台湾の民族構成

台湾の民族構成を見ると、台湾が移民国家だということがわかるのよね。

台湾行政院客家委員会の2004年のデータによれば、
4分の3が「福(イ老)人」、福建から来た人で、これが多くを占めている。
次が「客家人」で13%、「外省人」が8%、「原住民」が1%となる。

ただ、例えば、違う民族同士が結婚したら、その子供はどこに属するかわからなくなっちゃうので、
この数字も厳格なものではないらしいよ。

外省人ではない人はみんな本省人と言われるんだけど、
自分のことを「本省人だ!」と日常的に強調されることはない。

本省人の人たちが自分を本省人だと名乗るのは、
例えば選挙のときに、本省人からの支持を得たいときなどに名乗るもので、
多分に政治的な意図が含まれる言葉なのね。

主義主張によって表現形態は異なるけど
通常は、民族のことを聞くことははばかられることみたいだし、
自分の民族を自発的に打ち明けるということもしないらしい。
民族問題は台湾人同士としてはかなり複雑な問題を内包している。

アクセスランキング1000位初登場

5月2日、このブログが、gooブログのアクセスランキングの1000位に初登場したんだって。

gooブログは、1000位までのアクセスランキングを発表しているから、初登場なんだよ。
ちなみに、gooブログの5月2日現在のユーザー数は199237。

別にランキングねらっているわけじゃないんだけどさ、モチベーションには、なるね。
いずれにしても、引き続き、日々精進が必要かな。

日本的道路(1)

曾經到日本旅遊過,或曾經在電視節目中看過日本街景的人,可能會覺得日本的馬路非常乾淨,甚至可能會覺得日本的馬路比台灣寬敞、舒適。

日本在1960年代後半進入汽車社會,日本政府也花了很多精力整備日本全國的交通網,也做了很多交通研究。就道路周邊環境的觀點來看,日本的道路的違規停車現象比台灣少很多,也很少看到商家或機車佔據人行道,道路周邊環境確實比台灣清爽。

不過就整體而言,日本的馬路並沒有台灣的馬路寬。

和台灣相比,日本主要都市的道路非常狹窄曲折,而且容易迷路。

日本主要都市的道路曲折,是因為日本的主要都市在古代多半是城下町。

城下町是以「城」為中心發展起來的都市。古代日本的城堡多半非常高大,城堡外圍的庶民生活區域看起來就像是在城堡之下,所以叫作城下町。

古時候日本的城主為了加強城的禦敵能力,會把城下町的道路規畫成「丁字路」。丁字路就是「T」字形的道路。道路不會直通城堡。每走一段路,一定要轉彎才能繼續前進。發生戰爭時,攻城部會被一層一層的丁字路阻攔,無法順利前進。


1859年江戶城西面,市谷附近的地圖。從地圖中可以看到許多丁字路。大部分的路都無法直通到底。這就是典型的城下町道路。

日本在二戰時,很多大都市都被炸成焦土。本來這是重新規畫都市的好機會。不過日本完全沒有想到經濟、科技、交通會發展成現在的樣子。所以日本在戰後重建時,很多道路還是保持戰前的寬度。

到了1960年代,日本的經濟快速成長,日本政府花了很多心力整備全國的道路網。各個地方都市之間往來變得非常方便。

不過另一方面,經濟成長造成都市土地增值,結果政府沒錢徵收土地,無法拓寬都市道路。所以現在日本大都市裡還有很多曲折狹窄的丁字路。

在日本的郊外開車,可以開得非常舒適,如果是在都市開車的話,會非常痛苦。因為馬路不寬,而且紅綠燈多。不過由於日本的大都市的公共交通完備,所以住在大都市的人原則上不會用汽車移動。結果市區道路主要是公共交通系統和物流業使用。當然就沒有那麼多路邊停車的問題。所以日本的大都市的馬路看起來比台灣的馬路清爽。

日本的京都和札幌的道路算是比較特別,都是非常整齊漂亮的棋盤式道路。這是因為京都在建城規畫時是仿古代長安城的設計。而且京都屬於公家貴族的居住地,武家戰爭時對象是其他武家,而非貴族。此外,佔領京都能獲得的戰略優勢也實在不多,所以京都在歷史上雖然受過戰亂波及,但是沒有成為大戰場。所以京都迄今一直保有傳統的棋盤式道路。至於札幌在建城道路規畫時,武家統治的時代已經結束,不再需再要城下町,所以都市計畫採用了交通便利的棋盤式道路。

台灣的都市道路很多都是日治時代規劃,所以和札幌類似,也是屬於概念較新的棋盤式道路。