例えば、外国人から「コアラの中国語は何?」と聞かれて、
もちろんそれを聞かれた台湾人が答えることができるけど、
それを言ってしまってからがちょっと問題で、
その外国人が台湾人の話す中国語と中国大陸の中国人の話す中国語の差のことに理解がなければ――
その外国人が台湾人から聞いたその中国語を大陸の中国人に言うと、
大陸の中国人はその単語を知らないことの可能性が高いので、
その外国人は間違った言葉を話しているorうそつきになるかもしれない。
あるいは、どうしてそうやって言うのだと外国人が中国人から聞かれ、
あの台湾人はそう言っていたということになると、
でも、中国語ではこういう言い方はないよいうふうになって、
大陸中国語での言い方を聞いて、覚え直して二度手間になるかもしれない。
こういうこんがらがったことを避けて、わかっていても自分の知っている中国語を言っていいものかと気を使う台湾人もいるのかな?
台湾の中国語と大陸の中国語とは大差ないと思っていたりするんだけど、そういうふうに言うと台湾人はちょっとした抵抗を覚える人もいるかもしれない。
語彙だけの問題ではなくて、社会状況や政治状況が異なるので、訳語が異なる場面もあるようですね。
私はよく知らないけど、厳密に詰めていけば意外に両者の差は多いのかもしれない。
私がたまに読んでいるシエシエ オンナ ノ ヒトリゴトに台湾人の話が出ていて、それを見てそんなことを思いました。