言葉遊びをオヤジギャクと否定する日本文化

台湾で『ドラゴンボール』の翻訳版を読んでいたころ、悟空が界王のもとで修行するシーンに入って、登場人物が何を言いたいのかわからないところがあった。

その内容はというと、界王が悟空の目の前で「誰も電話に出ない」と独り言を言い、自分のジョークのできを自慢し、悟空には自分を笑わせられる冗談を言わないと修行をさせないというものだった。悟空は「布団が飛んだ」と言い、界王を笑わせたのである。【注1】

当時の私は、このやりとりの意味が全くわからなかった。

翻訳作品を読んでいて、理解できない翻訳の内容を見たら、普通は自分の妄想で補うしかない。当時、私が思ったのは、界王のユーモアのセンスは変で、悟空のユーモアのセンスも変だから、両者は変なユーモアでも通じ合えたのだということだった。

日本語を勉強して数年たってから、やっとこの冗談の意味がわかった。
すなわち、「誰も電話に出ない」とは、「(誰も)電話にでんわ」であり、「デンワ」の音遊びをしているのである。「布団が飛んだ」とは、「フトンがふっとんだ」であり、「フト(ッ)ン」の音遊びをしているのである。あの翻訳は、こういう日本語表現を再現していなかったのだ。
「電話にでんわ」や「フトンがふっとんだ」のような日本語表現は、もともと偶発的な結果が冗談になったものである。他の言語に翻訳すると、このような偶発性はなくなってしまう。
私が読んでいた翻訳は、字面を文字どおり翻訳したにすぎなかった。そして、翻訳された内容は、もちろん日本語オリジナルの発音の特徴を持ち合わせていない。だから、翻訳版の漫画を読んでも、このやりとりは理解できないのである。

私が初めて翻訳版の漫画を読んでから原作中のやりとりを理解するまでには、10年以上の時間があいた。さらに、私がこのやりとりの意味が理解できるようになってからまた何年もたち、ようやく、この種の、同じ音や似通った音の語彙を文章中に使っておもしろみのある言葉遊びをすることを日本人は「おやじギャグ」とか「ダジャレ」と言うことがわかった。

■言葉遊びの大衆化 実は歴史は意外に浅い

中国語では、言語表現の中に出てくる同音又は類似音の現象は「諧音」と呼ばれる。中国語におけるこの諧音による言葉遊びには、日本語でいうところの「おやじギャグ」とか「ダジャレ」のような決まった呼び方はない。「諧音遊戲」とか「諧音笑話」などの造語で、この種の行為や状態を説明するしかない。

中国語にこの種の固定的な呼び方はないのは、この種の言葉遊びの「大衆化」の歴史が長くないからかもしれない。
言葉遊びの基本は言葉に対する感性だから、華人世界での教育がそれほど普及していなかったころは、言葉遊びはごくわずかな知識層の娯楽にすぎなかった。
私が小さかったころには既に台湾で教育が普及していたが、時あたかも独裁政権下である、大衆は為政者が決めた「道徳儀礼」を守らなければならなかった。言語表現について注意深さが足りなければ、殺されかねないことも起こり得た。
大人が言葉遊びをするのを聞くことは少なかったが、全くなかったわけでもなかった。例えば、何かを確認するときに「真的?」(「蒸的?」と同じ発音)と尋ねると、相手が「煮的」と答えていたのを聞いたことがある。【注2】

当時は、実はこういうやりとりに余りいいイメージを持たなかった。確認を求めている相手は内心不安に思っているのでは、真面目に答えなければ、相手は余計に不安になるだろうと思っていた。

小さいころ見た諧音による言葉遊びのやり方は、コミュニケーションとして意地悪過ぎるとは思ったが、一方で、学校で習う新しい言葉の中にある、読み方が同じか似通っている語彙に興味を持つようになったのは確かだ。
長じて大学に行ってからは、台湾社会が言論や表現について開放的になっていたこともあり、クラスには、日常的な会話の中に言葉遊びを入れるのが好きな同級生が何人もいた。もちろん、これは諧音を使った言葉遊びである。私の専攻は理系だったのに、これらの言葉遊びが好きな同級生は芸術や文学の感性も持ち合わせ、独創的なキャラクターだった。これらの同級生が私に少なからぬ刺激を与え、私も、言葉を斬新で巧妙に表現することに興味を持った。

現在の台湾では、諧音による言葉遊びはかなり大衆化している。商店、飲食店、商品の名前にも諧音が使われている。これらの諧音を使った名前には、上品でないもの、低俗なものもあるが、多くは大変斬新で巧妙でおもしろい。どれも、店名や商品名を見て記憶にとどめてもらえるようにすることが目的だ。表現がそれほど極端なものでなければ、人々は寛容な態度でそれを見ている。

■日本の「ダジャレ」に向けられる差別的な扱い

私は、来日したばかりのころ、日本語学校に1年半通った。
最初の半年は初級日本語で、テキストを進めていくと短文をつくる練習が入ってくる。私は習ったことがある日本語の語彙を使って、独創的な文づくりに励んだ。
あるとき、授業で短文をつくるときに、日本語の類似音の語彙を使った。クラスの同級生は笑った。日本語教師も笑ったが、その後すぐに、大きな声で「おじさん」と私に言った。

当時の私でも、日本語の「おじさん」の意味は知っていたが、その日本語教師がなぜ私に「おじさん」と言ったのかはわからなかった。恐らくそのとき、クラスの外国人留学生のみんなも、その日本語教師がなぜ「おじさん」と言ったかはわからなかったと思う。とはいえ、日本語教師が笑っている様子からは、悪意はないが、決して私を褒めたのでもないことはわかったのではないか。

後々になって、私は、あの日本語教師が「おじさん」と言って冷やかした意味がわかった。当時、日本語初級の学生には「おやじギャグ」という言葉は通じないだろうから、「おじさん」と言ったのである。この真実にたどり着いたとき、とてもショックだった。
あの日本語教師には悪意がなかったと信じてはいる、彼女は「おやじギャグ」が好きではなく、私のように、日本に来てから半年もたっていない、日本語が初級レベルの外国人に対して、反射的にうっかり言っただけかもしれない。

多くの日本人は諧音による言葉遊びを嫌っているようで、「おやじギャグ」とか「ダジャレ」とこの言葉遊びのことを呼んでいる。この種の呼び名からは、日本人が心の奥底では「おやじ」を疎ましく、差別さえしていることも垣間見られる。

日本に住む外国人の立場としていえば、努力して日本語を勉強することは、その国や社会や文化を尊重する行為だと考えているし、努力して日本語をマスターしたいとも思う。しかし、この種の抑圧的な言語表現の文化に適応することは容易ではない。
日本語に興味を持つ人は日本語のいろいろな表現の可能性を探すのは当然だと思うが、同時に、この言語表現を試すことは、冷ややかなあざけりに遭遇するリスクがある行為でもあるのだ。このことに大きな矛盾はないだろうか。

私は日本に住んでから10年以上たった今でも、日本人が「おやじギャグ」という言葉を使うのを聞くと悲しくなってくる。日本語学校でのあの経験は、本当によくない経験だった。
このような心のもやもやを克服するには、デーブ・スペクターのツイートを見るといいのかもしれない。彼のツイートには独創的な日本語の言葉遊びがたくさんある。しかも、彼は「おじさん」と言われることを恐れない。彼のような存在こそ、ただただ日本語をマスターしたいと思う外国人にはとてもいい刺激になっている。

【注1】当時読んだ漫画は繁体字中国語のもので、純粋に「誰も電話に出ない」と「布団が飛んだ」などの「意味」としか認識できなかった。
【注2】「真的?」は「本当?」という意味。「蒸的?」は「蒸したもの?」という意味。「煮的」は「茹でたもの」という意味で、「本当?」という確認を無視して料理のことに話題をそらした意地悪な答え方をしている。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)

東京的公共自行車

在日本人的感覺中,腳踏車是一般家庭的常備交通工具,而且大部分的日本人都會騎。日本的自行車業界在2018年做的調査資料顯示,日本大約有2/3的家庭有腳踏車。家裡沒腳踏車的人大多是因為生活上用不到。所以從這裡可以推論:如果日常生活中會用到腳踏車,一般日本民眾會自己買來用。

由於很多日本人都有腳踏車,所以過去日本有些地區在試辦都市型腳踏車出租服務時,規模都不大,而且也沒有明顯的成效。結果日本民眾對出租腳踏車的印象多半是觀光景點的服務。

2010年代,日本開始有業者摸索日常生活用的都市公共自行車服務。大約五年前左右,我在秋葉原就看到路邊擺了好幾台裝有電子密碼鎖的相同款式的腳踏車。這時候我才感受到日本也開始有公共自行車服務了。我雖然對這種服務感興趣,但是當時東京可以借還自行車的地點不多,服務還不成熟,所以就沒有用。

最近兩年,東京的公共自行車的服務據點越來越多,連我家附近走路三分鐘的地方都設了借還處,再加上我常去的一些地方也有設借還車的據點,所以我就在去年(2020年)加入了會員。在事前做功課時,才知道東京的公共自行車的服務比我想像得要複雜。

