台湾人はあんなにも難しい繁体字中国語を使いこなしているので、それよりもはるかに簡単な簡体字中国語を問題なく読みこなせるのだろうと思いがちなのだけど、
台湾人は一般的には簡体字がよく読めない。
だから、比較的頭がいいと思われる台湾人から、中国大陸部の中国語を勉強しているところの日本人が簡体字の字句の質問を受けるなんていう場面に遭遇することもあるんだよ。
何とも、不思議な気持ちになる。
台湾人が簡体字を読めないのは、もともとは能力や資質に原因があるというよりも、気分的な問題の方が大きいと思う。
簡体字は繁体字に比べれば、確かに漢字は難しくはないんだけれども、
台湾人が簡体字の文章を読んでいるときに、その文中に読めない文字が一文字でもあれば、
全般的な読む気力がうせてしまうということなんだ。
日本語の常用漢字は、簡体字と繁体字の間に位置づけられるぐらいの簡略度を持つ漢字のように思われるから、日本語の常用漢字から簡体字や繁体字を見れば、字句についての類推は何とかできそうだけど、
ワンクッションを置かずに繁体字から一気に簡体字を想像するのは少し難しいかもね。
ちなみに、台湾の中で簡体字を見る機会はほとんどないよ。
台湾人が簡体字を見る機会があるとすれば、それは台湾の街角でではなくて、ネットで見ているということだと思う。
繁體字的正式名稱是”正體字”
繁體字的正式名稱是”正體字”,是根據康熙字典的字體作標準的。
對於以中文為母語的人來說,漢字的結構不會造成辨識或是記憶上的困難,漢字是以一種”圖像”而被記憶的,更由於現代人很少寫字,只要能夠辨識字與字的不同就可以了。所以讀簡體不會比較簡單,讀”正體”也不會比較難,但是為什麼臺灣人念簡體慢,原因很簡單,是”不常念”,只要天天唸就會習慣了。不管是中國人還是台灣人,認識的漢字至少有五千字,遠遠超過常用漢字的數目。只要認識的漢字數達到這個數目,能力與資質就不重要了。
簡體字
簡體字創造的來源有一部分是草書,所以雖然印刷上沒有正體字美觀,但是書寫所呈現效果倒是跟正體字相去不遠。
對我而言簡體字是假的中文字
它沒有造字規則
你要我跟你們解釋一個繁體字的型音意我絕對辦的到!
但簡體字呢?
葉變成叶?
是什麼鬼東西!?
現在這個世界流行學中國語
一堆歐美人想去中國學語言
而學到的是這樣的中文字
讓人無語
順帶一題簡體字
我認識的台灣人都看的懂
可是我們不會想去學習這個文字怎麼寫
コメントありがとうございます
上記2つは、コメントを書き忘れて、本当に済みません。
改めてコメントを書くことにします。
(W,C-Lさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
繁体字は正式には「正体字」であり、康熙字典の字体をもとにしている。
中国語を母語にする人にとっては、漢字の構造を識別判断あるいは記憶しておくことは難しく、漢字は「図柄」の一種として記憶される。現代人は字を書くことも少ないので、字の識別判断と字の違いがわかればそれで問題はない。簡体字を読むことが簡単なことで、正体字を読むことが難しいとは言えないが、どうして台湾人が簡体字を読むのに時間がかかるのかといえば、それはとても簡単なことで「見なれない」からであり、日々見ていればなれるというだけの問題だ。中国人にしろ台湾人にしろ、少なくとも5000字の漢字を知っていて、それは日常的に使う漢字数をはるかに上回る漢字量である。漢字の知識がこれだけの数に至っていれば、それぞれの能力や資質は大きな差はあるまい。
――ということですね。
ちょっと能力とか資質とかいう言い方が気になったのかな……気になったら済みません。私が書きかたかったのは、そこは大きな要素ではないですよ。台湾人は能力や資質がないという意図はどこにもないです。
そうではなくて、中国語としての漢字の羅列を読むのに時間がかかる台湾人を見て、(このときは日本人には繁体字と簡体字という意識は薄い)なぜと思う人はいると思うので、それは字体が違うから読みにくいという問題ですよ、能力と資質の問題ではないですよということが書きたかっただけです。
☆☆☆
(Bikeさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
簡体字というのは草書体をもとにしているものもあって、印刷をすると正体字ほどの美観はないけれども、書くと効果があらわれる(文字としての機能という意味?)という意味では、正体字との違いはかけ離れているわけではないです。
――ということですね。
確かに、その印刷して美しいかというと、そうでもないという判断をする中国人も確かにいて、私の中国人の友人にも、自分の名前は簡体字で書かない人はいました。どうして簡体字で書かないのかと聞くと、やっぱりきれいに見せるためにあえて繁体字(正体字)を使うとのこと。中国で繁体字の文字を正式な文書に載せているのもよく見たので、中国人の中の感情としても繁体字の方が美観にすぐれているという感覚があるのかなと思いました。
☆☆☆
