりする。

日本的升學補習班(5)

一般日本人在準備考大學時,原則上要準備兩種考試:
センター試験
各個大學入學考試

日本的升學補習班有針對這兩類考試的專門課程。

「センター試験」是全國共通的考試,主要是考一些比較基礎的觀念,範圍較小、內容較簡單,因此各個補習班開的「センター試験」課程只能算準備考大學時的基礎課程。這種課程的開設對象主要高三學生。

在台灣,升大學補習班常常會開設所謂的「台大保證班」、「台大醫科班」等課程。在日本,升大學補習班當然也有針對名門大學開著特別課程。同樣是打著針對名門大學的口號,但是台灣和日本的補習班的性質完全不司。

台灣的補習班的「台大保證班」,瞄準的考試不外乎是學測或是指考(2002年以前則是聯考)這種共通考試。也就是說,報名這些課程的學生的目標未必是針對台大。

至於日本的大學由於是採獨立招生制度,因此日本的補習班所開設的「スーパーレベル○大」、「○大理系スーパー」、「○大文系スーパー」等特別課程,是貨真價實地專門對付某個大學的入學考試所開的課程。

日本的大型補習班都有開有「東大文系」、「東大理系」、「京大文系」、「京大理系」等課程,而且幾乎全國各分校都有這種課程,由這個現象可以看出東大和京大是日本人心目中最頂尖的大學。這一類的課程的開設對象是高中畢業生。這些課程的學生每天從早到晚專門研究「東大」或是「京大」的過去的各科目的考題及將來命題趨勢。

除了「東大」「京大」的文理系列課程以外,一般補習班還有針對國公立大學、私立大學的課程。基本上,國公立大學的考試難度會比私立大學高。

由於日本每個大學的入學考試命題傾向的特化程度相當高,所以專門研究某些大學考量的學生,可能會無法適應別的大學的入學考式。即使是適應東大或是京大考題的學生,如果去考其他大學的話,成績未必會好。

後記:
本篇文章曾經遭人盜用,詳情請參見:再度發現本網站文章遭人盜用!!!(第十一回)

相關文章連結:
補習班的日文怎麼說?

日本と台湾の書道の授業の違い

書道シリーズは幾つか書いてきているんだけど、
このテーマと特に関係がある「台湾の書道の授業」とか「台湾の書道の授業の様子」も見てね。

日本の書道の授業は、
お手本が単一的で先生から書く文字を指定されるんだろうし、
書道にしても、それはあたかも「道」を追求しているみたいな感じで、
一つの「作品」の完成を目指している感じであって、
一種類の言葉(2―6文字ぐらい)をずっと書き続けるわけで、
みんながみんな同じものを延々と書いているような感じだし、
逆に言えば、提出できるようないい「作品」ができれば、よしとされそうだけど、
台湾の書道の授業はこういう形のものではないみたいだ。

台湾の書道の授業では、
そもそも書道する文字には自由度があって、
先生から指定された文字を延々と書くという作業はしないものらしい。
台湾では、書道のお手本が市販されているので、
みんながお手本を購入して、書道の授業に備えるのだ。
さらにいえば、そのお手本にはたくさんの文字が躍っているわけで、
2―6種類の漢字が書ければ課題が終わるという代物ではない。
自分が書道をしていてよい作品ができるかできないかに限らず、
とにかくお手本の中のものを参考にして量をこなさなければ、課題は完成しない。

飽きっぽい人にとってはいろんな文字が書けるからいいのかもしれないけど、
書道を手っ取り早く終わらせたい人にはえらく面倒なシステムのような気がする。