台湾人とゆびきりをする

台湾にもゆびきりはあって、「打勾勾」(da3 gou1 gou1)と言うよ。これは、動詞なのでこのまま使えばいい。
ただ、ゆびきりのやり方が日本のものとはちと違うんだよね。
ゆびきりと言えば、小指を立てて準備するんだろうけど、台湾ではもう一本立てる指がある。

まず、指を指文字の「6」の形にしよう。
台湾で片手で数字を数える数え方を見てもらえればわかるんだけど、親指と小指だけを伸ばす、電話を示すボディーランゲージあるいはアロハ!のあの指の形をする。
普通はゆびきりは右手でするんじゃないかと思うので、右手を準備する。

そして、双方の小指を絡める。ここまでは日本のやり方と一緒だけど、ここからが違う。
日本と違って、台湾のゆびきりでは小指を上下に振ったり、間違っても「指切りげんまん、うそついたら~」などというようなお決まりの歌はなく、淡々と次の行為へと進む。

最後に、小指を絡めながら、双方の親指の腹(指紋のある面)をくっつける。
それが、印を押す行為を示すそうで、この行為が約束の契約成立を意味するみたい。

一般的にはゆびきりの仕方はこんな感じなんだけど、さらに発展させて握手をすることもある。
印を押してから握手へ持ち込むそのやり方は、多分文章で説明してもわかる人はいなそうだけど書いてみると――
双方の親指の腹をつけた後、双方がそれ以外の部分の指を開き、親指を軸に双方の手のひらを双方の手前の方に回転させて手のひらを逆方向に重ね、さらに、親指を軸にして手のひらを相手側の方に回転させて、双方の手のひらを重ねる方向へ戻し、親指を軽く絡めて握手する体制に持っていって、握手をするという方法だよ。
やりたい人は、これができる台湾人と一度練習してみよう。

そのほか、例えば子供が「命をかけても、僕の言っていることは本当だ!」と主張したいときに、
「不信的話,賭一百萬」(百万元かけてもいいよ!)と言って、ゆびきりのポーズをするときがあるよ。

これらの約束を担保する行為や自分の正当性を主張するゆびきり行為は、
デフォルトでは、日本と違って「うそついたら、針千本飲ます」というようなペナルティーの設定はない。
ゆびきりは信頼のある人間関係の中でやりたいものだと思う。

ちなみに、こんな面倒なことをしないで、「約束だよ!」と言って約束するときは、
もちろん、台湾人だったらいろんな言い方があるんだろうけど、
とりあえず通じる語彙を知りたいレベルの外国人としては、「説定了」(shuo1 ding4 le)と言うのが妥当な言い方だと思う。

日本的人工樹林

日本是山多、森林多的國家。在日本的山區開車是一種享受,因為道路品質好,路旁都是樹林,如果時期挑得好的話,可以在絕佳的天候下,一邊欣賞大自然,一邊開車兜風。


在日本的山區開車時,經常可以看到道路兩旁的樹林當中的樹幹筆直得誇張。由於樹幹又高又直,再加上樹枝和樹葉都在樹幹的上半部,所以看起來格外鮮明整齊。這種特徵非常鮮明的樹林通常是杉樹林或是檜樹林。

這種道路兩旁的杉樹林或是檜樹林看起來雖然很有特色,不過這兩種樹的樹林並不是自然風景,而是人為大量栽種造成的結果。

日本的山區之所以有很多杉樹林及檜樹林,是因為一般日本人住的平房多半是木造房子(關於這一點,可以參考本站的「日本的住宅」這篇文章),木造房屋要用木頭來蓋,所以日本建築用木材需求量非常高。

日本在戰後由於住宅不足,因此日本各地都在蓋新房子。由於蓋新房子要用到許多木材,所以就大量砍伐森林。這個結果就是很多森林遭到破壞。為了彌補遭到破壞的森林,以及確保建材來源,早期日本的植林政策是以種杉樹及檜樹為主。不過後來日本放寬了外國木材的輸入限制,而日本的建材也多改用進口木材,結果當初所種的杉樹及檜樹就變成現在的特別景觀。