◆◆◆

2021年現在,東京有好幾家公共自行車業者,每家的使用規則都不一樣。要用這些業者的服務,原則上要加入會員。從入會條件來看,業者設定的服務對象是住在日本的大眾,似乎還沒有考慮到外國人觀光客的入會問題。其中實用性比較高的是docomo出資的「docomo bike share」(以下簡稱docomo)和軟體銀行出資的「HELLO CYCLING」(以下簡稱HELLO)。東京實質上就是這兩家業者在爭奪地盤。


docomo的公共自行車。docomo的自行車是紅色車身。輪徑、置物籃較小。
費率:第一個30分鐘165日元,之後的額度是110日元/30分鐘。另有月費會員制度。
※東京以外的地區有其他費率。

docomo在東京的地盤是東京的中心部的11區和練馬區。docomo的特徵是一個會員帳號只能借一台車,服務範圍是以行政區為單位。在哪個行政區租車,就必須在那個行政區內還車。只有東京中心部的11區內是例外,可以跨行政區還車,不過跨區借還的範圍也就只限於11區內。在練馬區或東京以外的地方借車的話,就必須在當地行政區內的據點還車。


HELLO的公共自行車。HELLO的自行車是白色車身。輪徑、置物籃較大。
費率:70日元/15分鐘,1000日元/12小時。
※東京以外的地區有其他費率。

HELLO在東京的主要地盤是docomo服務以外的地區,在東京中心部只有零星的據點。HELLO的特徵是借了車以後可以在日本國內任何HELLO的借還處還車,不受行政區範圍的限制。在東京借車,可以在東京以外的地方還車。當然也可以在東京以外的地方借車,然後騎進東京後還車。而且一個會員帳號一次最多可以借四台車。如果有四個人想一起騎車出遊,只要有一個人是會員,就可以幫另外三個人借車。

◆◆◆

東京的地形有很多高低起伏的地方,一般騎腳踏車的民眾多半會回避這些地方。不過docomo和HELLO的自行車都有電動輔助爬坡功能,可以讓騎車的人省不少力氣,也可以增加公共自行車的舒適性。

從費用的角度來看,如果使用時間在30分鐘以內,docomo和HELLO的費用都比東京23區內的都營公車便宜。超過30分鐘的話,docomo會比公車貴。45分鐘以內的話,HELLO和23區內都營公車的費用相同。和鐵路交通相比,docomo的最低費用比JR和私鐵的最低車資貴,只比一些東京都出資的鐵路事業的最低車資車便宜。HELLO是15分鐘70日元,如果交通順暢,而且騎得非常賣力的話,3公里左右的距離有機會比搭電車省錢,但是會很累。

從服務據點來看,HELLO在東京設的借還處比docomo多。東京中心地帶的HELLO據點雖然比較少,但是並不是完全沒有。至於docomo在東京的服務範圍就完全只限中心地帶的11區加練馬區而已。從費用、租借規則等種種條件來看,HELLO似乎比docomo方便。不過事情並沒有那麼單純。

HELLO雖然借還車的地點比較多,但是每個據點能配置的自行車台數較少,而且有數量限制。很多地方就只能收容四到五台車。因為別人也會借車,所以一般時段的借還處多半只剩兩三台而已,而且當中可能有些車的電池沒電了(騎起來會比較重)。如果某個HELLO會員要帶三個非會員的朋友一起騎車出遊,實質上很難找到能一次借到四台車的地方。就算借到四台車,還車時還要找有四台以上空位的還車地點。找不到這樣的據點,大家就只能各自分散到其他據點還車。如果目的地附近的據點的收容台數全滿,基本上就沒有辦法還車了。就某種意義而言,HELLO的借還車有很多運氣成分。至於docomo的系統就沒有還車上限的問題。原則上只要是借還處,就算已經停了一堆車,還是一樣可以還車。不過這種系統設計會造成某些借還據點被自行車塞到爆,影響周圍的交通。

由於我住的地方是HELLO的地盤,所以我是用HELLO的服務。我就曾經遇過自己家附近的借還處滿車,結果只能到遠一點的地方還車。騎到遠方有空位的據點要多花時間,租金當然也會變高,而且還完車後要再花時間走回來。本來省時省錢的手段變得廢時又多花錢。我也曾經遇過幫友人借車時,用手機預訂兩台車,但是結果卻只訂到一台而已。因為在我訂車的同時,有其他人先搶到了我想訂的其中一台。系統也沒有告訴我其中一台預約失敗。

對我而言,自己家附近有公共自行車服務的意義是多了一種「偶爾」可以當休閒娛樂的交通手段。以前從我家到淺草的最方便、最便宜的手段是搭公車。從我家到公車站要走10分鐘路,還要花時間等車,車程大約20多分鐘,車費210日元。現在可以走3分鐘路去借腳踏車,騎車到淺草就算紅綠燈再多,25分以內還是到得了,費用140日元。騎車不但可以省錢,而且在東京的路上兜風的感覺很不錯。不過一切的大前提是要借得到車才算數。週末時車子常常會被借光,有時候借車地點雖然有車,但是可能全部都沒電,那就只能搭公車了。

東京的公共自行車雖然到了實用階段,但是沒有造成大流行,也沒有讓民眾的生活劇變。對民眾而言,就只是多了一種可有可無的交通手段而已。由於東京的都市空間能設自行車借還處的土地不多,能配置的車輛數量也相當有限,所以這種服務並不安定。由於沒有人能保證每次一定都能借得到車,所以靠公共自行車上班上學的風險太高,結果一般民眾還是搭電車上班上學。假日的時候,借不到車的可能性比平日還高。借不到車時,民眾還是得仰賴其他既存的交通手段移動。另外,目前這一類服務的車輛故障通報系統不夠人性化、有車借但是電池電力不足等後勤問題都還有待改善。

東京的公共自行車雖然到了實用階段,但是還不到方便的程度。這不是東京特有的問題,而是目前日本大都市公共自行車服務的共通課題。

日本の「中国語」の排他性から脱却し、あえて台湾華語と呼んでみる

日本で十数年生活をしている中で、日本人から、たまに「台湾で使われる言語は何か」と聞かれることがある。
台湾に行ったことがある、あるいは日本の周辺国の事情をある程度わかっている日本人の頭の中にある答えは「中国語」であると思う。
私が日本に来たばかりの頃、このような質問を受けたときには、迷うことなく「中国語です」と答えていた。
しかし、日本に長く住むようになって、この質問の答えは難しいと思うようになった。それは、同一語彙でも、人によって言葉を捉えるニュアンスがばらばらだからである。「中国語」という語彙はまさにその典型例である。

なお、フランスで使われる言語はフランス語、ドイツで使われる言語はドイツ語という感覚でいえば、台湾で使われる言語は中国語ではなく台湾語だろうと考える人もいるかもしれないが、この文章はそういうことを言いたいわけではないことを冒頭断っておきたい。

■日本人の考える「中国語」は、私が考えるものと違っていた

私が日本語を勉強し始めた頃に使っていた日本語教材では、台湾で使う言語は「中国語」となっていた。そのときは、それはそうだろうなと思ったし、これまでこの語彙の持つニュアンスをいぶかしむことはなかった。そして、来日後、日本人から「台湾で使われる言語は何か」と聞かれれば、私は勉強したことがある日本語の語彙である「中国語」を答えていたのである。
しかし、日本に住み始めてしばらくしてから、多くの日本人が考える「中国語」と、私が考える「中国語」とは違うことに気づいた。

私が「中国語」と捉えているのは、
・世界の華人の最大多数の共通言語(地域的に言い回しの習慣や発音が違っていても、コミュニケーションはとれる)
・使用する文字は繁体字と簡体字の両方

日本人の「中国語」に対する印象は、
・中国人が使う言語
・ちまたの「中国語教室」で教える言語
・大学の第二外国語の「中国語」で教える言語
・一般的な書店にある「中国語」教材で教える言語
・NHKの「中国語」講座が教える言語

つまり、日本人と私では、「中国語」という言葉のニュアンスの捉え方に大きな違いがあったのである。

日本で生活し始めて、中国語を勉強中という日本人に会ったことがあった。その日本人は、私と会う以前には、中国語に「繁体字」があることを全く知らなかったし、「簡体字」が20世紀後半になってからつくられた文字であることも知らなかったという。
初めのうちは、こういう人はごく少数派だと思っていたが、日本に住んで長くなり、これは少数ではなく多数を占めていることがわかった。中国語の文字に繁体字と簡体字があることを知る日本人はむしろ少数派である。日本人が中国語を勉強するときには、教わるべき中国語の知識の多くが周到に抹殺されているからである。

日本人と私の「中国語」のニュアンスの捉え方の違いがあることによって、私が日本人に、台湾で使われる言語は「中国語」だと言ってしまうと、日本人は、台湾で使われる言語は、ちまたの中国語教室、大学の第二外国語、書店の中国語教材、NHKの中国語講座のものと全く同じだと思われてしまいかねないのである。

日本人が上記のようなルートで「中国語」を勉強しても、台湾人と確かにコミュニケーションできるが、上記のルートが教える「中国語」は、台湾で使われる「中国語」の発音や言い回しとは同じではないし、文字の違いは非常に大きい。そして、うっかり使ってしまうと、相当失礼になることもある。
しかし、これらの「中国語」を教えるルートでは、日本人にこういう事実をほとんど教えないのである。私は、中国語学習経験のある日本人が中国以外での「中国語」の発音や言い回しを知らないでいることに数多く遭遇している。

