哈日族

90年代後半,台灣出現了「哈日族」的文化。而且這個文化到目前依然在持續發酵中。

可能有些人想知道「哈日族」的日文是什麼。

在一些人的觀念中,不同語言的詞彙可以找到一對一的關係。
例如:
英文的「dog」可以對應成中文的「狗」,「cat」可以對應成「貓」。
日語的「いぬ」可以對應成中文的「狗」,「ねこ」可以對應成「貓」。

有些人會有這種關念,是因為這些人在學新的語言時,教材上列出來的單詞就是一對一。例如入門級的英語教材中,單詞表中的「dog」就是對上「狗」。入門級的日語教材中的「ねこ」是對應成「貓」。這種編排方式就會讓學習者以為A語言中所有的詞彙在B語言中一定都可以找完全相對應的詞彙。

不過翻閱過外語字典的人可能會發現很多詞彙並不是一對一的關係。上面舉的狗、貓其實是比較單純的特例。當外語學久了之後,很多人會發現越來越難遇「狗」和「貓」這麼單純的詞彙了。

另一方面,狗和貓在華語圈、日語圈、英語圈都是常見的動物。所以中文、日文、英文才會有這種詞彙。如果到了某個和文明完全隔離,完全沒有狗和貓的地區,這個地區的語言可能就不會發展出「狗」和「貓」這兩種動物的詞彙。

回到正題。

哈日族是台灣在90年代後半形成的文化。因為台灣有這個文化,所以才會出現這個詞。那麼日本有「哈日族」嗎?

哈日族的本質就是對日本抱持好感,喜歡用日本製的商品,對日本的次文化接受度非常高。「哈日族」特別的地方就是這個族群的人不是日本人,但是卻能夠接受日本的種種事物。如果日本人對自己的國家報持好感、用國貨、接受自己國家的次文化,這是「當然」、「平凡」。如果有日本人對台灣抱持著好感,喜歡使用台灣製的商品,對於台灣的次文化接受度非常高的話,這才叫奇特。

那麼日本有沒有特別喜歡台灣的事物的人呢?

日本當然有這種人。日本人會把這種人稱為「台湾フリーク」。

フリーク的語源是英語的怪胎(freak)。「フリーク」這個詞在日語中是指熱衷某種事物的人。如果要把「台湾フリーク」這個詞譯成中文的話,可以翻成「哈台族」或是「台灣迷」。

如果要用日文來描述那些對日本的種種事物帶有好感而且熱衷的「哈日族」的話,或許可以翻成「日本フリーク」。

註:
日文中的狂熱者的詞彙比較:
オタク:因為非常熱衷某件事而犧牲掉很多生活中其他部分的人。
マニア:非常熱衷某件事,熱衷到擁有一般人沒有的深奧而且怪異的知識的人。
フリーク:熱衷某件事的人,行為未必極端。單純地喜歡某件事的人也可以叫フリーク。

台湾人が漢字を忘れたら?

平仮名や片仮名がなく、すべてを漢字で表現する台湾人が漢字を忘れたら……
1)注音記号を書く
2)書こうと思った漢字はあきらめて、ひとまず似たような意味の漢字を当てはめる
3)何となく漢字のイメージを覚えている場合は、おぼろげなイメージをもとに適当に書く

注音記号というのは、発音記号のようなもの。
中国大陸のアルファベットのピンインと異なり、台湾独特に存在する。

ただ、注音記号を書くことは恥ずかしく、書くことははばかれるという感覚がある。
中学生以上になると、読み方を問う問題以外での注音記号の使用は一切認められない。
だから、テストのときにわからない漢字の部分を注音記号で書いても点数にならない。

台灣的一般問候語(あいさつ)

台灣和中國的一般問候語是不太一樣的。
台灣的早上的問候語:
早~/早安 (おはようございます)

台灣的早上以外的問候語:
你好(こんにちは)
嗨(英語のHi)
吃飽了嗎 (元台湾語のあいさつ)

台灣的晚上/睡覺前的問候語:
晚安(こんばんは/おやすみなさい)

註:
一般日本人學的中文會話為中國式的問候語。
早上:早上好
早上以外:你好
晚上:晚上好
睡前:晚安

中華麺

台湾の麺は、まるで冷や麦みたいな感じの麺が一般的だ。だから、屋台で麺を食べるときには、白くて余りコシのない麺を食べることになる。
そのほかにも、讃岐うどんみたいな麺とか、うどんみたいな麺の場合もある。

台湾にも中華拉麺というものはあるが、それは、讃岐うどんみたいな形の白くてコシの強い麺で、日本で見なれているような黄色い麺はほとんどない。

だから、日本のラーメンに入っているような中華麺を食べるためには、やっぱり日式のラーメン屋さんに行く必要があるのだ。

機會?命運?