自然林與人工林其實非常明顯,以圖片的上半部分是自然林,而下半部分是非常整齊的人工林。這張照片是攝於群馬縣的碓冰湖周邊附近,照片中的公路是日本漫畫《頭文字D》中曾經出現過的碓氷峠國道18號。照片中,山的上半部是自然森林,下半部是非常整齊的人工杉樹林,這些一串一串三角形的杉樹也是日本漫畫中樹林背景中最典型樹木。

自然林與人工林的分界。照片中的白線為自然森林與人工樹林的分界線,白線以上是自然林,白線以下為人工林。

網誌文章數202

「梅與櫻」部落格從成立到現在已經整整五個月了,而目前部落格中所累積的文章數已經超過兩百篇,這是網誌成立當初,所沒有料想到的結果。

部落格在剛成立時,本來是一個想認識台灣的日本人的心得筆記,內容當然是以台灣人的生活為主。藉由這個網誌,把自己所新認識的台灣事物留在日本的網誌系統中,甚至藉由網路將這些資訊推廣給其它想認識台灣的日本人。然而,只以日文記錄台灣事情的網誌,可能無法引起台灣人的興趣。因此,「梅與櫻」由一個單純以日文介紹台灣為主的網誌,進化成「以日文介紹台灣,以中文介紹日本」的雙向型網誌。這種雙向介紹的模式一方面可以吸引日本和台灣兩方的網友閱讀,而最珍貴的是其中任何一方網友若發表了感想,都可能讓另一方的網友得到更多的資訊樣本,讀者所能得到的絕對不只是網誌的內容而已。

對於一些台灣人而言,日本是一個相當有魅力的地方,日本有很多台灣所沒有的東西,相信在這裡看文章的台灣人多少都有這種認識。然而同樣地,對一些日本人而言,台灣也有台灣的獨特的魅力,台灣也有許多日本所沒有的東西,而且有許多生活形態是日本人相當羨慕的。畢竟,沒有一個世界是完美的,很多事物都是一體兩面,優點的另一面通常也會衍生出缺點,而缺點的另一面通常也會衍生出特別的優點。愈是平凡的事物,這種一體兩面的性質就愈不容易被發現。因此「梅與櫻」部落格的內容大部分是以「理所當然」的事物為主題。畢竟「理所當然」的事物,是一般人比較容易理解的事物,大部分的人不需要專業的知識就能了解這些事物背後的道理。

然而,因為主題大多數都是「理所當然」的事物,所以台灣人看介紹台灣的文章,或是日本人看介紹日本的文章,可能都會覺得非常無趣,然而如果把這個組合方式對調一下,會有完全不同的結果。這是因為一個對自己而言理所當然的事物,對別人,或是對別的世界的人而言,未必是理所當然的。

日本和台灣之間的不同之處其實是舉不完的,然而人類畢竟是社會中的個體,看到的社會現象其實非常有限,而且多半只是身邊的事物而已。因此要發現這個不同點其實並不容易,而且要正確地解釋「理所當然」的現象的背後所隱含的意義、用大家都看得懂的語言向大家說明、平均一天一篇文章等,都是非常不容易的。「梅與櫻」能達到什麼程度我們並不知道,畢竟我們也是平凡人,然而有目標才會有進步,這些困難就是撰寫這個網誌時的一種挑戰。

儘管是在外出旅行的停稿期間,每天仍然有一百多位網友來參觀,這對「梅與櫻」而言是相當大的鼓舞,更是讓「梅與櫻」持續下去的動力之一。

れんげとスプーン

私はとても意外に思うんだけど、かなり流暢な日本語を使ってくる中華系の人であっても、「れんげ」という言葉を知らない。
だから、何か中華系のスープを飲むときに「れんげ」欲しいと言うと、「それは何?と」言われてしまうのだ。
逆に、ラーメンを食べるときに「スプーン」が欲しいと言われると、何でラーメンを食べるときにれんげではなくてあえて金属のスプーンを欲しがるんだろうと不思議に思うこともある。