日本人の多くは、英語にはアメリカ英語とイギリス英語があることを知っている。一方で、「中国語」においては、意外にも中国以外の「中国語」を知らない。この現象はとても奇妙である。日本人が捉える「中国語」とは、周到に操作された、非常に狭くて排他的な「中国語」なのではないだろうか。

■「中国語」と呼ばない呼び方――北京語とかマンダリンとか

台湾の言葉について、日本人から質問されて戸惑ったことは幾つかある。それは、日本人の「中国語」に限らず、日本人自身がその語彙についてどのように捉えているかわからないから答えにくい。

例えば、台湾の言語は「北京語」なのではないかという質問である。台湾の言語を知らない人は元々中国語に対する固定概念はないのだから、聞いたことがある言語の呼び方を言っているだけかもしれないのだが、自分の歴史認識や中国人との交流経験から、日本人の考える「北京語」のニュアンスを想像するしかない。
自分なりの答えとしては、台湾の言語と「北京語」とは似ている、台湾人は北京語話者とコミュニケーションできなくはないが、互いに文字の違いは大きいし、発音や言い回しも違う。それから、台湾の言語と北京の言語は、互いに起源は同じでも、従属関係ではない。台湾人は当然、台湾の言語が現代北京語から端を発したものとは思っていない。

「マンダリン」というのは何かと質問されたこともある。英語のMandarinの意味は知っているが、日本人の考える「マンダリン」は普通に会話で使われていて、厳密性を持った学術用語ではない気がする。
私の捉え方だが、現在のMandarinはChineseとほぼ同じ意味である。台湾や中国では、自分の言語の英語での呼び方はChineseだが、東南アジア諸国の華人の間では、華人の共通言語の英語での呼び方はMandarinとなっているのかもしれない。
私は日本で、シンガポールやマレーシアの華人の観光客に英語で道を尋ねられるとMandarinが話せるかどうかを確認している。彼らは確かにMandarinという言葉を知っている。そして、基本的に「中国語」でコミュニケーションできる。もちろん、私と彼らが話す「中国語」と、中国人が話す「中国語」とは、発音、言い回しは同じではない。彼らが使う「中国語」は「華語」と呼ばれている。
なお、台湾での英語教育では、台湾の公用語の英語での呼び方はずっとChineseなっていて、だから、台湾人はMandarinという言葉に不慣れな人が多い。台湾人が普通、外国人に英語で台湾の公用語について説明するときは、Chineseという言葉をほぼ使う。

ほかにも、中国語学習経験のある日本人であれば「普通話」という言葉を知っているかもしれない。
台湾人も「普通話」という言葉を知っているが、台湾ではこの言葉は使わない。
台湾人のイメージする「〇〇話」は幼児語をイメージさせる表現であり、完成度や上品さに欠ける。幼児の語彙は少なく、「語」という言葉のニュアンスで理解しようがないから、「語」に代わってやや簡単な「話」を使うと考える。中国の「普通話」という言葉が台湾人に与える印象というのは、中国語の伝達能力のこなれていない人が、無理やりかき集めた幼稚な語彙だということである。
ほかにも、「〇〇話」というのは、台湾人に一種の「系統立っていない原始的な言語」という印象をも与えている。例えば、「日「語」」は一種の体系化されて完成した言語という感覚だが、「日本「話」」になると粗野で原始的な印象を与えることになる。

■台湾では、台湾で使われる言語をどう呼んでいるか

台湾の言語を知るには、まず、台湾国内では自身の言語をどのように呼んでいるかを知っておくべきであろう。
台湾国内には多くの言語がある。最もよく使われているのが「国語」と「閩南語」(びんなんご)である。ほかにも、客家語、原住民族の言葉、閩東語、手話などがある。
この「国語」をより日本人がわかる言い方にすると、「台湾の中国語」である。台湾の公用語は「国語」で、台湾の小学生の科目名でもある。「国語」は、台湾人の国内向けの公式の言語の呼び方である。台湾の国内での他の言語とを分ける言い方として使われる。

一方で、「国語」と外国語とを区別する言い方として、台湾人の多くは「中文」という言葉を使う。そして、少数だが「華語」という言葉を使う人もいる。
「中文」は、「国語」の対外的な一般的な呼び方である。「中文」という語彙のニュアンスは曖昧で、「国語」という言葉を指したり、文字や文章を指すこともある。そして、「華語」は通常、外国人が台湾で「中国語」を勉強するクラスあるいは教科書の呼び方である。台湾人の間でこの呼び方を使う人は少ない。
ただし、台湾人の中でも、「国語」という言葉は台湾国内の言語を階級づけていると考えたり、「中文」という表現は中国に独占されがちだから、別の表現で台湾の「国語」と中国大陸の言語との差異を強調したいと考えたりする人は、「華語」という言葉を使う傾向にある。
2018年、台湾では台湾国内の言語はひとしく平等とうたう「国家言語発展法」が成立した。したがって、今後「華語」は「国語」に代わる存在として、呼ばれるシーンが変化してくるかもしれない。

話を台湾国内に戻すが、閩南語は福建南部の言語で、台湾では台湾語と呼ばれる。現在の台湾では、約7割の人が閩南語を話せる。ただ、言語の使用人口は時間とともに変化している。以前、私がまだ日本に来る前には、閩南語は台湾中部や南部では日常的な言語だった。しかし、現在は台湾の若者の多くは小さい頃のみ閩南語を話し、学齢以降は徐々に国語を話すように変化してきている。その結果、台湾人の若者世代の多くは、閩南語能力が児童あるいは青少年期の家庭会話のレベルにとどまっている。

日本人から見た台湾の国語や閩南語というのは、標準語と方言を連想するかもしれない。しかし、台湾人の感覚からすると、日本語の標準語と方言の違いというのは単に発音、言い回し、あるいは語尾といった表現のバリエーションであり、本質的にはやっぱり同一の言語である。台湾の国語と閩南語の発音は全く違うし、言い回し表現の違いも大きい、全く違う言語なのである。

■「台湾国語」や「台湾語」のややこしさ

台湾の公用語は「国語」である。国語は日本語にもある言葉だからと、日本人が台湾の国語を便宜的に「台湾国語」と呼んでしまうとややこしくなる。台湾では、「国語」とは異なる概念で「台湾国語」がある。
「台湾国語」とは、閩南語の発音や言い回しを特徴とする国語のことである。母語が閩南語の人は、学校などの国語教育環境がよくなければ、国語を話す際に閩南語的な発音の癖が出たり、言い回しも閩南語の語彙を国語に直接変換したりしてしまう。これが「台湾国語」である。日本にいる外国人の話す日本語の中に、母語の発音や言い回しの習慣が出るような感覚である。

台湾の言語だからと、日本人が台湾の言語を台湾語と呼んでしまうこともややこしくなる。
以前、私は、東北にある自治体の台湾人向けの観光資料をつくったことがあった。そのとき、自治体職員は連絡の際に「台湾語」という言葉を使っていた。この職員は、台湾と中国を区別したくて、「台湾語」という呼び方を使ったのだろうか。
日本語学習経験のある台湾人の感覚では、「台湾語」が示すのは、「台湾の中国語」ではなく、閩南語のことである。それは、閩南語の台湾での伝来が「台湾の中国語」よりも早かったからである。実際、日本における「台湾語」に関する書籍で紹介されている言語は「台湾の中国語」ではなく「閩南語」である。
「台湾語」という言葉は誤解されやすいので、私はそのとき、自治体の職員に「台湾語」という言葉のニュアンスを教えたのだった。

ちなみに、このようなややこしさは台湾人自身にも起きているようだ。
2年ほど前、NPBの試合終了後、台湾人のプロ野球選手がヒーローインタビューで、「台湾語でしゃべるのがいいですか」と話していたのを見た。この言葉を聞いて、私は、この選手が閩南語でインタビューに答えるのだと思っていた。しかし、選手がしゃべった言葉は「台湾の中国語」だった。このことはすごく印象に残った。
もちろん、私は、この選手が「台湾語」という呼び方を使おうとする感覚は何となく理解できた。彼は台湾出身の選手で、日本人には台湾に関心を持ってもらいたい、それでいて中国人と違う存在であることも望んでいたのかもしれない、だから、「中国語」という言葉を使わず「台湾語」を使ったのだろう。これは即興でのちょっと変則的な伝え方だったのだが。

■「台湾の中国語」から「台湾華語」へのトレンドの背景にあるもの

実は、2000年代において、台湾人は「中国語」という言葉にそれほど特段の抵抗感はなかった。「中国語」というのは単なる日本語教材の中にある一つの単語だった。台湾人が日本人に自分の言語を紹介する際には、この言葉を言えば日本人は理解できた。私がブログをつくり始めたときも、台湾の言語についての文章のために「台湾の中国語」というカテゴリーをつくっていた。

しかし、2010年代以降、台湾では、中国からの嫌がらせが多くの面において目立ってきた。台湾の選挙やメディア報道は深刻な妨害を受け、ネット情報は中国から故意につくり出された大量の「偽繁体字」情報で汚染させられている。中国人は普通、海外のネット資料を自由に閲覧できないが、奇妙なことに、台湾のネット掲示板やSNSでは中国ユーザーの攻撃や嫌がらせ、脅迫さえも受けている。日常的な情報生活で深刻な影響を受けているから、台湾のネット世代は中国に対してかなりの嫌悪感を持っている。その「中国語」と自分たちの言語を一緒にされたくないのである。
また、別のところでは、台湾人が日本を旅行していて、日本の「中国語」が、中国人の簡体字「中国語」だけを歓迎し、繁体字圏の台湾人や香港人を無視していることにも気づいてきている。そして、日本に住む台湾人は、挨拶から始まり、いつまでたっても台湾人が使う中国語が一顧だにされていないことに遭遇し、日本人が勉強する「中国語」は多くの現実的な言語知識を隠した意図的に操作された言語であると懸念している。
日本におけるこれらの状況が、結果的に台湾人が日本語の「中国語」という語彙に嫌悪感を持たせることになっていくかもしれない。