(妖さんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
私にとって見れば、簡体字とはにせものの文字。
簡体字には字の成り立ちの規則性がない。
ある一つの繁体字の字形と発音と意味を取り上げ、それを説明することができるよ。
でも、簡体字はどうなんだろう。
「葉」という漢字が「叶」になってしまうなんて、これは何てことだろう。
今、世界的に中国語学習がはやっている。
中国に中国語を学びに行きたいと思っている欧米人がわんさといる。
けれども、学んだものが、この漢字とは。何とも言えないよ。
ついでに簡体字のことについて書いておくと、
私が知っている台湾人は簡体字がわかるよ。
けれども、私たちはこのような文字の書き方を学びたいとは思わないだけ。
――ということかな。かなり意訳してますが、こんな感じかなと。
これも台湾人の一つの本音なのかなと思うと、興味深いですよ。
日本人にも、戦後簡略化された漢字よりも、昔の漢字が好きだということであえて旧字体を書く人もいます。そういう人は文学に精通しているとか、少し政治的な意図があるとか、そういう人が多いので、妖さんとは違う背景の考えから出発しているかもしれないですけれども。
繁体字は、書くのがとても難しいと思います。漢字を知っている私にとっても書くのはおっくうになるような難しさがある。でも、多分、台湾はこの難しい漢字を母語として日常的に運用していく最後のとりでになると私は思っています。だから、台湾人には漢字文化のために大いに頑張ってほしいと思います。
☆☆☆
我不甚了解你們怎麼想
其他的文字的文化我都很尊重
不管他是日文 德文 英文等
說起來英語體系的文字起源都是一樣的
卻有如此大的變革
發展出德語 英語等….
簡體字是20世紀時出現的文字
我也承認中國有數千年的歷史
但他的文字卻因為統治者而能有這樣詭異的變革
當初是為了文盲
現在大陸人還應當繼續使用這樣的文字嗎?
我當然知道你們現在世界各國人都在學簡體字
每個人都認可簡體字
但對於繁體字使用者的我
是不太可能去認可簡體字
我說過了
他沒有文化 他也沒有造字規則
草為何叫草 竹為何叫竹
當初老師是可以把一個字拆開來教我們的!每個字都有其意義,每個字要解說也能解說。
我知道世界各國的人都認可簡體字
你們說那是中國字
我也知道繁體字現在就好像消失ㄧ樣
對於其他國家
看看日本YAHOO官網的翻譯網頁或是世足賽的官網就知道了
這讓我覺得很悲哀
一個文化、文字,也能因為國家的強弱而變的強跟弱!
現在沒有一個外國人覺得簡體字不是中文的,
每個人都認可它!
以後也許也會漸漸沒有人知道繁體字是什麼玩意吧!對不了解繁體字的人們而言。
每一個都對於發揚自己文化或文字有某種使命
所以不能否認發揚繁體字文化我們應該加油!
而也的確也很多人在加油
只是沒有像孔子學院如此大的機構罷了!
雖然我覺得
要學好中文發音應該來學學ㄅㄆㄇㄈ!
英文是ABC
日文有平假片假
但ㄅㄆㄇㄈ這樣的注音卻對外國人而言很難學習。
取り急ぎ私の考えを書いておきます
(妖さんへ)
こんにちはszyuです。いただいたコメントに正直驚きました。
妖さんの御指摘は、冒頭の、私が何を考えているのかわからないというので尽きているのかなと思います。
はっきりと書きますと、私が何を考えているかは実はこのブログの場では大きな問題は持ちません。あなたと議論をするつもりもありません。
私はコメントをいただいた人たちの言葉に耳を傾けて皆さんに教わることを大切にしています。今回も当事者の複雑な思いのうちをいろいろなことを教わり、意見を大事にしたいです。感謝しています。
私は、このブログで中国語の表記する漢字としては簡体字と繁体字があるということを書きますが、それ以上の内容に触れません。
簡体字と繁体字には優劣を挙げることはできます。ただし、優越について私が指摘しないのは、このブログは優劣を語るためにつくったわけではないからです。例えば、日本がすぐれていて台湾が劣っているとか、逆に台湾がすばらしく日本がだめなところを挙げ連ねているわけではないんです。
もっと言いますと、世界を語るとき、どちらがすぐれているというのを強調するのは余りに独善的です。特に自国がすぐれているという点を他国と比較する場合、その発言は謙虚であるべきだと私は考えます。
取り急ぎコメントしました。
いただいたコメントは参考になるので、後ほどまた補足させてくださいね。
☆☆☆
強い思いは日本語でも紹介しておくべきかなと思いました
(妖さんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
強い思いがあることはわかりました。
現実的に言えば、中国語に興味がある人たちは簡体字とローマ字のピンインで勉強しています。そして、その人たちが、多分台湾にも興味を持つ人の多くを占めることでしょう。
こういう条件の上で、では、このような勉強をしてきた人たちに、あなたは、どうやって繁体字&注音に振り向いてもらいますか?