液体を入れるさじのことは中国語ではまとめて「湯匙」(tang1 chi2)と言うよ。
日本語では、中華風のさじのことは厳密にれんげと言うし、そのほかのものはスプーンとかさじとか言ったりするから、「湯匙」の訳語を「スプーン」で統一されると、ちょっとした混乱が起こる。

台湾ではれんげは物すごく身近な容器の一つで、プラスチックだったり、金属だったり、陶器だったりと、素材はさまざまだし、食生活のいろんなところに登場する。
普通の食堂だったら、プラスチックのれんげが常備してある。無料でスープのサービスなんかがあると、そのスープを飲むときにプラスチックのれんげが出てくるよね。
プラスチックのれんげの素材は、日本によくあるしっかりした素材のものと、物すごくふにゃふにゃで使い捨てようなんだろうなというものがある。
それから、地域にもよるかもしれないけど、学校の給食なんかでも金属のれんげが食器として毎日出てくる。ああいう形なので、日本の先割れスプーンとかよりも片づけは便利そう。
あとは、高級なレストランなんかに行くと、陶器のれんげが出てくる。

台湾で台湾人に食べるものを見繕ってもらう言い方

例えば、台湾人と台湾で食事をしようとして、じゃあ、ということで台湾人から「你想吃什麽?」とか聞かれたりすることもあると思うんだよね。
もちろん、何か具体的に食べたい物があればいいんだけど、実は、そこまである特定の食べ物に命をかけるように食べたい!と思うことは、まれなんだよね。
台湾人から、何が食べたいのか何がいいのかと追及されれば、台湾で何が食べられるかよくわからないから、結局ガイドブックをめくったりして、例えば、鼎泰豊の小龍包はどこのガイドにも出ているから、まあそういうものが食べられればいいのかもとか言ってしまうかもしれない。
けどさ、大枚はたいて行かなくても、別にその店じゃなくてもうまい小龍包はあるだろうという話を台湾人はしたくなるかもしれない。それに、言っている側としても、そこまでその店にもこだわっていないし、その品目にもこだわりはないんだけど、何が食べたいのかよくわからないから次善の選択として提案しているだけということがあるかもしれない。

食べたいものはどうでもいいというほど投げやりではないけど、台湾にいてそこの地域のそれなりのものが食べられればそれでいい、あわよくば台湾人自身が自分の日常を紹介してくれればいいと思う――そういうファジーな気持ちを伝えられる言い方を今回は書きたいんだ。

まず、レストランや食堂やどこかの屋台でも何でも、台湾人から「你想吃什麽?」から聞かれて、きっと一番答えたい答えは、「何でもいいよ」だと思うんだよね。それは、「都可以」「沒意見」と言う。
もちろん、その後何か次なる言葉が必要だと思うので、「あなたがオーダーしてくださいよ」ということで、「你來點」と言う。「點」ではなくて「叫」を使って「你來叫」と言うこともできる。「叫」の方が発音しやすいかもしれない。あるいは、「你點」「你幫我點」と言ってもいい。

そうやって言われても台湾人は困るので、また工夫して台湾人に何とかしてもらうように努力したい。
「あなたがいつも食べているものを食べたい」という場合は、「點(or 叫)你常吃的」「你平常吃什麽就點(or 叫)什麽」と言う。
「何か台湾らしい物が食べたい」という場合は、「我想吃台灣特有的」「你想吃台灣獨有的」と言う。そんなことを言われても、日本人や世界の食生活を把握していないだろう市井の台湾人は困るだろうけど……
「普通の人が食べているものを食べたい」という場合は、「我想吃一般小市民吃的東西」と言う。
とにかく、これで、台湾人も困りながらも何とかしてくれるでしょう――