ここ最近、「台湾華語」という言葉が昔より多く使われるようになったと私自身、よく感じている。それは、台湾人が「台湾の中国語」に嫌悪感を持ち、日本人向けに自分の言語を説明するときに「台湾華語」を使うように変えてきているということである。
「華語」という言葉は台湾人の間ではあまり使わないが、外国人が台湾で言語を勉強するときに、そのクラスや教科書の呼び方は通常「華語」を使う。ほかにも、シンガポールやマレーシアの華人が、華人の共通語について「華語」という呼び方を使っている。「華語」というのは国際的な色合いを持つ語彙である。実は、日本の主要な国語辞典にも「華語」という言葉が載っている。
「台湾華語」と言えば、深刻な排他性がある日本の「中国語」と区別でき、台湾人が日本人に自分の言語を紹介する際に、日本人自身に内在する「中国語」あるいは「北京語」という先入観の枠にはめられずに済むのである。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)

新しい日本語長文コンテンツについて

いつも「梅と桜 ―日本台湾年軽人的事情―」を見てくださって、ありがとう。

このブログでの日本語コンテンツは、一貫して日本人の作者による台湾紹介ということでつくってきたのですが、
こういう既存のトピックづくりだけでなく、日本人向けに、台湾や台湾人の視点を知る一助にできる、長文で少し読み応えのある、新しいタイプのコンテンツを出します。

若干手間がかかるのですが、台湾人の作者が中国語で書いた文章を、日本人の作者が日本語に翻訳し、その後両者でやりとりして文章を調整して完成させます。
内容は刺激的な内容に及ぶのですが、日本人向けに、台湾や台湾人の視点を知る一助になるといいなと思います。

台湾人に「早上好」と挨拶してはいけない理由

意図的に抹殺された台湾の基本挨拶表現

台湾人である私が日本で生活してもう十数年がたつ。この十数年間、私には中国語学習経験のある日本人と交流する機会が少なからずあった。その日本人の何人かは、中国語をかじったことがあって簡単な自己紹介ができたし、結構長く中国語を勉強した人、中国語の通訳案内士の資格(日本の国家資格)を持っている人もいた。しかし、私が出会ってきた中国語がわかる日本人の誰一人として、台湾の一般的な挨拶表現を知る人はいなかった。

十数年間、一度も出会ったことはない。それは確率的に見て、極めて異常である。
実は、日本で生活し始めたばかりのころから、中国語学習経験のある日本人の多くが台湾と中国との言葉の違いを知らないことに気づいていた。
だから、ブログを開設したときには、そこで台湾の一般的な挨拶表現を紹介したこともあった。
参考:台灣的一般問候語(あいさつ)
あれから十数年がたち、ネット情報も充実した。にもかかわらず、この状況は依然として変わっていない。やっぱり、日本で台湾の基本的な挨拶表現を知る日本人に出会ったことはない。

私が出会ってきた中国語学習経験のある日本人は、「早上好」(おはよう)、「晚上好」(こんばんは)という挨拶表現を知るのみだ。実は、「早上好」「晚上好」は、中国でしか使われていない挨拶のやり方である。台湾では使っていないし、香港でも使っていない。つまり、繁体字圏の人はこの種の挨拶のやり方はとらないのである。

■「早上好」と言われる気まずさ

日本が2005年に台湾向け短期ビザ免除の優遇政策を開始し、その後、多くの台湾人が日本旅行をしてきた。中国語学習経験のある日本人の中には、台湾人観光客に遭遇したら、自分が学んだ中国語の挨拶を使って好意を伝えたいと思う人もいるかもしれない。そして、「早上好」「晚上好」を、礼儀正しい歓迎表現として、台湾人がこれらの挨拶を聞くと喜んでもらえるだろうと思って言うのかもしれない。

実は、台湾人がこの種の挨拶を聞くと、戸惑い驚く。なぜなら、日本人は中国人のみを歓迎しているのであって、台湾人を歓迎していない、だから「中国でしか使われていない挨拶のやり方」を使っているのだと考えられなくもないからだ。きつい言い方をすれば、日本人は台湾を否定しているも同然の挨拶をしており、とても深刻な言語文化のタブーを侵しているのである。
日本人が韓国や北朝鮮の扱いの違いで不用意な言動をすれば、韓国人は猛烈に抗議をするかもしれない、だから、日本では韓国関係のタブーを非常に注意深く扱うはずである。その一方で、日本人が中華圏の事情について扱うときには、そのやり方は非常にいいかげんで、台湾人は往々にしてさげずまれる側だ。
台湾人がこの種の失礼に遭遇しても、恐らくその場面を気まずいものにさせたくないから、日本人に「台湾人に対してはこの挨拶はとても失礼だよ」とは言わないのである。泣き寝入りしかできない、だから、日本人は自分が深刻な言語のタブーを侵したとは全くわかっていないし、きっと死ぬまでわからないかもしれない。
結局、中国語学習経験がある日本人が台湾人に好意を伝えるため「早上好」「晩上好」を使うことによって、実際にはかえって台湾人を傷つけかねないのである。

類似の状況は文字資料においても起きている。日本にある観光サービスカウンターで台湾人観光客が観光パンフレットを求めるときにも、極めて無神経なことに、簡体字版の資料を渡されかねないのである。日本人は、あろうことか、台湾人が簡体字中国語の資料を見て喜ぶと思っているのである。
実際には、台湾人はそのとき、ああ、日本人は、簡体字圏の中国人だけを歓迎しているのであって、繁体字圏の台湾人を歓迎していないのだ、だから、簡体字版の資料を出してくるのだと思うのである。台湾人だけでなく、実は「純粋な」香港人が簡体字パンフレットを受け取るときにも似たような感覚を持つはずである。
台湾人と香港人がこの種の状況に遭遇するとき、その場面を気まずいものにさせたくないから、ずっと黙って我慢するのである。ここでできる抗議行動とは、簡体字のパンフレットを断り、日本語か英語のパンフレットを受け取ることもある。日本語や英語のパンフレットを持つのは、外国語で見なれなくてもその方がましだということであり、それほど簡体字を見たくないということである。
ここまで述べてきた中でも、台湾人が日本の「簡体字サービス」に反感を抱いていることが少しはわかってもらえるだろうか。このような話題は、台湾のネット掲示板で何回も議論されているものだ。

■今からでも台湾の基本挨拶を知ろう

外国語を学ぶ際には、その最初の段階で基本的な挨拶を学ぶ。ほとんどの外国語教材では、基本的な挨拶はその教材の最初にある。挨拶は非常に基本的な好意を伝える手段である。しかし、この十数年間、私が日本で遭遇する中国語学習経験のある日本人の中で、台湾の挨拶表現を知る人に会ったことは本当にない。
日本人のために、以下、台湾の基本的な挨拶のやり方を改めてまとめた。

〈台湾の挨拶方法〉
・朝の挨拶:早安。
・お昼、午後の挨拶:午安。
・夜の挨拶:晚安。
・時間を問わず使える挨拶:您好。

これらのうち、「早安」という挨拶は、割と深く台湾に根を張っている表現である。1979年、当時まだ台北市長であった李登輝が、「早安晨跑」という健康のために早朝にジョギングをするキャンペーンを推進している。また、台湾の「早安您好台視新聞」(おはよう台視ニュース)は1988年から続くニュース番組である。番組名の「早安您好」は、その後の台湾のサービス業における挨拶に影響を与えている。
これら「早安」、「午安」、「晚安」、「您好」は、台湾の挨拶の基本形である。カジュアル表現としては、朝は「早」、「早啊」、ほかの時間帯では「你好」という言い方もある。

以前、私が日本の東北地方のある自治体で台湾人観光客の受け入れの手伝いをしていたところ、日本人のバスガイドが朝の集合時間前に「早上好」を言う練習をしていた。バスガイドは自分の知っている中国語で台湾人観光客に歓迎を伝えたかったのかもしれない。
私はすぐに、そのバスガイドに、「早上好」は中国人にのみ使うのであって、くれぐれも台湾人に向かっては「早上好」と言わないでほしい、これはとても失礼になりかねないからと話した。
その際に私が提案した挨拶は「早」である。「早」は発音が短く、相手に愉快な気分を伝えられる。台湾では、早の散歩やハイキングで人とすれ違うときには互いに「早」という挨拶を交わす。「早」はとてもよく使われる挨拶表現である。
バスガイドは、お客さんを気楽にそして愉快な気分にさせる、かた苦しさは不要なのだから、「早」という挨拶が使える。
なお、ホテルのフロントや比較的厳かな場での接客であれば、挨拶のやり方も違ったものになる。