簡体字は奇妙な字でローマ字のピンインは邪道だと言ったら、多分気分を害すると思います。
あるいは、自国の政治すら関心も持たず、強く主義主張を唱える(唱えられる)ことに慣れていない日本人は、多分原理原則を演説されても、引いてしまうだけでしょう。
そうではなくて、繁体字や注音のすぐれた点を挙げ、中国語の勉強手段の一つに入れてほしいとお願いするのがいいのかなと思います。私は日本人にとっては繁体字はそれほど難しくないと思います。いずれにしても、どういう姿勢を見せるか、それは台湾人自身に問われていることかと思います。
あと、台湾自身も検定試験みたいなのを充実すべきですよね。中国語検定、HSKみたいなものがあれば、もう少しすそ野が広がるのかなとも思います。
以下、妖さんの御意見の概要を載せておきますね。
こういうことは、実は興味深い内容だと思います。
諸外国の文字文化は尊重したい。日本語、ドイツ語、英語、何であっても構わない。
英語(アルファベットのこと?)の系統の文字の起源は同じだけど、大きな変革を遂げ、ドイツ語や英語などなどへと発展していったもの。
簡体字は20世紀の出現した文字。
中国には数千年の歴史があるけれども、簡体字の文字は、為政者がこんなふうな奇妙な変革をしてしまったものなのだ。
最初は非識字者のためのものだったはず、
今、中国人はやっぱりこの文字を使い続けるべきなんだろうかと思う。
もちろん、世界各国の人たちが簡体字を学習していて、
その人たちは簡体字という文字の存在を認めていることだろう。
しかし、繁体字という文字を使っている私にとってみれば、
簡体字という文字は相入れがたいのだ。
もう前回書いたことではあるけれども、
簡体字には文化もなく、文字の成り立ちに規則性もない。
例えば、草はどうして「草」という文字なのか、竹はどうして「竹」という文字なのか
それは先生が一つ一つの文字を私たちに教えてくれる。それぞれの文字には成り立ちがあり、説明をしようとすれば説明できるものだ。
世界各国の人たちが簡体字を認めていて、
それこそが中国の文字だと言われている。
だったら、繁体字は今は消えてなくなってしまうかもしれない。
諸外国においても、
例えば、Yahoo!ジャパンの翻訳サービス、サッカーのワールドカップのオフィシャルサイトを見てもわかることで、
それを見て、悲しく思うのだ。
文化、文字というものは、その国家が強いか弱いかによって立場が変わってしまう。
今、外国人で、簡体字が中国語だと思わない人はいないだろうし、みんながみんなそう思っているのではないか。
将来、繁体字に何の関心もおかない人がどんどんふえていくのではないか、繁体字を使う人たちに対してもだ。
自分の文化や文字を興していくことを意識している。
繁体字の文化がすたれないように、私たちは頑張っていくし、
多くの人たちが頑張っている。
(中国が推し進めている)孔子学院のような巨大組織はやめるべきだろう。
私が思っていることは、
中国語の発音をマスターするのであれば、注音記号で勉強するべきだろう。
英語はアルファベット。
日本語には平仮名と片仮名がある。
ただ、注音記号は外国人にしてみれば、勉強しにくいかもしれない。
☆☆☆
台湾人が中国語を話し始めたなんて、ここ5~60年の出来事じゃん。言語の歴史からみても浅い。国民党という外来政権が普及させた言語。日本時代の日本語と同じ。
日本時代が続いていたと仮定したとします。日本本土の日本語の乱れがひどく、当用漢字を採用してしまった現状を見て、「台湾こそが日本語文化を守らなければならない」なんて言ったら、ちゃんちゃらおかしい。
