日本的雪(1)

在台灣,如果要賞雪,必須到高山上才行。住在城市的台灣人在冬天如果沒有上山出遊的興致的話,可能在台灣一輩子看不到雪。

在日本,除了沖繩和一些緯度比較低的離島以外,大部分的民眾在冬天都有機會看到雪。雖然沖繩的民眾不太容易看到雪,不過沖繩還是會下雪,只是下雪的機會很少。在沖繩和低緯度的離島以外的地方,一般民眾的生活圈內都可能下雪。所以民眾不用特別到高山就可以看到雪。

雖然大部分日本民眾不用到高山就能看到雪,不過很多地方並不是每年都下雪。舉例來說,最近幾十年間,東京大約每三年就有一年不下雪。就算下了雪,也不見得會積雪。就算積雪,也不會積太深,大部分的積雪通常兩三天後就會融化。

日本會下大雪的地方主要是北海道、東北、北陸,以及其他日本海沿岸的地區。這些地方每年都會下大雪。太平洋沿岸地區雖然會下雪,但是很少下大雪。

在會下大雪的地方當中,雪下得特別多的地方叫作「豪雪地帶」。一般日本民眾印象中的豪雪地帶是北海道、東北、北陸這三個地區。

日本的法律也有關於豪雪地帶的規定。這個法律的名稱叫《豪雪地帶對策特別措置法》。法律規定的豪雪地帶是「積雪多到讓產業發生停滯、阻礙居民生活品質的區域」。這個法律的目的是為了支援豪雪地帶基礎建設,讓這些地方有能力對抗大雪,同時促進產業和民生發展。

日本政府規定的「豪雪地帶」標準是:一年當中的日積雪量累積值超過5000cm的地區

具體而言,如果某個地方一年當中有100天有積雪,而且這100天每天的積雪深度都超過50cm的話,就算是豪雪地帶。

另外,如果自治體內有2/3的地區有達到豪雪地帶的標準,該自治體的全部區域都是《豪雪地帶對策特別措置法》的適用對象。這個結果就是全日本50%以上的國土都是豪雪地帶。

不過由於日本的人口主要集中在大平洋沿岸,所以一般日本民眾無法想像日本的50%以上的國土是豪雪地帶。這就是感覺和現實的落差。

當然,一輩子住在首都圈的人也很難理解豪雪地帶民眾的生活。

 
東京下雪時的景象。照片中的積雪對東京人而言已經非常嚴重,不過對北海道、東北、北陸地方的人而言,沒什麼大不了。因為北海道、東北、北陸地方冬天積雪大多會超過50cm。

在日本漫畫或卡通裡,偶爾可看到小孩子在下雪後到室外堆雪人、打雪仗、滑雪的情節。看了這些漫畫或卡通的台灣人可能以為日本的小孩在下雪後,都會到外面堆雪人、打雪仗、滑雪。其實單就東京來看,東京的小孩雖然都看過雪,不過不見得有堆雪人、打雪仗、滑雪的機會。因為東京下雪時未必會積雪。就算有積雪,也未必會積到可以堆雪人、打雪仗的厚度。而且東京的市區也沒有可以滑雪的環境。東京的小孩如果想在下完雪後出去堆雪人、打雪仗,多少要有點運氣。如果想要滑雪,必須專程到日本的滑雪觀光地旅行才行。結果堆雪人、打雪仗、滑雪其實是日本民眾心中的願望。

台湾人の誕生日

年はだれにでも等しくとるものだとは言えるし、
誕生日は年1回だろうと思いきや――
台湾では年2回、3回来ると考える人がいる。

からくりは、簡単。
新暦の誕生日、旧暦の誕生日の両方があると考えるのだ。

台湾の新年にもちょっと書いたんだけど、
中華圏の人たちは新年は1月1日にあると考えなくて、旧正月にあると考える。
日本人のように旧暦って何それ?という感じではなくて、
台湾人はちゃんと旧暦を把握しているんだね。