もし、ガイドブックを持っているのであれば、ガイドブックはお互いにコミュニケーションの助けになるかもしれないけど、やっぱりガイドと同じことをしてもつまらないから、「ガイドブックには出てないおいしい物を食べたい」と言いたくなるかもしれないね。その場合は、「我想吃這本書上沒有的好吃的東西」と言う。

そして、やっぱり、日本人の心理としては使わないでいいお金はけちけちしたいし、お金は節約できたことに越したことはないから、「安くておいしい物を」と言いたくなる。その場合は「便宜又好吃的」と言う。
なお、台湾人の心理としては、「安くて……」の後に続く言葉は「量」らしいんだよね。だから、こういうことを言う場合は「便宜又大碗」と言うらしいよ。
だから、台湾人は安くてうまい物がいいと言われると、とても困るかもしれない。

日本的交通尖峰時段(2)

有些台灣人可能會覺得尖峰時段的台北捷運的某些區間非常擁濟,不過就日本人的標準而言,台灣的捷運的擁擠狀況其實還好。

尖峰時段的台北捷運車廂看起來很擠,不過實際上其實還是可以塞人,只是台灣有不少乘客沒有努力把自己的空間留給其他人而已。

舉實例來說,很多學生會背背包,其實背著背包上電車會佔用比較大的空間,而且轉身時背包還可能會勾到別的乘客。在日本,使用背包的乘客擠電車時,大多會把背包抱在胸前。人在電車當裡,抓吊環時最自然的姿勢是抓自己正面上方的吊環,人要移動時膝蓋也會向前抬。在這個前提下,胸前自然會留出空間。把背包抱在胸前,就是有效利用胸前的空間。如果背包還是背在背上的話,就代表浪費了胸前的空間,同時擴張了背後的空間。

在日本,很多鐵路公司都會宣導在尖峰時段把背包抱在胸前,所以這是一般日本民眾的常識。不過目前的台灣完全沒有這種常識。

另一方面,在1990年代之後,很多台灣民眾改騎機車,不太使用大眾交通工具,結果忘記大眾交通工具的搭乘感覺,其實,在1980年代以及之前,台灣很多公共汽車都非常擠。只是大家已經忘記這種感覺,所以對「擠車廂」的容忍度變低了。

◆◆◆

去過日本旅遊的台灣人如果看過早上八點左右東京的繁華地區的電車載客狀況,可能會印象深刻,因為擁擠度和台北捷運完全是不同的次元。其實,2005年現在日本的電車的「混雜率」是近三十年來最低的程度。日本的鐵路公司從三十年前就一直設法改善電車的擁擠問題。到日本觀光的台灣人見識到的尖峰時段的超擁擠的電車其實是三十年間每年不斷改善下的結果。

在1970年代前期,日本的東京、大阪、名古屋的三大都市圈的電車重點區間的平均混雜率都在200%以上。其中東京圈超過了220%。

混雜率200%指的是乘客之間身體發生接觸,而且有壓迫感的狀況。平均混雜率超過200%,就表示非尖峰時段的混雜率可能不到200%,但是尖峰時段必然超過200%。

混雜率250%指的是擠到手沒有辦法動的程度。混雜率250%似乎已經到了空間極限,不過當時東京的部分區間的混雜率其實還有超過260%的情形。當時最嚴重的三個路線分別是JR京浜東北線、JR総武線緩行、以及JR中央線快速。

為了解決擁擠問題,日本的鐵路公司想辦法更改列車編成及設計,把電車從六節車廂變成八節車廂,再變成十節車廂,最後加到十二節車廂。這些措施當然要花大錢。

加長車廂的結果就是月台長度不足。所以鐵路公司還要另外大興土木把台月加長,這當然也要花大錢。如果月台的成長跟不上電車的成長時,最前面和最後面車廂的乘客就要走到其它車廂才能下車。