だけど今の多くの台湾人はそれがわからないんだよね。「伝統ある中国語を守らなければならない」なんて、妙な使命感を持っている。挙げた仮定の話と同じなんだけどね。統治者の言語であって、民族の言語ではないのにも関わらず。
台湾人が中国語を受け入れていたとしても、シンガポール人が「伝統ある英語を守らなければならない」と同じ。その主張のおかしさに気づかないのは、本当に変。
歴史というのを全体的な流れで見ていないから、こうなっちゃうんだよね。自分が存在している、歴史の中からみたらほんの一瞬の出来事なのに、それを絶対化しているから、見失ってしまうんだと思う。
ぜひ名前を書いて投稿してください
(Unknownさんへ)
こんにちはszyuです。取り急ぎコメントさせてください。
まず、当ブログを閲覧している閲覧者の半数は台湾人であることがおわかりでのこのメッセージなのでしょうか。あなたの意図が読みにくいのですが、意見表明するにしても、書き方に余り誠実さがないなと思います。
ところで、お名前もタイトルもお書きにならないあなたと議論するつもりはありませんが、一つだけ気になることを指摘しておきます。
それは、「ここ5~60年の出来事」という言葉です。30年たてば、人は確実に1世代変わりますよね?。つまり、あなたの指摘するところの「5~60年の出来事」の意味は、2世代、いや、3世代変わっているということですよ。
人間が3世代変わっていく中での、「5~60年」の台湾として歩むプロセスに伝統がないなんて思わないですよ。
それ以下の歴史云々ですが、つながりがよくわからないため一つ一つに特に言及しませんが、それぞれはその国のその時代背景をもとにした「初期条件」によって自分の国の行く末を判断していき、それが結果として「歴史」になっているのだと思います。
☆☆☆
文字的官方推廣統一,歷史上並不是第一次,也絕對不是最後一次。網友(妖)在字裏行間表達了對繁體字的讚譽,我也相當認同。但從理性角度思考,繁體字並不十分適合當今的高速社會。
先來回顧一下歷史…
秦始皇當年統一中國後,曾推行“書同文”的政策,將官方文字定為簡化的秦篆,替代統一前的六國文字,之後還逐漸發展出隸書。
到了漢唐時期,官方都設有掌管文字的官吏,嚴格要求史官漢字書寫。
到五四運動時期,當時的教育部就提出了簡化漢字的提議(看來首先提出簡化漢字的不是中共,而是國民政府),不過最後被國民黨右翼駁回。
回頭來再看當今的簡體漢字推行。
首先,我們判斷文字推廣的利弊,是應該以是否促進社會發展為基礎的。所以,就過往幾十年的推廣成效來看,大陸的漢字推廣是成功的。不但促進了文字的應用,有助於掃除文盲,還有助於普通話的推廣,團結民族,促進經濟發展等。
我們無需在此為繁體漢字呼天搶地,因爲就目前的情況來看,繁體漢字還相當具有生命力,遠未達到被簡體漢字取代的程度。只要臺灣和香港的經濟實力不減,粵語文化不消失(因爲粵語本身使用了大量古字,書寫時必須使用到繁體字),繁體字就不會消亡,更不必視簡體漢字為洪水猛獸。
將兩者對立起來其實對雙方都沒好處,雖説世界潮流看來,簡體字將會被廣泛使用,但並不代表繁體字就一定會被取締的,它在華人社會還有很深厚的基礎。
再退一步說,即使真有哪天繁體漢字被淘汰了,也不只能代表它不合乎社會發展的需求嗎?試問現在誰還會為甲骨文的消亡憤憤不平呢?這個結果雖看似是某個政府所一手造成的,但深層次的原因,無非是歷史自然的選擇而已。
首先,
我並不同意這是歷史自然的選擇.
任何文字的變化,都是對於某種方面知識的挑選
秦篆的出現不正是對戰國之前的知識做了一次整理,
使得漢朝以後出現了今古文經之爭.
文字本身是知識的載體,
如果文字的變化使我們對知識的理解,有了偏差,
那文字的意義,何在.
為了便於推廣文字,雖然是當初的政策,
但不意味這方向是對的.