だから、誕生日は新暦1回、旧暦1回の合計2回来るのだが、
旧暦では、たまに日付がダブるときがあるので、
新暦1回、旧暦2回の合計3回誕生日が来るときもある。

こうやって誕生日を考える人というのは、
大抵は、誕生日に便乗していい思いをしたいからだろうね。
だから、誕生日が来るたびに、盛大なパーティーを開き、バースデーケーキを食べ、プレゼントをもらう
――なんてことも、台湾人の発想として決して無茶な発想ではないよ。

ただ、伝統的な中華圏の観念としては、
誕生日は、自分の母親の受難日。
自分の生誕のためにお祝いするというよりも、もっと厳かに過ごす日みたい。

日本的同人誌(2)

現在一般台灣人談的「同人誌」,主要是漫畫同人誌。所以有些台灣人以為同人誌指的是漫畫。其實同人誌並不限於漫畫。

舉例來說,目前日本已知的最早的同人誌,是1884年的《明六雜誌》。《明六雜誌》是由「明六社」發行。明六社是明治六年(1883年)由一群年輕知識分子成立的學會。因為是明治六年成立,所以叫明六社。明六社成立的翌年,就開始發行《明六雜誌》。《明六雜誌》的主要刊載一些社會、政治、人文思想的文章。由於明六社是一群志同道合的知識分子組成,所以明六社是不折不扣的同人組織。由於《明六雜誌》設立的目的不是為了賺錢,而是為了讓同好交流,所以《明六雜誌》可以算是同人雜誌。當然,《明六雜誌》也可以算是日本最早的學術期刊。

到了1885年,東京大學預備門(相當於現在的高校)的幾個喜歡寫文章學生組成了硯友社。硯友社的社刊叫作《我樂多文庫》。《我樂多文庫》硯友社的學生每人寫一點東西,然後彼此交換欣賞的雜誌。由於硯友社是由一群喜歡寫作的學生組成,這些學生製作《我樂多文庫》的目的並不為了賺錢,而是為了和同好交流,所以《我樂多文庫》可以算是同人誌。《我樂多文庫》的內容主要是文學創作。

《明六雜誌》是明六社的社刊,《我樂多文庫》是硯友社的社刊。從這裡就可以發現,社團發行的社刊就算是同人誌。因為社團是志趣相同的人的交流組織,社刊的目的是為了讓同好交流,所以社刊當然可以算是一種同人誌。

如果在學校的班上,有幾個喜歡畫漫畫的同學聚在一起,每個人畫一篇故事,然後彼此交換欣賞,這樣就會變成漫畫同人誌。不過日本的連環圖畫式的漫畫創作是在二十世紀之後才上軌道,所以日本的小孩也是在二十世紀之後才有機會接觸比較多的連環圖畫式漫畫。所以漫畫同人誌成立的時期遠比論壇、文學同人誌晚。不過日本有些漫畫家在出道之前,的確有畫過同人誌漫畫。

例如藤子F不二雄和藤子不二雄(A)在出道之前的學生時代(1948年),就曾經畫過一些作品給他們家附近的小孩看。雖然就只是兩個人畫一些東西分享給喜歡看的人而已,但是這也可以算是「同人誌」。因為這兩個人志趣相同,而且創作的目的不是為了賺錢,而是為了和同好交流。

「石ノ森章太郎」在中學時代(1950年),也曾經召集過朋友一起漫畫畫,雖然只辦了兩次就停了,不過這種紙上交流活動就也可以算是「同人誌」活動。因為是同好創作,而且創作的目的是為了和同好交流。後來石ノ森章太郎上了高校之後(1953年),又召集了一些喜歡投稿漫畫的同好,組成「東日本漫畫研究會」,繼續畫漫畫來交流。

所以「同人誌」其實就是同好之間的紙上交流活動。或許只是由幾張紙裝訂起來,讓大家傳閱的散文集、詩集、心得評論或是塗鴉集,不過只的要是同好創作,而且創作的目的是為了讓同好交流,這種刊物就是不折不扣的「同人誌」。

台湾の愛国歌曲を日本で歌う

台湾の愛国歌曲は日本のカラオケボックスにあるか?
各社カラオケシステムを網羅する「カラオケパセラ」というお店に行って、調べてきたよ。

ここのお店のカラオケシステムは「Hyper Joy V2」「BB cyber DAM」「UGA」「B-kara」「Lavca」「セガカラ」「NeonR」「V・Be MAX’S」「SynCom」「孫悟空」「GIGALD」を網羅しているというので、まあ日本のカラオケシステムの中で歌えるものを全部てんこ盛りにしているわけだ。