〈台湾の正式な場での挨拶方法〉
・朝の挨拶:早安您好。
・お昼、午後の挨拶:午安您好。
・夜の挨拶:晚安您好。

■挨拶言葉の歴史文脈

「早安」、「午安」、「晚安」は台湾独自の挨拶ではない。18世紀、清の時代の名作小説『紅楼夢』にはこれらの言葉が全部出ている。その後、19世紀から20世紀初頭にかけてのいろいろな口語小説の中にも使われている。まさに挨拶の定番表現だ。これらの小説の言語表現は現代中国語とほとんど共通しているため、台湾の中学生であれば簡単に読める。
1923年に華人教育学者の夏丏尊が翻訳したイタリア小説『クオーレ』にも「早安」という言葉を使われている。この中国語翻訳版は、当時の華人世界のベストセラーである。つまり、「早安」、「午安」、「晩安」は、本来的には現代中国語の基本挨拶だったのだろう。
ただ、中国では何らかの原因があってからこの言葉が使われなくなり(文化大革命によって言語知識が断絶されたからなのか)、結局、この挨拶は中国にはないが、台湾にはある表現となっている。

一方、「早上好」という表現は18、19世紀の口語小説に使われていない。魯迅が翻訳した森鷗外の小説『あそび』(『現代日本小説集』に収録され1923年に出版)には「早上好」という言葉が使われている。しかし、魯迅が翻訳した『あそび』の翻訳の質はよくなく、訳文の多くは直訳でぎこちない。夏丏尊が翻訳する『クオーレ』にも直訳は多いが、全体的には魯迅の翻訳よりも滑らかで読みやすい。このようなことから推測できることは、魯迅が『あそび』を翻訳した当時は、母語の文章能力がそれほどではなかったから、翻訳された文も中国語らしさがなくなっているのではないかということである。
実際、1980、1990年代の台湾と中国との交流において、台湾人が中国人から「早上好」という言葉を聞いてまず感じたのは、ぎこちなく、しっくりこない、言葉の伝達になれていない人が自分の知っている語彙の中から無理に寄せ集めてできたのではないかということである。

中国が「早上好」を使うのは、恐らく魯迅の影響を受けたものではなく、可能性としては、文化大革命がもたらした文化の断絶で、正常な人とのつき合い方がわからなくなり、挨拶のやり方がわからなくなったから、政府が社会を再構築するため、人々の基本文章能力が足りない中で、無理やり「早上好」という、ぎこちなくてしっくりこないが通じる挨拶語をつくったのではないか。

■日本人の中国語教育から抜かれた知識

私が台湾の中学校で英語を勉強したとき、英語の先生は、アメリカとイギリスの英語は同じではないと教えていた。例えば、秋は、アメリカでは「fall」と言い、イギリスでは「autumn」と言う。サッカーは、アメリカでは「soccer」で、イギリスでは「football」である。私が高校、大学と進学し、その時々の私の周りにいる同級生には皆これらの英語の常識が身についていた。それは、台湾の英語教師が学生にこれらの基本的な言語知識を伝えるからである。
台湾と中国で使われる文字の違いはアメリカとイギリスの文字の違いよりもはるかに大きいし、文字によっては読み方やアクセントが異なるものもある。台湾人は通常、台湾と中国の言葉遣い、発音、アクセントの違いを区別できる。これは最も基本的な言語知識である。

一方で、これまで再三紹介したように、私が日本で遭遇した中国語学習経験のある日本人は、台湾での基本的な挨拶を知らないことから推測するに、日本人が中国語を勉強するときに、中国語教師のほとんどは恐らく「中国語の文字には簡体字と繁体字がある」、「簡体字は20世紀後半になってできた文字」、「早上好は中国でのみ使われ、台湾や香港では早上好は言わない」と日本人に教えていないのではないか。
日本で中国語を教える中国人が日本人にこれらの事実を伝えないのは、基本的な言語知識が足りないということかもしれないし、他の原因として、日本人に中国語世界の真実を知ってほしくないから、わざと隠しているということかもしれない。まさか基本的な言語知識が足りない人が中国語を教えることはないだろうし、言語知識があるのに日本人に事実を隠蔽しているということでもないだろう。
あるいは、台湾人として、いかなる善意な気持ちをもってこれらの現象を見たとしても説明がつかないのだから、結局、日本人に対して悪意のある言語文化の情報操作がなされていると断ぜざるを得ない。私が遭遇した中国語学習経験のある日本人の状況を見れば、この種の言語文化の情報操作は日本では相当深刻である。

■使わない言葉がまざるネット情報汚染

ネットが発達した時代にあって、多くの人がネット翻訳サービスを使っている。しかし、あいにく、天下のグーグル翻訳でさえ「おはようございます」を繁体字中国語に翻訳すると、翻訳結果には「早上好」が出てくる。もっと言えば、これはほんの氷山の一角である。
グーグルの繁体字中国語翻訳の多くの翻訳結果には、繁体字中国語圏では決して使わない語彙がまざる。しかも、日本語からの翻訳に限らず、英語から繁体字中国語に翻訳する際にも類似の問題がある。これらの現象の最大の被害者は、繁体字圏の言語文化である。
何者かがグーグルの繁体字翻訳結果を「簡体字圏で使用される語彙のみ」にさせたいがため、グーグルの翻訳AIを汚染したいのだろうが、これには相当大規模な動員が必要だろう。それにしても、中国国内に住む中国人はグーグルを使わないし、海外の中国人もわざわざグーグルの繁体字翻訳機能を使うことはないのだから、この現象の背後にあるものは単純なものではない。


グーグル翻訳の繁体字中国語の翻訳結果
(2021/2/28確認)

ネット上の中国語情報は、ネット翻訳のほか日常生活情報も大量に汚染されているというのが多くの台湾人の実感だ。しかも、これらの繁体字中国語情報の中には繁体字圏では使わない語彙が氾濫しているのだから、繁体字圏ではない人がつくった情報が、繁体字圏発の情報を駆逐しようとしていることは明確である。情報汚染の問題は相当深刻で、これらの話題は台湾のネット掲示板で何度も提起されている。ネット情報に関心を持たない高齢者にはその感覚はないかもしれないが、生活の中でネット情報に触れる台湾社会の中堅層や若年層は深刻な被害を受けており、簡体字を使う人へ反感を抱く結果となっている。

なお、日本政府が主導して開発しているスマホ翻訳アプリの「Voicetra」でも、日本語の「おはようございます」は、繁体字中国語圏で決して使わない「早上好」が出てくる。日本の観光庁は観光業界に「Voicetra」で外国人とのコミュニケーションをとることを推奨しているが、「Voicetra」の繁体字中国語の翻訳結果から見ると、逆に台湾人や香港人の観光客の心を傷つけるのではないだろうか。


Voicetraの繁体字中国語の翻訳結果
(2021/2/28確認)

日本政府は、観光立国を推進するに際し、外国人の宗教、飲食、生活習慣等のタブーに留意するとしている。しかし、言語文化のタブーについてはおろそかにしていないか。しかも、日本に隣接する国家から発生している問題である。
私が知る中国語の通訳案内士資格を持つ日本人でさえこの種のことがわかっていない。もちろん、全然おかしくもない、なぜなら、日本人には「中国語資料が汚染されている」という問題を感じ取れないのだから。
ほとんどの中国語学習経験のある日本人は多分、世界に「繁体字」があることを知らないところから始まり、「早上好」が中国人のみの挨拶であることも知らない、この種の情報はよくわからない理由で抹殺されている。台湾人から見れば、これは中国語世界の文化的な悲劇である。

(原案:黒波克)
(翻訳:Szyu)

家電及電子產品的性能極限

暖氣機是東京的冬天生活必需品。我家的暖氣機是瓦斯暖氣機,操作面板上有個濾網警示燈,目的是提醒人「該清理濾網上的灰塵了」。

大約從兩三年前開始,我的暖氣機的濾網警示燈亮起的次數明顯增加。其實我一直都有打掃濾網,也有用各種方法清理暖氣機內部的積灰。不過最近兩三年的情形是,我努力清理積灰,還讓機器休息一段時間後再重開機,但是濾網警示燈馬上又再度亮起。這可能是機器內部有我清不到的積灰,也可能是用了十幾年的機器劣化,讓感應器發生反應。今年1月上旬,由於情況越來越嚴重,為了安全,我就買了一台新的瓦斯暖氣機。

新的暖氣機用起來的感覺的確比較好。不過實際去比較新舊機種的規格,兩者在效能上沒有明顯的差異。舊暖氣機是20年前的機種,這代表瓦斯暖氣機的技術在20年前就已經到達極限了。

◆◆◆

這次換暖氣機時,讓我想到我的小型數位相機、噴墨印表機、掃描器也都用了很多年了。這些產品的性能都發展到了極限。

我是從2005年開始使用小型數位相機。主要目的是為了記錄自己的日常生活見聞。當時比較好的手機相機已經有320萬畫素,達到了實用水準。不過小型的純數位相機性能更強,還能做很多細微複雜的設定,而且這些複雜的設定全部用單手就能搞定。所以對我而言,純相機遠比手機相機好用。

當時每年數位相機的新產品性能都有明顯進化,我也有一直關注新產品,大約每兩三年就會換一台。不過從2014年開始,150g以下的機種性能開始停滯,甚至有些新機種的功能降級。廠商雖然還有研發150g以上的機種,而且性能還有進化,但是相機重量超過150g時就不夠輕巧了。放在口袋會覺得累贅,單手操作時也會不方便。從那時候開始,我的數位相機就停留在2013年的產品。我在2014年之後唯一買的一台數位相機是和我手邊2013年同款的二手相機。