當初取巧所面對的後遺症,
將會是使得後人面對以繁體文為主的古文落於
視而不透(字體障),見而不通(文意障)的雙重障礙
最後,
我借用一下李白的把酒問月
“今人不見古時字,今字曾經照古人”(有改)
做為我對繁體字的註解
結果的には近いことを行っているんだと思うんですが
(archlilithさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
冒頭の言葉について、揚げ足をとるような指摘で申しわけないんですが、archlilithさんは、私の書いた文章を誤読されています。
archlilithさんの指摘は興味深いのですが、私の文章を誤読されてコメントをいただきますと、中国語しか読まない(読めないand読む気がない)読者に私の解釈を誤解されてしまいます。
なぜなら、日本語を読まないのであれば、間接的に私の指摘を知る手段はarchlilithさんを含む皆さん方の中国語のコメントだけになるからです。
archlilithさんのコメントに影響されて別のコメントが発生した場合、私には対処しようがありません。とはいうものの、あなたもこのブログに責任はとらなくていいのですが、私はこのブログに責任をとらないといけないのですよ。
私の信用にもかかわることなので、放置できないため、指摘しておきます。
archlilithさんは、恐らく私のコメントの最後の文章を受けて、「我並不同意這是歷史自然的選擇」、つまり「歴史によって自然と選択されたものだとは思わない」とおっしゃったんですよね?
しかし、私は、「その国のその時代背景をもとにした「初期条件」によって自分の国の行く末を判断していき、それが結果として「歴史」になっている」と言っているのであって、歴史は主語ではなく、結果です。主語は「初期条件」です。
また、この歴史云々の話は、前の別の日本人の方とのやりとりを参照したものなので、そちらの文章も見てください。私が好きで歴史と言う概念を提示したわけではありません。
結果的には、私の言っていることもあなたの言っていることは近いように思います。
驚いたので、取り急ぎコメントしておきます。
☆☆☆
對版主致上歉意
因為我的一時筆快
使得這個脫題的論點又多了一張篇幅
造成對版主的困擾
深感抱歉
其實好簡單, 留意大陸領導人的所謂”提詞”, 究竟是要正體字還是其他, 就已經知道一點點..
私ではなく、その前の人のコメントに反応されたんですね。済みませんでした。
(archlilithさんへ)
こんにちはszyuです。今さっき、Gordonさんのコメントを翻訳していて、気がつきました。
まず初めに、archlilithさんは、もしかして、前のコメントをされた文章についてコメントをされていたんですね?。そうなると、私は本当にとんちんかんなコメントを書いてしまいました。
すべては、私の早とちりと、中国語の語彙のなさだけです。言いわけはしません。
私こそ、申しわけないことをしました。済みません。archlilithさんのお許しをいただければ、このコメントとともに削除することにします。
☆☆☆
コメントありがとうございます
(Gordonさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
つまり、簡体字を意識しなくとも、繁体字には独自性があるということ、文字の選択は歴史が決めていくものだということでしょうか。
簡体字に非識字対策としての要請があったこと等の指摘は、知識のある人ならばよく知っていることかなと思いますが、どうして簡体字になったのか、日本の漢字の簡略化についてもそうですが、それぞれ経緯があるところですよね。それが積み重なって歴史になっていくというのは、そのとおりかなと思います。
以下、適当に翻訳したものをつけておきます。細かい部分の翻訳の指摘は勘弁してください。
最近は、コメントいただいたものはできるだけ翻訳か要約をつけようと思っているので、そうなると時間がおのずとかかり、別の人へのコメントもおくれてしまいがちになるので、できれば、コメント一つ一つは短くしてくださるとうれしいです。
政府が統一した文字を普及させたことは、歴史上一度に限らないし、これで終わりということでは絶対にない。ここにコメントを寄せた妖さんが書いたコメントの行間には繁体字に対する称賛の意が込められているが、私自身もそのことについてはかなり共感できるところだ。ただ、より理性的に考えていくと、繁体字というのは昨今の急激な社会ニーズに十分マッチしているわけではないだろう。
まず、歴史を振り返ると――
始皇帝が中国を統一した後、「書同文」(文字の統一)を行い、政府の文字は簡略化された篆書体に改められ、統一以前に使われていた六国文字、その後に復興し発展した隷書にとってかわられることになった。(あるいは、六国文字が篆書体になり、隷書は後になって発展した?、済みません、訳出方法がわかりませんでした)
漢や唐の時代に至り、政府は文字を所掌する官吏を置き、史官(歴史編さんや文字記録をする官吏)に対して厳格に漢字を書くよう求めた。
五・四運動の時期には、当時の教育部は漢字の簡略化について提案を行っている。(初めて漢字の簡略化を提案したのは中国共産党ではなく、国民党政府のようだ)しかし、最終的には国民党右翼に却下されている。