愛国歌曲って、普通はタイトルだけを覚えていて、歌手は覚えていないものだろうと思うけど、
中国語の歌の場合、カラオケシステムによっては歌手インデックスのみしかフォローしていなかったりするので、調べるのに苦労したりした。

そして、出てきたものは――

カラオケには自動的に背景映像がついてくるのだけど、
それがおもしろ過ぎるので撮影したもの御紹介するね。
背景映像は幾つかのローテンションで幾つかのタイプがあって、
ここではその一例を紹介するね。
ちなみに、カラオケシステムの会社は異なっているんだけど、背景の映像は同じパターンだったよ。

例えば、ブログ「台湾の愛国歌曲」でも御紹介した「中華民国頌」。

いきなり「北京」の風景から始まり、長安街の自転車の列、天安門広場に至り、天安門がアップになったりする。
ちなみに、かつて、テレビで「中華民国頌」が流れたとき、
確かにバックには中国大陸の壮大な景色の映像が一緒に流れたんだって。

同様に「黄埔軍魂」。中華民国の最初の陸軍士官学校を舞台にした映画の主題歌で、これも愛国歌曲とも、軍歌とも言えそうな歌。

ちょっとかなり古過ぎる画像なのだけど、上海の黄浦江から始まり、南京路、豫園、外灘からまたもとに戻ったりしている。(と思う。間違っていたら指摘してください。)

こういう映像は中国語の歌を選択すれば自動的にそれが流れるのかなと思ったんだけど、そうでもないみたい。

ちゃんと台湾の映像を映し出すものもあるんだよね……

日本的同人誌(1)

在談日本的同人誌之前,先要說明什麼是「同人誌」。

在網路上,有不少人把同人誌解釋成:「志趣相同的人聚一起共同創作的雜誌」。

這個解釋雖然沒有錯,但是恐怕只有本來就知道同人誌的意義的人才聽得懂。本來根本不知道什是同人誌的人,聽了這種解釋,可能還是搞不清楚這是怎麼回事。

日文的「同人」,指的是理念、興趣相同的人。有些台灣人看到這樣的解釋,可能還是覺得莫名其妙。不過如果把「同人」改寫作「同仁」,把「同人誌」改寫成「同仁誌」的話,可能會比較易懂一點。

日文的「同人」本來是來自古代漢語詞彙。「同人」的意思其實就是「同仁」。只是以前的日本人多用 「同人」的寫法,而現代中文多寫作「同仁」。所以接受現代中文教育的人看到「同人」這個詞時,可能會覺得陌生。其實「同人」就是「同仁」。

在日文中,和「同人誌」的概念相對的是「商業誌」。

「商業誌」就是商業雜誌。商業雜誌是由專業的作家、專業的美工、專業的編輯製作的雜誌,雜誌完成後,再透過專業的圖書販賣業者把作品送到書店或是便利商店販賣。這些雜誌就是我們平常在書店或便利商店看到的雜誌。商業誌的生存條件是要有商業利益,有商業利益,才能照顧到作家、美工、編輯等。商業誌的製作成員是因為工作再在一起,雜誌的內容不見得是他們的興趣。

至於「同人誌」,則是由相同嗜好的朋友一起製作的雜誌。這些人不見得是專業的人員,這些人製作同人誌的目的只是為了發表自己的興趣成果,和朋友交流而已。同人誌的目的不是為了謀生,而是為了發展興趣,和朋友交流。所以同人誌可以算是一種創作遊戲。由於同人誌是一種遊戲。所以中間不會經過出版社及書店,而是由創作者自己發行。由於同人誌是一種遊戲。所以不用考量商業利益。只要大家有心製作,就可以玩下去。

由於一般書店或是便利商店販賣的雜誌是來自出版社,所以不經由出版社發行的雜誌當然不會出現在一般書店或是便利商店裡。所以局外人如果想要看「同人誌」,必須直接向該創作的同人團體購買。