最近幾年,日本的廠商陸續宣布不再研發小型機種。廠商向媒體公布的說法是手機相機的性能進化後,民眾就不會想買純數位相機。這個說法是事實,但是不是唯一的事實。另一個事實是,這些廠商在停止研發小型機種前的好幾年間都沒有提升產品的性能,甚至還讓產品功能降級。關心產品的消費者當然會失望。

現在手機的相機的性能雖然相當不錯,但是在路上突然發現有趣的事物或風景,想要馬上拍下來時,小型的純數位相機還是比較靈活好用,拍大量照片時也不用浪費手機的電力。所以我現在出門時,還是習慣帶著2013年款的小型數位相機。手機的相機對我而言是備胎。

◆◆◆

我的噴墨印表機也是2013年的產品。而且是日本市面上已經不多的「純」印表機。日本市面上的印表機商品在進入2010年代後,大多變成附掃描器功能的複合機。對於想買複合機的人而言,或許有很多選項,但是像我這種想買「純」印表機的人幾乎沒得選。

我不想買複合機,是因為我已經有一台掃描器,而且性能比市面上的大眾複合機好。廠商印要在印表機上硬塞一個不怎麼樣的掃描功能,對我而言形同惡質推銷。我是在沒得選的情況下才買了2013年款的「純」彩色印噴墨印表機。用了5~6年,機件發生故障,結果還是只有同型機可以買。

我的掃描器是2007年款的文件掃描器。我主要是用來掃描生活中的各種文書。我的掃描器在東日本大震災時曾經從架子上摔下過,不過沒有摔壞,性能也沒有受到影響。儘管是十幾年前的技術,而且用超過10年,但是性能還是比現在市面上的大眾複合機好,這就是我不想買複合機的原因。

掃描器用超過10年沒換,並不是我不想換,其實我買了掃描器後一直有在繼續關注新產品,只是後續新出的文件掃描器的性能沒有明顯進化,實質上就是性能到達極限。再加上我的掃描器還沒有壞,所以就沒有買新的。

我會關注新的掃描器,是因為我對自己的掃描器的功能還是有不滿意的地方。我的掃描器可以掃描對摺文件,也有傾斜校正功能。當初我對這些功能相當期待,不過使用後卻有點失望。因為這些功能相當粗糙。掃描對摺文件時,左右兩頁常常會掃歪,然後合成八字形或倒八字的圖。傾斜校正完全沒有發揮功能。後來我用單頁掃描來測試傾斜校正功能,發現這種功能只適用於極度誇張的傾斜狀況。如果文件歪不到10度,系統可能根本判定不出來。現實中,一般人在用掃描器時,再怎麼笨手笨腳也不至於把文件放歪超過10度。結果傾斜校正功能的宣傳意義遠大於實用性。

對摺文件的圖像合成、傾斜校正,都是軟體的工作。我自己手邊的2006年版的不專業的大眾型影像處理軟體已經有相當成熟的圖像合成和傾斜修正功能。相較之下,我的2007年的掃描器附的軟體卻像是外包商粗製濫造交差的作業。之後掃描器的軟體雖然有升級,不過圖像處理功能完全沒有進步。關注了超過10年,掃描器的本體性能早已經到達極限,附屬的掃描軟體雖然有發展空間,但是十幾年間一直在原地踏步。

◆◆◆

以前在台灣,常常聽人說美國的軟體業比較強,日本則是硬體業比較強。當時我覺得很奇怪,日本開發出了這麼多優質電玩遊戲,軟體產業應該也有相當的實力才對。不過實際到日本,看了一些日本的企業文化評論及報導後,我才知道日本人自己都覺得日本不重視軟體發展。家電或電子產品業界只想造出手摸得到的實體產品,不關心無形的軟體,甚至否定軟體的價值。過去日本電玩遊戲的軟體業者往往會受平台擺布,事業大多是曇花一現。目前我可以感覺到有在努力經營、克服各個時代平台障礙的日本軟體業者是開發文書處理軟體「一太郎」的JustSystems。

我的掃描器的硬體性能的確不錯,但是軟體卻相當糟,而且十幾年間沒有進步。我以前用的日本品牌的GPS錶的本體性能雖然不錯,但是分析資料用的網站介面卻做得非常糟,網路上有出現批判的聲音,但是廠商卻沒有自覺。由於廠商無法提升產品的魅力,所以最後退出了GPS錶市場。其實我在買日本的電子產品時,產品附屬的軟體大多做得不怎麼樣。日本的廠商可能也不知道自己產品附屬的軟體很糟,因為這些廠商只關心硬體,而且大多沒有提供消費者反映意見的機制,實質上是不關心消費者的聲音。

日本的製造業的一大陋習是做出一堆自我感覺良好的商品,然後硬拗出一些歪理來誘導消費者購買,而不是努力針對消費者的需求做出可以讓消費者滿意的商品。這種問題不只是家電或電子製造業,近幾年日本的一些食品業者因為原料成本上漲的關係,開始減少包裝內的食品容量。然後在媒體上硬拗成「為了對應現代小家庭生活而減少容量」。日本的消費者當然受夠了這種愚蠢的謊言,所以每當媒體報導食品包裝內容量減少的消息時,網路上都會有人批判。業者會撒這種小孩子的謊話,是因為他們是靠前人開拓的銷售通路而活,沒有真正去關心消費者的需求。在資訊傳播發達的時代,日本的業者在傾聽消費者聲音的部分還是相當落後。

當硬體的性能發展到極限,領先的企業無法再前進的結果,就是其他國家的硬體商品慢慢追上來。結果現在日本的家電量販店出現了一堆韓國和中國品牌的產品,性能也不會比日本品牌差。只是從個人好惡的角度來看,購物時我還是會挑日本品牌的產品。

幾年前,我和日本友人聊電子產品性能停滯的問題時,友人打趣地說,現在電子產品的性能很多已經發展到極限,過去領先的日本企業漸漸轉移事業方向,今後如果還想買日本品牌的產品,可能要期待愛麗絲大山這種居家用品業者開發出便宜好用的數位相機、印表機,掃描器。

2020年回顧

2020年本來是充滿希望的一年。日本舉辦奧運、發展觀光、振興經濟。不過這些希望因為肺炎疫情變成了泡影。

受到疫情影響,我的收入減少,不過幸運的是經濟上還過得去,只是無法回台探親,而且真的不知道什麼時候才能回台灣。

我本來每年會利用連假期間在日本國內旅行。泡泡溫泉、散散心、吃美食,忘掉生活中的煩惱。但是疫情狀況讓我打消了出遠門旅遊的念頭。結果今年我只踏出東京兩次:一次是去京都跑馬拉松,一次是到東京旁邊的川崎。

今年能跑得成京都馬拉松,算是非常幸運。兩週後的東京馬拉松就因為疫情的關係取消了市民跑者的賽事。我在京都的期間,雖然也有放鬆心情,吃美食,但是去京都的主要目的是為了跑馬拉松,休閒只是附加價值而已。所以對我而言,去京都不是「純旅行」。而且因為疫情的關係,今年在京都多少也是戰戰兢兢。

我到川崎,是日本政府推動「新型態生活」的一個月後(9月)的事。我是因假日休閒而跨出東京到川崎,不過川崎不是目的地。我只是想騎單車沿著東京灣看羽田機場的飛機,一時借道路過川崎市,本質上還是在東京活動。假日騎著單車看海、看飛機,非常愜意。不過回到市區後,東京有不少餐廳受疫情影響,週末暫停營業,少了用餐的樂趣。

日本政府為了救經濟,推動了「Go To Eat」、「Go To Travel」等方案。一方面是為了保住餐飲業和觀光業的命脈,也算是「新型態生活」的大規模的社會實驗的一環,目的是為了摸索出外出自制和社會經濟活動間的平衡點。我和朋友見面聊天時,也少不了「Go To Eat」和「Go To Travel」的話題,因為大家真的都悶壞了。日本政府用呼籲取代懲罰主義來防疫,就某種意義而言也是為了減輕社會壓力,因為過去的日本社會已經吃過太多懲罰主義的苦果。

「Go To Eat」方案要事前訂位或取得實體優惠券,和我的生活習慣不合,結果我只有在10月底用過一次。雖然只用過一次,但是有吃到比較高階的美食,我也算是心滿意足了。

「Go To Travel」方案的確刺激了日本民眾的國內旅遊活動,不過當我有空利用這個方案時,日本的第三波疫情已經升溫,到了不適合出遠門的狀況。最後我在12月中旬用這個方案在東京中心地帶的飯店投宿一晚。幾天後,東京的「Go To Travel」就因為疫情的關係暫停實施。我的「Go To Travel」在驚險中過關。

我在東京住了十幾年,但是還是有很多地方不常去或是沒去過。我的「Go To Travel」正好讓我有重新認識東京的機會。我曾經在六本木看過電影、看過展覽,也和友人吃過飯,但是並沒有深入了解這個地方的地理交通。我的「Go To Travel」的白天,就是用自己的腳熟悉六本木、麻布十番、芝公園一帶的地理關係。晚上再沿著反方向重走一次,然後欣賞六本木一帶的街頭燈海。

六本木的夜景非常漂亮,不過在這裡我也感受到了防疫的溫度差。夜晚的六本木街頭的人非常多,雖然大部分的人有戴口罩,但是並沒有保持社交距離,而且有人已陷入「忘我」的狀態。這和我平常看到的東京非常不一樣。見識了六本木夜晚的街頭,就會覺得東京的疫情狀況一點也不令人意外。