後になってみると、昨今、簡略化した漢字が普及している。
第一に、我々は文字が普及するメリット・デメリット、社会発展の促進の基礎になったのかどうかを判断するべきだ。まさに数十年にわたって普及してきたことを見れば、中国の漢字の普及は成功しているということだ。文字が普及しただけでなくて、非識字者を減らし、さらに北京語の普及、民族の団結、経済発展の促進等にも貢献している。
我々は繁体字を使うことに悲観的になる必要はない。なぜなら、目下の状況から見れば、繁体字はかなり「生命力」がある漢字であり、簡体字がとってかわるには遠く及ばない存在だからだ。台湾や香港の経済力が減退せず、広東語の文化が消滅しなければ、繁体字が滅ぶはずはなく(広東語自体は古い漢字を多く使う言語のため、書くときには繁体字を使うのは必須)、簡体字が圧倒すると考えるには及ばないのだ。
繁体字、簡体字の両者を対立軸として見ていくことは、実は双方にとっていいことはない。世界の潮流から見れば、簡体字は普及していくだろうけれども、繁体字が禁止されるということではなく、繁体字は華人社会における重厚なる基礎要素なのだ。
一歩譲っていえば、本当にいつか繁体字が淘汰されてしまったとしても、繁体字が社会の発展のニーズにそぐわないとは言えないだろう。現在、甲骨文字がなくなってしまったことに不平不満を言う人はいないだろう。これは、時の政府がつくり出したように見えるが、複層的な原因があり、単に歴史が自然に選択したものにすぎないのだ。
☆☆☆
(archlilithさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
例えば政府が強圧的に文字を決めたとしても、その揺れ戻しは必ず後でやってくるし、そうでなければ必ず弊害が起きるはずだということですね。
それは、文字を介して行われるコミュニケーションは必ずしも「利便」だけではないからでしょうね。
繁体字が必要だ、必要じゃないではなくて、人間の文明の英知の必然として文字が存在していて、それでなければ表現できない世界があるということだと思います。これはここにコメントする皆さんがいう言葉に共通しているのかなと思います。
本文中に「繁体字」という言葉をそれほど連呼していないところが妙に印象的な、スマートなコメントでした。
最初に言っておきたいことは、歴史によって自然と選択されたものだとは思わないということだ。
いかに文字が変化したとしても、それはある種の知識の取捨選択なのだ。
篆書体が出現したことは、戦国時代以前の知識を一たん整理したのではなく、漢の時代以後には今古文論争を発生させていることでもわかる。
文字自身は知識を運ぶ媒体であり、
仮に文字が変化すれば、我々の知識に対する理解にもずれが起きる。
その文字が文字として存在する意義はこんなにもあるのだ。
文字を普及させるのに便利なように、初期の段階の政策であったとしても、
先ほど指摘した方向性はいいやり方ではない。
初期の段階ではうまくいったことで起きてしまった「後遺症」は、
後代の人が繁体字が主体の古文をうまく読めない、遭遇してもわからないという二重のハードルをとなってしまった。
最後に、
李白の詩「把酒問月」(酒を把(と)りて月に問ふ)を引用したい。
今人不見古時字,今字曾經照古人(今人見ず古時の字を、今字曾經(かつ)て古人を照らす。)
(オリジナルは、今人不見古時月,今月曾經照古人。(今人見ず古時の月を、今月曾經(かつ)て古人を照らす。))
以上、私の繁体字に対する補足としたい。
☆☆☆
誤讀也是一種美麗
版主,你太客氣了..
其實我的確是對Gordon的回應做回應,
並不完全針對你的主題來回應.
但正如你所說的歷史主體及歷史條件的差異,
這是我誤用了Gordon的回應所導致的結果
我想你並不需要把你的”指正”刪除
因為這連續的誤讀本身就是一種思路的呈現
他本身也有他的價值存在
翻訳って大変そうだなあ。
台湾の人は繁体字に誇りを持っているんだね。
アイデンティティーを表すそのもの(この場合は字)に愛着が湧くというのは、極自然なことだし、
日本人も、ここ数年で韓国とかと接触が増えてきて、改めて「自国の誇るところ」とか意識してきてるようです。
どんな人にも、自国の誇りはやはり、ある。
見えないように見えても、ある。
お互いに認め合って、
初めて理解しあえると思うんだけど。
どうかな。
返信できないとおもうんですけどごめんなさい。
誇りというこだわりがあるようです
(Unknownさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
そうですね。実は「繁体字」という書き方自体も、これは私は日本語と書いていると称してこう書いていますが、実際には「正體字」ですよね。
ユニコードという漢字を一緒くたにしてしまうような概念もありますが、やっぱりそこまで一つになるというまでには、いかないですよね。漢字(大きくいえば平仮名や片仮名)自体は外国からの借り物の文字を日本語として使っているわけですが、御指摘のように日本人にもやっぱり漢字へのこだわりがあると思います。
漢字のこだわりについては別のブログもつくってみているので、興味があったら見てみてくださいね。
「日本の中国語表示」その1―その5
http://umesakura.jp/20070504223037.html