其實台灣在很早以前就已經有「同人誌」這種東西。只是當時「同人誌」這個日文並不夠響亮,所以幾乎沒有人把這些東西稱作「同人誌」。

例如在學校裡,喜歡寫散文或是小說的學生如果聚在一起交流,每個人定期寫一篇文章,然後彼此交換欣賞,這就算是同人誌。如果喜歡畫漫畫的學生聚在一起,每個人定期畫一篇作品,然後彼此交換欣賞,這也算是一種同人誌。只要有興趣相同的人,而且這些人願意和同好分享創作的話,就會出現同人誌這種東西。

台灣的各個學校的文藝創作或是漫畫相關社團,如果把社團的創作成果製成刊物發表出來的話,當然可以算是一種同人誌。因為社團是由一群興趣相同的學生組成,社團發行刊物的目的並不是為了賺錢,而是為了讓大家彼此交流。所以學校社團的社刊也可以算是一種同人誌。只是台灣人沒有把這種創作稱作同人誌,而是叫「社刊」(例如「○○高中文藝創作社社刊」、「△△大學漫畫社社刊」等)。

台湾語と国語のバイリンガル その2

外省人は多分国語しか話せないと思うんだけど、
外省人に限らず、北台湾のエリアに住んでいる人たちの台湾語能力はそれほど高くないと思う。
あいさつとか自己紹介とか買い物とかの日常会話で台湾語を使えたとしても、
それは高度に台湾語がこなせるというレベルにはないようだよ。

とはいえ、今は学校で台湾語の授業もやるみたいだから、隔世の感で、
いずれの人でも台湾語に有機的に接する機会は以前よりあるんだろうと思うんだよね。

台北ではどちらかというと国語をしゃべる人が多いとも言えるんだけど、
台北から外に出れば若干その状況に変化があらわれ、台湾語ネーティブの割合が多くなったりする。

そういうわけで、国語しかうまく話せない台北在住の台湾人が台北から出て台湾一周旅行をしようとすると、
その狭い国土の旅行中であっても言葉の問題に遭遇するかもしれないんだよね。

台湾語と国語のバイリンガル その1も見てね。

日本的國會圖書館(3)

在台灣的「國家圖書館」,新書及新的雜誌設有專門的開架圖書區,一般使用者如果要看新書或是新的雜誌的話,可以直接去書架上找。

在日本的「国会図書館」,除了一些專業參考室有提供部分開架書之外,其餘的新書或是新雜誌全部都是閉架。因此,如果要看一般書籍或是雜誌,不論新舊一律要向櫃枱申請。

不論是台灣或是日本的各個圖書館中,印影機幾乎都是常見的基本配備。不過在日本的「国会図書館」並沒有設立影印機或是影印室。如果使用者想要印資料,必須要提出印影申請,再由圖書館員來進行影印,而影印費用比在便利商店或是一般圖書館使用影印機的費用貴。

如果需要印影的資料龐大,或是書籍的狀況不適合立刻進行影印,則申請影印的資料可能要花好幾天才能領件。在這種情形下,如果是持有正式閱覽卡的人,則可以申請將影印資料郵寄到家的服務。當然,申請郵寄還得再加付郵資。

這些制度對於「国会図書館」的一般使用者而言,非常不方便。然而對於書籍資料保護在而言,是相當重要的,因為大部分的書就只有一本而已,毀損了的話,就沒有了。

台湾の愛国歌曲

一昔前のことではあるけれど、
台湾にも愛国心を養うための愛国歌曲というのが存在した。
これは政府や学校が学生に歌うように奨励しているし、
その時代の子供は一般的にはそれしか持ち歌がないこともあって、
ピクニックの時とかでも楽しく歌う歌だったみたい。

かつての政府がつくっていた音楽の教科書を開くと、
最初に国歌、次に国旗歌、次が孫文や蒋介石の紀念歌と続いて、
初めて音楽教科書の授業の内容が始まったんだけど、
その教科書の中にも愛国歌曲がたくさんあった。