儘管夜晚六本木街頭的氣氛有讓人不安的一面,但是我只是個逛街的過客,不會和街上的人近距離社交,我的目的就只是欣賞夜景,熟悉地理環境而已。逛完街,回到飯店後,在房間落地窗邊欣賞東京大都會的夜景。由於飯店附近沒有其他高樓,視野遼闊,所以晴空塔、日本電波塔、高樓群的美麗燈火盡收眼底,讓我暫時忘記各種煩惱。看到窗外都會的夜景會覺得感動,代表我還不夠都會化。

雖然是2020年的最後一個月,雖然是在東京,雖然只住一個晚上,但是這趟「Go To Travel」終於讓我嘗到了「旅行」滋味。

2020年的最後一天,東京疫情的感染人數破千。這代表日本社會還是有很多人在社交場合中忘我、或是屈服於這些忘我的人。對某些人而言,社交誘惑力或壓力可能比防疫的壓力大。東京的感染人數增加,主因是有人在社交場合感染,回家後把病毒擴散給自己家人。當感染的人越多,莫名其妙被感染的機會也會增加,我自己也必須小心。

最近兩三年,我每年都會得好幾次感冒,生病不好受的體驗非常強烈。2020年,由於疫情的關係,我常戴口罩常洗手,過了一個沒有感冒的一年,算是意外的收獲。希望在新的一年能繼續保持自己的健康。也希望所有的人能過得平安快樂。

手機門號在不知情的狀況下被回收

近幾年,我每三四個月會回台灣探親。不過在肺炎疫情全球肆虐的情況下,我將近一年沒有回台灣了。這個時期台日兩邊的防疫制度下也無法讓一些小市民短期往來。這是非常無奈的現實。

幾年前,因為經濟上的考量,我把我台灣的手機門號轉成預付卡(因為是中華電信門號,所以是轉如意卡)。門號業者也很貼心,有提供網上自動付款的服務。讓我在萬一超過半年無法回台的情況下也能定期付款保留門號。我選了每四個月付100元的方案。到去年為止,完全沒有任何問題。

儘管是自動定期定額付費服務,我還是會留意儲值網站的資訊。因為這是我在國外確認是否有定期付費的最直接的手段。我每隔一段期間就會上網確認付費狀況。

12月5日晚上,我上網確認付費狀況時,發現本來應該付費的「11月下旬」沒有記錄。我開始覺得怪怪的。

當時是電話諮詢的服務時間外,如果用文字聯絡,可能又要花更多時間,而且無法當場弄清楚。我為求早期解決,就只能等翌日用電話聯絡。

◆◆◆

12月6日上午,我從日本打國際電話給客服。才從客服口中得知我從今年3月信用卡的付款授權就失敗了。然後我支付的兩個門號分別在7月和8月被回收了。

然而,如意卡的網站中的交易記錄頁面中,卻有我今年3月和7月的交易記錄。


如意卡網站的交易記錄頁面。頁面有顯示3月和7月的記錄,連號碼都有。沒有任何文字顯示交易失敗。

我打電話給客服時,我還只是想我有支付3月和7月的費用,只是11月系統可能有問題而沒有顯示,所以趁門號還在有效期間內確認一下。萬一11月沒有成功付款,我可以馬上處理。當時我的腦內的門號有效期間是在2021年1月下旬(7月付費後的180天後)。

不過客服告訴我,3月就已經付款失敗。在和客服交談下,我約略猜到這是如意卡網站的交易記錄的標示問題。

網站有顯示交易記錄,但是從這些標示無法得知「交易失敗」。一般人看到有這些交易記錄,恐怕都會想像成「這次也有付款,可以放心了」。

因為真的沒有任何「沒有付款」或「付款失敗」的標示。

◆◆◆

過去幾年間完全沒有問題的信用卡定期定額支付,在今年發生授權失敗。而且我確認過網站後,還是不知情地以為今年3月和7月完全沒有問題。但是結果卻是兩個門號在不知情的狀況下被回收了。其中一個門號還是我用了十幾年的門號。

現代人要管理的身邊資料相當多,很多人負荷不了,就會放著不管。不過我還是有努力追蹤確認如意卡網站中的交易記錄,也有意願定期支付預付卡費用。

如果我是設定後完全不理,完全不確認設定是否成功的情況下因沒付款而被回收門號,這是我的疏失。但是我在設定定期定額付款後,還是有繼續確認網站交易記錄,而且用了幾年沒有發生問題後,我還是繼續到網站上確認記錄。而且我是在12月上旬發現沒有11月下旬的交易記錄後,就選擇用最快的方式聯絡客服。這是世界在疫情肆虐中,我在無法回台灣的情況下能做的維持手機門號的努力。我有努力防止不作為的疏失。但是卻因為去年之前從來沒發生過的授權失敗的問題,在不知情的情況下被業者單方面回收門號。我失去了相當重要的東西。

住在世界各地,然後努力在國外保住自己手機門號的台灣人不只我一個人。所以遇到這種問題的人可能不只我一個人。我是因為有追蹤網站上的交易記錄,然後有打電話給客服,才知道這個問題。儘管如此,我的手機門號還是被回收了。可能還有很多海外的台灣人根本不知道這種問題。就算知道這些問題,可能有不少人和我一樣無法帶著雙證件回家鄉處理。

在肺炎疫情下,小市民的我今後半年可能還是無法回到自己的故鄉台灣。我雖然有意願付費維持手機門號,但是我已經沒有手機門號了。我覺得相當無助。我能做的,就只是用文章把這件事寫出來,告訴大家有這件事,或許也可以提醒到其他住在海外、和我的狀況相似的台灣人。

台湾のプチトマト

さすがにコロナウイルスも流行となって、台湾旅行というのが難しくなって、今、台湾のプチトマトを思い出している。

日本にもいろんなトマトはあって、どれもおいしいものだからあんなに種類がふえているんだろうけれども、プチトマトなのに数えられる量しか入っていなくて、あの値段ということもあるし、酸味が苦手な私にとっては大ぶりのものは内部の酸味が強くて、総じてこれじゃない感がしていた。
しかし、台湾ではよく見られる小型で酸味が抑えられた甘目のトマトが見事にストライクなのだ。
それが、「玉女」と「聖女」というもの。

 
写真は全部「玉女」。聖女の写真が見つからなく……
写真に写っているピンクのビニール袋については「台湾のレジ袋」を見てね。

味は、アイコの特に小振りなもので若干酸味も味も薄いイメージだが、私もグルメじゃないので、詳しくは食べてもらった方がいいと思う。
90年代に聖女ができて、その後に玉女ができた。聖女は丸いが、玉女は細長い。
台湾が日本だったころに入った苗みたいで、最近のトレンドになっている某イチゴや某ブドウや某芋とは違う。

これらのプチトマトは、普通にスーパーの生鮮食品売り場にあるし、市場や屋台とかではもっと安く売られている。
有機とか生産者の質はあるのかもしれないが、味に大差はないと思うけど、思った以上に値段差があると思うから、買う前に相場を頭に入れた方がいいように思う。

私がスーパーの売り場で見たところでは、トマトの糖度は、玉女は9度、聖女は7度。
糖度から考えると玉女>聖女ということなんだけど、単に、台湾でよくありがちな2タイプのプチトマトと考えてもらうといいと思う。

漢字を見て、私は「玉」より「聖」の方がランクが上の気がするんだけど、
若くて無垢で外見がいい美人は玉女で、芸能人や歌手を褒める感じ、
ベルサイユのばらが海賊版で出たときは「玉女英豪」と言われていた。
若くて性格がよさそうなのは聖女で、ジャンヌダルクとかのヒロイン、女神のような存在、何か中身が伴っている感じだけど、
じゃあ、玉女と聖女はどっちが女性として好きなのかとか言われてしまうと、なかなか甲乙つけがたいみたい。

2020網路生活雜感

2020年9月,我跑步用的太陽眼鏡的鼻托部分壞了。因為已經壞到無法修理,所以只能報廢。這是我第一次用網購買的眼鏡。查閱以前的購物記錄,購買時間是2011年9月。而且報廢日的翌日正好是購買9週年,算是意外的巧合。一副太陽眼鏡幾乎用了9年,也算是夠本了。

之後,我在日本的阿馬松買了一副價格不貴、設計似乎不錯、而且有附交換用鏡片及精美收藏盒的太陽眼鏡。兩天後收到貨。但是開箱看到實物後,我非常失望。

一打開眼鏡盒,裡面的商品標籤印的是某強國的文字。鏡架成型粗糙,像是劣質的幼兒塑膠玩具。眼鏡本體的黑鏡片雖然可以擋紫外線,但是我測試了其他附屬的鏡片後,發現其他鏡片幾乎擋不了紫外線,完全是標示不實的劣質商品。

自己不注意,買錯了東西,也只能認命。為求不浪費,我還是會用這副太陽眼鏡。只是會設定使用次數,當平均使用成本降到了我不會心痛的程度,我就會把它報廢。

經歷了這次教訓,我在阿馬松物色下一副太陽眼鏡時,就有特別留意製造國。最後我找到了台灣製的太陽眼鏡。價格便宜,但是品質相當好。其實我以前在日本的運動用品店看到的價廉物美的太陽眼鏡幾乎都是台灣製造的。