http://umesakura.jp/20070508203656.html
http://umesakura.jp/20070514225706.html
http://umesakura.jp/20070524231237.html
http://umesakura.jp/20070917211027.html
☆☆☆
我的大一國文的老師曾經跟我們解釋過簡體字的造字原理,我的老師是中文系的專任教授,本身好像也有做遇漢字的研究
那時候我們有二堂課是在教漢字改革述略
那時候老師在上課時提到,其實早在古代,古人就有減省筆畫的動作了,如漢代文碑上的「壽」寫作「寿」、「質」寫作「质」,這也是現在簡體字「壽」「質」的寫法
上面這種簡化還停在自發行為,真正有意識簡化漢字的人主要是陸費逵,他於1909年發表【普通教育應當採用俗體字】,之後1922年,錢玄同是當時另一位提倡漢字簡化的學者,當然他在國語統一籌備委員會提出『減省現行漢字筆畫案』,將漢字簡化風潮推到極點。之後在1935年曾公佈了『第一批簡體字表』,但是在次年就中止使用了。
而大陸是在1956年由中國國務院全體會議通過『漢字簡化方案』並正式公告實施,才開始正式使用簡體字。
漢字簡化最主要是使用四個方法:
1. 同音字替代
A:替代全體:如「乾」作「干」、「醜」作「丑」
B:部份替代:如「遷」作「迁」、「嚇」作「吓」
2. 省略部份形體
如:「虧」作「亏」「務」作「务」
「雖」作「虽」
3. 運用行草(也就是草書體)
如:「為」作「为」、「樂」作「乐」
「東」作「东」、「極」作「极」
4. 採用古體字
如:「塵」作「尘」、「筆」作「笔」
「從」作「从」、「寶」作「宝」
除了前3種方法外,其實古體字依然可以從字體中了解文字的意思
「尘」,灰塵本來就是指小沙土,所以就如字面的意面一樣,就是「小的土」
「笔」,古人用的毛筆本身就是在竹子前面黏上毛髮
「从」,一個人跟在另一個後面即為跟從,另一個「众」三個人就是「眾」,成語說:三人成群,一般都說群眾
「宝」,玉呢指的是貴重珍奇的物品,古代帝王多有珍奇玉飾陪葬,所以在玉上面加上了一個蓋子,指的是地下有「寶」物
簡体字の造字についてですね
(自強さんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
文章が若干長いため、誤訳、省略、お許しください。
私の大学1年生のときの国文(母語=中国語?)の先生が簡体字の造字原理を解説してくれたことがあった。その先生は中国語学科(国文科?)の専任教授で、漢字の研究をしている人のようだった。
そのとき、2コマで漢字改革についての話をした。
授業のときに先生が言ったのは、実は、古代の段階で早くも先達は画数を減らすことをしているということだった。例えば、漢の時代の碑文には「壽」が「寿」になっていたり、「質」が「质」になっていたりする。これらは現在の簡体字の「壽」「質」の書き方である。
このような簡略化は自然発生的に行われたものにとどまっているが、真に漢字の簡略化を意図して行ったのは陸費逵で、1909年に「普通教育應當採用俗體字」(普通教育は俗字を採用するべき)を発表した。その後1922年には、銭玄同という、当時漢字の簡略化を唱える別の学者であるが、彼も当然のように国語統一準備委員会において「減省現行漢字筆畫案」(現行漢字の字画省略化案)を提出、漢字簡略化の風潮は極限に達した。1935年には「第一批簡體字表」(第一次簡体字表)が発表されたが、翌年には使用が中止された。
漢字の簡略化方法には4つある。
1 同音の字に置きかえる
例)「乾」―「干」、「醜」―「丑」
2 漢字の一部を置きかえる
例)「虧」―「亏」、「務」―「务」、「雖」―「虽」
3 行書、草書体を応用
例)「為」―「为」、「樂」―「乐」、「東」―「东」、「極」―「极」
4 古い字体を使う
例)「塵」―「尘」、「筆」―「笔」、「從」―「从」、「寶」―「宝」
1から3までの方法以外のもの、実は古体字には字の中に文字の意味が内包されている。(後略)
――ということですね。
漢字簡略化に関係する周辺知識ですね。
こういう知識というのは、大学で学ぶチャンスがあったということで、一般的には余り知られていないということですね。それは日本語の漢字の変遷について私がよく知らないのと同じ感覚なのかなと思いました。
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コメントの内容について(要望)
皆さんへ
ここに皆さんがさまざまなことを書いてくださること、勉強になります。そのことに感謝した上で、あえて要望を書きます。
あくまでもこのブログは問題を真剣に話し合ったり、難しい知識を提供する場として考えていません。
したがって、皆さんが日常生活を送る中で、傾向として考えがちなこと、習慣などが要因で感覚的に思っていることをコメントの主軸にしていただけるとうれしいです。
大変申しわけないのですが、まじめな議論は別の場でお願いできますでしょうか。
よろしくお願いします。
「ブログ「梅と桜」のネチケット1」
http://umesakura.jp/20050711023610.html
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目前居住在台灣的人還是漢人居多吧?