除了月台硬體以外,日本的電車製造業者也改良了車廂設計,把車廂的門從一邊三個門改成四個門,甚至六個門的車廂。有些業者則是設法把車廂空間加寬,也有一些新型車廂的座椅可以收納,在尖峰時段時座椅全部收納起來,乘客全部用站的,以增加載客的能力。

當車廂的門變多了以後,每個車門的乘客進出量可以分散,乘客上下車的時間也會縮短。乘客上下車的時間縮短的話,就表示列車使用月台的時間也可以縮短。這個結果就是鐵路公司可以加開班次。在日本的在交通尖峰時段,有些路線的電車可以密集到兩分鐘一班車,一小時一共三十班列車,然而,尖峰時段電車到站時,由於上下人數多,所以停留時間大約會花到30~40秒,因此實際上,前一班電車剛開走時,其實一分鐘左右就可以看到下一班電車了。這需要非常精密的管理才能達到這種效率,這也是日本鐵路運輸驚人的地方。

呼びかけの言葉

見知らぬ人に声をかけるときに、どうすればいいのか。
もちろん、その人と無理やり目を合わせにいったり、その人を肩をたたいたり体を引っぱったり、奇声を発したりすれば、その相手を振り向かせることはできるけど、もっと賢くやりたいよね。

基本形は、日本語でも同じだろうと思うけど、「済みません」と言えばいいのだ。
日本語で「済みません」と言えば、きっと周りの台湾人はその異様な発音に振り向いてくれそうな気がするけど、それはそれで置いておこう……
だから、「抱歉」(bao4 qian4)、「不好意思」(bu4 hao3 yi4si) のうちの、発音しやすい方を覚えればいいのだ。

ただ、例えば、前を歩いている赤の他人が何か物を落としたりして、それを知らせるために声をかけるといったような突発的なときは、「喂」(wei4)、「誒」(ei4)といったりする。
これは、余り礼儀のある言い方ではないみたいだよ。けんかを売るときもこういう言い方をする。
「誒」を漢字で紹介したけど、もともとは余り漢字では書かれない言葉で、
文字で書かれているときは「ㄟ 4」といったような注音記号だったりすることが多いんじゃないかな。

自分が客で、店員を呼ぶときは、
女性の場合は、「小姐」(xiao3 jie3)と言う。
けれども、男性の店員には、「先生」(xian1sheng)とは言いにくいみたい。
「先生」というのは、ちょっと敬称のようなニュアンスがあるので、別の言い方をしたくなる。
大抵は、まあその男性の店員に対してそのまま用件を話し始めるか、後ろを向いていたら、肩をたたくなりしてこちらを向かせてから自己主張をすることになる。

逆に、店員がお客さんを呼ぶときには、「先生」とか「小姐」とか言うみたいだよ。
緊急事態になると、店員は、音を重ねて「先生先生」とか「小姐小姐」と言う。

日本的交通尖峰時段(1)

在台灣,每天的交通尖峰時段,市區的馬路都會大塞車。機車族和汽車族在路上被重重車陣包圍,馬路上幾乎沒有任何空隙可言。如果機車在等紅綠燈的車陣中突然故障發動不起來,連牽到路旁檢查的機會都沒有,因為路上根本沒有空間。這就是尖峰時段的壓力。

在日本,都會區的大眾運輸系統雖然相當成熟方便,但是在交通尖峰時段,民眾一樣也有壓力。只是日本民眾的壓力不是在馬路上,而是在電車上,而且壓迫感比台灣還嚴重。因為日本的電車非常擠。

日本的電車很擠,並不是因為電車班次少,而是搭電車的民眾太多。

那麼汽機車呢?