台湾でも合唱コンクールはあるみたいなんだけど、
その課題曲として愛国歌曲もあったので、
合唱コンクールで歌う歌にもなったんだね。

逆に、恋愛を歌うようなポップスは「靡靡之音」(mi3 mi3 zhi1 yin1)、
つまり退廃した音楽としてさげずまれてきた。

授業のほかにも、1980年代の最初のころまでは
アニメ番組の前の番組枠は偶然にも愛国歌曲「中華民国頌」を流す番組だったので、
大抵の子供は好むと好まざるとにかかわらず「中華民国頌」とそのプロモーション映像を見ることになっていた。

こんなこともあって、ある一定の年齢以上であれば、
愛国歌曲を歌おうと思えば歌えるんだけど、
今となれば、愛国歌曲というのも廃れ、
特に外省人の年配者なんかが好んで歌うのみとなってしまった。

日本的國會圖書館(2)

日本的「国会図書館」和台灣的「國家圖書館」一樣,是給成年人使用的圖書館。如果要去日本的「国会図書館」查資料,必須年滿18歲。

在使用方式上,日本的「国会図書館」和台灣的「國家圖書館」也相當類似,進館時都要刷卡。而基於資料保存的考量,日本的「国会図書館」也和台灣的「國家圖書館」一樣,書籍資料只能在館內閱覽,不可攜出。

日本的「国会図書館」的入口分為正式閱覽卡的入口及臨時閱覽卡的入口,辦理正式閱覽卡時需要提出駕照或是健保證等可以證明自己姓名及住址的證件 (日本沒有「身分證」這種東西)。

如果沒有正式閱覽卡,又沒有帶任何證件的話,則直接向臨時閱覽卡入口旁邊的發卡機輸入姓名、生日、郵遞區號、地址、電話後,發卡機就會發出一張臨時閱覽卡。而這個過程並不需要任何證件,因此這個過程中可能有造假的機會。但是在日本,未滿18歲的人其實也沒有機會或是動機到「国会図書館」查資料,因此臨時閱覽卡的發卡過程儘管不是那麼嚴謹,但也不致於發生什麼問題。

而在隨身物品方面,台灣的「國家圖書館」是不准攜入書籍等物品,然而日本的「国会図書館」則是可以,不過個人物品必須要裝在透明的塑膠袋中才能攜入,而入口附近也有提供免費的透明塑膠袋。至於傘、書包等大件東西則是要放在寄物櫃中。

台湾語と国語のバイリンガル その1

台湾語と国語の距離も見てね。

国語は台湾人の8割が使える、台湾語は台湾人の6割が使えるのであれば、
両方すばらしく堪能にしゃべれる台湾人は結構いるんだろうと単純に思っちゃうけど、
もちろんそんなに簡単ではないのよね。
国語と台湾語の両方を「話せる」という人がいるとしても、そもそもそれはどのレベルで話せるかと考える必要があるよ。

ある台湾人がどの言語をよくしゃべれるのかというのは、まさに時代背景や教育政策、その地域や家庭の影響が強いと思う。
台湾の言語の双璧である国語と台湾語のみで考えてみれば、
国語ネーティブではない台湾語ネーティブでも、学校教育で国語を話すように義務づけられた時期もあるので、その時期に教育を受けた人であれば国語は話せないことはないとは思うんだよね。
でも、家や友達とは台湾語を話していたり、そもそもそこまで締めつけが厳しくなかった学校もあったらしいので、最終的に国語がよくできるようになったというふうには言いがたい現実があったりもする。

テレビも国語でじゃんじゃん放送しているから、台湾語ネーティブが日常的に国語に接しないわけでもないとは思うけど、
今となれば台湾語のチャンネルもあるし、国語の番組でも字幕がついていたりするので、それを読めば解決できたりする。

こちらが国語で話しかけられれば返事を国語でする台湾語ネーティブはもちろんいるけど、双方がなれない国語に悪戦苦闘していると悟り合えれば、即座に台湾語に会話が切りかわることもある。

そんな台湾語ネーティブであっても、若くなればなるほど学術的なことや儀礼的なものすべてを台湾語でこなすということも難しくなっているようで、そういうときは便宜的に国語を使ったりすることもあるみたい。
大学とかで微積分計算とかを台湾語で授業する教授もいないわけじゃないみたいだけど、それは超レアな例らしいんだよね。