所以希望保有繁體字
也不能算是在維護外來文化吧
現在的中國話其實是滿人的官話
河洛話也曾經是中國古代的通話
也就是所謂國語
中國文字也是可以以河洛話來讀的
不是嗎?
不太了解爲何守護正體字就是守護外來文化
在大陸的網絡 正體字正在興起 支持正體字的人也接受了【正體字】這個稱呼
大陸的論壇也常出現是否恢復正體字的討論 支持正體字的人還是很多的 反對正體字的人說這是復古 其實部分簡化字貌似比正體字的歷史還久 真正復古的是簡化字吧
由於簡化字裏有一個簡化字合併數個正體字的情況 大陸一些對正體字認識淺的人常常用錯字
雖然法律明文規定商店招牌不許使用正體字 但是我發現仍有個別商店偷偷的使用…
大陸人都基本能看懂常用正體字 但是要寫出來的話就下不了筆了…我從小可是看台灣香港的漫畫長大的 o(∩_∩)o…哈哈
コメントありがとうございます
(hennさんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
hennさんへの感想ですが、ルーツ云々については、台湾には方言周圏論的な発想はないのかなというのが一つです。
それからもう一つ、言葉は文化ではなく、生き物だと思います。台湾でその漢字が使われているから、使われているだけだと思います。シンプルにそう思いました。
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(大陸人さんへ)
こんにちはszyuです。コメントありがとうございます。
大陸(メインランド(中華人民共和国)のことですか?)のブログにおいても、正体字(繁体字)があらわれ、支持者は「正体字」という呼び方を受け入れている。大陸(中国)の論壇においても正体字(繁体字)復活についての議論が行われていて、支持者も多数である。正体字(繁体字)に反対する人たちは昔に戻すということに言及する。実は、一部の漢字の簡化字(簡体字)は、正体字(繁体字)よりも歴史的に古く、真に昔に戻すのであれば、それは簡化字(簡体字)を使うということである。簡化字(簡体字)には、幾つかの正体字(繁体字)が組み合わさって簡化字(簡体字)になったものがある(済みません、これで訳として合っているのか、意味がわかりません)ということにより、正体字(繁体字)の知識が浅い大陸(中国)人はよく字遣いを間違える。
法律では、商店の看板に繁体字を使うことを認めていないが、個人商店ではこっそりと使っている。大陸(中国)人は基本的には繁体字が読める。しかし、書きたくても書けない。私は小さいころから台湾や香港の漫画を見て大きくなったのに……
日本語の中でも旧仮名遣いにかなりこだわり、その字遣いで書かれる方もいらっしゃいますね。中国で字遣いがまさか繁体字になることはないだろうというのが私の考えです。ただ、繁体字に何らかの共感がある人たちがいるということもかいま見ることができました。
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コメントの内容について(再要望)
皆さんへ
ここに皆さんのコメントが多く集まるということは、つまりここは個々人によってさまざまなこだわりがあるテーマであり、関連することも多岐にわたるということを実感しているところではありますが――再度要望を書きます。
私自身がこのブログのトピックで言いたかったことは、台湾人にはどうも簡体字が読みにくい傾向があるということです。ほとんどそれだけです。
このトピックに沿ったコメントをするのではなく、御自分の主張したいことをお書きになるのであれば、それは皆さん御自分のブログなり、別の意見表明ができる場所で行ってください。よろしくお願いします。
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其實沒有必要將繁簡字對立起來,
學會簡體字的人,一般不用專門學習,
也能很順暢地、毫無障礙地閱讀繁體字寫成的文章,
僅僅是一些字不會寫而已,但不影響閱讀。
就我自己來說,從小先學的是簡體,
小學五六年級時接觸繁體,
初中三年級時基本上達到與簡體一樣的閱讀速度了。
日本略字僅花了幾個小時,就掌握了它與正體字之間的字型差異,
漢字沒想象中那麼難學,學會基本漢字的人,
哪怕遇到生字,亦會很快掌握。
大陸正體字不會消失,目前使用範圍還很廣。