台湾でのファミコン海賊版変遷

興味がある人は、イントロダクション、日本語テレビゲームと台湾人も見てね。

昭和60年ごろ、台湾ではファミコンの海賊版が大いにはやった。
ハードもソフトもしっかり海賊版になって出回った。

台湾人の人々ももちろん本物を買いたいと望んでいた人もいたけど、
海賊版は店頭によく並んでいた存在だったし、お店の人もうそを言ったりもしたので、
買ってから初めて海賊版だと気がつく人もいたし、買った物が本物かどうかは、比較のしようがなく、普通の人にはわからなかった。

ファミリーコンピュータのハードの海賊版は、当初、正規版ととても似たような外観で販売されていた。
正規版と大きく違うのは、海賊版にはマイクの部分がなかったり、AV端子がついていたりしている部分。
でも、海賊版にも日本語のラベルがちゃんと張られているから、最後まで海賊版だと気がつかない人もいたかもしれない。

ファミリーコンピュータのソフトの海賊版の変遷は、大きく前期と後期に分けられそう。

ファミコン時代の前期には、シンプルにカセットが丸ごとコピーされた。
例えば、ドラゴンクエスト3とかで中に電池が入っていてデータを保存できるものもあったけど、そういう機能もちゃんとついていて保存できる優れ物だった。
ただ、消費者への保証はなかった。だから、クラッシュやエラーも発生したのかもしれない。

ファミコン時代の後期は、技術的に進展し、海賊版でもクラッシュ、エラーは出ないようになった。
そして、単なるチップコピーではない、いろいろな発展があった。

ファミコン時代前期との大きな違いは、1つのカセットで幾つものゲームができるようになったこと。
四合一、つまり1つのカセットに4つのゲームが入って売られるようになり、
そのうち、二十合一(1つのカセットで20のゲーム)、一百合一(1つのカセットに100のゲーム)が出た。

ソフトの内容にしても、一つのゲームに難易度とか条件が違うたくさんのバージョンができたりした。
例えば、マリオのいろいろなバージョンが出現し、簡単なマリオから、難しいマリオまでのレパートリーをそろえるようになった。
ちなみに、100のゲームができるという一百合一の場合、一つ一つのバージョンが1ゲームとしてカウントされるので、実際の純粋なゲーム数は100とは言いたくない気がする。

こういう変遷を経て、そのうち、カセットが要らないファミコン、つまり、ハードの中にたくさんゲームが入っているものが出現した。
もちろん、これはカセットが使いたければカセットも使える優れ物なんだ。

そして、ファミコンのゲームハードの外見もかなり違ってきた。
例えば、そのときのブームに合わせて、スーパーファミコンみたいな外見、プレステ2みたいな外見のものが販売されるようになった。