「機會?命運?」

前一陣子,我在台灣某個雜誌的封面上看到這兩個詞。

「機會」和「命運」是很普通的詞彙。不過台灣人同時看到「機會」和「命運」這兩個詞時,很多人會想到紙上遊戲「大富翁」(地產大亨)的兩組卡片。

大富翁遊戲中的「機會」和「命運」的意思非常直觀。就是這兩個詞本來的意義。不過當這兩個詞同時出現時,會衍生出新的意義:某個人走到人生十字路口時的彷徨狀態。

我看到的雜誌封面上的這兩個詞,正是在表現這樣的意境。

如果把「機會」和「命運」翻成日文,會變成什麼樣子呢?

日文當然有和「機會」和「命運」相當的詞彙,如果把「機會」和「命運」直接換成日文的詞彙時,這兩個詞彙的組合效果會消失殆盡。

台灣人能理解「機會」和「命運」的關係,是因為受到大富翁的影響,「機會」和「命運」是大富翁遊戲的符號,而大富翁是一種人生進程的符號。所以台灣人看到「機會」和「命運」這兩個符號,就會聯想到大富翁,進而從大富翁聯想到人生。

不過如果把這兩個詞各自單純地翻成日文的話,日本人不會從這兩個詞的組合聯想到什麼東西。

日本雖然也有大富翁遊戲,不過日本的大富翁遊戲並沒有的「機會」和「命運」這兩種卡片,「機會」和「命運」是台灣的大富翁遊戲特有的詞彙。

「機會」和「命運」這兩個詞本來是「Chance」和「Community chest」。日本的大富翁遊戲是把「Chance」和「Community chest」翻成「チャンスカード」和「コミュニティチェスト」。

所以台灣人在談「機會」和「命運」時,只能適用於台灣而已。日本人無法了解台灣人的「機會」和「命運」的背景,甚至其他地區的華人恐怕也不見得能理解「機會」和「命運」和人生有多大的關係,畢竟「機會」和「命運」是台灣的大富翁遊戲中衍生出的文化。沒有經歷過這個文化背景的人,當然無法理解這兩個詞之間的關聯性。

国歌と国旗歌と国旗掲揚

旗が掲揚されるときには、
まず、「国歌」を歌って、その後、旗が掲揚される。
掲揚される際に流れている歌が「国旗歌」。
国旗を掲揚するときはみんな敬礼しているので、国旗歌は歌わない。

国旗は毎朝8時に学生を校庭に集めて掲揚されて、授業修了後にも同様に学生を校庭に集めておろす。
国旗は学年が高い特定の学生が当番になっていて用意する。

国旗掲揚は毎日ある。
雨の場合は、学生は校庭に集めないが、国旗は掲揚される。学生は自分のクラスの教室の廊下に立って、放送に合わせて国歌を歌う。授業修了後も同様に教室前で国歌を歌う。
学校が休みのときは国旗は掲揚されない。

国歌は幼稚園で大体マスターする。
国旗歌は小学生に入ってから。
国歌の歌詞の意味の理解は大体中学校に入ってから理解できる。

普通の人は国歌も国旗歌も歌える。
したがって、歌えない人は、密航者ということがわかる。過去に国歌が歌えないことが原因で捕まった中国からの密航者がいた。

国歌、国旗歌は、国防部総政治作戦局の部隊実用歌曲選集とかで、詞を閲覧、曲を聞くことができるよ。

ブログタイトルについて

どうしてこのブログが「梅と桜」なのか?
ブログのタイトルは、別に「日台交流」云々とかしてもよかったんだけど、それはただ単にサーチエンジンで上位にランクインされるだけであって、それじゃ芸がないかなと思ったんです。
だから、日本と台湾をよく知っている人がよくよく考えると、そのタイトルが日本と台湾を示しているというものにしたかったんです。

それが、梅と桜です。――国花から着想を得ました。
梅は台湾の国花、桜は日本の国花です。(日本の場合は国花は2つあって、もう一つは菊ですね。)
「梅と桜」というのは慣用句で、美しいものや良いものが並んでいるさまを指すようですから、意味としても、悪くないです。
こういうところに着眼点がある人はいて、過去に林金茎という人が日華関係史をテーマにして「梅と桜」という本をお出しになってます。ちょっと悔しかったです。

ちなみに、どうして台湾の花が「梅」だとわかったか?
自分のパスポートに押されている台湾の入国、出国のスタンプを見ていて、そのスタンプにある花に興味がいったんです。その花は何の花か知っているか?と聞かれて、初めて判明したのでした。
かわいいけど、パスポートのスタンプに花柄を載せる国なんて、世界の国のどこにあるんだろうか。

關於「部落格」(BLOG)

台灣俗稱「部落格」,也有人稱之為「網誌」,中國叫其為「博客」,日本則是「ブログ」。

其實在日本的網站上用「部落格」這個詞是有點壓力的,因為「部落」一詞在日本中是屬於族群歧視用字,可能招致誤解。不過為了讓大家品嚐台灣中文的原汁原味,這點壓力不算什麼啦。

今後請多多指教。

祝開設

やっと完成することができました。大変うれしい。

これから、どうでもいいような日本と台湾との違う部分を紹介したいです。

皆さんの投稿もお待ちしております。