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幾年前,日本的小賣業界幾乎被阿馬松打到無法招架。當時的我甚至擔心常去的家電量販店和運動用品店會被網購的時代洪流擊垮。不過最近三四年,阿馬松因為出現了大量劣質商品而走下坡,讓日本的小賣業得到喘息的機會。

現在在日本的阿馬松上找運動用品、家電、服飾、生活雜貨等商品時,搜尋結果會出現很多劣質商品,而且多到讓人以為阿馬松是專賣劣質商品的平台。而且日本的阿馬松的搜尋系統有嚴重的缺陷,如果用知名品牌的名稱當搜尋關鍵詞,系統還是會列出大量和搜尋關鍵詞完全無關的劣質商品,而且無法用排除語法過濾。這個問題的原因不明。有可能是惡質賣家把知名品牌名稱加入商品參數中來攪亂搜尋,也有可能是阿馬松把廣告商品偷偷安插在搜尋結果中。以前這些劣質商品還可以用價格來過濾,不過最的近惡質賣家會把同一商品設成好幾種價格,讓買家不能用價格來過濾商品。妙的是,這些妨礙搜尋的商品全部都是來自某強國。

這些來自某國的劣質商品的共通特色是評價留言數異常多。少輒超過50個,多輒破千。而且評分非常高。然後賣家多半不敢明示商品的製造地和服務聯絡地址。

本來,阿馬松的普通的商品評價留言大多不會超過10個。長期暢銷商品的評價留言是有可能破50甚至破百,但是從整個市場來看,那種暢銷商品是極端少數。一般人買生活雜貨時,大多是能用即可,用舊了、用壞了就丟了。就算用得滿意,也不會特別花時間去寫評論。因為不過就只是小小的生活雜貨而已。反而是用得不滿意時,才有可能會特地去留負評,防止下一個受害者。

我自己大多是網購衣服和鞋子時才會特別留言評價。我的留言目的不是為了推銷,而是讓之後的買家在選擇尺碼時有參考依據。網購衣服和鞋子時,判斷尺碼非常難。我自己也要靠前人的留言建議來選尺碼。當我買對尺碼後,當然也要回饋一下。儘管如此,一些知名的大眾品牌的衣服和鞋子的評價留言還是不多,超過10個就謝天謝地了。這就是商品評價本來的樣子。

至於那些能用即可、用完既丟的生活雜貨,評價留言動輒破千,而且評分異常高,顯然不單純。現在我在阿馬松看到評價留言數超過50,而且都是高分評價的「平凡」商品,幾乎可以直接斷定是惡質的強國貨。不用特別花時間到檢查商品信用度的網站測試。這些異常評價幾乎都是由電腦自動生成,然後利用阿馬松系統的缺陷投稿。儘管我裡道這些問題,但是我自己還是誤踩了陷阱。

以前日本的消費者喜歡用阿馬松網購,是因為阿馬松的使用介面友善,一目了然。相較之下,日本自己的雅戶和樂天購物網站的頁面貼滿了礙眼的廣告,似乎很擔心買家專心細讀商品基本資料,而且搜尋結果可能好幾頁都是同一種商品,讓買家很難比較多種商品。這種惡質介面的背後可能有雅戶和樂天的職員當推手,所以日本的消費者對雅戶和樂天的企業印象並不好。

這幾年,某國的惡質賣家大舉侵入阿馬松後,用了很多舞弊的手法行銷,把阿馬松乾淨清爽的網購環境毀了。現在要在阿馬松上搜尋運動用品、家電、服飾、生活雜貨等,幾乎都會被惡質業者的商品妨礙,而且無法過濾。某國業者的心態就是殺雞取卵、要死大家一起死。把阿馬松搞爛了之後,大不了再換個平台來利用。結果現在日本網路上出現了不少對阿馬松失望的聲音。

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最近,google的搜尋功能對我的意義幾乎就只剩找官網、查店家地址及營業時間,然後偶爾用圖片搜尋功能來過濾阿馬松的商品(因為阿馬松的搜尋功能無法過濾惡質商品)而已。我用google搜尋其他資料時,就算加了特別的過濾語法,幾乎還是每試必敗。而且用過濾語法查幾次資料後,google就要我做測驗證明我是人類。

幾個月前,我用google搜尋特定時段的「福號」這個字串時,搜出來的結果全部是「符號」。加了過濾語法後,就搜不到東西了。當初我是期待搜出「羅斯福號」的相關新聞,以及其他還帶有「福號」這個字串的文章,不過google完全沒搜出來。當時的台灣有報導羅斯福號的新聞,google的爬蟲一定有蒐集到這些資料。google搜得到近24小時內的「羅斯福號」字串,但是卻無法搜到「福號」這個字串,顯然google的AI抓字串的能力劣化了。

以前在google上故意用奇怪的方式截取字串搜尋,可以搜出某些特定句型表現的文章。這種搜尋技巧在找文章、分析語文資料時非常方便。不過現在用怪異的字串搜尋時,google會判定成打錯字,而且會擅自更改搜尋關鍵字。實質上就是google自廢武功。

本來,google搜尋引擎最大的價值是讓人能獲得網路上的集體智慧。不過文章和網頁的自動化生成技術出現後,惡質業者用程式自動化無限生產垃圾網站,把人類寫的文章埋掉。結果大部分的網路空間都被垃圾資料佔據,很難再找到真實的經驗分享文。

現在用google找東西,基本上只會搜到網購網站、維基百科、企業官網,或是內容農場。網購網站、維基百科、企業官網都不是用來分享生活經驗的網站。內容農場的生活經驗文則是假資訊,可能根本不是人寫的。網路討論區或許有比較多人類寫的文章,不過現在網路討論區已經淪為世界資訊戰的戰場。很多文章的出發點不是良心,而是為了打亂資訊傳播。

結果在網路上搜尋別人分享的生活經驗,必須花很多心思去過濾掉網購網站、維基百科、企業官網,以及內容農場。但是過濾這些網站並不容易。因為google的字串搜尋能力劣化,用試行錯誤的方式篩選資料時,很容易會被google的AI判定成非人類,必須通過「證明自己是人類」的測驗才能繼續搜尋。而且最後可能根本搜不到。這就是搜尋引擎AI能力的現實。

以前在網購之前,可以用圖片搜尋開箱實物照來確認商品。不過現在用圖片搜尋商品,只會搜到廣告用的CG想像圖。現在如果要找真實照片或普通人寫的經驗分享文,用臉書或推特可能比google有效率。不過臉書和推特的搜尋能力相當弱,而且也一樣被大量垃圾資訊汙染。

由於人類寫文章的速度比不過垃圾網站自動生成的速度,而且這個世界沒有有效的機制遏止惡質的垃圾網站生成,也無法讓這些網站退場,所以今後人類必須面對「網路世界大多數的資訊是刻意造出來的假資訊」的殘酷現實。

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最近幾個月,上網讀文章時常常看到「即便」這個詞。

我第一次聽到這個詞,是多年前聽台灣的廣播節目時,有個節目來賓講到這個詞。這位來賓大概是覺得講「即使」太平凡,所以就改講「即便」,來凸顯他的措詞造詣。讓我印象深刻。當時我只覺得這是這個人表達時的特殊癖好,因為我的生活周遭沒人這麼用,我讀的書籍、報章雜誌也看不到有人這麼用。因為這個詞突然插在日常的表達中會顯得生硬不自然。

不過這幾個月間,「即便」這個詞似乎有爆發性普及的趨勢,甚至到了泛濫的程度。我看的很多文章都有出現這個詞,我甚至還看過有開頭兩字就是「即便」的文章。而且這些文章給我的印象是「努力把『即便』套進文章」。如果這個詞用得自然,我可能根本不會發現。不過這個努力過程實在太刻意,讓文章變得不自然,所以我才會發現這個詞被用到泛濫。好像不把「即便」套進文章,就得不到共鳴。

語言表現有無限多種可能性,而且有很多模糊地帶,所以表達不會有唯一絕對正確的型式。每個人有每個人的表達習慣,在意自己的表達的人,會參考他人的表達方式,來改進自己的表達。在文章裡用「即便」的人,恐怕是看到別人的文章裡用了「即便」,然後覺得這個詞用起來可以幫自己的文章加分,於是就有樣學樣用了起來。

我自己以前寫文章時,喜歡把句子寫得非常生硬,因為以前我看的論文的句子都寫得很生硬,所以我就覺得把句子寫得生硬會讓文章變得有深度。不過後來我發現句子是否生硬和文章是否有深度無關。生硬的句子只會妨礙讀者吸收內容而已。台灣的論文的句子生硬,就只是寫論文的人的表達技術不夠成熟而已。以為「生硬的句子可以讓文章看起來有深度」的我,當然也不成熟。

表達會不斷進步,還在成長中的表達型式,就像是中間語言的過渡適應階段。當語言能力提升到一定的程度,中間語言就會消失。如果「即便」只是個過渡現象,再過一段期間後,或許就會漸漸消失了。特別是現在連台灣的記者都開始學著用「即便」,比較敏感的人或許會開始回避這種詞彙表現。

我自己寫文章時不用「即便」這個詞,是因為我有其他的表達手段,而且我並不覺得使用「即便」可以讓文章變得易讀易懂。不過看到一堆人用「即便」,我還是會不安。也許是我的自信不足吧。

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