由於日本的大都市開車或騎機車的移動效率不如電車,汽機車一定比電車慢,成本也比電車高,就連搭計程車也會比電車慢,所以大部分的都市民眾都是搭電車上班上學。結果大都市的公路大部分是物流業的車輛在使用。

由於日本的地方大,所以民眾有機會買到獨棟住宅。收入安定的上班族都會想買獨棟住宅。不過日本在高度經濟成長期時,都市地價越來越高,想住獨棟住宅的上班族只買得起郊外的房子,這個結果就是都會區人口大量外移分散。這些人每天上班上學或回家時,都要靠鐵路運輸,所以鐵路交通的運量越來越大。

目前全日本的交通尖峰時段中,電車的擁擠度最高的地區是東京。日本在評估電車擁擠度,是用「混雜率」來判定。假設一輛車廂設計上是可以容納100名乘客,如果現在該車廂內有90名乘客的話,這個車廂的混雜率就是90%。

混雜率的算法看起來很單純,不過鐵路公司不可能確認每個列車的實際載客量,很多情況只能用目視估計。另外,每個人上下車的車站都不一樣,所以同一個路線的不同區間的混雜率也會不一樣。

那麼東京的交通尖峰時段的電車到底有多擠呢?

由於都市人口每天都有變化,幾乎每天都有遷入和遷出人口,所以居住人口會一直變動。另外,鐵路業者也會一直改良設備,可能會調整列車班次,也可能修改新的車廂空間,所以混雜率也會隨時變化,最擠的電車路線不會固定。

以2003年的統計為例的話,東京交通尖峰時段最擠的電車是JR的【京濱東北線】的【上野-御徒町】區間。混雜率是225%。也就是說,當時的車廂中的乘客人數是設計上可容納人數的2.25倍。搭乘混雜率225%的電車的壓迫感當然非常大。當然,除了【京濱東北線】以外,還有其他超過200%以上的路線及區間。這一年,東京主要的路線和區間的平均混雜率是171%。

至於東京以外的地區,當然也有交通尖峰時段的問題。例如2003年的大阪的幾個主要的路線區間平均混雜率是137%,名古屋的幾個主要路線區間平均混雜率是146%,雖然都超出了車廂設計上的容納人數,但是和東京的狀況相比,其實已經算相當空了。

相關文章連結:
日本的交通尖峰時段(2)

台湾と8月15日

一般的な話をしているだけなので、何か感情的な議論&本文と無関係な知識の披瀝のコメントは遠慮してね。

8月15日といえば日本でいうところの終戦記念日で、アジアの各国は日本に対する動向を注視していたり、それぞれの国でデモ行進をしたりするんだろうと想像するんだよね。

台湾でも、確か元従軍慰安婦だった方々とその支援者がデモ行進をしたというニュースはあったけど、
それは60人ほどの規模だよね。
台湾といえば、選挙運動ともなれば道路に人が埋め尽くさんばかりの勢いで、別に政治的なことには無関心な国民ではないはずなのに、こんなに少ない。

下関条約以降、日本の植民地となっていた台湾だけど、1945年8月15日のポツダム宣言受諾によって台湾という地域の存在が大きく変化することになったから、そこはとても大きな記念日なんだろうと想像するんだけど、特に台湾では政府的な動きとして8月15日を何かのメモリアルな日にするということはしていないみたい。

そして、何と台湾人の中には8月15日を知らない人たちもいるらしいんだよ。
もちろん教科書には8月15日について記述はあるらしいんだけど、別にそこを集中的に熱心に反覆して勉強するわけでもないし、政府やマスコミの強烈なキャンペーンや啓蒙活動があるわけでもないから、忘れちゃう人がいてもおかしくないか。
だから、日本に来てから初めて8月15日のことを強く印象に残し、記憶するようになった台湾人もいるんじゃないかな。

こういう教育になっているのは、長らく台湾、中華民国では、台湾という国土は自分たちの版図の一地方でしかなく、主な国土は中国大陸にあると考えていたからなんだね。
よくよく考えれば、そもそも1945年の当時、今の台湾政府は今の場所=台湾にいたわけでもない。
だから、台湾の政府は台湾という土地が日本から解放された8月15日は特段強調することはなかったということが言えそうだよ。

ただし、台湾がもし独立という動きへと傾いていったら、別の考えが生まれるかもしれないよ。